はてなキーワード: ボドゲとは
中学、高校、大学と「恋愛にうつつを抜かすとか恥ずかしいしダサい」という小学生マインドを拗らせてきた
でも好きな人がいるっていうのは羨ましいなとも思ってきたので、良い出会いがあれば、という感じで生きてきた
出会いはなかった
社会人になったら仕事が忙しいし、仕事関係で会う女性をそういう対象にすることもなかった
彼女がいなくてそこまで困ることもなかった
性欲については、自慰をすれば良いだけ
話せることがないからだ
他人の恋愛話は楽しく聞けるから良いのだが、相手が話してるのに自分が話さないのはちょっと釣り合いが取れないので困るのである
結婚とか子供とか、そういうのは時間制限があるし、俺ももうギリギリだ
その焦りからマッチングアプリ入れたり、結婚に動こうかと思ったこともある
だけどすっげ〜〜〜面倒臭いんだ
好きでもない人とご飯食べたり、会話したり、デートしたり、何も楽しくはない
家でスマブラやったほうがまだよくない?何人か友達呼んでボドゲした方が楽しくない?
面倒、面倒…この怠惰が良くないんだろう
彼女いない歴=年齢の同志たちの一部は、女が欲しくて仕方がないみたいだ
確かに女に愛されたことないってのは、劣等感を覚える事実ではある
人は自尊心がなければまともに生きていけない
うまく行くことばかりでもない
人に好かれる才能とか、人を好きになる才能とか
この歳まで彼女いない歴=年齢の時点で、それらが俺にないことは実証されている
多分同志もそうなんだろう?
実際、本当はそんなに女を求めてないんじゃないか?
求めてたら既に行動して、なんらかの結果を得てるだろう
ただ人生を振り返って、周りとの違いに愕然として少し拗ねてしまってるだけじゃないか?
同志も俺も、いずれ死ぬ
この世は苦しいことばかり、楽しいが2割で苦しいが8割
だいぶ前に書いた文章に、何件か反応いただいてた。
別に誰かに見せるために書いたんじゃ無いけど、反応あるって嬉しいね、
ありがとね。
育てられ方なのか、周囲がそうあれと望んだからか知らんけども
異臭がしたり脂ギッシュだったりフケまみれだったり
そんな女なんか町歩いててもほぼいなくない?
ツイッターで言われてんのは誇張じゃない。
ほんとに臭いし汚い。
私が親ならこれで外出られたら泣くね!ってのが普通に存在した。
普通に電車乗ってても、ぱっと見普通の野郎のワイシャツの袖の内側真っ黒だったりする。
多分襟の内側も真っ黒なんだろうな。
あと学生時代に飲食で働いてたとき、トイレが圧倒的に汚ねえのも男子トイレ。
もう座ってしろとは言わねえがせめてマトを外すな。
お前何年その愛銃と連れ添ってんだ?いい加減にしろ。
まあこの辺はね、私がうっすら全ての男が嫌いみたいなのもある。
あと小汚ねえ女が出没するスポットに私が行かないってのもあるかも。
てか子汚え女が出没するスポットってどこ??
過去に見た目だけでうっすら嫌いになった女もいたし。
肌が汚くて、ひどい癖っ毛なのにちゃんと結ばないからボサボサで、野暮ったい女だったよ。
なんとなく清潔感がないの。
体型は…… 普通だったと思うけど制服姿しか見たことないから知らない。
まあ学生時代なんかみんな多かれ少なかれ肌荒れするんだけどな。
あのコメントくれた人、
そんな不潔さとかで底辺も底辺にいるようなのと比べられてもな、って思うんだろうな。
ああいうコメントくれる人は、同じような階級の、ちょっと上〜かなり上までを見てるんだろうよ。
だってSNS開いたら(加工してるけど)自分より可愛い子なんかわんさかいる。
そんなんと同じ土俵に立とうって思えるその心がある意味すげーよ。
私は背の高い気の強そうな顔の女の子大好きだけど、
シュッとした輪郭の目の大きい蛇とか狐みたいな顔の女大好きだけど、
私は丸顔で鼻も丸くて好きな顔とは程遠い。
だけどさ〜、なんでも別枠ってあるじゃん。
これはこれでかわいいんじゃね〜?っていう。
大体さ、体型気にしてダイエットチャレンジして成功するような人は
少なくとも私はかわいいと思うよ。
ってやつは気にしないし、
って人はいつまでも気にするのってなんでだろうね。
だいぶ前に書いた文章に、何件か反応いただいてた。
別に誰かに見せるために書いたんじゃ無いけど、反応あるって嬉しいね、
ありがとね。
育てられ方なのか、周囲がそうあれと望んだからか知らんけども
異臭がしたり脂ギッシュだったりフケまみれだったり
そんな女なんか町歩いててもほぼいなくない?
