2017-06-04

6月4日

もう10年以上前になるのか。

2006年就職が決まった俺は、帰国することにすこし不安を覚えていた。

日本人他者に対して排他的だ。

身内と見られれば良くしてもらえるが、異物と見られればつつかれる。

本人たちは意識していないだろうが、日ごろから差別的対応をされたり

差別的対応をしないように注意を払いながら「ガイジン生活」をしていた俺には、

差別的だと感じてしまう。

仲間に入るためには、言い換えれば、信頼を得るためには、いろいろな規制を受ける。

郷に入っては郷に従え。なるほど、結構なことだ。

では、郷が保障する自由とはどのようなものか。

結果的には自由はなかった。

帰国してから生活は、俺にとっては罪悪感のあるものだった。

うまくアダプトするまでに時間がかかったことや、”ご迷惑をお掛け”したことは

個人的対応能力の無さなので何も言えないが、

個性的な「よその人」たちを傷つけるような敬意の無い対応をせざるを得ない

郷の掟に関しては、再考を進言したい。

俺が帰国してきてから見て経験した日本生活は、

言動だけではなく思考にも規制をかけるような自由しか保障されてない。

丁寧だ勤勉だと郷のすばらしさを誇るのは、逆に言えば

それがない人を排除することにつながっている。

それぞれの個性尊重され、社会内包されることこそ、

自由であり、福利である

ある国では、自由を求めることが政治的闘争となり、悲劇的な結末となった。

国を追われた人たちは自由を求めて西側諸国亡命した。

それから20年後自由を求めた彼らは「08憲章」を発表した。

帰国して疲弊していた俺は感銘を受け、「郷」の中で生き残るための勇気をもらった。

自由とは戦って勝ち取るものだ。

ただし、身を削るような戦いであってはならない。

誌士幽人莫怨嗟、古来材大難為用。

6月4日自由を祈念する日に書いた、現在個人的自由考の備忘録

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