未来の伴侶となる人が表れ、特に喧嘩もせずに過ごし、将来への不安を打ち消せるだけの具体的な話し合いもできている。
だけれど、そうした「希望を持てる未来」が得られた側の言葉は、時に誰かを傷つける。たとえ親友であっても。
私には、「一人で生きていこう」という覚悟を固めている友人が多い。
それだけ、己の意志と欲求に正直で、それを貫けるだけの力を得られるような強い人が好きだからだ。
私もかつてはそうだった。そしてそこから外れるとは思わなかった。
自由に飛ぶ鳥を見て幸せになれるような人が、その鳥の支えになりたいから、とプロポーズしてきた。
だから私がその人と結婚したとしても、結局求めるものは婚前とあまりかわらない、はず。
実際にできること(子供を得るとか家庭を得るとか)は増えるけど。
だけど、その「将来の伴侶となる人」が存在している状態は、私のいる場所では、あまりに攻撃力が強い。
私が大切にしたい友人たちが、選ばなかったものを、私は手に入れようとしている。
私は彼女たちに何度も「それはあなた達と分かち合いたいものなんだ」と語っても、笑って流されてしまう。
もし私達の関係を受け入れられるなら、あなたも私達の家族になろうと誘うけど、まじめに取り合ってはもらえない。
「そうじゃない、そうじゃない」と、思う。私は自分が猛毒を放つ生き物になったかのように感じる。
「一人で生きる」覚悟を決めた人を傷つけてしまうなら、と、長年交際を続けている年上のひとに話そうと決めた。
その人達は結婚も秒読み状態と言われていたから、きっと先輩になってくれるだろうと思った。
だけど蓋を開けてみれば、「何年も付き合っているのに結婚に関してはまじめにとりあってくれない、プロポーズなんかしてくれない」という状況だった。
私はまたしても、私の抱く幸せによって誰かを傷つけた。
その人が求めているものを、私は手にしていた。それを喜々として見せてしまった。
「知らなかった」と弁解はできる。でも、したことは、したことだ。
もう、既婚者に話すしかないんだろうか。
私の所属する場所は、比較的晩婚で、しかも私は所属の中でも年長者で。
もっと上になると.....考え方が古い。
そもそも私のキャラクターの特異さに耐えられる気がしない。
よほど時間をかけて慣らしていった人じゃないと、普通ははねのけられる。
バイで、ポリアモリーで、女が稼いで、夫が専業主夫で、なんなら養子も視野で、なんて話、通じるんだろうかとめまいがする。
私ののろけをのろけと受け止められるだけのリベラルな人たちにとって、私ののろけは猛毒で、
私よりも幸せな状況にある人にとって、私の状況は異様で異常なもので、
どんどん、閉鎖的になっていく。