川本くんが泣いた。
川本くんは、僕のひとつ下の後輩で、いつもクラスにひとりぼっちだった。と聞いてる。たしかに、放課後に教室の前を通ると、一人で机に座っていることが多かった。
沈み始めるころの太陽の明かりだけが教室を照らし、電気も付けず、彼は何をしていたんだろう。皆は部活に行った。川本くんは?川本くんはどこに行ったんだろう。
川本くんがどこに行ったのか、僕は知らない。僕はただ、川本くんのいる教室の前を通って、部活にはいかず、そのままさぼってどこかに行くのが常だった。
あの日はちょうど、駅前で何もない日だった。ぼんやりと川辺から駅の方をながめ、ススキがだまって揺れるのを一人で眺める。
どこからともなくトンボがやってくると、その穂先にそっととまり、羽を下ろし、またしばらくするとどこかへ飛んでいった。
河川敷というのは不思議なところで、たまに出かけたくなるのだけど、でも、橋の下なんか通ると、いつかここで人が死んだんだろうなぁとか、
おぼれた人がいるんだなぁとか考えずにはいられない。僕は大抵そう思ってしまったときは、その場を足早に離れるのだけど、そのときは違った。
ぼくは静かに、橋の下で、コンクリートブロックのます目をひとつひとつ降りていった。
「おいっ!」なんて声が聞こえれば、正直止めたと思う。でも、そんな声は聞こえなかった。少なくとも、そのときは。
川本くんがしゃべってたのを一度だけ聞いたことがある。もちろん、こっちは見ていなかった。誰もいない放課後の教室で、机の前に立ち、うつむき加減のまましゃべっていた。と思う。
いや、しゃべっていたというのは間違いかもしれない。「ちゃくせき」ってそれだけ言ってたのを覚えてる。
もちろん、それが川本くんの声をきいた最後だった。これは思い込みに過ぎないんだけど、川本くんはその後、席に座ることもなかったんだと思う。
やっぱり、そうすると、川の水はもうまるっきりつめたくなっていて、僕はひゃっと言った。
言ったというか、心の中で。
やっぱり、上履きのままじゃ無理があって、べちょべちょになった上履きを僕はその場で捨てた。
午前2時。
こんな時間に中学生が起きてるのはだいたいおかしいんだけど、その日は違った。
僕は中学生だったけど、そんなことが余計にそうさせた。
午前2時。こんな時間に起きてるのは、僕と、悪いやつと、それしかいない。
それしかいないと思うと、僕は笑えてきた。
そんなはずはない。
でも、この真っ黒に流れる川を見ると、そんなことはどうでもよかった。
午前2時。だいたいのやつらは寝ている。少なくとも、あの、学校にいるやつらは。
だいたい僕はいつも、学校が終わったあと、一人で教室にいる。何をするでもない。
何をするでもないけど、ただ教室にいるんだ。最高だろとしか思えない。
他の奴らは、たいてい部活にいっちまってる。頭もいっちまってるんだろう。
昔はずいぶん、おまえも部活にいけよって言われたことがある。
でも、もう言うやつはいない。俺が部活だって、俺は言い続けた。
おっと、そうだ。僕だ。僕は僕だ。
そんなに悪いやつじゃない。だって、大抵部活をサボるやつらの理由は、
いや、理由というか、やることは、部活をサボってどこか繁華街にいったり、どこかそこらの川縁で遊んでるに違いないんだ。
「俺が部活だ」なんて、誰が聞いても笑うし、笑って、そうか、たまにはいけよ、って言って終わりだ。
いや、すると言えば、たまには一人遊びをするぐらいだ。
誰もいない放課後は楽しい。何がとでもいうわけでもなく、僕は単純に好きなんだ。
この、黒く流れる川を眺めていると、そんな風に思う。
上履きを捨てた。
上履きなんてもうとっくに用はなくなっていた。だって、この上履きの名前、みてくれよ。
だいたい僕はいつも一人で、それが今更変わるわけでもない。
沈みながらあっという間に見えなくなった上履きについてはそれ以上考えが及ぶこともなかった。
川本くんも、こんなふうに感じたのだろうか。
あぁ、冷たいよ。つめたい。つめたさがせまってくる。
でもそんなことはもうどうでもいい
つめたい、なんて概念も、もう明日にはなくなってるんじゃないか?
あぁ、つめたい。
黒い川のほとりにいると、ふと思うことがある。
ぼくは、生まれてこなくても良かったんじゃないだろうかって。
たまに通るトラックを照らすために、皓々と光るオレンジ色の街灯が、僕も照らす。
ついでに、川も。
川の流れは激しくて、いつも何かを飲み込んでそうだ。
激しいって言っても、君の言う激しいじゃない。僕の言う激しいだ。
いつ見ても同じ景色はない。淡々とオレンジ色の光を反射し、そのくせいつも黒い。
この流れの中に入ってしまえば、僕も同じくなるのだろうか。