はてなキーワード: フーリガンとは
インベスターZの炎上事例 https://anond.hatelabo.jp/20240503185920
には、昨今のオタク的ないちゃもんの付け方がどんな風に表現を殺しているかの典型例が現れている。
それはこの箇所だ。
作中に「ぼくの見た奴は面白かったから」という理由で、映画を「損切り」出来なかったことを正当化している部員がいる。これ、普通の読解力で普通に読めば、作者のエクスキューズである。(中略)しかし、これすらも、号泣暴走グルグルパンチと化したオタクには「作家自身も気づいてない矛盾を俺が指摘してやる」といういちゃもんのつけどころになる。
インベスターZの作中では、──わかる人はわかって当然なのであえて意識もしないが、──キャラクターの相対化による論調の緩和というものを行っている。
作中に、ある意見を強硬に述べるものがいても、それに明らかに賛成していない人物を出すことで、その論が絶対ではないという作者の立場を示すマーカーである。
当たり前すぎて言っててバカらしくなってくるが、どうもこんなことすらわからないのが今やオタクだ評論家だを気取ってネットで偉そうにものを語るやつらの一大勢力に成り果てたのだということを、残念ながら痛感せざるを得ない。
ではなぜそんなことをするのかと言うと(これもわざわざ説明しなければいけないというのがバカらしいが)、台詞の流れを読みやすくするためである。
漫画は文章とは違う。一人の人間がある立場の意見を示しながら、その意見は絶対ではないしそれを判断するのは相手の自由であるなんてことを一人で全部語っていたら、台詞が長くなるし読みにくくなる。
だからそのかわり、意見の相対化は複数のキャラクターの不同意的空気によって読み取らせることが基本になってくる。そういう意味では漫画の読み取りには、ある種の本などより知能がいるのかもしれない。
あるキャラクターが述べていることだけで作品のテーマを早合点し、それに反対するキャラクターもまた作者の手による創造物であることを忘れるような理解力の低いオタクには、作品を語る資格なんかないし、こういう連中がのさばればのさばるほど漫画の表現は萎縮し後退していくしかないのである。
注意:ここで言う「オタク」は表現の自由戦士とかポリコレリベラルとか一切関係なく、漫画や映画に必要以上に入れ籠んでる、SNSに常駐するすべてのコメントイナゴのことである。
https://twitter.com/investorz_mita/status/1785504430030475277
自分にはまったくもってよくある誇張した漫画表現以上のものは何も見られず、また誰かを侮辱しているわけでもないので、何をどう炎上させる必要があるのか一切わからないが、これに対しX上のオタクコミュニティが親を殺されたような勢いで群がっている。
このリプライ、リポスト群を見ると、「オタク」(繰り返すが、エロ表現とかポリコレとか以前に、漫画や映画に必要以上に入れ籠むオタクすべて)がどうして普通の人に醜悪で気持ち悪くて有害な存在と感じられるのか、その悪いところがすべて凝縮されている。
以下ではそのポイントをいくつか挙げるので、人間的におかしいオタクをやめたいオタクは読むと良い。
この漫画の中では、別に「映画を損切りしない奴はバカ」とか言ってるわけではない。ただ、「映画を損切りする奴は投資にも向いている」と言っているだけである。「投資に向いていない」(それだって、作中に出来なかった部員がいるように、完全な落第扱いでもない)と評価されたからと言って、なぜ人格否定されたように怒る必要があるのか? オタクのこういう時折爆発する当たり屋的劣等感は、ちょっと常人の理解の域を超えている病気である。
コメントを見ているとわかるが、この異常な拒否反応の裏には「投資家」という、漫画のパターンとしては冷酷な悪役と見なされがちな属性に対する先入観に基づく全否定が根源にあるように見られる。「投資家は冷酷だ」「投資家は他人をバカにしている」「投資家は豊かな人間生活を否定している」という偏見に基づいて、作品を普通に読めば読み取れるキャラクターの人間性をまったく読み取らずに、何か妄想上の「悪の論理」を勝手に見いだして「どんな無理ないちゃもんをつけても良いもの」という扱いをしている。敬意を持つなんて建前すらない。
作中に「ぼくの見た奴は面白かったから」という理由で、映画を「損切り」出来なかったことを正当化している部員がいる。これ、普通の読解力で普通に読めば、作者のエクスキューズである。「これは彼らの遊びに過ぎないよ。『つまらない映画』なんて単純な評価はできないし、彼ら自身もそれほど信じてるわけじゃないよ」という意味を込めてなければ、作家はこんなセリフを書かない。しかし、これすらも、号泣暴走グルグルパンチと化したオタクには「作家自身も気づいてない矛盾を俺が指摘してやる」といういちゃもんのつけどころになる。こういうのに絡まれたときの面倒臭さは、増田も覚えがある。
