2022-11-21

会陰と一緒に裂けたもの


前回の日記を書いていたのは何年も前で

書きなぐったはいいが投稿せずにずっと下書きとして残っていたもの投稿した。

今の私はこの頃のように、裂けた会陰の痛みに苦しんではいないし

胸の張りにイライラカムカしていることもなく

さな赤ちゃんだった子もいない。

絶対にすぐ働くぞ!!!と断言していた強気な私もいなければ

20キロ軽かった私も存在しない。

この日記を書いた半年後、華麗に社会復帰するため履歴書を流れ作業作成

保育所にもまるで手馴れてるかのように応募し合格を手にした。順調だった。

また、仕事ができる。

スーツを着ながらウキウキ保育所子どもを預けては面接をする職場へ向かう日々だったのだが

すべて落ちた。

もう条件にあった会社は紹介ができない。とハローワークの人にやんわり言われるほど落ちまくった。

その後は、ご存知の方もいると思うが保育所を退園になってしまった。

母の力不足で、子の最終学歴保育所退園にしてしまったのだ。

退園の日迎えに行く前に、先生方へ渡すためのお菓子が入った紙袋を両手に持ちながら

脚立に立ちながら剪定をしている職人さんをみながら

なぜ…。なぜ私には仕事がない…

あんなに選びたい放題だったはずなのに。なぜ…

そう思いながら20分ボーッと立っていたのは覚えている。

その後はもう記憶にはない。

良いも悪いも私は切り替えがめちゃくちゃ早い。

そしていつの日にか無職も当たり前の日常になった。

たまに手続きで行く市役所コピー機の音を聞く度に

自分もこの音の中で働いていたことがあったのになとへこむこともある。

こんなことを書いていると、そろそろ就活し直さないと。となんとなく焦りを感じてくるが

まだ、無職でいっか。

とすっかり腑抜けになった私が必ず誘惑をしてくる。

しかしたら会陰と一緒に脳みそもどこかしら裂けたのかもしれない。

これが地獄なのかわからないがたぶん本来私が書きたかたことではない気がするが

今の私はこうなのだからしかたない。

次は何を書こうか気まぐれは続く。

  • よーわかりませんけど無職で(今の所)生きていけるならそれで良いのでは? あとここ たまに手続きで行く市役所のコピー機の音を聞く度に 自分もこの音の中で働いていたことがあっ...

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