ツイッターで言われてんのは誇張じゃない。
ほんとに臭いし汚い。
私が親ならこれで外出られたら泣くね!ってのが普通に存在した。
普通に電車乗ってても、ぱっと見普通の野郎のワイシャツの袖の内側真っ黒だったりする。
多分襟の内側も真っ黒なんだろうな。
あと学生時代に飲食で働いてたとき、トイレが圧倒的に汚ねえのも男子トイレ。
もう座ってしろとは言わねえがせめてマトを外すな。
お前何年その愛銃と連れ添ってんだ?いい加減にしろ。
まあこの辺はね、私がうっすら全ての男が嫌いみたいなのもある。
あと小汚ねえ女が出没するスポットに私が行かないってのもあるかも。
てか子汚え女が出没するスポットってどこ??
過去に見た目だけでうっすら嫌いになった女もいたし。
肌が汚くて、ひどい癖っ毛なのにちゃんと結ばないからボサボサで、野暮ったい女だったよ。
なんとなく清潔感がないの。
体型は…… 普通だったと思うけど制服姿しか見たことないから知らない。
まあ学生時代なんかみんな多かれ少なかれ肌荒れするんだけどな。
あのコメントくれた人、
そんな不潔さとかで底辺も底辺にいるようなのと比べられてもな、って思うんだろうな。
ああいうコメントくれる人は、同じような階級の、ちょっと上〜かなり上までを見てるんだろうよ。
だってSNS開いたら(加工してるけど)自分より可愛い子なんかわんさかいる。
そんなんと同じ土俵に立とうって思えるその心がある意味すげーよ。
私は背の高い気の強そうな顔の女の子大好きだけど、
シュッとした輪郭の目の大きい蛇とか狐みたいな顔の女大好きだけど、
私は丸顔で鼻も丸くて好きな顔とは程遠い。
だけどさ〜、なんでも別枠ってあるじゃん。
これはこれでかわいいんじゃね〜?っていう。
大体さ、体型気にしてダイエットチャレンジして成功するような人は
少なくとも私はかわいいと思うよ。
ってやつは気にしないし、
って人はいつまでも気にするのってなんでだろうね。
ニート→障害者雇用→クローズ正社員という経歴の人間だ。30代男性。発達障害、社交不安障害、鬱、BPD(男性では珍しい)など、それなりに生きづらい人生は送ってきていると思う。
色んな人の助けがあってここまで社会復帰ができたが、今新たに問題が発生している。30代男性が持っているであろう社会経験が全く足りていない。
30代といえばビジネスマンとして中堅として活躍し始めるはずの年代だ。プライベートでは結婚し、子どもがいる人も少なくはない。何より心身ともに成熟し落ち着き始める頃だろう。自分にはそのようなイベントや経験が抜け落ちており、あるのは若くない外見だけだ。経験のなさが不気味さとして映っていないか、しばし不安になる。
今の自分は仕事ができるとか、ビジネスマナーも足りていないとかそういう段階にすらない可能性がある。年相応の社会人としてどうふるまえばいいかわかっていない。社会の文脈や背景が読めないから、相手の言葉の意図がつかめない。誰しも引っ越しや転職などで環境を変えると、今までの環境とのギャップを感じると思うのだが、そのギャップがとてつもなく大きいイメージだろうか
