2014-02-19

キム・ヨナ批判に反論しにくい理由

キム・ヨナ批判への反論書こうと思ったんですけど、書いてるうちに訳分からなくってきたので、とりあえず訳変わらなってきた理由を整理する。ていうか、この手の批判に対する反論が「演技ちゃんと見ろや、ばーか」という残念な結果で終わってしまう原因が見えてきたのでそこを書きたい。

なんでこの手の批判に反論が難しいかというと、採点における全く別の視点での議論がキム・ヨナという一人の選手に無理矢理集められて批判されているからだと思う。今回は視点の混同に的を絞って書く。


採点批判は簡単に分けると3つの視点が混同されて行われてることが多い。

1つ目が、採点方式から視点。これはつまり演技の評価の仕方(ルール)そのものに問題があるという話。ジャンプの基礎点とか回転不足やエッジエラーを取ることをどう考えるか。もっと言えば、フィギュアスケートという競技はどういう思想を持つべきかという議論。

2つ目は、ジャッジ能力不足であるという視点ルールは適切だけど、その運用が上手く行っていないという話。ジャッジヒューマンエラーであったり、ルール理解不足が原因で演技が適切に評価されていないという主張。

3つ目が、不正が行われているという批判。何らかの裏取引で特定選手を勝たせているという主張。


例えば、今話題になってる漫画ジャッジ素人だという話があるけれど、これは2つ目の視点からの主張になる(主張の内容そのものの是非には今回は触れない)しかしあの話題になった漫画では、その素人適当に採点した結果、なぜキム・ヨナが勝ち続けるのかは書かれていない。

なぜ有象無象の寄せ集めの素人ほぼ全員がキム・ヨナを高く評価するのか考えると、二つ思いつく。前者はそもそも前提となっているジャッジ素人という考え方が間違いであり、ジャッジは統一された採点方式で評価を行っているという考え方。後者キム・ヨナジャッジと裏取引を行い、高得点を出させているという考え方。

そして、キム・ヨナが不自然に評価されていることから指摘することだけで構成されている点から見ても著者の意図後者であるだろうし、読者の多くも後者に誘導されたはず。こうしてジャッジ素人である能力不足である)という視点からの批判がいつの間にか一切の根拠がないにも関わらず、キム・ヨナ不正を行っているという批判にすり替わってしまう。

そもそも素人が寄り集まったら支離滅裂な点数が出ると考えるの自然であり、特定選手が高く評価されるのだと考えるのは何らかのバイアスがあると言わざるをえない。さら不正が行われているなら、ジャッジ素人玄人は全く関係ない。

この視点の混同はおそらく意図的にやっているのではなく、「キム・ヨナの点数が高過ぎる」という個人的な感覚から逆算していった結果、誤った結論になっちゃったんじゃないかな。

今は「素人が採点してる。だからキム・ヨナが勝ってる」という論理的おかしさのみ指摘したけど、たぶん前者の答えであるジャッジの採点基準自体が間違っているんだという考えの人も現れる。これは1つ目の視点からの批判に変わってしまってる。この視点を変えられることこそがキム・ヨナ批判に対する反論の難しさなんじゃないかと思う。「キム・ヨナの勝利は不当である」という以外なんの共通点もない別の意見にも反論したと見なされ、反論に穴があることになってしまう。

四回点論争とか「浅田真央が戦ってきたもの」とかについても書きたかったけど、とりあえずここまで。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん