と思うわけである。異論もあるだろうし怒られたら嫌なので匿名の場に書く。
[B! togetter] 職場の40代のママさん「ココアがね…」私「ワンちゃんの名前ですか?」返ってきた答えに、いつ思い出しても肝が冷える - Togetter
というのがあって、トップコメは軒並みココアちゃんの母親を批判している。俺もどっちが悪いか選べと言われればココアちゃんの母親が悪いと思う。
でも、正直、こんな話どうでも良くないか?
そもそも、1ツイートぶんの情景描写しか情報がないわけで、そりゃこれだけの情報で何かを判断しろって言われたら「ココアちゃんの母親は異常者」みたいになっちゃうけど、そこまでわからなくないか?
ちょっと抜けたところがあるだけのいい人かもしれないじゃん。ツイート主も「肝を冷やした」みたいのは誇張して言ってるだけで、普通に仲良くやれてるかもしれないじゃん。
インターネットっていうのはやばい場所で、発言しないと存在できないんだよな。
だから、何か発言しないとっていうプレッシャーが知らず知らずのうちにある。
で、ツイッター上で上の発言を見たんだったら、とりあえず「そういうことありますよねー」とか言ったりいいねボタン押したりしててきとうに共感を示しておけばいいんだけど(そんなことする必要も別にないんだけど)、はてブっていうのはインターネットでも特にやばい場所で、コミュニケーションをする場でもないわけで、記事に対する自分の意見を言えっていう雰囲気があるんだよな。
それで、「こういう発言をするココアちゃんの母親みたいな人って異常人間ですよね」みたいに言っちゃって、まあどっちかというとそれはそうだからスターついちゃったりなんかして、でもそれってなんかやばいことなんじゃないか。
別にどっちでもいい話じゃん。いきなり「ココアちゃんがね…」とか言われたら犬のことだと思うだろって笑い話じゃん。
でもそこで、どっちかというと…ってぐらいの気持ちで母親を否定する発言が出て、それにスターが集まったりして、そういうのを繰り返していくと、本当にこの母親みたいな人を許せない人間が生産されていく気がするんだよな。
なんかやばいことだよな、それって。そうでもないのかな。
そういうわけで、こういったどうでもいいことに対してむりやり意見を持とうとすると、どんどん人間がやばくなっていってしまう気がするんだよな。
正しい日本語だと、 ココアがね ではなくて、 娘がね だものね。