「自力で生きていけない人達を国や政府が助け るべきだ」という 考え方に対して、「そうは思わない」と答えた 人の割合が、 日本は38%もいます。あのアメリカですら28% 。 先進国ではイギリス8%、フランス8%、ドイツ 7%。 中国でも9%
このデータの示す結論は「日本は世界でもっとも弱者に厳しい国」じゃないだろ。
「日本では弱者であることに居直る人間が多いです」か「日本では弱者であることに居直る人間が多いとみんなが思ってます」かのどっちかだ。
はっきり言うけれど、日本人が言う「引きこもり」や「弱者」は、アメリカの弱者より、イギリスの弱者より、中国の弱者より、東南アジアの、アフリカの、中東の弱者より、はるかに健康で金持ってるよ。日本で「高校しか出ていないオチコボレ」なんてーのは、世界的に見て、超勝ち組だよ。ネットに繋がってる貧困層なんて世界基準で言ったらただのギャグだ。
世界の常識は自助とサバイバルであって、彼らの言う「自力で生きていけない人」と、日本で想定される「自力で生きていけない人」を混同するのは、ひどく侮辱的な話だと思うぞ。
今後社会をどうデザインすべきかという話とはまったく別次元の事実認識の話として「サバイバル」って言う現実を認められない、認めないってのは、どうなんだ。ある種の病気に見える。
ニートの問題も就職の問題も、現実問題「サバイバル」としてあって、その中で生き残りたいんだったら、それなりの作戦たてて、才能でも、努力でも、コネでも、運でも、なんでもいいから「生き残るにたる何か」を持たなきゃいけない。生きるってのは否応なくサバイバルなんだよ。紀元前からずっとそうであって、おそらく今後もそうだよ。
もちろん、福祉はわるいこっちゃないよ。「自力で生きていけない人」を社会でアシストするのは必要だよ。
でもたとえば、どんなに個人を救ったところで、そうすべての個人を救ったところで、サバイバルはなくならないよ。新しい基準へと変化するだけだ。
いまの社会リソースの余力と、いまの思想の潮流的に、こんくらいのラインってひいて、そこにあわせる程度に救う。それしか現実的な解はないだろう。
「大学行かないで引きこもって30になったらもう復帰は難しいです」って、それは善悪とか社会デザイン以前に、ただの事実認識だろ。で、事実認識としてもっともな話だろ。