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はてなキーワード: 言葉とは

2024-06-19

何で平成天皇最初から悪人であったという必殺技を出したらいけないのか?

   こいつ、即位から悪人だろ。 痩せているし、鼻が高い、知能指数昭和天皇に勝とうとしているから、しゃべっている言語人間言葉ではないし、

   こいつについていった大人ほとんどが理系カスで、口から出ている言語電磁波のような感じで、人間言語ではない。

   35年前の話。誰でも理解できることを何で言ったらいけないのか?

弱者男性こそ増田自分語りするべき

人生を見直すことで解決につながる

カウンセリングでは悩み相談相手として、クマさんのぬいぐるみ相談してもらう、という手法がある。

もちろんクマさんは何も答えてはくれないが、ただ静かに黙って聞いてくれる。

そうやって、一人で話をしているだけで、自分の中の心のモヤモヤが整理され、自分解決に導けるという。

弱者男性人生なんて問題しかないと言えよう。

そんな中、自分語りとして言語化するだけで、少しくらいは問題解決に結びつくかもしれない。

解決しなくても、試すのはタダや。

コミュニケーション練習になる

弱者男性がなぜ弱者なのかと理由を考えた場合、真っ先にコミュニケーション能力の不足が挙げられるだろう。

だがそもそもコミュ二ケーション能力は天賦のものではなく、後天的に訓練で伸ばすことができるスキルである

  コミュ能力が低い → 人と接することを避ける → 訓練する機会が無い → コミュ能力が低い → …

おそらくこの負のループこそが弱者男性コミュニケーション弱者に貶めている原因だろう。

そこで自分語りである

自分語りを、自分の心の中を言語化して相手に伝える訓練とするのだ。

幸い、増田には読者がいて、分かりにくかったり、意味不明だったりすると、添削が入る。

罵倒侮辱も多いけど、そこは文意の伝達には問題なかった証拠と割り切ればよいのである

増田こそ、恥ずかしがることなコミュニケーションの訓練ができる最適な場であると言えよう。

優れた読み物になる可能性がある

俗に、「人間は誰でも生涯で一編の傑作小説を書ける」という。

まり自分人生・心情を赤裸々に綴るだけで、一編のリアル私小説が出来上がるという寸法である

しかしたら弱者男性本人は自分人生をつまらないと思っているかもしれないが、

観測解像度を上げ、嘘や見栄を排して正直に赤裸々に綴るだけで、優れた読み物になる可能性があるのだ。

人生のものは平凡でつまらなくても、着眼点言葉の選び方次第では大いに注目を浴び、

たとえば、「保育園落ちた日本●ね!」などという物騒なエントリは、大いに注目され、社会現象引き起こした。

自分の作文が大勢に読まれ、その反響が広がっていく、それは承認欲求を満たし、自尊感情を大いに高めることにつながるだろう。

社会安全平和になる

自分語りでガス抜きさせてあげないと犯罪しそうだもん。

anond:20240616124255

記事で、コロンブス問題サヨクめ、クソボケカスが!と散々書いて、最後野沢直子の回答で締めくくっていたら、

まさに現地の当事者目線で、ぐうの音も出ない解釈を目にすることになった。

先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題 | ユロックの母

ほらみろや、と今頃、新たに手にしたポリコレ棒で気持ちよく机をバンバン叩いているに違いないと思うと、うぐぐ、な思いはあるが、この記事はとても説得力がった。

ファクトチェック全部はできないし、3割程度は陰謀論ばりのこじつけかなぁ?という印象ではあるものの、確かにそう見える、というのは、正直、とても説得力がある。

それにしても、この当事者目線というのはとても大切だと思うし、亜希ダウニングさんの他のアメリカ先住民を取り扱った記事も大変興味深いものだった。

特に、おお、と蒙を開かれたのは、感謝祭に関するアメリカ先住民視点

【感謝祭の本当の起源】ネイティブアメリカンの悲しい真実の物語とは | ユロックの母

これもコロンブス記事同様、3割程度はエイヤと断定してしまっている部分が少なからず見受けられ、必ずしもファクト確認できない感じではあった。

(例えば、1637年のピクォート虐殺=John Winthropマサチューセッツ植民地知事による征服祝いが感謝祭起源である、と同氏は断定しているが、アメリカ先住民よりのメディア検索しても「このピクォート族の虐殺土地を奪ったことを讃える1637年の宴が最初感謝祭であると、後に公式に決定」とまで断定しているものは見つけることはできなかった。もっと保守派よりのファクトチェックサイトでは、1637年の征服を祝福、感謝したのが感謝祭の発端とする説に「事実無根だ!」と、それこそむきになって根拠なく反論しているのもみつけたので、右派にとって、痛いところを突かれれているのだろうとは思う)

そういう面はあるものの、テーマ自体が非常に興味深い。

というのは、感謝祭という、入植したアメリカ人の原点ともいえる巡礼始祖の心温まるエピソードで、かつ「アメリカ人」というネイションとしてのアイデンティティ形成にも寄与してきた感謝祭、そして現代では商業的にもブラックフライデーなど非常に重要感謝祭が、実はアメリカ先住民視点からみると、自分たち虐殺されてきた血塗られた歴史の一コマだったというのは、ポリコレ的にどう扱うんだろうと。アメリカ先住民立場としては、感謝祭の日は喪に服す日だとして、負の歴史直視するよう求める主張も行われている、という。

これは、ポッと出てきたアニメMVなどのコンテンツと違って、ポリコレ的にあかんから、といって引っ込めるわけにはいかない。

感謝祭はそれほどまでにアメリカ文化経済社会に深く浸透している。巡礼始祖の思いというのはある意味合衆国憲法起草にも関わってくるものなので、巡礼始祖の神話をその一部であれ、修正する、というのは容易なことではない。いかキャンセルカルチャー全盛の昨今といえども、感謝祭、裏側からみれば虐殺歴史、というところに目をつぶり続ける時代はしばらくは続くだろうと思う。

からアメリカ先住民としては、感謝祭やめろ、とまではいえないが、少なくとも私たちは喪に服すよ、ということをアピールする、というところなのだろう。

問題は、自分たちアイデンティティ形成に欠かせないものキャンセルできるのかというテーマだ。

そもそも植民地主義の反省というのがアメリカのみならず、ヨーロッパ社会でもなかなか直視されないのは、それが自分たちアイデンティティに組み込まれいるからだというのは、例えばフランス植民地主義を振り返るとわかる。

例のコロンブスMVでは、類人猿音楽を教えたり文字を教えたりする場面があるが、ダウニングさん的にはネイティブアメリカン歴史最初に思い浮かぶのだろうけれども、俺はどちらかというと、未開な社会文明化する、というテーマはむしろフランス植民地政策どんぴしゃりなイメージだったりする。前記事でそんなことを書くと、そういうお前も知識ひけらかし野郎だろが、といわれるので書かなかったが。

ひとつ前の記事永井陽右氏の言葉を引いて、「外付けされた人権」という安易さを戒めるようなことを書いたんだが、

人権の出発点のひとつともいえるフランス革命では、当時、海を隔てたイギリスからこの革命の様子をみていたエドモンド・バークは、革命で掲げられたフランス人の新しい概念について、外付けはおろか、「発明されたもの」とまでいっている。褒めているのではない。「発明された概念」のもと、フランス革命では、反革命派が次々と断罪されている様をみたエンモンドバークは、なんでも進歩的ものが素晴らしいわけではない、なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤバいと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統文化と結びついた自分たち偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。

まり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化価値観自己実現をしたいひとだっているんだよ。

進歩的価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。それをかつて中島みゆきは「世情」という歌のなかで、

学生運動シュプレヒコールの情景をみながら、「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」とうたった(哀しい思いをするのは学生たちに打倒される守旧派側でもあり、衰退する運動にしがみつく左翼くずれの末路でもある。あ、俺の解釈ね)。

エドモンド・バークに戻ると、彼はいわゆる、保守主義元祖みたいに言われることが多いが、フランス革命による激しいポリコレビビったというのがそもそもの出発点なのだ

もうひとつ興味深いのは、フランス人権歴史は、実は植民地主義と深く関わっている、ということだ。

フランス革命後、自ら編み出した自由博愛平等という「人権」という概念をより普遍的価値に高めるために、文明化の推進という旗印のもと、未開社会の啓もうにいそしんだのがフランス植民地主義の大きな側面だからだ。特にフランス語の普及は博愛精神の名のもとに、当時フランス支配下においていたアフリカ地域で推進された。確か、昔読んだ本で手元になく記憶あいまいだが、当時の知識ヴィクトル・ユゴー奴隷制に反対しつつも、フランス語の普及にはむしろ賛同していた、と聞いたことがある。ユゴーではなくジャン・ピエールだったかもしれないが。いずれにしても当時の一級の知識人が植民地におけるフランス語推進の旗手だった。

こうしてユニバーサリズムの名のもとに、フランス人の精神普遍化を推し進めた、というダイナミズムがあったこと、そして、隣国保守知識からフランス革命のその後の経過は「発明された概念」による野蛮なポリコレとして映じていたりしていたことは、「人権普遍的もの」として習ってきた学生が、次のステップとして教養として知っておいてもいいことだと思っている。

人権の普及と植民地支配が地続きであるというのは、フランス社会での植民地支配への反省の足かせになってきただろう。

これはある意味で、感謝祭国民意識の醸成に関わってきたことと、その負の側面を直視しにくいアメリカの状況と、状況は異なるが、抱えている課題共通する。

昨今のコロンブスMV叩きについて、得体の知れない違和感を覚えるひとは、俺も含めてなんだが、恐らくどちらかというと、人権普遍化のプロセス進歩主義)と植民地主義が一心同体というところに気持ちの悪い類似性をうすうす見出せるのではないかと思う。エドモンド・バークほどはっきりと「人権よりむしろ偏見のほうが大事!」と180度振り切るまではいかなくとも、正しさのもつ禍々しさを何か表現できないかというモヤモヤがあるはずだ。

そういうモヤモヤは大切にしてほしいし、アメリカ先住民立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない、という部分は残しておきたいと思う。別記事感謝祭トリビアは、そういう意味では、考えるヒントがけっこう詰まっていると思った。

2024-06-18

anond:20240618231111

そういえば、日本政府は元・教皇に「崩御」という言葉を使ったけど、自分はこれは妥当ではないと感じた。

世襲の王・皇帝以外でバチカン教皇(言うまでもないが、教皇コンクラーベで選ばれる。)にだけ「崩御」を使う理由は、一体説明できるのだろうか。

2位じゃダメなんですか?

