あれだよな。
高校の生物の教科書で刷り込みの例として、ヒヨコは生まれて最初に見たものを親だと思い込むって話が載っていて、
へー、動物って下等だなーって思っていたけれど、40才過ぎて人の親になってみたり、心理カウンセリングだとかを色々と受けてみると、自分も結局は親の影響を受けていたんだなー、としみじみと思う。
家から出たい出たいと思って、実家から1人暮らしや結婚して共同生活をしての期間も含めて20年間以上、経った。
だけど、小学校ぐらいのトラウマとか、祖母に優しくしてもらった思い出とか、忘れないものだし。
むしろ、個人の力で、どうにもならなくなって思い出すものかもしれない。
「家族」「仕事」「親戚づきあい」「結婚」みたいなものって皆、普通に使うけど。
汎用性のあることばだけに、色々な意味合いというか、文化的に違うというのか。
たまに、「バスタオルは毎日洗うのか?」「まくらカバーはどれぐらいの頻度で換えるのか?」とかは言語化されたりするので、なんとなく違いを意識することはあると思うのだけど。
「人は過労死するものだ」とか「どこまで、嫁姑問題で耐えるべきものか?」とか、
なんというか、親の影響なり、幼少期の影響というのは、少なからずあるし。
仕事上、どんな出会いをしてきたかで、自分のパーソナリティ(人格)も、随分と変容するものだったり。
ふだん、そんな刷り込みなんて意識しないで、コミュニケーション取れてる人はスゴイ尊敬するし、
ネットではそこかしこで、議論が噛み合わないってことはしょっちゅうだし。
刷り込みからの脱却というか、無意識の認識を改める事って、結構、大変だよな。