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2024-05-17

anond:20240517171638

消失して欲しくないものほど消える。

スーツオタクなんやが、プロがこういうのはこうって指南してるHP(むかしなのサイトといわずほめぱげ)があったんだけど、さすがに「金取るべきことをタダでやっちゃいかんな」って気がついたのか消失してる。

内容さえ理解してれば語呂合わせなんて必要ないんだぜ……って高校生の頃はかっこつけてたけど、他の事はあんまり思い出せなくても手腕だからシュワンが動物細胞、みたいなのは今でもパッと出てくるからバカに出来ないなって。

概念パッケージ兼内容を表すラベルとして割り当てられる言葉も、それそのもの恣意的に決められるものだしそれ自体意味はないしな。ソシュールか。

風や靴という言葉のものには何の妥当性もないし、風車とか靴箱とかみたいな既存無意味言葉を組み合わせたものでない限り言葉からは何も分からない。ナポレオンという名前からも何をやった人間なのかは全く伝わってこない。年号だって出来事の流れを理解してれば時系列くらいは分かるだろうけど、そのものドンピシャは暗記するほかない。

ジャズマスタージャガーも違いは分かるけど、未だにどっちがどっち分からんしな。

数字単位無量大数まで全部言えるけど、何番目だったかは逐一語呂合わせの歌を頭の中で流さないと数えられない。

小学生の時、夏に暑くて「先生暑いです」って言ったら「みんな暑いんだから我慢しなさい!」って言われた。教室冷房は付いてるし、よくネタにされるけど職員室は涼しくて、なんで教室ダメだったんだろう。クラクラするくらい暑かった

それから水道の水は冬に冷たすぎて手が痛かった。ショッピングモールトイレは温水だったから、大人っていいなあと思っていた。授業参観で来た親が水道で手を洗って悲鳴を上げて、「いつもこんなんで手洗ってんの」と驚いていた。

トイレタイル張りで、和式ばかりだった。1階のトイレには1室だけ洋式があって、なるべくそこに行くようにしていた。学校の教えではなるべく和式を使うようにと言われていたけど、トイレ掃除の時の和式の汚れ方にはゲンナリしていたので、全室洋式にしてほしいと思っていた。

中高は私立に進学したので綺麗だった。

国立大学に進学した時、そこの講堂もかなり年季が入っていて昔を思い出したものの、空調設備トイレ水道大人基準になっていたので特に困ることはなかった。投票権という言葉脳裏によぎった。

世の中が大きく変化していく中で、小学校だけは何十年も前のままだ。生活の中に嫌な思い出がたくさんあって、もし記憶を引き継いだままあの頃に戻って人生をやり直せるとしても戻りたくない。学区を選べば最新式の綺麗な校舎の小学校に通わせられるだろう。しかそもそもそういうガチャ要素が国や自治体施策で用意されているのが気に入らない。親が工夫すれば解決するということは、親が無頓着な限り子どもは苦しむのだ。かといって、調べればクリアできる課題を一つ一つ潰していくなんて面倒くさい。

子どもを持たない理由が一つ増えてしまった。その他にも性犯罪教師存在や、PTAのめんどくささ、旗振り当番のめんどくささ、オムツの値段、食費のこと、保育園のこと、時短勤務のことなど考えることは山積みで、もうどうしようもない。どうでもいい。犬や猫でも飼って心穏やかに暮らしたい。

