なぜか。それは「強制的」な苦労より「能動的」な苦労の方が得られるものがより大きいからだ。
何かを成し遂げようとするならば一定以上の苦労や努力は避けられないものだが、他人から強制的にやらされる苦労ほど苦痛なものはない。
抑圧的で苦痛を伴う苦労からは人は逃げようとするので、結果的に得られるものが少なくなるし、頭のなかでネガティブなイメージが出来てしまい継続的な努力が出来にくい。
強制的にさせられた苦労で何かを成し遂げたとしても、自分がやりたいと思ってやったことじゃないから達成感や喜びは少ない。
能動的に「学ぼう」と思って行動する苦労は、その成果がダイレクトに自分の考えたことの評価としてつながるので、喜びが大きく達成感がとてつもない。
同じ仕事をやるにしても上司の指示に従ってばかりいるのと、自発的に発言・行動して仕事を動かすのとでは、どちらが達成感、そして得られるものが大きいのかは誰の目にも明らかだ。
まあ正しく表現するなら、
「同じ苦労をするなら買って出る苦労をした方が楽しいし、成果が出やすい」ということ。
・追記
「自ら買って出た苦労は苦労とは思えない」という意見はその通り。やってる本人が苦労とも思わず能動的に楽しくやっていることが、他人から見たらなんであんなに努力できるんだろうと思ってしまうことは多いと思う。
例えばモンハンを何百時間やるにしても、それを楽しんでいる人間と強制的にやらされる人間とではモチベーションや成果は全く違ってくるだろう。
この場合の「苦労」という言葉は、自ら買って出てやっている行動を、他人から見た客観的な印象としてとらえてもらえばいいかもしれない。
そういう意味で言えば、ブラック企業だろうがすき家のワンオペだろうが、何か自分なりに目的意識を持って自発的に動いた結果としてなら十分価値ある行動だと思う。まあバイトでそう思う人間は少ないだろうけど。
要は同じ苦労でも能動的に動いて学ぼうとしているんなら、それは行動する価値がある。
巷で批判されている部分はそれを「他人から強制的にやらされる」または社員を都合よく利用する為に「能動的だと思い込まされる」部分だ。
そこはまた別に判断力が必要だと思うが、大体そういった判断力は決断力より後に来るもの。動いた結果は結局動いてみなければ分からないし、決断して行動したその経験の積み重ねから学んだものが判断力として蓄積される。
判断を他人に委ねると都合よく利用される可能性は高くなる。
あと、苦労を買って出たところで成功するとは限らないという意見があるが、そんなもの買って出ようが人からやらされようが失敗する可能性は常につきまとう。
ただ同じ失敗をするにしても、買って出た行動からの方がその失敗から学ぶものは多い。
なぜかというと、買って出た行動はその責任の比重が自分の方に傾くから。失敗をダイレクトに自分の責任として受け止めざるを得ないので、芯から反省して次に活かすことに繋がる。
もし強制的にやらされたことで失敗したら、その作業を押し付けた人間をただひたすら攻撃、追求して何の反省も学ぶことも無く終わるだろう。
成功する為のメソッドは人によって職種によって環境によって時代によって千差万別。自分の能動的な行動から編み出すしか無い。自己啓発本やネットの記事を読んでも、それがいくら正しかろうが自分が学び取ったものでない限り何も変わることはない。
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100均で売ってるような苦労を10000円の労苦をかけてやっちゃダメだよね