そもそも、これは漫画、物語である。極端なキャラクター設定をして、極端な立場からものを言わせることでテーマを浮き彫りにするというのは、シナリオづくりの最も基本的なスタイルである。差別的な思想を語るわけでもなく、ただ「映画を損切り出来る奴は投資に向いている」という程度の思想をもって極端なことをするキャラクターぐらいを肯定的に描いただけで否定されるのならば、「漫画は面白ければ良い」だって「男なら戦え」だって「命を食べて生きる」だって、普通は極端であえて日常の中で主張はしないようなテーマである。これらのオタクは、そもそも漫画の表現手法そのものを全否定している。
結局のところ「オタク」には、創作に敬意を持っているからこそオタクであるという建前どおりの存在は少ない。少なくとも、SNS等で声の大きい奴らほど、そんなところからは全然遠い。奴らにとって本当に大事なのは「自分」(劣等感を抱えて何かにすがりたい自分)なのである。漫画や映画という創作物は、奴らにとっては道具に過ぎない。自分の劣等感をすがって誤摩化して糊塗するための道具だ。だからこそ、自分の劣情が発揮された瞬間に、創作物や表現者に対する最低限の敬意すらゴミのように捨ててしまう。作品を好きなように切り取りして読んで、書いてあることをねじ曲げ、ごくごく当たり前のデフォルメ手法すらもあっさりなかったことにして見せる。
オタクと言うのは、漫画や映像という他人の創作物を身勝手に援用して、自分の劣等感、攻撃性を解放したいだけの、要するにフーリガンなのである。
勘違いしないで欲しいが、「女」という性そのものが悪いという話はしていない。
現状の「女の文化」(つまりそれはジェンダーバイアス社会が生み出したものでもある)に問題があるという話をしている。
だから、「女」という性でも、「女の同調圧力がきらい」という個人には全然問題はないし、そういう人は同じような批判を女の側からしているのをよく見る。
しかし、そういう「女」は、残念ながらびっくりするほど女の中で発言権がない。SNSでいうなら、まったくRT等はされない。(どうやってそれを見つけるか? エコーチェンバーに籠らず、個別の問題についてキーワードをまんべんなく検索してみるという地道な見識の広げ方をしていればいくらでも見つかる。)
つまりここが問題なのだ。現状の「女」というコミュニティがもつ同調圧力、そこで無批判に培われるある言論の傾向、そういうところに明らかに問題がある。
「女」の自称リベラルが差別を広げる問題の原因は主に以下のようなところにある。
これらは、「女」という性とイコールではないが、傾向として明らかに現状の「女」文化の影響があるといえる問題点である。
結果として、「女」の関心に比重がおかれるようになった現状の「リベラル」運動は、歴史を忘れた差別的な主張が平気で通る有様になっている。
これらは一例でしかないが、このように、人類が歴史上培ってきた「弱者の保護」を全部ひっくり返してゼロベースで書き直すような暴論を平気でやるのが昨今のSNSを中心に広がる「リベラル」運動の問題である。
一方で、男社会だった「オールド左翼」にももちろん問題はある。(学生運動の中で「女はサポート」として炊き出しや繕い仕事をする役目を与えられていた例など。)しかしこれはまあ、世代交代とともに消えつつあるものでもある。
繰り返すが、現状の「リベラル」の問題が「女」の参画によって出てきたものであるということは、「女を排除すれば良い」ということをもちろん意味しない。
ジェンダーバイアスをなくすということは、「女の文化」というものとも戦わなければいけないということである。
「女性誌」を見よ。ファッション、コスメ、芸能、恋愛、占い。そんな話題でページが占められている。
「少女漫画」を見よ。主人公は美少女でなければならず、また美男子と恋愛をしなければならない。少女がただ仕事や部活に精を出すだけの漫画は、少年漫画と違って存在を許されていない。
SNSを見よ。「女の話題」は芸能人やら子育てやら「推し活」やら。ただ学問や仕事の興味をつぶやくだけの女は、いても「女コミュニティ」からは存在を無視される。
「女」が「女」(ジェンダーバイアス社会で、無知な側という地位に落ち着いて生きた「女」)であること自体を否定し戦わない限り、本当のジェンダー平等なんてある得るはずがないのは、合理的に考えれば明らかである。
「有害な女らしさ」とでも言おうか。
「価値観のアップデート」とは、これまで人類がひとつひとつ改善してきた差別問題もすべてなかったことにして、ガラガラポンで「弱者ランキング」を一から書き直すことなのか?
