2011-05-12

当事者意識

原発関連の話題になると必ず出てくる「こども」の話。

自分乳幼児の親で都内住みだが、この「こども」ということばが、どこかで逃げ口上として使われてないか?と最近疑問に思う。

普通に生活するには、放射線量も問題ないレベル。でも小さい『こども』のいる家庭は気をつけて生活したほうがいい。」

自分普通に生活しているけど、小さい『こども』のいる家庭はホント大変だろうなあ。」

自分独身だし『こども』もいない。本当によかった。」

結婚してるけど『こども』はいないし、この先も作るつもりはない。だってこんな時代に『こども』なんか持たないほうがいいじゃんJK


結構普通に耳にすることばだ。

『こども』とさえ関わってなければ、自分当事者じゃない、って言いたいようなことばに聞こえる。

妊娠中の女性、あと小さい子供のいる家庭は気をつけて生活すべし」みたいな但し書き、原発関連の情報でよく見るけど。

気をつけるってどの程度のこと?

マスクをさせたり、外遊びをさせないとか言うレベル

食事に気を遣うとか?

そうじゃなくて、西のほうに逃げろとか?

どこまですればいいのかはほとんど書いていないんだよね。親の責任ってことなのか。

親の立場だってそうだ。

「うちの子はマスクさせてます。させてない親ってなんなんですか?イライラします。」とか

「妻子は西に避難させてます。親として当然のことです」とか、

自分のところは』こんなに頑張ってますアピール合戦みたいになってる。頑張ってるから当事者じゃないって感じになってるようにも見える。

一方で、「当事者であることを否定されたりすることもある。

どこかのお偉いさんが、

東京人は、原発電気を使っていたのに被害もこうむらず、水や食べ物の心配ばかりしている。被災地はもっと大変だ」と語ったと言う。

とあるブログでは、

東京の親は完全に原発事故なんて他人事高層マンションの上から田舎の出来事だと思ってほくそえんで見ているだけ。」

なんて極端な意見も見た。

自粛ムード漂った時には、

自粛ってなんだよ。東京被災者ぶるな、経済を回せ!」

みたいな意見をもらったこともある。

自分は、この二ヶ月、この地震における「当事者意識」をどこにおいたらいいか、ずっと悩んでいたし、今も悩んでいる。

東京が汚染地域だなんて十分に理解しているし、だからさいこどもを持つ親として出来ることをするだけ。

でも、親でも親じゃなくても、関東民じゃなくてもそうじゃなくても、その「自分に出来ること」をやっている人を意見したり、批判したりはどうかと思う。

「何で避難しない?避難させない?」

「何でマスクさせない?」

「何で外国行かない?」

なんて、もはや個人のものさしで決められていると思う。自分がどうしたいか、どうするか。ただそれだけだと思う。

憎むべきは、何を信じ、どう行動するかを個人の責任にすべて委ね、はっきりとした判断をしない国の方針だと思っている。

道を指し示して欲しいなんて、そんな甘いことを求めてるんじゃない。

自分がどう動くか決めるには、あまりに情報が少なすぎるし、正確な調査もなされていない。判断する材料が、全く与えられないから苦しいんだ。

本当に、「こども」のことはその親がすべて責任を負うべきなのか。

将来のこどもの姿は、その親の責任なのか?

当事者意識って、なんだろうなぁ、と漠然と考えたりする。

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