2013-04-12

ヤマグチノボルへの勝手な追悼文

11日の午前に電車の中で突然TLにライターヤマグチノボル氏が死んだという文字列を見かけた時は心底驚いた、

なぜなら昨日の深夜ちょうどKindle Storeでゼロの使い魔を買って読みなおそうか検討しており同時に作者のWikipediaを漁り、まだ死去のニュースが載っていないことを確認したからだ。

嘘だまさかと思いつつソースとしてメディアファクトリーURLが貼られていて、やはり末期ガンで死んでしまったのか…と心底では受け入れてしまった、それと同時にゼロの使い魔が残り数巻を残して心ならずも完結しなかったことを悔やむ気持ちがこみあがってきた。

そしてメディアファクトリー公式サイトが繋がらないのでWikipediaヤマグチノボルの項目を見てみると、つい数時間前まで見ていたページに "この項目は亡くなったばかりの人物について扱っています。"と記述されていて、そのとき完全に彼の死を認識した。

そして思えば中学生の頃、アニメゼロの使い魔2期最終回では原作を改変してサイト行方不明にせずルイズサイトを探しに行く過程をすっ飛ばしたことでアニメ制作陣に憤慨したし、その後原作ちょっとの期間ハマリ著者の刊行ペースが早いこともあってルイズサイトの恋模様にハラハラドキドキし、次の巻が出ることを心待ちにしたものだった。

ゼロの使い魔が放送していた一時期の2chν速ではスレタイゼロが入ると真面目なニュースソースでも、すぐアニメスレに早変わりしたし、ユニオンジャックの変更問題にルイズコラージュして茶化すなんていうこともあった、有名なあのルイズコピペも生まれたしあの頃はゼロの使い魔というコンテンツ絶頂期だった。

死んだ後になって有名人の作った物が再発見されるということはよくあることだが、それに習って彼が昔書いたWebコンテンツであるバイク便日記片桐彩子日記というものアーカイブから読んでみた、昔の日記らしく今と比較するとあまり分量はない、読んでみるとヤマグチノボルが26歳頃(15年前)に書かれた物のようだ、彼は今のようなライター稼業をやる前からインターネットに文章を公開していたようでバイク便をしていたことなどが綴られている。

そしてときめきメモリアルヒロインの1人である片桐彩子への愛を面白おかしく書いた文章などからゼロの使い魔で読むニヤニヤしてしま文体が当時から見られる。その後どうやってゲームライター転職ゼロの使い魔等の作品を生み出したのかはわからないが、ゼロの使い魔がヒットしアニメ化流行するようになってからは、二次創作や改変も含めてネットのいろんなところで自分が生み出したネタが見られて、本人は面白くて仕方ないのではなかったのだろうか、あくまで想像にすぎないが。

さらにこれはツイッターから勝手引用になるが、死ぬ少し前に「生まれ変わったら何になりたいの」という質問に「もう一度自分に生まれたい。すっごく幸せだったから」と答えたらしい、このエピソードから短くともすごく幸せ人生だったのだろうなということを感じ 願わくば自分もこのような生き方をしてみたいと少し願った、しかしファンとして勝手な事を言わせて貰えば。

あともう一年生きてゼロの使い魔キッチリ完結させて欲しかった…!

それが残念でならないといったところです。

改めてお悔やみ申し上げます

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