文学部の教授にはアナーキーで社会で働くことなんぞ悪だ!という考えの方が未だちらほらいらっしゃるようです。
現在必修で受けさせられているとある授業の先生は色々と社会を批判することに枚挙に暇がない方で、
現代の情報社会の悪さ、文学部の人間までせこせことやれ資格だ英語だとくだらない、
時には一部の職業や実学志向の学部を陥すような発言をなさることもありました。
PCやスマホは彼の中ではおもちゃか何かだと考えているようで、ノートPCを使ってevernote上に授業ノートをまとめていると、
と言われたこともあります。
その時は思わず抗議しようとしましたが、その先生は授業が終わると脱兎のように教室からいなくなってしまいます。
そんなに授業が嫌かと思うほど、本当に早いです。
場合によっては一般的な社会なら受け入れがたい思想を持っていたとしても、個人の思想をどうこうする権利は誰にもないことくらいは分かっています。
けど、それを反論も抵抗もできない学生に半ば強制的に聞かせる意味はあるのですか?
授業を必修科目にしてまで、彼の社会批判に、自分の家族の職業や普段から親しんでる趣味を低俗な物扱いする言葉を聞かせられる、その意味は何なのですか?
一応授業は題画文学を扱うというものですが、授業の半分ちょっとほど専門の説明をしたら残りは学生に社会への怨嗟を愚痴るだけの時間に疑問を感じてしまいます。
学生運動の生き残りかな