そんなわけはない。女性だけが不当に貶められてもいけないのと同様に、今まで弱者であったものを突然弱者でないと見なすような暴論もあってはならない。
現状のリベラルの問題をより一般的にいうならば、大衆化、ファッション化(歴史の忘却)、無知化(非学術的な感情論の横行)が急速に進んでいることにある。これは(無知な側という地位の)「女」文化を、それ自体進歩させずにいきなり「リベラル」の優先順位の上位に上げてしまったことからくる問題に他ならない。
性差別は、他の差別問題と排他的に選ばなければ解決できない問題ではない。「今は女性問題が話題だから」で他の差別問題を軽視するような「リベラル」などあってはならないし、こんな状況を野放しにしていては、いずれ全体的な問題意識は、性差別含め悪化する方向にしかいかないだろう。
願わくば、「リベラル意識の普及」が「社会全体の知性の底上げ」という意味になって、「バカに合わせる」方向には行かないで欲しいものである。
予言しておくが、こんな言葉は「リベラル」には届かないだろう。
彼らは痛いと思ったら無視するし、どこか隙が見つけられたと思ったらそこをせめて言葉尻を取り誤摩化すだけだろう。
「女の問題を口実に「部落差別」や「地方差別」「子供の人権無視」を肯定するな」と言っているだけなのに、彼らは自分のそういう傾向には一切反省をしようという考えをもたないだろう。
俺は環境的に「優秀な女」が回りにいっぱいいたので(家族や友人に弁護士や医者や数学の得意な女が沢山いる)その人たちを尊敬しているし、まったく「アンフェ」でも何でもないのだが、「フェミニズム」をBLだの下らないロマンス幻想と結びつけて無能な女の最後の砦にしてるクソフェミが我慢ならない。
メルケルも言っているように、「女である限りフェミニストであるのはある種必然」という言い方もあるが、それでも「フェミ」を自称することに躊躇いがある女が(まともな人ほど)多いのは、こういう低能女のすがるフーリガン的な「フェミニズム」と一緒にされたくないからだろう。
ネットで声のデカい自称フェミニストは、まともな愛郷心すら恥ずかしいもののように感じさせるネトウヨと同類のものであると断言できる。
結局、右も左もどんな運動にも、ある程度の規模の集まりになるとこういうのが集まってくるし、世の中には無能ほど多いので、そういうのが主流になっていってしまう。
残念な話だ。
長野の光前寺で飼われてた犬。
6世紀中国、北斉の高長恭という人物の称号「蘭陵王」または「羅陵王」。
19世紀ロンドンを賑わせた連続殺人犯、通称「切り裂きジャック」。犯人が誰かわかってないので妄想、あるいは怨念の産物ということになってる。
邪馬台国の女王。魏志倭人伝に記載があるので実在したとされるが、肝心の日本でまだ証拠が見つかっていないため実在しなかったとも。
ヤ○ザ
サッカーで暴れる観客
あの京アニ放火犯は、どう見てもオタクのフリして暴れるタイプのヤクザ工作員だったよね。
イベントで暴れて、顧客の対立を煽り、客の団結を阻害し、支配しやすくする。
まあ、実際は、殆どの場合、ただ潰れるだけなんだけど、マスゴミは、また新たに若いオタク作れば良いだけだと、いくらでも失敗を繰り返せると思ってんだよね。
それで、鬼滅とかで釣ってリセットするわけだ、前のダメになった大人のオタクは切り捨てて。
昔のオタクたちも、デスノートだのフェイトだのコードギアスだので釣られたようにね。
それから六年くらい経ったらSAO、更に六年くらい経ったら毀滅ってわけだ。
そして同じように飼いならす実験を繰り返すと。
テレビアニメ関連のイベントじゃなきゅ、ああいう無駄に図体デカい迷惑オタクみたいなの出現しないんだからな。
京アニスタッフが焼死したのも、実際は、どっか別のところで死んだのを胡麻化しただけじゃないの?
