2013-03-18

自分でもよく驚くけれど、ぼくは人生選択肢として結構簡単に「死」をあげる。自分自身でもかなり歪んでいると思っている。ぼくにとって「死」というのは、「もし人生に行き詰まったら?」「そうしたら死ねばいいよ」というくらいのポジションのものなのだ

普通の同い年の若者はきっと、自分死ぬとか自ら死を選ぶなんて常日頃から意識していないだろう。いや、同年代若者を例にあげるまでもなく、自分価値観は相当おかしいのだと思う。でも、生まれてこのかたずっとこの考えだったので、なにがおかしいのかいまいちよく分からないのだ。だから、今までこんな状態なら死んだほうが楽じゃないかと思うほど辛いことが何回もあったけれど、その度に死を選んできた。

結局、幸か不幸か死に切れずにこうしてこの文章を書いているということは、ぼくの考えなんてただの飾りで、本質はただのかまってちゃんメンヘラクズ野郎だったのだろうけれど。でも、自ら死を選ぶことの何が悪いのか、本当によく分からないのだ。

周りの人間は自ら死を選ぶなんてとんでもないと言う。でも、ぼくが死を選んだほうがまだマシじゃないかという状況に置かれた時、ぼくの手助けを出来る人は誰もいなかった。八方塞がりでどうにもならない状況の中、周りが手を差し伸べてくれる訳でもなく、ただ自ら死を選ぶなとだけ言う。でも、それはとても無責任じゃないだろうか。

しかすると、周りの人間に助けを求めようとすることそれ自体が甘えなのかもしれない。結局自分の置かれた状況は自分しか変えられないから。だとしたら、「あなたがどんなに辛く苦しい状況にあっても、私にはあなたになにも出来ないけれど、死を選ぶのは許しません」というのもよく分からない。君のエゴでぼくが生殺しにされる意味が分からない。

また、自ら死を選ぶのは産みの両親に申し訳ないという意見がある。だが、ぼくの両親はことあるごとにぼくに死ねと言って暴言暴力をはたらいていたから、ぼくが死んだところで、思惑通りといったところであろう。それでも自分の子どもが死ぬというのは悲しいのであろうか。かつてぼくが自ら死を選んだとき母親は泣いていた。そのような親心もまた、よく分からないものだ。

ちなみにぼくは8年前から病気になり、学校もろくに通えないまま、10代の貴重な時間けが過ぎた。ぼくはい大学生だけれど、病気が治って人並みの生活を送れる見込みもないし、人並みの生活が出来ないおかげで大学も退学一歩手前である。もし退学になれば、高校にはほとんど行けずに中退したので、中卒で社会に出ることになる。「若者人生まだまだこれからなんだから、そんなに悲観しなくても大丈夫さ」と周りの大人は無責任に言ってくれるけれど、ぼくにとって人生というのは、8年前いまの病気にかかったときに終わったようなものだ。

ぼくはこの文章の冒頭で、ぼくにとって「死」というのは、「もし人生に行き詰まったら?」「そうしたら死ねばいいよ」というくらいのポジションのものだと言った。まさしくそ人生に行き詰まったときがいまなのだ。あまり通えていないけれど、大学で良い思いもさせてもらったし、そろそろ潮時か、などと考えることが最近多くなった。周りの人は相変わらず、自ら死を選ぶなんてもってのほかだと無責任に言ってくれるけれど、もし、ぼくと同じ状況におかれたとしても、同じ言葉が言えるだろうか。

  • 恵まれた奴らは基本的に無邪気で無責任だからな。 あいつら、自分がどれだけ恵まれてるのか理解してねーんだよ。 「えっ、でも酸素とかほとんど無限にあるし、呼吸なんて楽にできる...

  • そこまで絶望してたらどこへでも行けそうでうらやましい

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