が助け舟だって言い始めるところが日本の非合理社会を表している

プレゼンのうまさ」を過大評価しすぎなんだよ

人生初のカメラが入るところで「うまくプレゼンできなきゃアウト」なんてやり方がまずおかし

助け舟を出すなら比喩的表現を使わず直接的な言葉で端的に聞かないといけない

蓮舫「2位じゃダメなんでしょうか」

文省「1位だと経済効果が3.4兆円」

蓮舫「先に進んでるアメリカと協力できないのか」

文省「競争してるんで」

蓮舫アメリカが先に開発したらどうなるか」

文省「非常に不利になる」

蓮舫「負けた場合リスクは」

文省「非常に厳しい質問。頑張ります

それにこれそもそも助け舟か?

1位になった時の経済効果説明しているし、

先に進んでいるアメリカがわざわざ後ろにいる日本と手を組むわけがなじゃん?

で、1位になった時の経済効果説明しているのに

また「アメリカに負けて1位になれなかったらどうなるのか。リスクは?」って聞いてくる

そりゃ経済効果が減って予算が回収できないのがリスクでしょうよw

聞かなくてもわかるじゃん

ちなみに蓮舫さんは再び「1位が取れなかった場合はどうなるのか」って聞いている

文省「先ほど申し上げました」って返されてるけどねw

他にも技術継続性の話、、、つまり一回開発辞めちゃった場合、次に再スタートしようと思っても

開発を続けていた場合ストップしていた場合では技術継続性に差が出るのは当たり前なんだけど

それと1位を目指す話を混同してどっちが大事なのか?とか質問してる

いまだと日本AIで遅れをとっていて追いつくのは困難になっている状況だが、

各国が最高速で進化している中で、後から追いつくのは困難なのは当たり前なんだよね

人を育成しなきゃいけないんだから金を積めば一気に追いつけるもんじゃない

蓮舫「2位でも利用してもらえるんじゃ?なぜ1位なんでしょう(略」

と長々とした質問もしてもいるが

「2位の場合経済効果は?」でと端的な質問で済むし「なぜ1位なのか」なんて挟むから

文省「なぜ1位なのか。それは日本が先行してアイデアを実現できるようにするためです」って回答が来ちゃうw

しかAIの現状を考えれば(今のAIの発展はすごく大雑把にいうと計算量の違いだから)文省の言い分も正解だったしな

だいたいさ、1位とか2位って問題じゃないじゃん

2位でも1位と処理能力の差が少なければ問題は少ないし

2位でも1位と差があったらすごく遅れをとることになる

それなのに「1位2位」って言葉蓮舫さんが使うから議論が変な方向に進む

議論するなら「処理能力の差」はどれぐらいになりそうなのかとか

10ペタ1台」と「1ペタ10台」では何が違うのかとかだろう

長々と書いたけどほんと議論じゃないんだよな

プレゼンvsプレゼンの穴を探したい人たちの戦いでしかない

データが出てこない

話を前に進める人がいない

いかプレゼン者が邪魔者を黙らせてうまく立ち回るか勝負なっちゃってる

プレゼン能力ってそんなに絶対的指標か?

データの方が重要だろ

営業上がりの社長が多く、理系社長が弱いのも

「さあ私をプレゼンで説き伏せてみなさい」っていう態度の権力者が多いからじゃねーの?

「さあデータを出しなさい」の方が有能な開発者探し出せるでしょ

大日本リベラル」のガラパゴス習性

報道晒しだと思ってる。

 BBCあたりが「日本ではこんなことが炎上したようです」って言うだけで「外圧がかかったぞ」とか謎の喜び方をする。

 いやいや、報道ってそういうもんじゃいから。

 あくま価値判断を挟まずに客観的に伝えるのがメディア仕事だし、読者だって「へー、そんなことがあったのか」くらいにしか思わないからね?

 え? 日本メディアは伝えないから代わりに伝えてくれてる?

 そんなこともありません。ほとんどの記事日本メディアの又伝え。調査報道なんてコストがかかるんだから、よっぽど読者の関心が呼べない限りやりません。

 あくま日本ニュースなんて、「海外報道」のうちのひとつ

 日本以外のBBC海外報道も「その国のメディアが報じないかBBC様が代わりに制裁を下してくださってる」とか思うのか? 日本だけは特別だと思ってる?

 新手の「日本スゴイ」かな?

 

空気」で社会を変えられると思ってる。

 共産党の「そういう漫画を書いちゃいけないなという空気を作ろう」みたいなアレ。

 君たちに聞きたいんだけど、欧米や、台湾韓国などの民主主義国のどこで、そんなマナー問題空気圧力みたいな曖昧な力で社会を変えようとしてる国がある?