こないだの自衛隊ヘリ墜落で死んだ幹部たちも、実際は、ウクライナに秘密裏に派遣されて戦死しただけって説がある。
結局、テレビ局とか広告代理店の工作員が、色んなものを都合よくバッシングして、更にそれを、同じく叩きまくってる男オタのせいにしてるんだろうね。
だから、定期的に、弱者男性とか萌え豚とかの方が百倍叩いてるくせに、ごく一部のモテる女叩き、多分、自分たちがフラれて逆恨みしてるだけの女を叩いて、「女叩いてるからキモオタ! 弱者男性による女性叩きがー!」みたいな記事書くんだよな。
女優とかアイドルとかのスレ見れば、よく、フラれて逆恨みしてるとしか思えないような粘着してる奴見かけるもんね。
マスゴミの業界人って、本当にああいう、心底から腐りきった陰湿で悪質なストーカーみたいな奴ばっかみたいだから、本当に近づかない方が良いんだよね。
イケメンコンテンツにつられて、軽い気持ちで会いに行っちゃうバカ女オタクの末路なんて、本当に悲惨だろうな。
コネで業界入りしたお嬢様タレントの中にも、業界人に騙されてメチャクチャにされた娘とか沢山いるんだろうな。
ましてや、コネない奴なんて、どんな枕も、むしろすればするほど、便器奴隷の人生破滅エンドしか待ってないんだろうなぁ。
そりゃ女タレントとかアイドルとか声優とかボロクソに叩かれるわけだよね。
自尊心奪って、言いなりにするために、多分、事務所や、そことコネある業界人に。
まあ嫉妬で叩いてそうな奴も居そうなんだけど。
バスケワールドカップ面白かった(予選敗退とはいえ)。ただ、フリースロー時のブーイングしたりとかあんまり好きではなかった。NBAとかでは確かに見るのだけど。
そういえばサッカーも埼玉のどこかのクラブチームが何か問題起こしていた気がするし、フーリガンっぽさがカッコいいみたいがあったりするのかな。カタールワールドカップのときに、試合後のゴミ拾いを強調していたのも良く分からなかった。外国の目線を気にし過ぎというか。
プロ野球の応援はそうした他のスポーツと違って、自分たちで形成してきたマナーや世界観があるように思う。MLBも面白いけど、何だかんだ日本のプロ野球も面白い。そしてWBCで優勝したように、強い。
プロ野球以外の多くのスポーツの応援は日本では「地域を元気に」「チームが苦しいときを支えた」とかの要素が無駄に絡んで変な方向に行っている気もする。そして少し排他的な印象もある。
甲子園球児は野球やらなかったら人質を殺すって脅されているわけでもないだろ。
運動神経いいのに「俺、勉強の方優先したいから部活は入らねえわ」みたいに言って拒否ってる奴とか普通に学校に居なかった?
あと中学までやってたけど高校からは遊びじゃなくなってきたのがダルいからモンハンでええわみたいになったのとか。
そういう「選択する自由」がある中で、ゴールが炎天下熱中症デスゲームになると分かっていて運動系の部活動に入るならそれはもう十分に「自己責任」でしょ。
義務教育は当然もう終わっているんだから自分の意志で選んだ結果でしょ甲子園は。
「コミケは戦場だと思え!」について「そういう事言ってると次世代が育たなくなるぞ」みたいに咎めてる人が居たけど、そもそも夏場のイベントって全部戦争に行くぐらいの気持ちで準備しないとワンチャン死ぬよ。
水分は現地で買えない前提で持っていくべきだし、無理そうなら撤退も自己判断していく必要がある。
屋内のイベントだと思って油断してたら行列は天日干しされているってパターンがあるのがコミケの怖い所で、しかも他のイベントと比べるとスポットクーラーの配置とか考えられてないから何倍もヤバイ。
まして普段引きこもっているようなオタクが来ることもあるから「戦場に行く気持ちで来い」で良いと思うんだよな。
どのイベントにも言えることだけど、「夏場にやってる以上下手うったら死ぬ。金払って遠征した上で最悪撤退する判断できない奴は最初に金払う前に心折っといた方がいい」が正しい運用ちゃうんかと。
付き合いで参加させるのも控えるように呼びかけた方がいいと思うね。
とにかく大前提として「最悪の場合は、死ぬことになるという前提を理解せよ」ってことだね。
でもさ、甲子園についてはこの辺今更だと想うんだよな。
だってアイツら硬球投げあってんだぜ?
