今までの人生でずっと真剣に悩んでいることがある。わたしは、異性をすぐに好きになってしまうのだ。
誤解しないで欲しいが身体の関係を持ちたいという意味ではない。求められれば断るつもりもないが、はっきり言ってそんなことはどうでもよいのだ。
異性に対し何かいい点を見つけてしまうと、それをきっかけに好きで好きでしようがなくなってしまうのだ。
聞かれる前に答えておくが、ルックスなんていうのも全く関係ない。むしろ大げさに言えば、その人の魂に吸い寄せられてしまうような感覚だ。
とにかく、いい点を持っていると異性が愛おしくて愛おしくて仕方がなくなってしまうのだ。
ただいい点といっても世間一般に受け入れられるようなものではない。だから、いわゆるモテている人間に対しては興味がないどころか、むしろ嫌悪感すらある。
別に世間の評価なんて関係ないのだ。とにかく一点でいい。べつに自分だけが知っているとかも関係ない。いうなれば、その人に芯の強さがあればよいのだ。
ただ困ったことに、そういう人に出会うと誰も彼もが好きになってしまうのだ。誰が一番とかではなく、それぞれの、それぞれがもつ魅力がそれぞれに好きになってしまうのだ。
極端な例を挙げると、先日は一人の中学生を好きになった。
普段あまり車の通らない、誰も守らないような信号のある交差点がある。つまりは車両側にのみ事故の回避を促すような信号がある交差点だ。そこに一人の中学生が立っていた。
はじめはそれが信号を守っているとは思わなかった。かといってキョロキョロするでもなく、とにかくそこに立っていることに違和感がなかったのだ。
そうしてわたしが交差点に差し掛かる頃、信号がちょうど青になると、その中学生は何事もなかったかのように信号を渡り始めた。
最初は偶然かと思ったが、大体同時刻に一緒になるその中学生は、やはり赤であれば渡ることはせず別に何をするでもなく横断歩道の手前に立っているのだ。
そのことに気づいた瞬間に、わたしはその中学生が好きで好きでたまらなくなってしまった。
はじめに断った通り、肉体の関係をもちたいかどうかんなんて本当にどうでもよいのだ。わたしは、自分さえも中学生の気持ちになって、その中学生と価値観を分かち合いたい衝動が抑えられなくなってしまったのだ。
それは好奇心や興味といった類の次元ではない。魂の一部を交換したいと思えるような衝動といっていいだろう。
ただ純粋にその中学生の価値観をに触れ、それを大切にしているということに愛を持って応えたいだけなのだ。
ところが、困ったことにそうした価値観に触れてしまうと、同時に何人もの異性を好きになってしまうのだ。
例えば同じ価値観を目の当たりにしたのであれば優劣がつけられるかもしれない。
しかし、わたしが心から愛してしまいたいという衝動は、それぞれ異なる内容に対してそれぞれに生まれてしまうのだ。
先ほどの中学生であれば、信号をはじめとする世の中のルールを守ることに対する美学に惹かれたとするならば、例えば自らの芸術性に対して信じて疑わない人間の、作品を生み続けるバイタリティに同時に惹かれてしまったりすることがあるのだ。
そうは言っても、わたしは自分の肉体が一つしかないことを知っている。
だから、二人の異性を同時愛そうと思うのであれば、どうしたって向けることのできる愛情も半分になってしまう。
そのことに対して、当然相手が気分を害するであろうことも想像ができる。
でもわたしにはできない。
どちらかに優劣をつけて、どちらかしか選ぶことができない現実を受け入れることがだ。
世間的にはそれを浮気というかもしれないが、そもそも同時に沢山の魅力を持ち得る人間だなんて少数でしかないのだ。
それなのに、自分だけを見ろだなんて都合が良すぎるのではないか。
一体世の中の人間は、どうやってその気持ちに終止符を打っているのだろうか。わたしのこの考えは、本当にそれほどまでに特異なものなのだろうか。
みなだって本当はそうしたいと思っているはずなのに、どうして世の中がそういう方向に向かおうとはしないのかが甚だ疑問でしかないのだ。
わたしが本当に異常なのか、そのどちらかだけでもはっきりできると嬉しい。
長い 3行に要約して
正常だと思うよ 女はいろんなフィルターかけて合格点つけた後のストックを比べて最終的に一つに絞るみたいな傾向あるから あなたはそのフィルターの数が著しく少ないだけだと思う ...
たぶん異常。精神的な不安定さが、異性への依存心に転化しているように感じられる。 だが、その不安定さがどこから来るのかは、あなたの文章からは読みとれなかった。
それ恋愛感情じゃないから問題なくない? 好ましいって感じる異性が複数いるのは当然のことじゃん そっから恋愛対象として現実的なものを絞り込んでいくんじゃないの