 君たちが憧れてる先進国はみんな、何かを変えようと思ったら徹底的に理論武装して公開の議論をして、公正な選挙のもとで勝ったやつが正しい、負けた方が悪いという原理原則を貫いてる国です。

 勝てなきゃ無駄理解してるから決死覚悟自分の信じる道に殉じます

 だからこそルールとしてきっちり残るし、政策として効果が出ます

 正義の行動をとってるつもりのやつが自己満足独自理論で内輪の同調を煽ってばかりで、他人に通じる言葉を捻り出そうとしない限り彼らみたいにはなりません。

 え? 日本はそんな議論文化下地がないから無理?

 それを変えないでチートみたいに空気で変えようとしてるからダメなんじゃないの?

 根本ダメもの雰囲気でなんとかなると信じるって、旧日本軍的な雰囲気戦略と何が違うの?

 

アジア人の誇りが皆無。

 日本の「リベラル」、マジで欧米の真似をしようとしかしてない。

 君ら少しはアジアの仲間(と思ってるか知らんけど)を見たらどう?

 彼らの行動原理欧米の真似をすることじゃない。

 自分の国を良い国にするために欧米から「やり方」を学ぼうとはしても、欧米と同じ価値観インストールすれば良いとは思ってない。

 自分の国のアイデンティティ文化も守ろうとするし、自分の国特有差別文化偏見にも向き合おうとする。

 韓国人が日本リベラルみたいだったらどうなるだろう?

 「犬食なんて海外バカにされる。恥だ。みっともない」なんて自国食文化を殺そうとするだろうね。

 日本の「リベラル」が海外ヴィーガンにおもねって、「精肉業者への中傷」という日本文化におけるタブーを平気で見逃すようにね。

 そんなの、多文化主義者でも何でもない。ただの名誉白人。かわんねえな日本人は。

 

その他、「恥」とか、とにかく日本的な言葉遣いが多目

 リベラルってのは、東洋文化日本を「恥じる」ことじゃない。

 恥の文化自体反省して、罪の文化物事を考えられるようにならなきゃ民主主義社会なんて作れない。

 恥ずかしいから変えるんじゃないし、恥ずかしいことを変えろなんて言ってたら多文化共生なんて不可能も良いとこ。

 Mrs. GREEN APPLE名誉白人と言いながら、自分らも「フランス人バカにされたよ」「BBCバカにされたよ」と名誉白人立場を気にすることばかり言ってる。

 

 ほんと、こんなズレたリベラルは「日本だけ」。

 よっぽど特殊な国なんだろうね日本って。

 「日本は変わるべき」という意識すら日本風にしかならないのだから

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(5) | 22:15

東京の方を見て商売する時代は終わった

地方に住んでる人間としては、東京に物を出荷する商売は縮小する段階に入ったと感じている。

韓国中国はもちろん、最近東南アジア諸国購買力も高まってきている。

円安の影響もあって、東京企業相手商売関税やら輸送費やらを差し引いて考えても旨味が減ってきている。

これまでは日本の中で一番購買力のある東京に出荷する事が地方にとっての一番儲かるルートになっていたが、東京が一番の選択肢ではなくなりつつある事を実感している。

もちろん東京企業相手の方が言葉や商習慣が通じるというメリットはある。

海外企業との言葉ニュアンスの取り違いや商習慣の違いによるトラブルは避けられない。

それでも東京企業との取引は今後減っていくと思う。

別に東京企業に限った話ではなく日本企業全体に言える事だが、デフレ時代が長すぎて物は買い叩くものサービス無料で行うものという意識が強すぎる。

その上、東京企業大企業でなくとも「お前たち田舎者商品東京会社がわざわざ買ってやってるんだぞ(だから安くしろ)」という態度を隠そうともしない企業が多すぎるのだ。

それに対して円安の事を考慮したとしても中韓東南アジア企業の方が金払いが良い。

もちろん金を積んで無理を言ってくる事も多いが、金も払わないのに無理を言ってくる東京企業より遥かにマシだ。

韓国人は彼らの独特なプライド配慮する必要があって面倒臭いし、中国人の抜け目のなさにしてやられる事はある。

東南アジア諸国はそれぞれの国の地域対立の事を考えた付き合いが必要だったり、宗教絡みのトラブルもある。

しかしそれは日本相手商売でも似たようなもので、要はそれに慣れているか否かの違いでしかない。

そして商売を続けていけば、いずれ慣れる日が来るだろう。

果たして東京に住んでいる人々はその事に対する危機感をどれほど持っているのだろうか?

関東平野は広いからその気になれば首都圏で全て賄える」「地方から買わなくとも輸入すればいい」

とでも考えているのだろうか?

これまでは東京日本で一番の消費地であり、その購買力地方人間は頭を下げてきた。

東京に出荷する事が一番儲かるルートだったからだ。

だが円安がこれからも進むのであれば、相対的東京という都市購買力は目減りしていくだろう。

消費地としての魅力が減少した東京にこれまでの様に人が集まるだろうか?

地方民として地方から若者が居なくなる事は避けられないと思う。

能力的にも日本産業構造的にも、地方大企業が生まれる要素がないからだ。

しかしこれから若者達は海外移住を目指す時代になっていくのではないだろうか?

それに対する危機感東京に住む人々はどの程度持っているだろう?

