Twitterを広告会社とは切り離してユーザーの目線から仕組みをよく見てみると、そこには少なくとも2つのアクターが存在することになる。
有権者の投票が多い政治家や政治家の発言は価値があるのだろうか。
あるいはそのような評価が多い者からイノベーションが生まれるのか。
実際のところ、それは凡人的発想であると言える。
沢山の凡人が大量投票する、あるいは創価学会員や統一教会や電通の連中が投票について活動的であるからといって、それは「IQ100の、イノベーションモドキ」である。
言い換えれば、社会構築主義を盲信しすぎるとイノベーションが生まれないかもしれない。
この膠着状態を打破するにはどうするか。
分布の中央が「投票が多いもの」であるとすると、分布の両端は「投票が少ないもの」である。
中央で投票をする人たちは左右の極端のどちらなのか評価する能力がないのである。
イノベーションとは、まさに右極端、つまり「投票が極めて少なく、高い独自性を持っているが、同時に天才的であるもの」であるといえる。
例えば「言語モデル」というワードでツイートを検索したとしよう。
そのツイートが一番最初に行われた最も古いタイムスタンプ( https://twitter.com/bto/status/779502012 )こそが、その時期にイノベーションとなる可能性が高かったということである。
このような「イノベーションの発掘」を行える人はなかなかいない。
凡人はありきたりなことを言い、社会構築主義の発想で「バズると価値がある」「人気に価値がある」の世界で生きているからである。
誰にも目を向けられることのない発信者こそがイノベーションについての知識者である。
票を稼ぐことが目的の政治家と、票を操作することが目的の大衆によって作られた蜘蛛の巣には、画期的なものが存在する可能性は低いのである。
数に目を向けるな、内容に目を向けろ。