自分の行動で周囲をたびたび不安にさせるというか、言葉を選ばずに言うと、やばいやつだと思われている。相手に嫌な顔をされたり、避けられたり、嫌味らしき言葉を吐かれて「この言葉や行動はそこまで相手を不快にさせるものだったのか?」と気づき、一つ一つ修正している。昔から「この人やばいな」と思われることは多かったが、転職してからはその数が若いころの比ではなくなった。未熟さは社会経験のなさは、障害をオープンにしていた頃は配慮されていたし、若さで許されていた側面もあったのだと今になって気が付いた。「30代の中堅社員」という役割を期待されるにもかかわらずその役割に乗れない僕は、気持ち悪いおっさんとして映ってもおかしくない
発達特性というより、社会経験のなさから来る生きづらさなので、趣味のサークルでも飲み屋でも外に出てみるのがいいのかもしれないと考えた。しかし30代の友達とコミュ力のない独身のおっさんがいったいどこに行けばいいのだろう?飲み屋なんかに行くと陽キャばかりで浮いてしまったし、読書サークルに入ったときは発言が過激だったからか浮いてしまった。ボドゲバーやネトゲ、ネット上のコミュニティは何だかんだ10~20代の若者のノリで居辛かった。趣味でカメラを買いInstagramを始めたが続かなった。深くは語らないが、障害者の自助会でも僕は馴染めなかった。まだ試していないことは多くあるので、ガチャ回る感覚であちこち行ってみるのもいいのかもしれない
ニート時代からクローズ正社員になるまで頑張ったが、このまま変なおっさん、やばいおっさんとして孤独に老いていくのか。そう考えると少し辛くなる。
5年前に結婚。子無し。
増田は35歳、妻は26歳だった。
増田:理学系の博士号持ち。専門を活かした仕事に就いている。年収650万。ずっと国公立。大学と院は奨学金で行った。
結婚するまで自分は普通の稼ぎがあると思っていたが、結婚前にお互いの年収や資産額を明らかにしたら、妻の方がより稼いでおり、資産は0が一個多かった。
結婚のときはお祝いで300万、家を買うとなったら1000万、それ以外にも祖母から毎年100万くらい贈与されている。
妻の親戚もこういうのが「当たり前」なので特別なこととは本人も周りも思ってない。
増田の実家は結婚したときのお祝いは100万、それ以外の支援は特になし。不満があるわけではないが、妻の実家と比べると気後れする。
妻にそれを伝えたら「そんなの気にしてたの?周りがやりたくて勝手にやってることだし、もし二人共仕事辞めても10年は暮らせる貯金はあるな〜って思いながら心穏やかに過ごそうよ。」と言われた。
すべてに増田が行くわけではないが、顔を出すと妻の親戚の華麗な経歴と直面する。
私大の学部卒は低学歴に入る感じだ。修士が普通、高学歴に入るのは博士からって感じ。(口には出されないが)
頑張って博士号を取って良かったと思う。
妻と二人の時は何も思わないが、妻の親戚と過ごすとぼんやり劣等感を覚える。
妻の希望もあり、子供は今すぐには持つ気はない。妻は女系一族なので婿入りとか養子に抵抗がなく、「もし出来なかったとしても、子供が欲しいならもらってもいいんじゃない?」と妻も妻の両親も気軽に言うのでちょっとびっくりする。
銀髪イケメンチュパカブラに恋する運動万能女子高生のボーイミーツガールの0話
「お隠れした人間を詮索するのはやめなさい」
人がお隠れすると、人ならざるものになるという
でも、久しぶりに会ったお姉ちゃんが、なんか変…?
