2013-02-23

ツイッターブログでの自分語りがよくわからない

ほとんどの自分語り自己承認を求めていたり武勇伝を語りたいだけで、それらが透けて見えとても気持ち悪く感じる。おおっぴらにしているのにも関わらず自分しか見ていないのだ、ネットによる他者の疎外といえるのではないか

例外は面白い場合だけで、それは少しくらいは読む側のことを考えていたり、自己完結することなく普遍性なり一般性を持っているためだろう。面白いという言葉ごまかしているのだが自分の語彙には他に適する言葉は無い為しょうがない。面白いもの面白い理由はもっと色々あるのだろうが。

パソコンスマホの前では誰もが最も主観的となり、読む者がいてこそのブログツイッターであるのに読者を無視する。

あと2ちゃんでは2009、10を区切りにして、それまでは「お前ら」と言っていたのを「俺ら」と言うようになってると思う。すごい大まかであるが時期はともかく、主語を使わずに話せる日本語において主語が変化するという事は結構大きいのてはないだろうか。自分はこの事を言っている人を見たことがないけど、もっと指摘されていいんじゃないだろうか。

追記

 間違って解釈されているところがあるので訂正とその反応を受けて書いてく

 1 まず自分が気持ち悪いとか不快に感じるのは全ての自分語りではなくてつまらない自分語りだという事、タイトルの先頭に「面白くない」をにつけたら分かりやすかったか。広い意味での面白味が全く無くて自己承認だけしか求めていないものがよくわからない、本当に理解できずに化け物と遭遇したような気持ちになる。

 2 1に続いて、だからこそ読者に何の面白味を与えるつもりもないのにネットに現すことが出来るのはとても疑問だ。タイトルの「よくわからない」もそういう意味。何故そういう事が出来るのか、恥ずかしくないのか、他者が見えていないのか、無視しているか、そもそもいないのか、自分に酔っているのか、とにかく教えて欲しい。何故自分日記に止めて置かないのかその理由を教えて欲しい。

 3 これを書いている事自体が自分語りだという批判について。まずこれを書いてネットに上げるだけでは自分語りだろう。しかしそれに対して反応があった。これは読者が良いかいかは問わず何かしらの面白味を感じたという事だ。そうすると自分がここで言っている、つまらない自分語り定義からは外れるだろう。

 4 不快ものは見なければいいと言う批判について。確かに見なければいいというのは正論ではある。しかしそれが不快だという事を示して、何故そう言う事をするのか尋ねたい。嫌なら見るな、はそもそも面白味がない。疑問が生まれていてそれに対する反応が欲しいのに、思考停止しろと強制されても何の発展性もない。

 5 4に続いて、自分がこれを書いていた時自分語りをされる立場不快感を感じつつ、自分語りをする立場に立とうとしても不可能だった。これは1や2で述べたことだ。つまり自分語りをする側が何故それをするのかが知りたく、自分語り側の立場に立とうとしているのだ。その為に、嫌なら見るなという言葉には面白みがない。

 最後に 

 自分で書いていて何だがここまで述べたことが幼稚だという事は分かっている。だからこそさっさと完全に論破されたい。少なくともここまでの反応の中にはそういうものはなかった。

 恐らく自己承認では不快で、相互承認ならいいんだろうと、自分では思っている。自己承認は相互承認よりも劣っている、何故なら相互承認はその内に自己承認を含んで成り立っているから。つまらない自分語りをする人は自己承認立場で未熟なのだろう、というのがとりあえずの結論。

 未熟な人がこうも多いとは思わせない為にも、ここまで書いた疑問に答えて欲しい。

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  • 自分が書いたものがおもしろいかどうかはお前や書いた本人だけが決めることじゃない。だから、「おもしろいかどうかで書くのをやめる」というのはむずかしい。 世の中には俺自身は...

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