2022-10-29

押入れからばあちゃんの作ってくれたドテラが出てきた

祖父母は町の仕立屋で、口のまわる祖母が取ってきた客のスーツを寡黙な祖父が作る、という分業体制だったらしい。

祖母自身は短気で針に糸を通すのも難しかったらしいのだけど、そんなことはわからなかった幼い頃の俺が

「ばあちゃんの作った服が着たい」

と言うので、仕方なしに作ったのがドテラだった。

その後、何度か更新され、今回、押入れから出てきたのは8代目だったかと思う。

 

ばあちゃんちょっと変わっていて、

「世の中の問題商売として解決するのがいい」

と、まるで経済学者のようなことを言う人だった(最終学歴小学校卒)。

学校PTA仕事押し付け合って会議が長引いている、と聞くと、

乗り込んでいって、会費を集め、仕事を請け負う会社(?)を作ってアルバイトを集めて何とかしてしまう。

教員が忙しくて部の顧問が見つからない、と聞けば、

退職教員セミプロ卒業生コーチにしたスポーツクラブを作ってしまう。

小学3年生だった俺が

お小遣いが足りないので、友達同士の遊びでやり取りするポイント自作の『お金』にし(て通貨発行益で儲け)た」

と話したときには、ばあちゃんけが俺を褒めてくれた。

 

7人の孫は、皆、じいちゃんの寡黙な職人気質継承し、ばあちゃんビジネスマインドは誰にも継承されなかった。

死ぬ直前、俺が病院のベッドで横になるばあちゃんの手を取ると、

あんたは、賢い子だ。

 みんなを守ってやっとくれ。

 それが、あんたの一番の財産になる。」

そう言ったきり、あとは何も言わずに死んでいった。

ばあちゃん他人には理解されにくい人生は、家族を守るためのものだったんだな、と、そのとき初めてわかった気がした。

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