個人的には知事選でその辺りの話題が争点にならない辺り、あまり危機感は無さそうだなと感じている。

anond:20240618195032

男性向け漫画誌でも中高生向けの青年誌レイプ描かれてた時代もあったし

官能小説世界だとジュヴナイルポルノというジャンルがあったり

それらの言葉ジャンルができるより、「18歳未満に過激な性描写を含む創作物を見せるのは性的虐待」って概念ができた方が後だから

anond:20240618190907

個人的には安倍さんより好きだよ岸田さん

安倍さんの強い言葉で外部に敵を作って支持者の団結を高めるってやり方あんまりきじゃなかったんだよね

ただそここそが岸田さんが保守から嫌われている最たる理由なのでなんともしがたいところ

anond:20240618173836

誰に聞いても『デパート』と答える店(少なくとも日本百貨店会の共通券使える)の、

ハイブランド・高級商品が入ってる階で、荷物持ちが必要レベル爆買いしている人は見たことないが

(そもそも爆買いするレベル顧客相手には店員が声掛けする)

 

よく考えたら、カジュアルブランド(ノースフェイスとか)入れてる店もあるからカジュアルブランドの階ならワンチャンあると違う?

 

あと、人によっては大型商業施設をぜんぶデパートと呼んでるし(言葉としては間違っていない。外商やお得意様サロンがいないだけ)

大型商業施設ならフツーにおるじゃろ

 

 

通販は多くなってるけど、店頭で試着したい人、接客されたい人がいるので、実店舗は滅んでいない認識だよ

旦那子どもが欲しいと言われた

私が欲しくないのにね!!!

旦那は元々子どもが欲しくない派だった

結婚して約半年旦那に「子どもが欲しい」と言われた。正確には、私に対して「子どもが欲しい?」という問いかけだったけど。

これを聞かれたときわたしはめちゃくちゃ驚いた。というのも、旦那子どもが欲しくない派だったからだ。

結婚をする前、付き合っていたときにも、「子どもが欲しい?」と聞かれたことがある。私は「相手が欲しいなら欲しいけど、欲しくないなら別にいらないしそこまでではない」と答えた。これは私の本心だった。私の答えに対して、旦那は「自分は欲しくないかな〜」と言った。なので、私たち子どもを作らず、二人で暮らしていくものだと思っていた。

子どもが欲しい旦那に対する私の最悪な答え

旦那に「子どもが欲しい」と聞かれたとき、私はびっくりして「〇〇(旦那)は欲しい?」と聞き返してしまった。質問質問で返すな。

旦那の答えは「いてもいいかな、楽しいと思う」的なものだった。それに対して、私は「〇〇が子育てをできる気がしない」と最悪な返事をしてしまった。でもこれも私の本心だった。

旦那絶対子育てができないと思う。旦那は私からすると良い男だし良い夫だ。でも、良い父親にはなれない。

私の中の親のイメージは、子どもが最優先だ。実際私はそうやって育ってきて、両親は私たち子どものためにあらゆることを犠牲にしてきたと思う。お金時間趣味仕事、そういったものを全て子どもに合わせられるかどうか。旦那がどうかはともかく、私にはその覚悟気概はない。

私に選択肢があると思っていた

旦那子どもが欲しい話をされて一番驚いた理由は、私に選択肢があると思っていたからだ。本当に最悪、最悪な女。

旦那子どもがいらないと思っていたから、ずっと一人で悩んでいた。私が欲しいと思えば産むだろうし、私がいらないと判断したら二人で暮らしていく。勝手にそう思っていたし、結局「いらない」という結論に至って、子どもがいない人生を歩もうとしていた。

当たり前だけど、子どもの有無は一人で決めるものではない。それが分かっていなかった。あまりにも愚か。そして、旦那子どもが欲しいという話をされてから1ヶ月以上経った今も、結論を出せずにいる。

子どもが欲しくない理由

子どもが欲しくない理由は大量にある。一方、欲しい理由は片手で数えられるほどしかない。この時点で、私は子育てができないと思う。

父親存在

私の人生において、父親存在はかなり大きい。父親は、常に私たち家族のために過ごしていた。

から、昔から漠然と、もし私が子どもを産むとしたら子どものために人生を捧げられる人が父親であってほしいと思っていた。時間お金生活趣味の全てを捨ててでも子どもを優先できる人。子どもが大好きで、子どものために生きられる人。

後述するけど、私は子ども自体がそこまで好きではなくて、多分普通母親にはなれるだろうけど、並以上の愛情を注ぐことはできない。せいぜい一人分が限界だ。だから、私以上、せめて私と同じぐらいには愛情と手間を注げる相手でないと子どもは作れない。愛情が足りなくて子どもを不幸にしてしまうという強迫観念を持っている。

障害遺伝

私は発達障害で、家族も同じ障害を持っている。完全に遺伝

それでも、私は幸せに生きてきた。家族から無尽蔵の愛情と、友人に恵まれたのと、勉強が得意だったことが主な理由だ。

子ども遺伝した場合子ども幸せに生きていけるのかという不安がある。家族から愛情私たちで頑張るとしても、友人をはじめとした人間関係学習能力ほとんど運だ。もし子どもが「産まれてこなければよかった」と言ったら、私にはかける言葉がない。私が原因だからだ。

生活不自由

私はとても自己中で、自分がしたいときにしたいことをできない状況が許せない。眠いときに寝たいし、お腹が空いたときに食べたいし、出かけたいときに外出をしたい。仕事は気分が乗ったときに取り組みたいし、お金自分のためだけに使いたい。

幸いなことに、今は上記の願いが全て叶っている。自分努力で望む仕事に就いたのと旦那理解の賜物だ。

子どもができるとこれら全てが失われる、と思っている。子ども中心になって、子どものための生活サイクル、外出、出費。きっと私は耐えられない。私はまだまだ自分人生を楽しみたいと強く思う。子ども人生を優先させる未来想像できない。よく「子育て自分人生追体験」と聞くけど、私は自己中だしまだまだ自分が主役で生きていきたい。この座は譲れない。

子どもへの嫌悪

そもそも子どもが嫌いという大きな理由がある。特に中学生以下が嫌い。

私はかなり器が小さくて、子どもからという理由で許せることが少ない。子どもに手をあげそうな気すらしている。イヤイヤ期や反抗期を耐えられるわけがないと思っている。

子どもが嫌い」というと「自分子どもだった時期があるのに?」と言われることがある。そう言われてもと感じる。おじさんは、自分がおじさんだからという理由でこの世のおじさん全員を好きになれるのか?

あと「自分の子どもは可愛いから大丈夫」とも言われる。そう感じる人もいるだろうけど、じゃあ仮にそう感じなかったときはどうすればいいんだろう。やっぱいらない、ができるわけもないのに。

妊娠出産への恐怖

これが一番大きな理由かもしれない。とにかく産みたくない。自分お腹の中に別の命がいるのが気持ち悪くて本当に無理だ。しかも1−2ヶ月ならまだしも10ヶ月も…? 

私は痛みにかなり弱い。少しでも頭痛がするとすぐに痛み止めを飲むし、病院での治療検査は全て麻酔ありを選択する。でも、出産は痛みありきの行為だ。無痛分娩も痛みはあるし、妊娠中も不調や痛みがつきまとう。

妊娠の何もかもが嫌で、自分子どもを産む可能性を想像すると、まず妊娠への嫌悪感でつまずく。

本当に最悪な話なんだけど、正直自分が男で相手が産んでくれるなら、子どもは欲しい。最低!このわがまま女!

自分精神状況

私は自分精神を安定させたいという気持ち人一倍強い。自分努力と行動の結果、今の生活は最高に幸せ。嫌なことを排除して排除してやっとこの状況に辿り着いたのに、子どもができると全てが崩れ去る。そうなったときに、自分精神が安定しているわけがない。不安定でぐちゃぐちゃで、死にたいと思うだろう。

子どもを産むと、もう後戻りはできない。絶対に今の生活には戻れない。まだまだ今を満喫していたい。

あと、仕事休みたくない。仕事が好きというより稼いでいる自分が好き。私の精神の安定には十分なお金必要で、旦那給料に頼って暮らす生活をするときっと自分を嫌いになる。100歩譲って、産んだあとに相手が育休を取って私が変わらず働くなら、もしかしたら子どもが欲しいと思えるのかもしれない。

子どもが欲しい理由

子どもが欲しい気持ちも少しだけある。理由は、親に孫を見せたいという気持ち楽しいと思える可能性があるという気持ち、これだけだ。

親は、孫を楽しみにしている。私に直接言うことはないけど、薄々伝わってくる。

兄弟結婚して子どもができれば、私が子どもを欲しいと思うことはなくなる気がする。もちろん、兄弟には絶対に言わないけど。結婚するもしないも、子どもを作るも作らないも本人の自由で、周りが触れることではない。

子どもができると、なんやかんや「子どもがいて楽しい」と思うんだろう。

でもそれは、子どもがいる自分を無理やり肯定したいだけではないか。今が不幸1・幸せ10人生とすると、自分子どもができると不幸100・幸せ60になる気がする。幸せも増えるけど、それ以上に不幸が増える。

絶対量ではなく相対量で判断する価値観を持っているから、増えた幸せよりも増えた不幸に執着してしまいそう。

本当は旦那子どもが欲しくないと思う

ただの予想だけど、本当は旦那子どもが欲しくないのではないか、と思う。

旦那からすると、人と暮らすようになり自分人生他人が入ってきた。その結果、年収が増えたり生活が整ったり部屋が綺麗になったり食事が出てきたり風邪を引かなくなったりなどのメリットが手に入った。お互い完全別家計趣味不干渉暮らしいるから、ある程度の自由もある。

子どもができたら、もっと良い生活楽しい生活になる、そう思っている気がする。

でも実際は、お金が減るし部屋は汚くなるし子ども風邪が移るし自由も無くなるし、デメリットがたくさんある。あくまでも私から見てだけど、それを理解していないように感じる。

デメリットちゃんと知ると、結局子どもが欲しくないと思うのではないだろうか、と勝手予測している。本当にどこまでも勝手な女。

子育て山登りのように感じる

私の努力もあり、今の人生には辛いことがない。例えるなら、毎日海を見てのどかに暮らすような生活。定年後のような暮らしをしている。

子どもを持つことは山を登るようなものだと思う。厳しい道でしんどいこともあるけど、時折見える絶景や頂上という目標への道のりに楽しさややりがいを感じるのだろう。大変だけど喜びも多い、そんな日々。