昔のボードゲーム人気ボードゲーム「大将軍するめ」の話題をふる少女
誘ったのは大浴場、そこで少女は寝湯と断頭台を合わせたような場所にうつ伏せになる
という夢を見た
なかなか設定が奥深そうで面白かったが続きは見れなそう
他の要素をできるだけ書くと
チュパカブラっつーか蚊にお隠れしてた
「そのキスの仕方やめてほしい」(チュパカブラの長い舌で舌だけを吸うキス)
あと蚊がいっぱいいる湿地帯で超人テニスワールドカップとかもあったけど、その辺の話の筋は分からなかったので断念
お姉さんは元々嫌なやつ、ほんでお隠れする前の銀髪イケメンチュパカブラに憧れてた
でも久々にあったら雰囲気がだいぶ違ってたんだよな
よく覚えてないけど女子高生はあるラッパーにそのことを詳しく聞くってところで話は切れた
供養
部屋借りてボドゲするだけでいいのにね
そいつは普通に周りから孤立している。(俺からしたら)面白くないし、周りの雰囲気も悪くなるしで当然だと思ってる。
でもたまにそいつがみんなのグループに交じってくることがある。
自分がおかしいのか、それともこのおかしいという環境が普通なのか、わからない。面白くない奴に、笑い声を与えたとしても面白くないだけだと思うんだが…。
消えてくれ、普通に消えろ~~~。
そいつは俺と同じ絵を描くサークルに入っている。そいつは途中から入ってきた。
よっぽどしたいことがあったのかな、と思っていたのだが、そいつは入ってから一枚しか絵をかいていない。しかもすごいへたくそ。
代わりにそいつがやることとすれば、ボードゲームをやろうと誘うこと。
ふざけてんのか?ここは絵を描く人が集まるサークルで、ボドゲをするサークルじゃねえんだよ、空気よめ。
最初こそ何人か(俺も含め)付き合っていたけど、今じゃ誘っても総スカンされている。なのにまだずっと誘ってる。
頭悪いんか?誰がお前と遊びたいと思うねん。
面白くもない、声はぼそぼそしてて対人関係の経験値がないのがもろばれ。
まあだいないから、大学に友達が一人もいなくて、サークルでも孤立しているんだろうな。
もしかしたら周りから見たら俺はそいつよりも面白くなくて、俺に見えないようにみんなで一緒に遊んでるとか。
もしくはこんなに意識するのが異常で、みんなこんなもんだと普通に思っているのかもしれない。
タイトルで言いたいのはこういうことで、こういう気持ち(疑問)にどうやって対処してるんだろう?
面白くない、不快なやつを全力で排除しようとするのは異常、もしくはあまりメリットがないのか?
どうすればいい?
自分: 地方でその地域に住んでるMensaの人たちと交流ある程度。公式例会みたいな東京で会員集めて色々決めるみたいなのは行ったことないし、委員会みたいなのもかかわったことないレベル。
少なくとも変なテストで高得点出した人っていうフィルタをした割にはやばいやつ遭遇率は普通の社会と大差ない印象だった。
ただいないわけじゃないし、昔委員会で色々トラブル起こしてる人もいたみたいだし、人間関係のトラブルはあると思う。
その辺は人がそれなりに集まればそうよねという感じ、超少数の地方とかでなければ避ければいいだけなのでそんなに問題ないかなという印象。
理系じゃないから知らないけど理系の人が多いし、落ち着いてる人が多い感じがする。
自分は体育会系だったので言えるけど、少なくとも体育会系のノリみたいなのはなかった。
例えば県外から出張できたMensaの人を交えて飲み会するとか、定期的にそういう場を提供してくれる人とか。
ただこれはそもそもMensaでの集まりのほとんどはMensa運営が企画するわけじゃなくて個々人がやることなので、集まるのが能動的に人と関わりたい人になるからかもしれない。
実際オリエンテーションで見かけた人たちの8割ぐらいは見なくなった気がする。
自分にとってのMensaはほぼボドゲを遊ぶための場になってる。
個人的にボドゲカフェみたいなところに単身突撃して入れてもらうみたいなのハードルが高すぎるので、ボドゲ遊びたい人にはいいコミュニティかもしれない。
連休でみんなで泊まり込みで重めのボドゲしようといっても集まってくれる人がいたりするので本当に助かる。
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結局のところただの人の集まりでしかないので、共通の趣味をうまく見つけて遊べたら友達もできるし楽しいという感じ。
Mensa会員という話はリアルでは誰にもしていないし、運営側にもかかわる気はないので、うまく使えば友人が作れたり趣味を共有できたりする便利コミュニティというのが自分の印象でした。
ただ個人的にこれはすごく大きくて、社会人になってから家に遊びに行ったりするレベルでの友人はMensa経由でしかできていないので入ってよかったなと思います。