あんなの頭に変な当たり方したらそこで終わりだろ。
スポーツ系の部活動って小学校ぐらいの頃はそのうち治る怪我でも済みやすいけど、高校生にもなると使う道具や扱うエネルギーがどんどん殺人的になってくるからなあ。
バトミントンや卓球みたいな扱うエネルギーが小さめのスポーツ以外はおおむね「最悪死ぬことを覚悟して入部」だと思うんだよ。
そこを曖昧にしているのが良くないと思うんだよな。
やるべきは夏の熱中症対策よりも前に「死の危険があるスポーツに参加する時にその危険性を伝えることの義務化」じゃねーかな。
そしてこれは当然あらゆる屋外イベントにも同じことが言える。
煙草のパッケージみたいに熱中症で死ぬリスクが有ることをポスター・パンフ・チケットに入れるのを義務付けようぜ。
あと野球やサッカーの観戦チケットで裏に書いてある「ボールが飛んできて死んでも自己責任ですよ」の表記ももっとデカくしよう。
アレも結構揉めるじゃん。
ちゃんと「フーリガンのど付き合いに巻き込まれてくだらねー死に方するかも知れないけど、スポーツ観戦に来るってそういうことだよ」ってのを太い赤文字や黄色と黒の危険表示で明記しようや。
ライブとかも良く考えたらそうだな。
「酒飲みまくってウェイウェイ暴れてるオタ芸に肘鉄食らって失明しても客同士の争いとか知らねーよ来るやつが悪いんだよバーカ」みたいにちゃんと書いた方がいい。
毎度のことながら赤き◯チガイ集団こと例のサッカークラブファンが人類にご迷惑をおかけしているようで。
さてさてこの手の話題になる度にいつも言われているのが
で御座います。
これには立派な理由があるのです。
という類の話に帰結するのですよ。
無期限出禁にするということは、クラブが出禁にしたファンのコントロールを行う機会を完全に失うということです。
特定の試合数を出禁にした場合は、「大人しくしていたらまた来てもいいよ」という餌をチラつかせることが可能になりますが、無期限で出禁にした場合はそれは不可能です。
期限付きの出禁とは、「出禁の期間中は大人しくする」という行為に対してクラブが「大人しくしていたら許す」というインセンティブを与えて首輪をつけている状態なのです。
この首輪を手放してしまえば、相手は「どうせ真っ当にやっても駄目なら変装なり不法侵入なりをすれば良い」と考え始めます。
もちろん法的措置を取るという手段はあるのですが、これはクラブ側もかなりの体力を使うことになる。
そしてそこまでやってしまうと今度はフーリガン側が強い逆恨み意識を持って何をしてくるかわからない危険性が生まれます。
サッカーは遠征をして行うスポーツであることを考えれば、コントロール不能な暴徒のリスクを他所に押し付けるのは回避したいわけです。
期限付き出禁のメリットとしてファン同士の間に「大人しくしていれば良いじゃないか」という空気を醸成できるというものものもあります。
サッカーファンの中でもフーリガンになるような人種は得てして承認欲求が強く、サッカーやクラブが好きというよりも「応援を通して仲間意識を感じられるのが好き」という意識が強いものです。
こういった連中は仲間から「クラブもそう言ってるんだし大人しくしてなよ」という圧をかけられると黙って従います。
もしもここで完全に出禁にしてしまえば「そこまでするなんて酷いよね。僕たちが支えてきたのに」と勝手に盛り上がられる危険性さえあります。
期限付きの出禁というのは罰則としてはそこまで重くないわけですが、それが結果として罰則を回避した他のファンの警戒心を必要以上に煽らずに済むのです。
より厳格な罰則や法的措置を行ってしまえば、明日は我が身ではと怯えた一部のファンが逆ギレ的な抗議活動を始めるリスクが発生します。
最悪自分が同じ目にあっても大人しくしていればいいという安心感があるから、「今回は諦めて大人しくしていろ」と周囲が気軽に行ってくれるのです。
もしもこれがファン活動の死刑宣告に等しい無期限出禁となれば、ゴールラインが自分たちに伸びてくるよりも前に先に死刑宣告を食らった仲間を扇動して「このようなクラブの措置に我々は講義をするものである」と活動を行わせようとする圧をかけてくる者たちが出てくるでしょう。
罰則処分というのは誰かの公正世界仮説を支えるための手段ではなく、相手をコントロールして再発のリスクを下げるための手段です。
ここを見誤っている人が結構多いんですよね。
ここを区分けできないと近代社会における罰則の本質を見誤ることになる。
この記事の内容。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/264951
これが障害者差別になるのであれば、もうこの手のキャンペーンは全滅する。
ブコメ内にもあるが、キャンペーン用に用意できた席が一般席だっただけの話。一般席だったから、応募要項にしっかりその旨書いたんだろ。
それなら車椅子席を確保しろという声があるが、じゃあ一席だけでも確保してたらそれで良かったのか?
