2022-03-14

父親となって6年経った

まだまだ自分の中の「子供」を抑えきれないという自覚はあるものの、妻と子を想うこの感覚が幼い頃に自分が見ていた親父なのかと最近理解できるようになってきた。
あぁなるほど、これが保守的になる、頑固になる、理解のない大人となるって感覚なのか。

それと同時に愛や恋を理解した気になっていた1020代自分が凄く恥ずかしいものに思えてくる。当時に戻れるのならば「まだまだだぞ」と言ってやりたいが、これもそう言えば親父や年上の上司、先輩から言われ口うるさいなと流していたような気もする。
あぁなるほど、あれは青臭い自分自身過去へ向かって言ってたのか。

いまウクライナ情報が耳へ入るたび同じ父親戦場へ立つことの意味覚悟共感し、胸が締め付けられる思いだ。
同じ立場なら1分1秒でも妻と子へ銃弾が届くのを遅らせるため戦場に立つという選択をするだろう。遅らせればもしかしたら運良く銃弾が止むかもしれないしと。

敵兵にも父親が居るだろう妻と子が居るだろう。
でもそんなこと知ったこっちゃない。極限まで自身エゴイズムの発露、自分を含め誰かを犠牲にしてでも妻と子だけは生かす、国なんかどうでも良い、妻と子だけはどうにか守るんだとエゴを通すために従軍する。なんて身勝手なんだろうか。

エゴを通す父親の頑固さとは救いがたいものがある。
救われなくたって良いという開き直りすらしていて、ウクライナ父親たちは従軍しているんだろう。わかるわかってしまう。

恋人が出来ても結婚してもこんな感情を知ることはなかった。
なんなら子供が生まれた直後ですらまだこんな感情は持っていなかった。

結婚当初よりも妻は老けて、生まれときよりも子は成長した。
そして年々大きくなる自分の中の夫や父親という属性。男はいくつになっても変わらないと言うが、そんなのは嘘だ。

父親の先輩方へ言いたい「みなさん心の中の“コレ”を隠してますね?」と。若いうちはまったく気付きませんでした。
そして「確かに“コレ”は人前では見せちゃいけない。下手をすると人を殺すものだ」と同意したく思います

愛は光り輝くもの、もしくはドス黒いもの、そんな理解じゃ浅すぎました。
愛は献身、もしくは欲望、そんな理解じゃ浅すぎました。

これを心の中に押し留めて、普通に生活している父親の先輩方に頭が下がる思いです。
経験では、気付くまでは、何を言っても伝わらないものだと若造へ伝えてこなかったのはこういうことなのですね。

私も自制しつつ精進していく所存です。

  • まだまだだぞ 子供が中高生になったり結婚するようになるともっとソレ強くなるから頑張りな まぁ親になったからこそのもんだからギャンブルとかで変な発散の仕方はするなよ

    • 助言、本当に感謝いたします。 覚悟してその時を待つよう心がけようと思います。

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