はてなキーワード: 世代とは
『セクシー田中さん』報告書、何というかこうありえない箇所が多すぎるのでいくつか抜き書きしてみた。()内は報告書のページ数を指す。
企画書には、企画意図、企画ポイント(①自分を縛る“呪縛”から解放された時のカタルシス、②真反対なふたりの女の友情がスゴい!、③9笑って、1グッとくるドラマ、④あらゆる世代に響く! 60 代専業主婦女性の1歩、⑤田中さんと笙野の恋の行方は!?)、主要想定キャスト等が記載されていた。(9)
あっ……(察し)。TVドラマのスタッフには恋愛脳しかおらんのか?
なお、これらの本件原作者の意見については、A 氏 はコアメンバーに対してはそのまま伝えたものの、本件脚本家に対しては ドラマ化について本件原作者の不満が高まっているという 温度感のみ伝えた。一方で本件脚本家は、 8 話のやりとり あたりから本件原作者の語調が強く、こだわりが強いという印象を抱き始めた。(24)
温度感のみ共有してんじゃねえよ! 具体的な指摘も共有しろよ!
「キツい指摘は見ててつらいから咀嚼して伝えて」という相沢友子の要求は、メンタルケアとしては間違ってないんだけど、それは当然「パイナップルは味の相性が最悪なので絶対に酢豚に入れないで」という要求を「原作者はパイナップルを酢豚に入れてほしくないそうだ」と伝えてほしい、という意味であって、「原作者は酢豚の出来に怒ってるよ」と伝えろっていう意味じゃねえんだよ!
C 氏を通じた本件原作者の撮影シーンに関する問い合わせに対し、 A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。 A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者か ら撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、 A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたって キャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。(25)
C 氏から A 氏に、 6 7 話の脚本の修正文書、及び「修正について」と題する文書がメールにて送付され、そのメール本文には本件原作者が書き下ろした 8 10 話に関しては、撮影の都合などの理由以外では、出来るだけ改変しないでほしい旨述べられており、 A 氏は C 氏に対し電話でドラマ化の上で改変は発生するので、今まで通りやらせてほしい旨回答した。(29)
何で??? 真剣にホラーだった。TV関係者の認識ってこんななの??? そら、芦原妃名子先生がなに言っても暖簾に腕押しで糠に釘で馬の耳に念仏だわな。
本件ドラマ 5 話のダンスのシーンで使われた音源は、配信 許諾が取れていなかったので、 配信で使用出来る別の音楽に差し替えた。しかし、セリフで「シャー・ルク・カーンの『マルジャーニ・マルジャーニ』!! 」と笙野が叫んでおり、セリフはすでに収録していたため、差し替えることが出来なかった。そのため音楽とセリフの不一致が生まれた。(32)
役者が「モーツァルトの『トルコ行進曲』!」って言ってるのにジャジャジャジャーンって聞こえてくるようなもんだろ。ギャグにしか聞こえんわ。マイナーな音楽ならいいと思ってるのかもしんないけど、そのマイナー音楽が頻出する作品のドラマ化でやることか? 許諾を取るか、セリフ部分だけ収録し直して差し替えるとかしろよ……(アニオタ並の感想)
B氏は日本テレビのライツ部門に状況を共有し、同部門の顧問弁護士である P 氏に本件脚本家の「クレジットの約束が守られないのであれば9,10 話で本件脚本家のアイデアを一切使わないでほしい、それができないのであれば 8 話までの私の脚本を使わないでほし い。」という発言の法的根拠について確認を依頼した。 P 氏の見解は、この時点で脚本利用契約が未締結であるので、脚本家は原著作者であるため二次利用の差し止めは可能であるということであった。(34-35)
この「アイデア」って何を指してるんだろう……そこの検討が必要不可欠じゃない? 相沢友子が何をもって「アイデア」と呼んでいるのかがクリティカルなのにそこを書いてないのは不親切に感じる。もし相沢が「自分が考えた、原作にはないキャラのセリフ」を「アイデア」と呼んでいるなら、確かに相沢には著作権は発生するので彼女の要求は法的に正当なものかもしれないけど、もしも「最後は溶鉱炉に沈みながらサムズアップするんですよ!」みたいな「ストーリーの展開」を「アイデア」だと思っているなら、それは著作権法で保護されるものではないわけで、彼女の要求に法的根拠は一切ないことになる。どっちなんです? 著作権法に詳しいであろう顧問弁護士が「可能」って言ってるってことはマジでセリフをそのまんま使ってたってこと? それとも相沢の言葉通り「アイデア」が使われていただけなの?