そしたら車椅子席の割合が少なすぎるってまた差別だーって騒ぐだろ。
今回セブンが確保した、試合観戦ペアチケットは総計175組350名分。だいぶ太っ腹だと思うが、その数半々にする?
そもそも会場に車椅子席が約340席あると書いてあるけど、キャンペーンの車椅子席の割合増やしたら(別に半々まで増やさなくても)、その分一般購入の枠(車椅子席の)が減るんだよ?
一企業のキャンペーンのためにそこを消費する、それこそだめだと思うんだけど。
あと当日の対応云々言ってる人いるけど、そもそもセブンってただのスポンサーだよ?
試合や会場の運営に携わってないだろ。一昔前だったら対応してた?いやいやそれって結局現場の人(別企業)が対応してたんだよ?
スポンサーだったら現場に押し付けていいの?その分本来車椅子席で対応するスタッフの数減らすの?やばすぎん?
書き方が悪いって人もいるけど、記事の本質が「障害者の排除」だから、応募要項どう丁寧に書いても解決になってない。
(今回のように記事にされる可能性を下げることには繋がるかもね)
もう一度言うけど、セブンはただのスポンサーで、確保できた席(チケット)を宣伝のためにキャンペーンとして配布しようとしただけで、何も悪くない。少し考えたらわかるだろ。これでダメならスポーツ観戦系のキャンペーンは全滅させたいのね。
これで叩かれれるのは可哀想すぎる。。
※ここまで読んでまだ「だから車椅子の席も確保しろ」とか言うんだったら、当選割合とその分の一般購入枠の消費についてしっかり意見してくれ。
「当選割合とその分の一般購入枠の消費についてしっかり意見してくれ。」
※以下他のトラバにも書いたやつ
こういう系の仕事やったことある人なピンとくると思うけど、こういうキャンペーンってまず簡単に応募させて、当選後にチケットの送付先等の個人情報入力のフォーム送ったりする。応募者の属性わかんない。
理由は個人情報の取り扱いが大変だから。こういう系のキャンペーンで応募者全員の個人情報抱えるなんて、正気の沙汰ではない。
この後は少し考えたらフローが大変なのわかるよね?
一企業がお気軽にキャンペーンなんてやらなくなる→全滅させたいの?って思ってる。
(全滅は言葉が強すぎるかもしれん…)
じゃあ応募する時点で一般と車椅子で分けるってなると、一般が350組に対して割合的に車椅子が4組とかで大丈夫だと思う?ダメなら割合は?どんどん増やすなら一般購入枠の消費とのバランスは?
車椅子じゃない人が当選確率高そうだと邪推して車椅子枠に応募する可能性は?
考えれば考えるほどめんどくさくて、リスクが残って、こういう系のキャンペーンやり辛い世の中になっていくでしょ?
””今後はそういう社会にしていかないといけないんだよ。増田はセブンを不憫に思ってるんじゃないだろ?「仕方ない」で合法的に障碍者差別がしたいだけだろ?名古屋城のエレベーターにも反対してるんだろ?””
