自分が書いたものがおもしろいかどうかはお前や書いた本人だけが決めることじゃない。だから、「おもしろいかどうかで書くのをやめる」というのはむずかしい。
世の中には俺自身はちっともおもしろいと思わないような本でも出版されているし、案外そういうのが受けてたりする。村上春樹なんて俺は大嫌いだ。でもそれを読んで何らかの発想を受ける人もたくさんいるんだろうし、おもしろいと思って何度も読み返す人も大勢いるんだろう。だから存在してていいもの。逆に俺がすげーおもしろいと思って何度も読み返した本がちまたではさほどだったりする。だけど俺がおもしろいと思ったことなんて誰も知らないし何万のうちの一人の意見など聞きもしないから、「つまんねー文章書くのやめろ」という一般意見で書くのをやめられると悲しい。
あとはたとえクズ文章だとしても、それで書くことをやめてしまうのはもったいない。なぜなら、そうやって書いていくうちにうまくなっていく人もいるし、「おもしろくないかも」と思って投稿しなかった文章が本当はすごくおもしろいということもあるからだ。
たいていお金かからないからね。ネットに文章投稿するの。読む方もロハだし、いろんな人に読んでもらえる可能性もあるよね。まあ多すぎて無名だとほとんど読んでもらえないんだけどさ。そういう気軽なきっかけで文章を書き始めてくれて、おもしろいものの種ができるというのなら俺はつまらない自分語りなどいっこうに構わん。
そもそもその意見を言うのならば、お前自身のくだらない自分語りをやめるのが態度で示すと言うことではないだろうか。といちゃもんつけようと思ったら追記になんか書いてあった。
3 これを書いている事自体が自分語りだという批判について。まずこれを書いてネットに上げるだけでは自分語りだろう。しかしそれに対して反応があった。これは読者が良いか悪いかは問わず何かしらの面白味を感じたという事だ。そうすると自分がここで言っている、つまらない自分語りの定義からは外れるだろう。
俺はお前の文章おもしろいと思わない。関心を持つこと自体がおもしろさであるという屁理屈もこねられるかもしれないが、俺はお前のクソな書き込みを見なければこんなクソ増田書いて時間を浪費する必要もなかったのだから本当につまらん。読んで損したと思う。でも書くこと自体は良いことだと思うんだよ。じゃないとこういう風に生きてる人間がいるってことは誰の目にも触れないからね。
ネット上には私生活を赤裸々に書いちゃうお花畑もいっぱいいるけど、本人がそれで良いと思うのなら別に構わないだろ。いわば私小説のようなものだ。Web版私小説。
それにそういうの読んで楽しんでる人たちもそれについて声に出さないだけでいっぱいいるだろう。目に見える反応があるものだけが人に見られているわけではない。
何より著者という「人が」書いたり読んだりしておもしろいと思っているのだからお前にはつまらなくても価値はある。「なぜそういうことするのか」っていうのも書いてて楽しいからじゃないのかね。
非公開日記でなくて公開するのは、たとえ読まれていなくても公開されていること自体が他人への語りかけという形式になるからだ。だから、明らかには他者が関わっていない場合でも他者に対してのものでけして疎外はしていない。日記に自分語りするのはあまり気分のいいものではないが、他人に対して自分語りするのは気持ちいいものだからね。それを読んでいる人がいようがいまいが、外に対して書いている以上他人に読んで欲しいと思って書いているはずだよ。
もし検索結果に糞の役にも立たない自分語りというノイズが入るのが嫌、とか言うのなら「俺の気に入らない自分語りフィルター」でも作るしかないね。
ほとんどの自分語りは自己承認を求めていたり武勇伝を語りたいだけで、それらが透けて見えとても気持ち悪く感じる。おおっぴらにしているのにも関わらず自分しか見ていないのだ、...
自分が書いたものがおもしろいかどうかはお前や書いた本人だけが決めることじゃない。だから、「おもしろいかどうかで書くのをやめる」というのはむずかしい。 世の中には俺自身は...
http://anond.hatelabo.jp/20130223145513 それって無銭飲食者だよな。 面白い自分語り読みたいんだったら、有料メルマガでも読んでろよ。 読みたくない文章なら無視すればいいし、広告同様プラ...
なんでそう両極端で考えるかな。 「公開する=他人を面白がらせる文章」「公開しない=時分語り」だったら、「他人を面白がらせる:時分語り=4:6」ぐらいの人はどうすればいい...
その理屈を推し進めて現れるのは、「面白いモノを書く能力がないヤツ(と、増田が一方的に決めつけたい人)」を増田同士が監視しあって沈黙を強制するというディストピアだと思う...
おじさんは大丈夫だね^^: