ルックバックの件についていろんな反応が自分の中でもやもやしたものがあるので整理する。
・作者が明言していない以上そのような意図はなかった。
→明言していようがいまいが内心として何らかの意図があったかどうかは本人にしかわからない。個人的には作者には差別的な意図はなかったと思う。デンベレやグリーズマンも差別する意図は本当になかったんだろうなと思う。意図と差別であるかどうかは別。差別の定義って明確になってないと思うので毎回議論が発生するんだろう。激ムズだからそうそう誰もが納得しうる結論は出ず、喧々諤々やってくしかない。
あと、ルックバックに批判的なエントリに対して、そのエントリに書いてないことをあたかも書いてるかのように解釈して批判しているコメントもあり、書いてないことに対しても想像で意図を補完するのは当たり前だよなあと思った。そして嘘もつけるのだから内心について明言していたとしてもそれを信用できるかは別の話になる。これは誰にでも言える話。これも双方向コミュニケーションなら一個一個確認しながら進めていけば建設的な話になるかもしれない。ただ、ディベート的に勝利したい目的の人がいるとあらさがしと印象操作に時間が使われて建設的ではなくなるけど。まあはてブは建設的な議論というよりいろんな視点を確認できるというのがめっちゃいいところだと思う。
→ヘイトスピーチについては制限を受ける。ルックバックは個人的には表現の自由の範囲内と思う。かきなおしまでする必要はないと思う。(あの漫画において該当の場面をかきなおしたところであの漫画上特段マイナスはないようには思うけど。)
・作者の意図しない解釈をもとに問題視や難癖をつけるのはクリエイターを委縮させる
→作者の意図しない解釈も当然あり、個人がどのように受け取ったかを表現することも表現の自由である。多様な解釈の表現を批判するのも自由であるがその批判は個人の表現を委縮させる点では同じでありクリエイターであるかそうでないかは関係がない。ヘイトスピーチや誹謗中傷をのぞき表現の自由は確保される。
→規制についてはヘイトスピーチ・誹謗中傷をのぞけば同意。キャンセルの要求については登用への不快感の表明や個人的な不買の意思決定は個人の自由であり、それを考慮したうえで登用したり登用をやめたりするのは結局自由としか言えないと思う。この点はたしかになにか危険な動きのような感覚もあるが具体的にどこまでが?とかじゃあどうする?とか整理できてない。
また、そもそもルックバックについて規制までは求めている声は少ないように思う。が、やはり内心としてどのような意図があるかはわからない。
というか、規制を求めること自体は悪いことではないか。それに対して反対することも。結局は投票とかそういうときにしっかり意思表示しましょうということか。
自分がどのような印象をうけたかと他人がどのような印象を受けるかは違うのは当たり前で、例えば差別を助長するか否かという点では「俺はそうは思わなかった」は差別を助長しないということにはならない。
その表現で偏見を持つ人が増えるかどうかが大事と思う。もちろんそれをゼロにしろというのは無理だと思う。だから規制するのは極めて慎重にすべきで、それを補完する意味で影響力の大きいもにに対する批判は積極的になされていいのだと思う。それで個人の想像力を補うことができることもあるから。
自分がルックバックを子供の時に読んでいたら差別的な感覚を意識的にも無意識的にも持たなかったかというと絶対大丈夫とは言い切れない。
ルックバックの犯人は、雛見沢症候群と言うことにしてほしかった。 これですべてがまるくおさまる。
言い逃れするために描写に気を付けているから表現の自由でOKだと言い張るんなら、読者の批判だって表現の自由でOKだぞ 漫画の内容にケチをつけるなと主張するのはもちろん自由だが
それでOKだぞ