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の 10 代、 20 代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「 父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、 高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて 本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、 「うん、そうだね」と笑って受け入れた という設定に変更する旨のプロット案を送信した。
2023年6月12日、上記プロット案に対する本件原作者の返事として 、かわいい制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである、原作のジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨の記載がなされた文章が送信された。
その当否は別として、本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論と積極的な理由があった。しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。(60-61)
「あなたは女の子だから短大でいいよね」という理由で進路を決められたという深刻なエピソードを「あーあ、あっちの制服の方が可愛かったのになー」に変えていいと思う神経が理解できなさすぎてヤバいし、原作者に「議論した内容・意図が十分伝わっ」たからそういう反応になったんじゃないですか??? と思わざるを得ないというか……
芦原先生は真面目で良い人だったんだろうな、と思った。
仮に自分が原作者だとしたら、途中で「もう撮っちゃった? そんなの知らない、撮り直して」とか「ちょっとすぐに解決するとは思えないんで、今週のオンエアはなしで」とか「なんか作品のコンセプトが理解されてない感じ? じゃあもう制作中止しよっか」って言ってただろうな、っていう場面が少なく見積もって1ダースはある。
でもそれをやると方々に迷惑がかかるから、自重して、頑張って耐えてらっしゃったんだろうな……
TV局や俳優なんて、あなたの作品にとって不可欠でも何でもない、添え物以下のどうでもいい無価値な存在なんだから、もっと振り回してやってもよかったのに(それができない人だったから繊細な作品を描けた? それはそう)。
増田は日本の実写化を憎みぬいている勢なので(『天地明察』も『インシテミル』も『ビブリア古書堂の事件手帖』も許してないからな)、実写化に出る俳優にも欠片の同情も感じないんだけど(『咲-Saki-』を汚した浜辺美波は個人的に不買してるし、岡田准一のことも「あっ『天地明察』とかいうクソ映画でゴミみたいな主演してた人だ!」と認識してる)、俳優の苦労とかにうっかり思いを馳せてしまったらそんな要求をするのは難しくなるのはわかるので、やっぱり実写化に出る俳優は(「ひどい実写化だったけど、俳優さんには罪はないよねー」と庇われるんじゃなくて)積極的な共犯としてもっと叩かれてよいのでは、そうすれば俳優の苦労とかを慮って言いたいことを言えなくなってしまうことはなくなるのでは、と思いました。
「他人は自分のことなんて見てない」ってのは違和感を持たれない存在であることが前提であって
コミュニティの人間は、まともに話したことがなくても主に経験則やノンバーバルコミュニケーションを通して、人柄や価値観を測ってる
情報共有も早いから増田のそれはバレバレで、男女を問わず「地雷」で評価が固定化しているように思う
だから手っ取り早くいくなら同世代の「女の子」は諦めて、マーケット・インの思考で親くらい年上の人とか、自分がアドとれる全くステージの違うとこ行くしかない
ドラマ「セクシー田中さん」社内特別調査チームの調査結果について
https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/20240531.html
読んでみた。
企画書には、企画意図、企画ポイント(①自分を縛る“呪縛”から解放された時の
カタルシス、②真反対なふたりの女の友情がスゴい!、③9笑って、1グッとくるド
