キム・ヨナ批判への反論書こうと思ったんですけど、書いてるうちに訳分からなくってきたので、とりあえず訳変わらなってきた理由を整理する。ていうか、この手の批判に対する反論が「演技ちゃんと見ろや、ばーか」という残念な結果で終わってしまう原因が見えてきたのでそこを書きたい。
なんでこの手の批判に反論が難しいかというと、採点における全く別の視点での議論がキム・ヨナという一人の選手に無理矢理集められて批判されているからだと思う。今回は視点の混同に的を絞って書く。
採点批判は簡単に分けると3つの視点が混同されて行われてることが多い。
1つ目が、採点方式からの視点。これはつまり演技の評価の仕方(ルール)そのものに問題があるという話。ジャンプの基礎点とか回転不足やエッジエラーを取ることをどう考えるか。もっと言えば、フィギュアスケートという競技はどういう思想を持つべきかという議論。
2つ目は、ジャッジが能力不足であるという視点。ルールは適切だけど、その運用が上手く行っていないという話。ジャッジのヒューマンエラーであったり、ルールの理解不足が原因で演技が適切に評価されていないという主張。
3つ目が、不正が行われているという批判。何らかの裏取引で特定の選手を勝たせているという主張。
例えば、今話題になってる漫画でジャッジが素人だという話があるけれど、これは2つ目の視点からの主張になる(主張の内容そのものの是非には今回は触れない)しかしあの話題になった漫画では、その素人が適当に採点した結果、なぜキム・ヨナが勝ち続けるのかは書かれていない。
なぜ有象無象の寄せ集めの素人ほぼ全員がキム・ヨナを高く評価するのか考えると、二つ思いつく。前者はそもそも前提となっているジャッジが素人という考え方が間違いであり、ジャッジは統一された採点方式で評価を行っているという考え方。後者はキム・ヨナがジャッジと裏取引を行い、高得点を出させているという考え方。
そして、キム・ヨナが不自然に評価されていることから指摘することだけで構成されている点から見ても著者の意図は後者であるだろうし、読者の多くも後者に誘導されたはず。こうしてジャッジが素人である(能力不足である)という視点からの批判がいつの間にか一切の根拠がないにも関わらず、キム・ヨナが不正を行っているという批判にすり替わってしまう。
そもそも素人が寄り集まったら支離滅裂な点数が出ると考えるの自然であり、特定選手が高く評価されるのだと考えるのは何らかのバイアスがあると言わざるをえない。さらに不正が行われているなら、ジャッジが素人か玄人は全く関係ない。
この視点の混同はおそらく意図的にやっているのではなく、「キム・ヨナの点数が高過ぎる」という個人的な感覚から逆算していった結果、誤った結論になっちゃったんじゃないかな。
今は「素人が採点してる。だからキム・ヨナが勝ってる」という論理的なおかしさのみ指摘したけど、たぶん前者の答えであるジャッジの採点基準自体が間違っているんだという考えの人も現れる。これは1つ目の視点からの批判に変わってしまってる。この視点を変えられることこそがキム・ヨナ批判に対する反論の難しさなんじゃないかと思う。「キム・ヨナの勝利は不当である」という以外なんの共通点もない別の意見にも反論したと見なされ、反論に穴があることになってしまう。