2015-04-15

言い散らし型の大学での授業に疑問

文学部教授にはアナーキー社会で働くことなんぞ悪だ!という考えの方が未だちらほらいらっしゃるようです。

現在必修で受けさせられているとある授業の先生は色々と社会批判することに枚挙に暇がない方で、

現代情報社会の悪さ、文学部人間までせこせことやれ資格英語だとくだらない、

時には一部の職業実学志向学部を陥すような発言をなさることもありました。

PCスマホは彼の中ではおもちゃか何かだと考えているようで、ノートPCを使ってevernote上に授業ノートをまとめていると、

パソコンを使って遊んでいる者は評価を下げます

と言われたこともあります

その時は思わず抗議しようとしましたが、その先生は授業が終わると脱兎のように教室からいなくなってしまます

そんなに授業が嫌かと思うほど、本当に早いです。

その人ごと信条があるのは分かります

場合によっては一般的社会なら受け入れがたい思想を持っていたとしても、個人の思想をどうこうする権利は誰にもないことくらいは分かっています

けど、それを反論も抵抗もできない学生に半ば強制的に聞かせる意味はあるのですか?

授業を必修科目にしてまで、彼の社会批判に、自分家族職業や普段から親しんでる趣味低俗な物扱いする言葉を聞かせられる、その意味は何なのですか?

一応授業は題画文学を扱うというものですが、授業の半分ちょっとほど専門の説明をしたら残りは学生社会への怨嗟愚痴るだけの時間に疑問を感じてしまます

このような授業におよそ20時間ほど取られることに一体全体何の意味があるというのでしょうか……。

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