そもそも企画書の段階で、原作の重要なポイント(社会問題や格差)などを全外ししていてまったく読み込めていないことがあきらかで、テンプレをなぞった軽いラブコメにしようという意図が見え見え。こんな失敗臭しかしない企画書は速攻でゴミ箱にぶち込んで焼却するのが正解だが、この企画書を送られてきた小学館が取った対応は以下。
本件ドラマ化について日本テレビ A 氏が小学館に問い合わせ。
A 氏、小学館へ企画書を送付する。翌 2 日小学館 C 氏から返信。
A 氏、B 氏と小学館 C 氏、D 氏が小学館にて面会。原作はまだ完結していないがコ
ミック 6 巻発刊(当時)で、そろそろドラマ化可能と言われ好感触。小学館から他
局へのバラシ(断り)の期間待ってほしい旨、日テレ側に述べ C 氏、D 氏から本件
原作者は「難しい人」(原作へのこだわりが強い人)である旨伝えられる。A 氏、B
氏が原作を大切にする旨答える。
上記のクソみたいな企画書みた段階で制作に「原作者は難しい人」と告げるのは、原作者がこの企画では納得しないだろうことが分かってて映像化の話すすめてんだろ。
本来なら、原作者に変わって「この程度の理解しかできない人間にこの原作はまかせられない」と突っぱねないと行けない立場の人間が、むしろテレビ側の制作者と結託して「原作者は難いひとなんで気をつけてください」なんて言ってるからこんな悲劇が起きる。
『原作はまだ完結していないがコミック 6 巻発刊(当時)で、そろそろドラマ化可能と言われ好感触』
この辺も、小学館が金につられて原作者ないがしろにしている香りがプンプンする。
なんでお前らがドラマ化可能化どうかを判断して制作に伝えるんだよ。
都会では日本とかアメリカとかオーストラリアとかまあ知ってる国の名前あげて
どこも少子化。多子化は無理そう。共産主義も独裁者もやれてないの。全部失敗してる。
教育費が安く
労働時間が短く
少子化止まるかもよ。
半導体業界、分業と、ソフト業界のようにネットに情報がないので、報道にかなり偏りがある。
上の世代の人達、人育てるための情報発信してくれるわけでなく、投資ネタばかり扱っている。
波が来るのがわかっているので、いつ売り抜けるかで老後が変わるってのはわかるが・・・。
最近なら、みんなのうたの「きみのたこやき」がそれっぽい臭いがする
「およげたいやきくん」「だんご3兄弟」といった親や祖父母世代のメガヒット童謡を研究してSDGs()も加えてみましたわ!
押し付けがましく聞こえないよう作詞作曲は所ジョージです!木梨憲武が歌います!っていう、作為をバチバチに感じて良い
エルシャダイは、あのキャッチーなPR動画は狙いに狙って作られ、ゲーム発売前は異常に盛り上がったが、ゲームはコケた
皆が口を閉ざす映画ファイナルファンタジーとかいろいろある
文化資本もないから金の使い道も子供に投資するってことも知らない中流が散財しないから
今、実際に起こっていることだ
どう考えても、東京から卒業して地方に帰るタイミングというか仕組が必要だ
一人の時に得られた自由は失われ、ストレスで消耗し続けることになる
適切なタイミングで地方に下り、家庭を持つようにしなければ少子化は止まらない
とか
くっだらねえ理由で反社と付き合ってた過去があってしかも自分自身もその影響で薬物経験もあります
とか
自分のハメ撮りを消さずに大量に持ってる可能性がある男が存在してます
とか
とか
とか
これらレベルの過去があっても、20代のうちに完全にその" 汚物感" を漂白し切って、一般社会のいわゆるお堅い仕事の知的エリート層の男とまんまと結婚して、子供作って、普通に母親やってる奴はマジで結構いる
東京と地方のどっちが住みやすいとか、文化資本がどうとか言われても、まったくピンとこない。
自分にとっては、東京はゴミ溜めであり、故郷は雪に埋もれた死体だった。
そんな俺が今、どういうわけか、20歳も年下の彼女と結婚している。このこと自体が信じられない。俺の人生において、こんなに若い人間と一緒にいることなんて想像もしていなかった。
彼女、名は美里と言う。都会育ちの美里は、デジタルネイティブ世代で、SNSの使い方が俺とはまるで違う。俺がスマホの使い方に四苦八苦している間に、彼女はインスタで新しいカフェを探し出し、サクッと予約まで済ませてしまう。俺はそれを見て、正直感心することもあれば、呆れてしまうこともある。
「ねぇ、これ見て!また新しいフォロワーが増えたよ!」と美里が嬉しそうにスマホを見せてくるたびに、俺は一瞬、彼女の世界についていけないと感じる。そんな時は、世代間のギャップを痛感せざるを得ない。彼女はどんどん前に進んでいるのに、俺はまるで止まったままのような気がする。