普通の人の生活は、私からするとマラソンのように見える。コツコツと走って、辛いときもあれば楽しい瞬間もある。会社の人に怒られたり失敗したり、目標を達成したり褒められたり。

どうせ走るなら山を登りたい、と山登りに惹かれるのかもしれない。

私は海辺のんびりと歩いているような日常だ。気分でなければ歩く必要もなくて、座って綺麗な景色を見ている。周りには誰もいなくてこの過ごし方に対して嫌なことを言われることもない。

そんな状態で山に登ろうと言われても、なんで?と感じる。もちろん山にもいいところだろうけど、わざわざ登ろうとは思えない。

それに、一度登ると今の生活には戻れない。息を切らして山を登りながら、「海に戻りたい」と二度と戻れない生活に想いを馳せ続ける人生は、私からするととてつもない地獄に思えてしまう。

まとめ

まとめると、私には何も覚悟がないのだと気づいた。これを書きながら子どもが欲しくない理由ばかり思い浮かぶし、頭の中にはマイナスの考えばかり漂っている。

子どもが欲しくない理由も、全てが幼い。自分自身が成熟しきれていなくて、本質的には子どもから大人側になりたくないのだと思う。自分人生子どもに捧げる覚悟がない。子ども幸せにする力も、自分子育て幸せになる未来も見えない。

私は考えがコロコロ変わるから、今はここまで欲しくないと思っても、いつかは欲しいと思うのかもしれない。今の考えを忘れないためにこれを書いたけど、後から見て嫌になってすぐ消す可能性もある。

てか、こんなところで勝手につらつらと書かれている旦那が一番可哀想だよ。ごめんね旦那あなたは何も悪くなくてただただ私の幼稚性が悪い。

ほんまごめん〜〜〜!

でも仕事辞めるって決めたし

新しい業務覚える意味ねえなぁ〜〜〜って

思ってしまったんや

マニュアルあるからそれ通りやっときゃいいだろって思ってたし質問したんだけど

いっぱいいっぱいメーターが溢れそうな人には言ったらダメ言葉だったわごめん〜〜〜!

マニュアル通りにやったところでわかんねえよ

だ か ら 男性も育休使えよ

男女問題ほとんどはそれで解決するから

育休って書くとアレルギー反応しめす男性が多いか有休で例えてやるな

有休が年間10日分だとすると1年間休もうと思ったら25年分程度が必要だよな

新人募集するとき

25年間有休使わないことが確定している新人

25年間有休を全部消化する可能性がある新人だったらどっち採用するよ?って話

給与査定するとき

25年間有休使わないことが確定している社員

25年間有休を全部消化する可能性がある社員だったらどっち優遇するよ?って話

わかる?有休の消化率なんて全く考慮しませんなんて経営者がいるわけねーんだよ

有休消化するかどうかは募集要項に書いてないか平等です」なんて戯言しかないの

育休はそういう影響が100%ある

いうまでもなく

25年間有休使わないことが確定している社員男性

25年間有休を全部消化する可能性がある社員女性

「男女ともに募集しているからすでに男女平等です」とか社会人歴0日じゃないと言えない言葉だよ?

「男女ともに同じ仕事をしているか昇給や昇進も男女平等です」なんて甘っちょろい戯言でござるよ?


「25年間有休使わないことが確定している社員」なんて特権階級無くして

全員「25年間有休を全部消化する可能性がある社員」に落とさないと

差別は無くならないし、

全員「25年間有休を全部消化する可能性がある社員」にしちゃえば差別しようもなくなる


ほんとさっさと男性も育休使えよ

妻と夫で6ヶ月ずつ取得すりゃいいだけじゃねーか


https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nhk.or.jp/minplus/0121/topic101.html

anond:20240618140259

お前に送る言葉は「へぇ、凄いっスね」くらいしかないわ

anond:20240618134445

単に方言全国区になっていく現象の一環やね。

しょっぱい(塩味が強いことの関東の一部で使われる方言)の変化形

同じ味覚のことを、関西地方では「甘辛い」なんて言ったりするらしい。

これは関西では塩味の強いことを辛いというからだそうな。

 

私が住んでる地域(関東)では昔からあまじょっぱいって言ってたし、

今、母に確認したけど、母が子供のころからあまじょっぱいを使ってた。

なので最近になってできた言葉ではない。

 

煮物なんかは普通に醤油(塩味)+砂糖(甘味)で味付けをするものだし、

お餅砂糖醤油で食べたり、おせんべいの味付けに使ったりすることは普通だったので

甘くてしょっぱいは両立するし、いいかえることも難しいと子供のころから使っていた身からすると感じる。

anond:20240618134445

おそらくだけれど、東北地方方言なのではないかと思われます

母方が山形の生まれで、使っていたように思いますが、

幼いころに別の地方出身の父と会話していた記憶があるので。

甘辛い、という表現は、漢字のみを見ると甘味と辛味を想起するため

耳で聞いた時に少し違和感を感じます

あまい しょっぱい という平仮名、音声コミュニケーションに合わせた言葉です。

まり若者活字離れが原因であり、インターネット世代

具体的には現在の30-40代前半くらいの、本を読まない世代産物かと。

以上、全て増田妄想に依ります

anond:20240618134114

「オランダ」の国名が消えるの? 大使館に聞いてみた。 | ハフポスト WORLD

駐日オランダ大使館の広報担当者取材すると、以下のような返事だった。


オランダは、日本語言葉として定着しているので今後も変更はありません。日本語国名オランダ。今後もオランダ王国大使館を名乗っていきます

らしいやで

「あまじょっぱい」への違和感

「あまじょっぱい」って、いつ頃から使うようになったの?

