2017-07-20

性同一性障害を抱える人へ

わたしはいわゆる性同一性障害だった。

「だった」と明示的に書くのには理由がある。

性同一性障害世間に広く知られるようになってもう長い。

わたし現在20代で、比較偏見の目も少なくなりつつなる世に生まれた方だと思う。

言うまでもないが、性同一性障害といのは「性自認」における「同一性」の障害だ。

ジェンダーアイデンティティに置き換えても構わない。

よく性別適合手術まで受け、戸籍変更した元男性も言うが、性別適合手術を受けたからといって、遺伝子は変わらないし、元男である事実はまぎれもない事実だ。

要するに結局はアイデンティティに関する障害であると言うのがこの病の本質だ。

わたし自身性別適合手術を済ませ、戸籍変更も済ませているが、その後もカミングアウトによる偏見の目というのは少なからずある。

これは良い悪いという話ではなく、性同一性障害当事者をどう見るかなんて言うのは差別でも何でもない。

その人の捉え方だ。

もちろん、性同一性障害理由に不当な社会的制裁を下すのは現在法律では禁じられているが、どう思うかなんてのは自由しかない。

程度にもよるが、犯罪妄想したりするのと何ら変わりはない。

話を戻そう。

先にも述べたが、性同一性障害ジェンダー問題であると同時にアイデンティティ問題でもある。

アイデンティティ非難する理由の1つがジェンダーであり、ジェンダーというのは今の医療技術ではどうしても限界があるというのがこの病の難しい点だ。

しか視点を変えれば、アイデンティティジェンダーだけで構成されるものではない。

あたりまえのことだ。

わたし」を構成する要素は性別であり、年齢であり、特技であり、苦手なことであり、実に様々だ。

トランスセクシャル性的マイノリティというのはもちろんそれを構成する要素の1つだが、再三言うがそれだけではない。

自分遺伝子的な性はどうやっても変わらない。

それでも体を変えることで自分世界が少しでも明るくなるならば、治療を受けて見る価値はあるだろう。

性同一性障害を抱える以前にまず、自分アイデンティティについて一度考えてみるのも大切なことだ。

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