という疑問がふと湧いてきてね。
たとえばこれから100億年人類の歴史が続くとするじゃないか。
それを「人類史」に含んで良いのかな、と。
まだ記録されてないものであるのだから含むべきでないとするのが一般的なのかね?
それなら今日はどうだろうか。
1秒先はまだ観測されていない。
人類史ではないな。
ではこの瞬間は?
ビデオカメラを回していれば、光の移動速度とカメラの処理速度を合計した0.0X秒前までが人類史なのかな。
うーむ。
君がカップラーメンを食べる直前に「ラーメンを食べた」と日記に書き込んで、実際君はそのあとにラーメンを口に含んだのなら、それはどこからが人類史なのだろうね。
この定義で言えば、ラーメンを食べるまでは「食べた」はあくまで未来に対する予測でしかなくまだ歴史でなく、口に含んだ途端に「食べた」が歴史に変わるわけだ。
なるほど面白い。
では、もしも君がラーメンを食べるのを忘れてでかけてしまい家に帰ってからそれを食べたとしようか、そうしたならその瞬間が「食べた」を歴史にするわけだよ。
「確定する前に書かれた歴史は予想に過ぎないので歴史と呼ぶに値しない」という反論だ。
だが、これはとてもむずかしい。
認知したものが真実であると確定するのはいつの瞬間からだろうか?
飛び降り自殺を目撃した人が「Aさんが死んだ」と書き込んだが、実は意識不明になっただけで済んでいた。
まあこれは単なる早とちりだが、もしもAさんが本当にその時死んでいたのが分かったのなら、それは歴史の速報というべきものだ。
Aさんの影武者が死んだのか、Aさん本人が死んだのか、それが判明するのはいつで、それを歴史として書き込んで良いのはいつからだろうか?
長い長い歴史の中で、実はとある人物は影武者だったなんて話は枚挙に暇がない。
さあ難しいぞ。
歴史はどこまで不確定要素を許容するんだろう。
全知全能には程遠い人類の手によって認められている。
その中にある不確定であり、未来の人類によってその間違いが暴かれる部分は、歴史と読んでも良いのだろうか?
では逆に、もしもこの世界に全知全能の存在が迷い込み、未来の出来事を事細かに綴った予言書がどこかに忍ばされていたならば、そこに書かれている確定した未来は既に歴史として記されているとしてもよいのではなかろうか?
一度没頭するといつの間にか時間が経っているから増田って本当嫌いだわ。
貴重な人生が失われていく。