職業の幅も広かったり趣味の幅も広かったりでいろんな話がきけるのもいいです。印象深いのはお坊さんの話と世界一周した人の話かな、研究者の人とかもたまにいるけどむずすぎて何言ってるかわからないという。
とある増田を読んで何故か連想的に思い出してしまった大学時代のクソムカついた記憶を供養させてほしい。
だいぶ昔ってかボードゲームってもんが今ほど比較的ライトな趣味になる前のことだったので、まあサークルにはクソオタしかいねえ。
で、サークルは主に3派に分かれていた。典型的なボードゲーム(例えばカタンとかモノポリーみたいなやつね)を遊ぶグループ、MtGメインのグループ、TRPGメインのグループだ。
各派は別に揉めたりしてなかったし、今週はMtGの気分だから俺そっちで遊ぶわ、くらいの緩さで各派間の交流というか人の行き来もあった。
※「次の土曜日にこれとこれとこれやるからどれに参加するか選んでね」という感じのサークル内の予約制だった。
派閥というか実質別サークルみたいなもんだったんだけど、当時の大学のシステム的に、大学のスペースを抑えるためにひと纏まりになってる方が効率が良かったのよね。
サークルの会長、副会長、書記って役職は一応あったんだけど、そんなサークルだから本当に事務連絡係みたいな感じで、クソオタの集団の中で比較的コミュ力があるとか事務作業ができる奴が役割を押し付けられてる(投票制で否応なしに指名されていた)ってのが実態だった。
俺は2年生の時に副会長に指名された。サークル内の役職とこれからの登場人物は以下のとおりだ。
伊達が各派閥を単独のサークルにしようと言い出した。だったら伊達が主にMtG派閥の同じ思いの奴らを集めて抜けてくれればそれで良かったんだけど、自分ではそういうことをせずに、分かれたあとにどうするのかとかを全部、小西と俺とうどんで決めて報告しろ、手続きもお前らがやれ、みたいなことを言ってきたわけ。
で、すげえくだらない言い争いみたいなのは2カ月くらいあって、最終的には小西と俺とうどんとで話し合って、結論としては伊達を除名・サークル出禁にしようということが決まった。
俺はアホ丸出しで、その時点で小西と伊達が付き合ってることに気付いていなかった(何故かだいたい二人並んでサークル会場に現れるな、くらいにしか思っていなかった)。
固定電話にかけてくるのなんて親くらいしかいなかったので、何か緊急事態かと俺は飛び起きて電話取った。
伊達じゃねーか!(前会長なのでメンバーの住所電話番号を知っていた)
伊達「お前勇気あるなあ? お前の家の鍵くらい俺が開けられるってわかってるよなあ?」
今にして思えば普通に警察に相談すればよかったわけだが、まだ実際に事件発生してないのに警察が対応してくれんのかな? てのが当時よくわかんなかったし、ぐ警察に相談しても伊達が自宅に来る方が多分早い。
もし自宅から逃げ出しても、伊達が入り込んでたりするかもしれないという恐怖心はガチで俺は本当に震えた。
そして泣いて許しを請った。俺は伊達の恐喝に屈したのだ。今思い出しても人生で最も屈辱を感じた瞬間ワースト3に確実に入る。普通に思い出して本当にムカつく。
伊達「優しい俺が、お前の家に侵入するとかするわけないやないか(笑)」
とか言いやがったんだぜ、あの野郎。
約1年後に、結局、ボドゲ派とTRPG派の8割くらいを俺が引っこ抜く形で、俺が別のサークル立ち上げた。
伊達は「俺が逃げた」と認識していたらしく(いやまあ事実そうなんだけど)、やたら機嫌が良かった。
そもそも小西とうどん経由で「あいつが仲間連れて出て行ってくれたらええんやけどな~」とか伊達が話していると聞いたのでそうしたのである。
伊達は大学を6年かけて卒業し、小説家になるとか言いながら小西に養ってもらっていた。
男女のことなので他人がどうこう言うもんでもないが、何で小西は伊達のことをそんなに好きだったのかよくわからない。普通に他にもっといい男いただろうと思うのだが。
例えばワンピースとかトリコぐらいのリアリティであれば慢心糞野郎が出て来ても漫画の味として分かるんだけど、リアル系能力漫画、例えばハンターハンターで念能力者同士の戦闘になれば、どんなに弱そうなやつ相手でも1/2の確率で初見殺し喰らって死ぬのに、なんでクククとか笑ってピクニック気分なんだよと思ってしまう。
今日のジャンプラの将棋の漫画とか、プロ同士の対局なんて藤井聡太でも2割は負けるのに、C2同士の対局で相手を舐めるとか絶対有り得んわ。高校スポーツ漫画の敵方もそんなやる前から100%勝つ自信があるのはおかしいやろ。
それ系で言えばボドゲ系漫画は「1回戦の相手はガキじゃね〜か」みたいな噛ませおじさんを出しがちだけど有段レベル大会にエントリーしてるガキなんて一番怖いからな。
今覚えばジョジョはその辺ちゃんとしていた気がする。「相手が勝ち誇った時、そいつは既に敗北している」まさに至言や。リアル系バトル漫画は特に理由なく慢心糞野郎を出さないようお願いするで。
