2015-04-27

久々に頭を使いました。

おっしゃ一丁やってみっか。

質問1つめです。

  >彼の「無常観」は

  >テーラワーダ用語で言うところの厭離の心所であって

 「彼の『無常観』はテーラワーダ用語で言うところの厭離の心所である」というこの判断を導くロジックを、ブログ主さんが何処かに書いておられますか?それをもし他所で読むことができましたら、そのURLなどお教え頂けますか?

答え それはないのでここで説明します。

まず理解していただきたいのはテーラワーダに於ける

言説が機能する条件として共有しなければならないルール

基本的人類(及び生物全般)は観念上同じ認知機能を持つものとする。

例えば「哲学的ゾンビ」などは言説の目的範囲外ということ。

言及対象となるのは、人類於いて機能的に精神医学的に正常なもののみ。

これはパーリ三蔵中の律蔵から読み取れる思考です。テーラワーダ

知的障害精神障害性同一性障害などを持った人の出家を許していません。

このことからテーラワーダの言説(私も原則これに従います)は基本的他者言及する場合

生物的、脳器質的に等しい全ての修行者を対象としているということです。

それでは、実際の回答。彼は動画の中で瞑想に関して感じた無常な感じを すみません時間切れ

質問2つめです。

  >麻原が見たイメージも率直に言って、薬物中毒者幻覚と変わらないと思います

 この文末の「と変わらない」という表現の指す意味がよく分からなかったのですが、これは、「麻原の見たイメージと、薬物中毒者幻覚経験は、それをひきおこすメカニズム共通性がある」というような意味でしょうか? あるいは、その両者が「経験内容において共通性がある」というような意味でしょうか? あるいは、その両方でしょうか。

 「ひきおこすメカニズム共通性」を意味する場合なら、その「メカニズム」というのは、ブログ主さんの記述においては、さしあたり、セロトニン神経の活性化(に伴うミラーニューロンシステム活性化や、ドーパミン神経系ノルアドレナリン神経系抑制)を指すことになると思います

 それで、その「セロトニン神経の活性化(に伴う上述の諸々)」と「幻覚経験(麻原の場合は「見たイメージ」)」の関係性をブログ主さんはどのようにお考えでしょうか、ということをお訊きしたく思いました。これは、一方が他方の原因になる(因果関係)とか、一方が起こるときに他方も起こる(相関関係)とか、両者が無関係なまま、ただ両者が起こっている(いわば並行関係?)とか、いろいろの可能性がありえると思いますが、ブログ主さんはどのようにとらえていらっしゃいますか?

 次の2つの質問は、そのことと関係しています

質問3つめです。

  >また彼は大きく身体が振動したと言っていますが、これは

  >禅定まえの近行定においては結構起こる物で

  >(人によって色々違うのですが)セロトニン神経が活性化されると

  >ドーパミン神経系ノルアドレナリン神経系抑制されるので

  >普段感づかないような微妙な身体上の刺激をもの凄い強烈な物として

  >感じますので、多分それだと。

 4・5行目に「~が抑制されるので、~として感じます」とあります。この「抑制されるので」の「ので」は因果関係を指しているように読めます。それでよろしいでしょうか?

 そして、セロトニン神経の活性化(に伴うミラーニューロンシステム活性化や、ドーパミン神経系ノルアドレナリン神経系抑制)によって(=つまり因果関係です)起こるとされる経験(=普段感づかないような微妙な身体上の刺激をもの凄い強烈な物として感じる)が、麻原が言うところの「身体の振動」と〈等しいものだ〉という推測を表明したのが、この文末の「多分それだ」という表現ですね。つまり、この〈等しいものだ〉という判断ブログ主さんの「推測」であると読んでかまいませんか?

