2022-11-15

すずめの戸締まりに対する不満

端的に言って、新海誠映画の中に自分が出てこなかったのが一番の不満だ。

新海誠主人公ってのは、独り善がりと被害者意識自己陶酔で生きてるような、普通に見れば気持ち悪いものを持っているのが魅力だった。ああいキモさ、自分を、許容してくれるのが新海誠作品だったのだ。ほら、新海誠好きな男なんて大抵キモいだろ。俺もそうだ。

すずめの戸締まりでは、そういう気持ち悪いキャラが出てこない。ダイジンキモかったが、見た目が猫なので許されている。あれおっさんだったらみんな勘違いストーカー野郎だと罵倒するだろ。まあ、おっさんだったらすずめにうちのこになる?なんて言われないけど。

すずめもそうたも芹澤もあまりにもキレイすぎる。

新海誠の描く相手キャラってのは非常に都合の良い、もっと言えば自我がないキャラとして描かれるから、そうたは想定内だった。

しかし、主人公であるすずめも、きれいすぎた。被災者であり地震悲惨さを実感しているからこそ、母の形見を取り戻すため、そうたを元に戻すために戸締まりの旅をする。なんだそのキレイすぎる推進力は!!最初イケメンからって惹かれたところが新海誠っぽいけどな!

あと、なんだあの芹澤って男は、いいヤツすぎるだろ。メンタル化け物かよ。自分と対比したら彼岸にいるよ。

あー、もしかしたら環が芹澤と寝てれば、岡部稔のBSS共感できていたかもしれない。それもなかったけど。

結局のところ、自分持っているもの描写してくれるのが新海誠だったのに、それがなくなってしまったのが寂しいわけ。

新海誠は俺のことわかってくれてるんだって思ってたのに、変わっちまったな誠。でも、いいんだ。俺はお前と通じ合えてた思い出を胸に、お前のいない現実を生きていくよ。誰とも分かち合えない苦しみが、お前との思い出を輝かせる。

から、この苦しみは俺の誇りなんだ。だろ?誠。

ふぅ・・・

わかるか?新海誠。今、俺はお前の主人公より新海誠主人公だぞ。

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まあ、それはさておき、すずめの戸締まりはそこそこ面白かった。

すずめの自己救済の話としてよくできていたと思う。

いいところは沢山あるが、どうせ沢山語られるので不満点を書き出す。

1.閉じ師の存在

はじめ、現実にあった震災ファンタジーにしてよかったのか?とも思わなくもなかったが、まあロー・ファンタジーだし、こんなもんかなという気持ちに落ち着いた。

どちらかというと、閉じ師の存在が納得いかない。あんなに大事仕事なのに、あの映画ではそうたとその祖父しか出てこない。それこそ、各地に人員を配置していたり、東京では他の閉じ師が寄ってきてもいいはず。そうたがこういうのは知られないくらいでいい、みたいなことを言っていたが、何を舐めたこと言っているんだ。周知徹底して人員増やせ。閉じ師の必死さが全く見えてこないので、大学生カジュアルにやってる仕事しか見えない。あってもなくてもいい存在ってことなのか?

2.愛媛存在

愛媛のシーンが中途半端すぎる。すずめはあそこで何を得た?他の土地に比べて、薄味すぎる。他で入れるとくどくなりすぎる要素をまとめて配置したようなとてっつけた感。東京に行くまでで、神戸だけじゃさみしいし、愛媛あたりでも入れとく?みたいな。みかん女の親も何家出少女普通に受け入れてるんだ。

ただ、道中でどんどん衣服GETして自分が変わっていくってのは面白い要素だった。東京でそうたを失ったあと、ただのすずめとして元の制服を身にまとい行動する。歩む足にはそうたの靴。いいね

3つめ、書こうと思ってたけど、明確に出てこなかったので、これでおしまいにする。

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