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ビー・ウィルソン「キッチンの歴史 料理道具が変えた人類の食文化」
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「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」
「活字 近代日本を支えた小さな巨人たち」於・横浜市歴史博物館
特に平安時代に思い入れがあるわけではないが、何となく読んでいる。
千葉雅也はゲイコミュニティの様子が描写されていて面白い。ただ、作者がどちらかと言えばインテリ寄りなので、わかりやすく書いてくれているだけってのもあるだろう。
「EVANGELION ANIMA」は新劇場版に流れた設定があるだろうかと思って読んだ。とはいえ、シン・エヴァンゲリオンでいろいろな感情が成仏したため、考察を深めるにはいたらず。
ジャスティン・O・シュミット『蜂と蟻に刺されてみた 「痛さ」からわかった毒針昆虫のヒミツ』
尾脇秀和「氏名の誕生 ――江戸時代の名前はなぜ消えたのか」★★
ロブ・ダン「家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 下」
「シン・仮面ライダー」
かつて友人に「最近はあまり文学が読めなくて困る」と愚痴ると、「おっさんになると政治経済歴史、生物学の本を読むことが増える」という返答が戻ってきた。
あまり感情を揺さぶられたくないと感じてしまっているのか、歳月がある程度風化させたものに関心が向かうのだろうか。
現に「ファーブル昆虫記」を読み始めた。最近は何が読みたいのかがわからなくなってくると、やたらと巻数のある本を読むことが多い。昨年も「旧約聖書」を通読したし、その前は「聊斎志異」「三国志」「西遊記」、その前は「ラーマーヤナ」や「ガラン版千夜一夜物語」を読んでいる。
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第3話 魔の山を走れ
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 上」
梅津和夫「DNA鑑定 犯罪捜査から新種発見、日本人の起源まで」★
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ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 下」
フレデリック・クレインス「ウィリアム・アダムス 家康に愛された男・三浦按針」
高野秀行、清水克行「世界の辺境とハードボイルド室町時代」★★★
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ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 下」
堀越啓『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』
グレイソン・ペリー「みんなの現代アート 大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために」☆
また、先月の鶏に続いて、食肉にまつわる本を読んだ。屠畜の現場についての本も読みたくなったのだが、関心がほかのテーマに移ってしまった。「昆虫記」を読んでいると、当時のヨーロッパの屠畜について書かれているのも興味深い。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 下」
渡邊大門「清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 上」
武澤秀一『伊勢神宮の謎を解く アマテラスと天皇の「発明」』★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 下」
「マティス展」
「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」
読書を休んだ日が多い割にはまあまあのペース。昆虫記は8月の中頃に読み終わるだろうが、旅行にまでに間に合うかはわからない。間に合わなくても構わない。
当時はそう書いていたのだが、なんだかんだで間に合っている。
こうしてみると美術展には毎週行っていることになる。旅行先で絵画ばかり見るのにはもう飽きたと口にしているものの、そうでもないのかもしれない。それとも、歴史や神話の知識で「読解」できてしまう西洋の古典絵画に飽きているのか? だから博物館の歴史的遺物により惹かれるのか。
【続き】
「友達がいたことがなかった」気がする人の一つのパターンをたまたま提供できるのでちょっと聞いてみてくれないか?