もともと自分の住んでる地域では、「しょっぱい」という言い方はしなかった。「すっぱい」という言い方はしていたので、子どもの頃は「すっぱい」の訛りなのかなと思ってた。そのうちに小説とか歌謡曲とかで「しょっぱい」という表現を繰り返し見るうちに「ああ、これは"塩っぱい"なんだな」と理解するようになった。けれど、自分の周辺にはそういう言葉を使う人はいなかったし、自分もつかわなかった。強いてそういう状態を表すなら「塩辛い」かなあ。

「あまずっぱい」は、これは子どもの頃からふつうに使った。だって他に形容のしようがないもの。それはそれで違和感はない。「あまじょっぱい」は、聞いたこともなかった。

それがここ数年かな、やたらと「あまじょっぱい」を見かけるようになった。言いたいことはわからんではないのだけれど、いまだに見るたびに「え?」って思う。「甘酸っぱい」の方は、それでなければ表せない感覚があるし、それにまつわるいろんなイメージもある。「あまじょっぱい」? なんなの、それ、という感覚

これは、「しょっぱい」同様に地域的なものなんだろうか。関東のどこかでは、むかしっから「あまじょっぱい」って言ってたの? それとも「甘酸っぱい」から連想した最近造語? そのあたりもよくわからないまま、気持ち悪さだけはいつまでたっても消えない。


誰か詳しい人、この違和感のもとを教えてほしい。

anond:20240618130134

👴「昔は『軽チャー』という言葉があったがのぅ」

フレネミーにならないためのたった一つの方法

あらゆることに通用することだが、世の中の物事は全てはグラデーション

他人への攻撃性というものは多かれ少なかれ抱えているもので、

あらゆる特性を、仮に数値化した場合の高低はたしか存在する。

そして、この攻撃性を普段の実生活で出さずに、

あらゆる人々と仲良くしていく方法とは。

文章化すること。これに尽きる。

あなたの思いや考えや感情について、まずは書き記してみること。

紙に書いてもいいし、キーボードに打ち込んでもいい。

そうして書いた文章を、一日置いて再度読んでみる。

そうして、問題ないと思った文章を、まずは増田投稿してみる。

反応が無いのなら、それは特段問題のない文章かもしれない。

あるいは、行き過ぎて、匿名世界でも相手にされないほどのヤバい文章可能性もある。

そして、ある程度の反応があった場合

その時はきちんと意見を受け止めた上で、

賛否両論があるのなら、それは普段の会話では話さない方が吉。

あくまで話すのなら借り物として話すこと。

新聞に載っていたんだけど、とか、他人言葉として出すこと。

あくまで私の意見ではないですよ、こういうことが話題になってるますよ、と装う。

まあ、セルフ藁人形って感じか。

元々、他人への攻撃性が高い人間というのは、他人との境界線バグっている。

ある程度IQは高いのだろうし、

社会問題に関心を持っていたり、

正義感が強めの人が多い。

そうした理想主義的な思いから、現実世界でも

他人との距離感が測れないままにお気持ち表明をしてしまう。

きちんと、脳みその膿や毒素をデトックスしましょう。

心身ともにじゃないですが、身体だけ健康でも意味はないですよ。

あなた精神デトックスしましょうね。

暇空を「優しい」と形容する人

リプライとか野良ツイートでよく見かけるが、あの態度を自分への気遣いだとか、「下手に触れるな」「臭いヤツに関わるな」って言葉に優しさを感じるとかいう人は確かに信者だと言われてもおかしくない。あるいは信者みたいにへつらって取り入ろうとするトラップか。

端的に言って愚かな考えだ。見てて良い気分がしない。

あれは基本的自分に降りかかるかもしれない火の粉を全力で避けるための言葉しかなく、仮に誰かが火だるまになったとしても氏は助けないし見もしないだろう。例外があっても、少なくとも「お前」のことは助けないと思った方が良い。

例えばそれは、推しに注目するあまり現場推しが一瞬でも自分視線をくれたと感じたら認知されたと喜ぶようなおめでたさに似てる。

そういうこともあるだろうが、大抵そうじゃない。

その違いがわからないならホントに愚かとしか言いようがない。

氏を信奉する人間とは「何かを信奉する自分自身に酔ってる人間」か、そういう「酔ってる人間」に擦り寄って仲間意識を出しながら愚かな人間を食い物にしようとするトラップしかない。

あれはプライベートの友人ならともかく、ビジネス出会ったら絶対に心を許してはいけない類の人間だ。

まり仕事については信頼できる人間でもある。

この「信頼」を「信奉」と見間違えるなら好きにすれば良い。いつか食われるだけだろう。

暇空を「優しい」と形容する人は、一度ネットから離れて家族地域の人々とよく話し合い、常識社会通念、そしてアスナの大切さについて改めて考えてみてください。

anond:20240618105142

アイツらの使うAIという言葉の柔軟性に恐れ慄け

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