時々会いには帰るのだが、福祉課から時々封書で送られてくる援助要請は断り続けている。
無論、自分だけで生きていくぶんにはそこまで困窮していない。
だが、情けないことに母への金銭的援助をするほどの余裕は私にはないのだ。
母は精神的な病気をもう何年も患っており、障害者年金とわずかな生活保護費でやりくりしている。
歳も50代後半になり、働くことはもう一生無理なのだと思う。
金銭的に余裕があるわけでもない私が1,2万を気まぐれに「今月は余裕があるからあげられる」「来月は支出が多いから無理」などと言って気まぐれで援助したら、私が出した分は母が受給する生活保護費から引かれる。これは当たり前のことだ。
だが余裕がなくてお金をあげられない月は、母がまた自分で減らされた分を要請しなければならないだろう。
それは国にとっては喜ばしいことなのかもしれないが母にとっては負担になるのではないだろうか。
だから私は、母は死ぬまでそのような暮らしをしていていいのだと呑気に思っていた。
だがこの前、久しぶりに母に会った時、母はひどく落ち込んでいる様子だった。
話を聞くと、年に何度か訪問に来る福祉課の担当職員があからさまに母を馬鹿にしたような態度をして嫌味を言って帰っていくのだそうだ。
母の精神障害をまるで嘘であるかのような言い方をするのだそうだ。
大した精神疾患でもないのに生活保護を受給している人間はずるい奴だとでもいうような態度で。
母は私に心配をかけまいと、今までずっと私にはそういった話をすることはなかった。
私の話だけを聞いてくれていた。
だが母は、自分の娘のような年齢の若者にコケにされ見下される屈辱をずっと味わってきたのだ。
それが限界に達したようで、今回母の今までの精神的苦痛を知ることになった。
話を聞いて私は正直顔も名前も知らないその担当職員に腹が立った。
それと同時に、仕方ないことなのかもしれない…とも思った。
弱者の立場に立ったことがない人間には、その人がどんなに肩身の狭い思いをして生きているかなんて知る由もないのだから。
私だって正直、母が味わってきた屈辱や恥ずかしさや惨めさは半分も分かっていない。
それは母が私にそんな思いをさせないために、母子家庭になってから精一杯普通の家庭の子供と同じような暮らしをさせてくれたおかげだ。
だからきっと、その担当職員の人も、とても幸せな人なのだと思う。
んーだからねーなんつーんだろうなぁ
やっぱ結局のところ一番言いたいことはなにかというと
5000兆円欲しいなぁ
それにかぎるなぁ