私は『今日の芸術』読んで分かった気になっているだけの俗人だが,
おそらく,現代のアートで最も重要な要素は結果ではなく過程だ.
作り手が何を考え,どのようにしてその制作物を作ったか,及び受け手がどのようなものを
今盛り上がっているパクリ認定というのは,あくまでも2つのものを
横に並べ,デジタル的に類似しているかを評価しているだけであり,
だから制作者サイドからは反発が出て,それは違うと説明しようとする.
元来,どこまでがパロディでどこからが悪質なデッドコピーかには
明確な線引きは存在しない.
もちろん著作権や商標といった制度は存在する.存在するにはするが,
そもそもその内容が一般大衆の知識として浸透しているようにも思えない.
おそらくほとんどの人は引用の要件すら何も見ずには明示できないだろう.
二次裏出身であればキメこなのことを知っている人も多いだろう.
しかし,やはり特定のドメインに属していれば知っている,というレベルに留まり,
誰しもが知っている,というにはかなり苦しいだろう.
(不)幸にして「五輪」という非常に話題性のあるものと密接に関わりがあったが故に
何度も繰り返し報道され,これまで意識的に接点を持っていなかった一般の人に対し
そのような問題が存在するということを印象付けたという点で評価できると思う.
TPPにおけるフェアユースといった話が家庭で議論できるようなところまで
いったらな,と切望している.
補足:
デザインの善し悪しはコンテキストと無関係に受け入れられるかどうかで