はてなブックマーク - いじめ暴行で重体、市や同級生らに1億円超の賠償命じる:朝日新聞デジタル
いじめ事件が話題になるたび、「◯◯罪のことをいじめと呼ぶな」という意見がよく挙がります。
「いじめという軽く聞こえる言葉ではなく、◯◯罪というより凶悪に聞こえる言葉を用いて、事の重大さをはっきり示すべきだ」
というのがその理由で、概ねネットでは支持されている意見のようです。
ですが私は、2回2年間に渡っていじめを受けてきた者として、これに反対します。
「いじめのことを◯◯罪と呼ぶな」、と。
さて、いきなり喩え話で申し訳ないのですが、次のような状況を考えてみて欲しいのです。
とある人が、交際相手に暴力を振るったり、暴言を浴びせたりといったことを日常的に行った末に、
このような事件に対して、「DVではなく傷害罪と呼べ」と言う人たちがいたら、どう思いますか。
「加害した側を擁護しようとしているのかな」、あるいは、そこまで行かなくても、
「DVはDVだろうに何故言い換えようとするのだろう」、そう思ってしまうのではないでしょうか。
私が「いじめじゃなく◯◯罪と呼べ」という意見に対して抱く違和感は恐らくこれに近いです。
つまり、いじめという一連の許されざる行為の一つとして暴行や恐喝があるのであり、
それだけを取り出して暴行罪や恐喝罪と呼んでしまうのは、事件そのものを矮小化することになるのではないか、というのが私の懸念です。
上の記事の例で言えば、被害生徒がある日突然見知らぬ集団に殴られて意識不明になったとしても「暴行罪」なわけです。
そうした例と違う、という意味で「いじめ」の語を用いているのに、それを「暴行罪」と呼んでしまうのは、
DVを傷害と、計画殺人をただの殺人と、わざわざ貶めているようなものではないか、と思うのです。
もちろん、事件の重大さが正しく伝わっていないのだとしたら、そのことは問題だとは思います。
であり、言葉の方ではないのではないでしょうか。
あるいはせめて変えるにしても、「いじめ」そのものの言い換えであるような語(たとえば「家庭内暴力」に倣って「集団内暴力」とかでしょうか)によるものであるべきだと思います。