残念すぎるコメントついてた…。
名古屋城のエレベーターとか知らんわ。バリアフリーになってないならつけたらええやん…。誰にでも差別主義のレッテルを貼りたいだけやんけ。
「今後はそういう社会にしていかないといけない」と書いているが、一般販売の話ではなくてキャンペーンの話だよ?
キャンペーンなんだから、仕様上特定の層に絞らないといけない/意図があって絞りたい、があってもいいと思う。ないと成り立たないことも出てくる。
不必要にマイノリティに対して線を引くのは差別だと思う。ただ、確保できた席という仕様がある以上、差別だとは思わない。(今後考慮していこうはわかる)
そもそもセブンやキャンペーン以前に、今回の試合車椅子の方は入れるが、寝たきり要介護の人って入れないよね。仕様上線を引いているよね。
色盲の方に配慮していないwebサイト全滅してる?「仕方ない」で線を引いたら差別になるんだよな。
俺には同じことだが、表面上話題になったコトモノしか見ず、強い反応をしたがる人が多い。
UKのフーリガンは別にサッカーファンではなく、本当に、単にサッカーが行われる場所に喧嘩をしに行く人たちです。
「次は何日に◯◯に集合な!」て言ってその場所まで行って、試合を見るどころかスタジアムにも入らず、スタジアムの外とか、近くの駅とかで敵対するチーム(サッカーチームじゃなくて、敵対するケンカチーム)と殴り合いをやって、フー!!て言って走って逃げて電車に乗って帰るんです。
サッカーファンの中にも喧嘩をする人はいると思うんですけど、マジで単に喧嘩が目的でスタジアムの近くに集まりに行く人たちがいるんですよ。サッカーじゃなくて地元の祭りが毎週あって、そこで喧嘩ができるなら全然それでもいいと思う。
言うに事欠いて「鉄道趣味ってキチガイを集めやすいんやなw」とは……。
お前の好きなものが同じように扱われたらどう思うんだよ。
「コーヒー党って息がくせーのを誤魔化そうとしてるの多いよな」
みたいな?
こういうの自分の好きなことでやられた嫌な気持ちになるだろうし、どこかで「え?それは違うだろ?」ってなると思うんだよ。
鉄道は何が面白いのかしらねーけど趣味として母数が多いからキチガイが目立つだけじゃねと俺は思ってる。
フーリガンがトラ箱によく入るのもサッカーがヤバイいんじゃなくて母数の多さによるものかなと。
ただ、「母数が多いというのがキチガイを加速させやすい」ってのは理屈として成立しうるきがする。
人間って同種で群れるとどうしても調子こきやすくなるけど、ガチヤバのキチガイ同士が群れない限りは調子こいたヤバい集団はそうそう出来ない。
でも趣味として母数が増えると1000人に1人クラスの狂人が同じ場所に10人も20人も集まることもあるし、それに感化されて「あれがセーフなら俺らもハメ外すか」って一回り二回りマシだった連中まで同じレベルで狂い出しうる。
たとえばアイドルオタクの奇行といえばジャニーズやラブライブが有名だけど、アレも母数の圧倒的多さによって同じ波長のキチガイが揃いまくってキチガイ連鎖でばよえ~ん!ばよえ~ん!した果ての結果なのではと。
まあ結果として「鉄道は人気の趣味だからキチガイが騒ぎ出すことが多い」というのは事実としてありうるけど、それが「鉄道を趣味とするやつは最初からキチガイ」ってのは違うと思わけよ。
それは置いといて、キチガイとして暴走してる奴らの数と、その暴走行為が普通に暮らしてる人間に迷惑をかける頻度の高さから俺は撮り鉄大嫌いだ。
サッカーオタクやアイドルオタクとか騒いでもぶっちゃけドームの近くとかぐらいじゃん。
イベント期間は半径1kmぐらいは近寄らんようにすれば電車バス止まらん限りはまあ耐えられる。
でも撮り鉄はその電車やバスを積極的に停めにかかるし、一般人からしたら神出鬼没としか言えんような鉄道オタク以外にとってどうでもいいようなタイミングで集まって騒ぎ出すからマジで嫌だ。
本当、嫌い。
撮り鉄、大嫌い。
フーリガンは実際に闘ってるぞ