我々は資本主義というルールで生きている。大多数の人はこのゲームに参加しているのだ。
ところでゲームというのは別に攻略しなくても楽しい場合は往々にしてある。クリアしなくてもずっとミニゲームをしているが好きという人もいる。
だけども、この資本主義ゲームにおいてそのミニゲームを楽しめないと思った人にとっては攻略するしかない。(もちろんゲームを完全に降りて別のゲームをプレイするということもあるだろうけどまずは攻略しようとするだろう。)
友人と酒を飲んだりカラオケに行ったり、家族とお出かけしたり、はたまた自分の趣味に興じたり。そういったミニゲームがあんまり楽しくないなと思った場合、資本主義ゲームを攻略しようと思うわけだ。
資本主義ゲームを攻略するのは「学校の成績で1位になる」ということとは全く別のゲームである。ルールが違う。学校という枠組みでは単に点数さえ取れれば攻略できる。大抵は時間を投下することで攻略できてしまう。(もちろんそれ以外の攻略法も多々ある。)
だけど、こと資本主義ゲームにおいては時間を無限に投下しようともそれが成功には繋がらない。ルールが違うのだ。
同じ時間を投じようとも、同じ身体的疲労を感じようとも一方では利益を積み重ねることができて、他方では何も積み上がらない。
これは自分たちがプレイしているゲームのルールを知らずにプレイしているからだ。攻略法は存在するし、ヒントも存在するけど多くの人はあまり注視しない。恐らく多くのミニゲームに興じることで資本主義を攻略することを忘れるんだろう。
教育現場では部活動のために休日出勤しようと小銭の足しにもならないし、介護士や保育士がいくら人手不足と言われようとそれは何ら資本主義ゲームとは現状関係しない。
資本主義ゲームにはバグがあるのだ。それを利用しない手はない。例えば同じ仕事をしようとも貰える金銭が同じとは限らない。例えば同じキャバクラに行こうとかたや経費計上で租税しているかもしれない。
同じことをするならば、収入は多く、支出は少なくすることが資本主義ゲームを攻略することだろう。
同じ仕事をしようと、同じパソコンを買おうと、同じ旅行をしようとも、実質は同じでも異なる手続きを踏めば異なる結果になるのが資本主義ゲームだ。
悪いことをしようとも、正しいとされている手続きで行えば正しい。正しいことをしようとも、誤った手続きで行えば正しくない。ゲームは"ルール"があるのだ。実質は全く関係ない。大切なのはルールに則っているか否か、それだけだ。
ミニゲームが楽しくないと感じ、資本主義ゲームのメインステージを進めていきたいと思った人はゲームのルールを知る必要があるだろう。