2012-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20120415044408

煽られたのか?判断が難しいですが元々考え方が違うように思えるので反論と補足を こちらからは煽るつもりはありませんが少しキツい表現になってるかもしれません

自分相方とか、親とか、誰かが健在じゃなければ生きられないんだけどね。

この国の社会保障は皆無に等しいし。

現実直視し、受け止めるしかない。

そして、受け止めた所で、何も変わらないことを受け入れるしかない。


生きられないというのがよくわらないのですが、仮に受け入れたとして自分寿命が縮まる可能性や後遺症が残る可能性が高くなる選択する意図がよくわかりません

そういえば、会社を辞めるときに不満をタラタラ言った奴と、それを煽ったレスをした奴が昨日ここで言い争ってたけど、会社相手に訴訟したって絶対に勝てない。


何かに勝つことではなく生きることが目的とすると、そのために会社に勝つ必要性は得にないと思いますが如何でしょうか?また万が一と修飾した理由は相手と穏便にするための方法の一つにもなりえ防衛手段の役目もありえます

本当に会社に問題があったとしても、その人を雇うことで自分会社が訴えられるんじゃないか、と思うと人事はそんな人を雇わない。

現在日本人には、倫理道徳とか正義みたいな概念がまったくない。そうでないと競争に勝ち残れない。

から自分から意識改革して、率先して既成概念を捨てるべき。


競争記述しております経営でもしてらっしゃるのでしょうか? 従業員は誰かと競争をしているわけではなく、会社から賃金を支払われた対価としてその条件に従って労働力提供しているだけかと? ただし、もし国境を跨いだことや同一業種での企業間なのでありあなたが従業員の立ち位置でありながら経営のことを考えるのであれば、ご指摘の部分もあるかと思いますが、それは従業員が気にすべきことではない=責任者ではない、と考えております。また別の意図で、従業員は他の従業員と競争し働くことを示唆しているのであれば、本来は会社とは「協力」しあって貢献する類のものであり、その主張をすることが理解できない状態です

優先順位から考えて、個人は会社に、組織意見する権利はそもそもない。

世の中は全てがパワーゲームなわけで、それは仕事であれ、結婚であれ、なんであれ同じ。重力と同じ。


なぜ個人は会社意見する権利がないのかはわからないのですが、株式会社というのは文字通り株式利益一定期間の中で最大限大きくすることが目的です。従いまして、この目的合致する意見なのであれば、「よほど馬鹿会社以外」は受け入れることも(経験上酷いブラック会社でも)吝かではないですし直属の上司が難しいのであれば、その一つ、二つ上に直訴する程度のことは辞職を決意している程度なのであれば余裕で可能かと思いますし、そう自分は行動してきました。このようなことはスキルに依る所もあると思います重力といいきるよりも、自分や回りを信用するといったことを駄目元で構わないので繰り返すことだと思います(可能ならば動ける内に)。

まぁ、耐えられないなら、逃げるしかない。

そして、逃げた先で野たれ死ぬしかない。

組織の構成員が全員生き残ることは神様でも保証できないし、人間であれサバンナ法則適用される。


未来に対して逃げたら「死ぬしかない」というのが帰結がやはりよくわからないのですが、どう考えるとそうなるのか、もしよかったらその論理を教えていただけないでしょうか?

追記

そして、逃げた先でまた別のパワーゲームに巻き込まれて、またまたLisp再帰ループが登場して、野たれ死ぬしかない。


Lispがでる以上PaulGrahamをご存知だと思います

建築デザインにおいては、建物や品物は人々が使いたいように使えるべきである ということになる。例えば良いビルディングは、そこに住む人々が自分の生きたいように 生活を送る背景となるべきであり、建築家の書いたプログラムを実行しているように生きる ためであってはならない。


あなたが主張していることは上のエッセイモノズクリの主張の考え方から真逆だと思われるのでやはり理解に苦しみます と「どうでもいいですが」lisp再帰は末尾再帰のことを言ってるのでしょうか???

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