俺はさ、「特定のコンテンツを一緒に遊ぶためのプレイ人数稼ぎ」より上の関係になったことがある気が全くしないんだよな。
コンテンツの方が「友達」で、一緒に遊ぶ人間は「友達の友達」でしかない感覚というかさ。
たとえば、ポケモンを通信進化させるために友達が必要だとして、それは本当の友達はポケモンというゲームの方であって、人間の友達はそのための中継機でしかないとも言えるんじゃないかって話。
俺がそういう態度で人と接してしまっていただけなのか、周りもそうだったのか知らないんだけど、ずっとそうでしかなかったように思う。
まあでも多くの人にとっても最初はそういう風に人間関係が始まるんじゃね―かとは思ってるんだよ。
共通の趣味がある所から話題が広がって、そこから一緒に行動して、そのあとでようやくコンテンツを通じた「友達の友達」から、人間同士で「友達」になっていく流れがあるんだろうなって。
その人間同士の「友達」になった経験ってそういや俺にあったっけと思いだそうとしたんだが、どうも無いっぽいんだよな。
ボードゲームをやるためにボドゲカフェに行って、そのあと飲み会をしてから解散って流れでも、ボドゲと酒が俺達にとっての本来の「友達」であって、俺たち自身がお互いに人間として興味を持ってるかというと微妙な気がしてならんのよ。
たとえば飲み会なんかで「お前と話してると酒が不味くなる」みたいな言葉が出ることがあるじゃん?
あれってつまり「酒を美味しく飲むための手段としてお前と話してるんだから、酒が不味くなったら本末転倒じゃねーか」って意味なわけでさ、まさしく酒のほうが「友達」で、目の前の相手は「肴」でしかないってことだよな。
俺ずっとそういう友達関係しか築けてなかった気がしてならんのよ。
友達幻想なんて良く言われるけど、お互いに対して人間として興味を持って接する関係ってのは実在してると思うんだよな。
特に理由はないけど一緒につるんで、一緒にやれば何でも楽しいみたいな関係がさ。
俺の今までの友達関係ってその辺がひっくり返っていて、モンハンにハマっているときはクソ野良を除けば誰と遊んでもそれなりに楽しくて、逆に自分が飽きてきたら友達に誘われて遊んでもクッソつまんねえのよ。
あるコンテンツ経由で仲良くなっても、どっちかがそれに飽きたら解散して行っちゃう感じ。
ネトゲで仲良しグループでジプシーしてる人たちいるけど、ああいうのが全然分からないんだよ。
楽しいと思ったゲームをやりこむための手段としてギルドに集まっているだけなのに、なんでギルメンとの人間関係でやるゲームを縛られなきゃいけないんだろうって考えちゃう。
まあこれがいわゆる「本当の友達を作れないし、本当の友達を必要としないタイプの人間」って表現をされる人種の正体なのかもな。
俺自身の単品としての人間的な魅力が低いから人間同士として友達関係で直に結ばれねえだけなのかもだが、それを努力して解決しようって気になるほど他人と直で「友達」になりたいとも思ってねえんだよな。
たまに寂しくなることもあるけど、だからって「友達」を作るために自分の人生のスタイルを大きく捻じ曲げたいとまでは思わないんだな。