昨日3回目のワクチンを打ってきた。歩いて行ける小さなクリニックだ。
1.2回目の時は予約がほぼ埋まっているような雰囲気で、順番を待つ時も接種後の15分待機も座る場所が足りないほどの状況だったが今回はかなりすいており、接種する時も前回のような流れ作業ではなくいかにもベテランといった雰囲気の看護師さんがゆったりと打ってくれた。
「あぁそうですか、いやこうしてワクチン打ってるとね、左利きの人ってけっこういるもんなんですよね」
そんな会話にハァ...とか中途半端な返事をしているうちに接種は終わった。
左利きの割合は約10%程度と言われている。そりゃけっこういると言っていいだろう。しかし見た目でわからないから気づかないだけなのだ。毎日とっかえひっかえ来る患者の10%も左利きなんだろうが、利き手がどちらかか確認するような機会がないし、字を書いたり箸を持ったりするのを見なければわからない。挙げ句左利きでも書く時や箸だけ右なんていう人はざらにいる。
そこでワクチン接種で利き手を申告する患者(?)を見て思うのだ、「左利きってけっこう多いんだな」しかしそれだけだ。へー左利きなんですね、とベテラン看護師は接種を控え緊張している者に声をかけて場をなごませる。その言葉にはなんの裏も意識もなく、天気の話くらい無難な会話だ。もし自分の子供が左利きだったとしても、それを思い悩む親なんていない。世間にもっとも自然に受け入れられているマイノリティと言えよう。
そして調べ方や地域によってばらつきがあるようなのだが、LGBTQの割合もまた10%前後と言われている。左利きと同じだ。
そしてLGBTQであることも、見た目だけではわからない。そして左利きであることを人に申告する機会も必要もないのと同様、LGBTQであるということを普段の生活で表明する機会もなければその必要もない。
例えば一緒に食事をして、箸を持つ手に気づいた時のように、会話のはしばしで「夫が...」と言ったら「あ、ゲイの方なんですね、うちの兄弟もそうなんです」みたいな感じで普通に反応してくれたら良い。スポーツで左利きが重宝されるように、LGBTQもその特性を生かした職場に配属になったら良い。どうしてそういうふうにならないのだろう。
そういえば昔は左利きを矯正しなればだらしないとかみっともないとか言われる風潮があって、自分も昔「きちんと右手で書けるようにしつけてもらっていないなんて、ご両親は何をしているんでしょう」と言われたことがあり子供心にずいぶん傷ついたものだが、あと何十年かしたら少しは何かが変わっているのだろうか?
そんなことをぐるぐる考えていたら、だんだん頭が重くなってきて、熱も上がってきた。
今日は早く寝ようと思う。