質問4つめです。

 この記事表題に、「麻原彰晃の最終解脱=近行定」とありますね。この等式を導くロジックがどこに書かれているかと探しますと、まずここ↓です。

  >彼は大きく身体が振動したと言っていますが、これは

  >禅定まえの近行定においては結構起こる物で

 「近行定(Aとしましょう)においては、麻原の経験(Bとしましょう)に似たもの結構起こる」と。これは「Aのとき、B(に似たもの)が結構起こる」という意味から、明らかに相関関係意味していると思います。そうですね?

 そして、

  >セロトニン神経が活性化されると

  >ドーパミン神経系ノルアドレナリン神経系抑制されるので

  >普段感づかないような微妙な身体上の刺激をもの凄い強烈な物として

  >感じますので、多分それだと。

 この引用分でセロトニン神経の活性化によって起こるとされている経験(Cとしましょう)が、上述のBと「多分等しいのだ」と仰りたいわけですよね(質問3参照)?

 つまり

 「Aのとき、BやCが結構起こる」。

 これはやはり相関関係(だけ)を意味しているとしか読めないですよね。

 本文で後述されている「頭頂から離脱経験(D)と「幻覚経験」(E)も、

  >登頂から離脱ですが、セロトニン神経が活性化されると、(中略)実際の物理的な身体から離れたり、拡大したような感じがします。

  >セロトニン神経が活性化されている状況ではよく幻覚を見ます

 ということだから

 「Cのとき、D(と似たもの)やEがよく起こる」(ただしDについては「よく」という強意は無い)。

 という相関関係(だけ)が述べられているというふうに私は読みました(違う読み方が可能でしたらご教示ください)。

 従いまして、「Aのとき、BやCが結構起こる」というのと「Cのとき、D(と似たもの)やEが起こる」をまとめて書くと、

 「Aのとき、BやCが結構起こり、Cのときには、DやEが起こる」。

 という関係性になります。(D“と似たもの”という類似表現は、便宜のため捨象させてもらいます)。

 このA,(B or C),(D or E)という3つはお互いに相関関係しか繋がっていないということになりますね。ブログ主さんの記述に従えば、そうとしか読めません。違う読み方が可能でしたらご教示ください。

 上述のとおり、このAが「近行定」であって、BとDが「麻原の経験」ですから、このA,B,Dも相関関係(だけ)で繋がっているとしか読めません。

 そして、

  >彼は無常観を感じた(=Mとしましょう)後体が大きく振動(B)し、身体(サトルボディ)が

  >登頂から抜け出した(D)と語っています。その後蓮花坐の神々に囲まれて(=Nとしましょう)、

  >その経験をもって「自分解脱したのだ」と感じたと語っています

 ブログ主さんが「厭離の心所」と推定している「無常観」をMとして、「蓮華座の神々に云々」をNすると、このM,N,B,Dが麻原のいう意味での「解脱」であって、M,N,B,DのうちのB,Dが「近行定」と相関関係にある、ということになります。そういう読解になりますよね?

 そのことと、このブログ記事表題

 「麻原彰晃の最終解脱=近行定」

 という等式は整合性がありますでしょうか? どのように整合性があるでしょうか。

 「最終解脱」と「解脱」の違いはともかくとして、私が気になるのは、この等号(イコール)の意味です。一般に、等号は相関関係意味しないし、その逆も真でしょう。すると、上述の等式のように等号を置くためには、「麻原の言う意味での解脱/最終解脱」と「近行定」の関係について、相関関係以外の何ごとかが明らかになっていないとならないはずでしょう。ブログ主さんは「相関関係以外」の何ごとかをご存知ですか?

 次に、後続の記事 http://ameblo.jp/metta-salla/entry-12013205215.html についても一点、こちらでコメントさせて頂きます

質問5つめです。

  >もし彼が最終解脱(=阿羅漢果)であれば

 麻原の言うところの「最終解脱」が阿羅漢果を意味するのだという麻原自身発言(や関係者証言)の存在寡聞にして知らないのですが(もし私が動画内で聞き落としているだけだったら申し訳ありません)、ブログ主さんはそういう発言証言をご存知でしたか? お手数ですが、出典をご存知でしたらお教え頂けますか?

長文失礼しました。

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