JRは痴漢という問題に対して、女性専用車両というソリューションを提供して一定の評価を得た
それでいいのに、ポリコレ棒持った人が暴れた結果面倒くさい話になっている
この話はまだ小さい規模だが、世界中で起きていることと似ていると思う
こういった問題がなぜ面倒くさいのかと言えば、ポリコレ厨にとって「差別か差別じゃないか、中立か、公平か」が価値判断の大きなウェイトを占めるからだ
いや、まだこれだけなら面倒じゃない
さらに面倒なのはその「差別」「中立」というものがきちんと定義されていないことだ
例えば
じゃあこれは公平か?
さらに、この「集団」と言うものの中にも差があったとしたらどうだろう?
この再分配論における認識の差は複雑だし答えが出ない
そのくせ皆で「差別はよくない」「公平にするべき」と声高に叫び
議論は収集つかず、ターゲットになった組織が困って安易な手を打ってしまう
トランプが勝ったのだって、これの反動が大きかったと言われている
個人的には
何が問題かと、解決するにはどうすればいいかだけで考えるべきだと思っている
その時に「理想は何か」を語りすぎないことだ
理想を語り始めるとぶっ壊れる
昭和の時代にもそういうのがあっただろう、皆忘れてしまったのだろうか
2.困ってる人は誰か
3.解決策は何か
4.実現できるか
5.解決することで悪影響はないか(トレードオフにならないか)
これだけ考えるべきだ
棒は捨てろ
課題を解決する為だったら女性専用車導入だけでなく、女性は女性専用車に乗る事を義務付けるまでやれよ。