周りの人間が高学歴すぎて勝手にコンプレックスを覚えていたのだが、高学歴をひけらかすようなクズは居なかったし、俺も対等に渡り合えているように思っていた。俺が大学に行かなかったのはめぐり合わせの問題であり、平均以上に稼いでいて知的な会話の楽しめる友人がいる以上、コンプレックスを持つ必要は全くないのだ。
だが増田を見返していて驚いた。学歴に関するエントリが半数近くを占めている。大半は怨嗟だ。日常ではほとんど話題にもならないというのに、俺は一人でコンプレックスを抱えていたらしい。
こうして他人事のように語れているのは、俺は今大学生であるからだ。もちろん大した大学じゃない。文字通りに誰でも入れる通信制の大学だ。対面での講義はなく、講評を得られるのはレポートと試験についてのみ。だが、入ってみて良かったと思う。大学での学び、考え方とはこうしたものか、ということの何割かが知れただけでも学費を払った甲斐はあったと感じる。
結局のところ、正体が分からないからコンプレックスを覚えていたのだと思う。恐怖や不安が湧き上がる構造と一緒だろう。
大学生活的へのコンプレックスも持っていたのだが、学生たちの動向を観察する限り、どうやら俺は大人になってからも大学生のように遊んでいる存在であるらしい。モラトリアムのような仕事をしているしな。
正体を知ってしまったところで、今後も学業を継続すべきだろうか。知らなかったことを知り、考えを巡らせ、文章にするのは楽しい。しかし、俺本来の興味の方向と、ここで学べることとは少しだけズレているような気もする。まあ改めて別の大学に入り直してみたって良いだろう。4年くらい仕事を休んだところで貧乏学生よりも金はあるし、仕事に復帰することになっても困らないという自信はある。しかし、そこまでするほどにはコンプレックスは強くないんだよな。もう少し続けた上で、何かどうしても研究したいことができたら、例えば編入を検討しても良いだろうし、在野のまま研究する方法も、今はきっと沢山あるだろう。
あるいは俺は近い将来に、またどこからか高学歴との違いを見出してコンプレックスを形作り始めるのかもしれない。それでも一時的にでも気持ちが開放されたこと、新しい可能性が拓けたことを、とても嬉しく思う。
大卒なら就職簡単だろうから羨ましい ハリーワークも大卒以上の募集ばっかりだし 高卒は生きる権利が奪われている