作者へ「この作品のメッセージは?」って質問をするな - Togetterまとめ
「あなたが作品から受け取ったものがあなたにとってのその作品です」っていう話って一見イイハナシダナーって思うかもしれないけど、限度って物があるよね。
この話の面白いところは、このスプツニ子さんが別件で、あたかも固定的な「作品のメッセージ」が存在しているかのような主張をしていること。
単に「私はこう感じて気に入らなかった。他のどう感じるかは知らない」だったらともかく、明確に「こういうメッセージが読み取れるから駄目」という主張のように思えます。結果として作り手側は「自由に解釈してください。受け手の自由に任せます」という態度が取れなくなり、釈明することを求められていた気がします。なんかこれ、矛盾してるように見えて、どっちも正しいような気はします。
個人的には作者と作品は完全に独立してるわけじゃないと思うんだよな。 切り離して考えたい人は考えてもいいけど、それだけが唯一の正解とか言い出すとなんかバカっぽい。
作者に伝えたいメッセージが無いわけでもないと思う。いやあるでしょ。ただ、作者の伝えたいことは、簡単に言語化できるようなことじゃなく、もっと混沌としていたものであり、それを言語化しようとするとどうしても一部しか切り取れない。だから言葉で説明できないしするべきもんじゃないって話でしょ。
言葉の問題なのか、作品とメッセージ性の関係性の問題なのか、それがごっちゃになってるよね。
あとさ、上で紹介したスプツニ子さんみたいな事例があるかぎり、あんたたちに敵意はありませんよっていう消極的なメッセージ発信は必要になっちゃうわけだよね。
つまり、この話って、暇を持て余した上流階級の遊びって感じですかね。あほらし。
自由の名に値する唯一の自由は、われわれが他人の幸福を奪い取ろうとせず、また幸福を得ようとする他人の努力を阻害しようとしないかぎり、われわれは自分自身の幸福を自分自身の方法において追求する自由である。
表現の自由だの何だのの理想だって、あまりに民度が低過ぎたら、どうしても「こいつらには自由に喋らせるな」って気分になっちゃうのがつらいよね。
この考えははっきりいって古い。現代、例えばピクサーの監督はその質問にもちゃんと答える。でもそんなこというと「おまえはアーティストでもないくせに偉そうに言うな」という人が出てくる。因果なことだ。 / “作者へ「この作品のメッセージは…” http://t.co/IJScqEJJQz— 岩崎夏海 (@huckleberry2008) 2015, 9月 8
ハックルさんがんばれ。