ブコメでは「所詮作者の真の意図なんてわからないんだから考察は無駄」みたいな意見が溢れかえっててキエエェとなったのだが、そういうこっちゃないんだよね。
いや私は増田本人ではないので断定はできないけども。
「あのシーンでAくんがBくんに○○を渡したのは○○を暗示している」とか「この世界観はウテナ(もしくは特撮、聖書、ギリシャ神話、なんらかの古典など)に親和性がある、よって○○は□□である」とか「この演出には○○の意図が」とか、こういう話は別に当たってなくてもいいの。クイズじゃないんだから。まぁもし当たってたら「えっ⁉ あってた⁉ やったぜ!」ってなるけどさ。決定的に違うという原作からの発信がない限り原作の枠内で遊び尽くすことができるのが二次創作の醍醐味。
「そんな細かいとこ気づかないよ普通」というところを拾ってくる。
そして発想力。
「ここからこう繋げるのかー!」
という意外性。
なるほどと納得させられる妥当性。筆力。
このような能力を駆使した考察はえてして原作とは異なる雰囲気を帯びる。何故ならそれは考察主が咀嚼し構築しなおした考察主だけの新たな作品と化すからだ。すなわち一種の二次創作である。
人の作品使って二次創作って、と馬鹿にする人たちはわかっていない。
私は幼い頃大好きな絵本をはさみで切り刻んだことがあった。当然絵本は台無しになり大変悲しくなった。
私はなんとかしてその絵本に関わりたかったのだ。より深く知りたかった。その中に入り込みたかった。私が影響を与えたかった。しかしてオリジナルが変質してしまっては元も子もない。
大好きな作品は噛み砕いて粉々にして練り直して磨いて、器に飾ったり水につけたりほかほかに暖めたりしたい。
私のような人間がそれなりにいるから二次創作は賑わっているのだろう。
ただまぁ前述のように考察も二次創作もある程度技量が必要なのだ。
だから増田は、自分は大好きな作品に深く関われないと嘆いている。
……多分。