そんなある日、俺たちは彼女の実家に招かれた。彼女の両親は、初めて会った時から俺たちの年の差について心配しているのが明らかだった。食事の席で、彼女の父親が静かに言った。「美里を幸せにできるのか?」その問いかけに、俺は一瞬言葉を失ったが、「もちろんです」と答えた。
しかし、心の中では自信がなかった。俺と美里の関係が、この世代間のギャップを乗り越えられるのかどうか。それでも、彼女の明るい笑顔と、彼女が俺に対して見せる無邪気な信頼が、俺に少しの勇気を与えてくれる。
ある晩、俺は彼女に尋ねた。「美里、本当にこのままでいいのか?俺たちの年の差、時々不安になるんだ。」すると彼女は笑って、「そんなこと気にしないで。私たち、いいチームじゃない」と言った。その言葉に、俺は救われた気がした。
そして、俺たちは互いに歩み寄る努力を始めた。美里は俺の好きな古い映画を一緒に観て、俺は彼女が教えてくれる最新のトレンドに耳を傾けた。俺たちの間には確かに世代の壁があったが、それを超えるための橋を一つ一つ架けていくことに決めた。
ある日、美里が言った。「あなたといると、なんだか落ち着くの。今までの人生とは全然違うけど、それがすごく新鮮で好き。」その言葉を聞いて、俺は少し照れくさくなりながらも、心の底から嬉しかった。
それからも、俺たちの生活は続いていった。彼女が新しいアプリを教えてくれたり、俺が彼女に昔の音楽を聞かせたり。世代間のギャップは完全には消えなかったが、それを補うための工夫と努力を重ねていくうちに、俺たちの絆は確かに強くなっていった。
最終的に、俺たちは互いの違いを尊重し、補い合うことで、より良い関係を築くことができた。そして、そんな日々が続く中で、俺はふと気づいた。東京がゴミ溜めだとか、故郷が死体だとか感じていた俺の心に、少しずつ温かい光が差し込んできていることに。
それは、美里との結婚がもたらした変化だった。俺たちの世代間のギャップを乗り越える過程で、俺自身も変わっていった。そして、そんな俺たちの未来に対して、今は少しずつ希望を持つことができるようになったのだ。
ハッピーエンド?そうかもしれない。俺たちはまだ道半ばかもしれないけれど、少なくとも今は、互いに寄り添い、支え合いながら歩んでいく決意がある。それだけで、十分だと思う。
嫉妬してるんじゃなくて見下してても、20代女子が40代のおっさんと結婚するとなったらニヤついて以下略になりそう
嫌いな奴が不幸になるのを見たらニヤつくよね
X界隈で「若い女の子に嫉妬するおばさんなんかいねえよw」って話題になっていて
1980年代生まれゴリゴリおばさんの私も個人としては賛成なんだけど、世の中には嫉妬するおばさんもいるんよ、てか、いたよ。
Xではやたらシスターフットを神聖視する風潮あるけど、老若男女問わず味方もいれば敵もいるよ、流石に美化し過ぎかと思う。
んで、嫉妬するおばさんはまあ一定数いるんだけど、嫉妬の方向性がそこに出てくる男性の想像とはちょっと違う。
話題の発端になった男性は、35歳女性が若い女性に嫉妬した結果「40代の男性が若い女性と結婚したいなんて図々しい」と言った、と考えている様だけど。
嫉妬するおばさん、は全く逆のこと言うのよ。
「若い男性が良いなんて選り好みすんな!若い女でも40代男性と結婚してあげて子供産んであげて一生面倒見てあげなさい!」って。
35歳だとかなり微妙な年齢だけど、もうちょい上の「おばさん」世代(おばあさん世代はもっと顕著かもしれない)は『家庭に入れ・夫を立てろ・子を産め』と言われてきたので、
現代を生きるそうじゃない若い女性に嫉妬している人は時々見かける。
「私はこんなに大変だったのに!アンタ達はそれをしなくて良いなんて!ズルい!羨ましい!」っていう嫉妬。
だから『若い女に嫉妬するおばさん』はむしろ多少難のある男性でもガンガンにカップリングしようとしてくると思うよ。
なんかキラキラした楽しそうな人を羨ましく思う、が行き過ぎて嫉妬に駆られる人って一定数いるので、別におばさん=若い女の子の味方って訳じゃないよ
自分が嫌だったことはどんどん消えてなくなって欲しい派だから。
格好良いおばさん、格好良いばばあ、へと進化できるように頑張る。
10年前と比べたって衰退してる
でもぼーっとしてたら気付かないってこともある
自身の観測範囲(同世代が多い)はそんなに変わってなかったりするから
気付いた時にはすさまじいことに