克服

苦手なことを【克服】するのはなにぶん素敵に感じる。

何かを【克服】するということは苦手を把握していることでもあるし、さらに現状を脱しようとしている動きのある状態からだ。

大人になってからは、苦手があれば避けて通れるしそもそも自身の苦手を把握できていないこともある。

その点、幼い時の方が苦手を克服する機会は多いだろう。

自身体験で言うと努力嫌いを【克服】したことがある。

元々自身は頑張ることが嫌いだった。

何もしなくても優れた才能が欲しかったし、何もせずとも何でも得たかった。

だが、人生を積んでいくと自分はそんな特別存在ではないことを知る。

何もない自分を少しずつ恥じるようになった。

そんな中で高校受験を迎えることになる。

今のままでは何も得られないと考えられるようになっていた。

高校受験の際に自身の中では結構な量、勉強をした。

自分ルールを作り、ゲーム禁止にしたり最低勉強時間を設けたりした。

そういった努力ができたのは、人生高校受験が一番辛い時期だと仮定たからだった。

この先、どんなに辛いことがあってもこれより辛いことはないと思い込んだ。

結果、その努力は報われた。

運が良かったのである

ただ、ここから経験する高校部活動の方が遥かにきつかったし、大学部活もきつい。

就職活動もきつかったし、今の仕事もかなりきつい。

育児もかなり大変だ。

これらの経験を踏まえて、一つのことを悟った。

どんなに頑張っても人生とはきついものなんだな、と。

かといっておれは手を抜かない。

手を抜いたところできついことが分かっているからだ。

しろ、頑張ってもきついということを知ってからは報われなくても傷つかなくなった。

ここで、努力嫌いが【克服】できたと感じた。

どっちにしてもきついなら、努力してきつい方がましだなと感じるようになった

何もしないでいると焦燥感を覚えたり、余裕がなくなってくる。

努力をしているとやっている分、やってないだけましだなという些細な余裕が生まれる。

やっていない自分に対してマウントを取れるようになった。

間違ってもその比較先を他人に向けてはいけない。

上も下もキリがないからだ。

そんなこんなで、努力嫌いの【克服】はできたが間違っても万能人間なんかになれたわけではなかった。

体力とか集中力とか、気分の波とかはそう簡単制御できるものではない。

目標】がなければ努力したところで何も生まれいからだ。

闇雲に過ごしていても大した結果は得られないものだった。

何かを【克服】することを【目標】にするよりは、

目標】のために何かを【克服】する方がパワーが出ると思う。

次は【目標】について記載したいと思う。

大企業派遣から中小正社員転職したら詰みを感じてきてる

転職をした。

人生何度目かの転職である

直前の仕事派遣事務であった。

無期雇用派遣事務として数年勤めていたが

3年以内に現場を去る人が大半の有期雇用と違い

契約の続く限り同じ職場に居続けることができるため

段々と契約内容以外の庶務雑務が増えていった。

仕事なんてそんなもんだし、派遣でもテレワークさせてもらえるし、職場雰囲気は良くのびのびと働くことができる。

自分子育てに忙しく、また居心地が良かったため同じ派遣先に長く居続けてしまったが

管理職なのにほぼ出社してこない女性が、実は小受のためにテレワーク活用だったことが分かり

バリキャリ女性の昇進とキラキラお受験のために

低賃金のまま庶務雑務が増え続けるままに派遣でいるのも馬鹿らしくなったため転職した。

中年シングルマザー、前職は派遣事務

厳しい条件だったが東京で探したら転職活動2ヶ月で次の就職先が決まった。

決まったのは良いが、決まった先が問題であった。

前職は派遣である

派遣先は派遣大勢抱えられる程度に余力のある、大企業である

さら大手通会社関連であったため、ITシステムが普及し、社員派遣パソコンの電源をいれるところから仕事が始まるものであった。

転職先は中小である

地方工場があり、営業所として大都市に小さな事務所を構える製造業である

創業XXX年目を迎えるほどに歴史は長く、取引先は古くから付き合いのある会社が多く、社歴の長い社員が多い────といえば少しは聞こえがいいが、つまり年寄りが多い。

そのためほぼすべての業務アナログである

取引先との連絡はFAXが中心。

伝票は基本的手書き

電卓を叩いて見積金額を出す。

在庫管理目視確認

工場への在庫確認はまずは電話、その次FAX

しかも経費精算を担当するのは工場にいるおば…おばあちゃんなので

おばあちゃんの分かりやすいように色で勤務表(手書き)を作成し、領収書を集計した文字エンピツで大きく書かなくてはいけない。

まだある。

転職をしたなら先ずは仕事を覚えるところから始まる。

大企業なら研修制度新人教育時間がある。

転職してきた人材を育成する暇はなくても、元々在籍している社員研修を受けてきて仕事を教える・覚えてもらうための何かしらの教育は受けている。

またチームで仕事をするため業務に関する情報を共有できる形にしておく大切さを知っている。

しかし私が転職したのは中小の小さな事務所。

その小さな事務所をXX年一人で切盛りしてきた気の良い事務員さんの助手をしているのだが

如何せん小さな事務所をたった一人で切盛りしてきた事務員さん、

他人業務に関する情報を共有する、という感覚が無い。

大変に人柄の良い人なのでお喋りは楽しい

世間話はとても弾む。

だがしかし業務内容の共有には大変な困難がある。

複数取引先それぞれに別々の対応必要であるが、

その対応についてデータベースも無ければマニュアルもなく、正解は事務員さんの頭の中にしか無い。

毎日毎日「これ言ってなかったけどここの会社には〇〇が必要で…」と追加情報が増えていく。

そして事務員さんはすべての業務引継ぎ内容を根性論こちらに叩き込んでくる。

昭和だ。

在りし日の昭和ノスタルジー中小企業にまだ残っていた。

あぁ美しき昭和の残り香よ、IT化されていない事務作業のなんと面倒臭く時間無駄遣いしてしまうことよ。

ノスタルジー感傷に浸りたくはないので、早々にIT導入をしたい。

(それかさっさと辞めたい)

善意好意

僕は南の島で生まれた。僕がまだ母のお腹にいた時に、父が軽はずみな悪戯をした。母は気を失い、倒れた。それは僕の運命を狂わせ、家族運命も変える重大な結果をもたらした。僕は脚に障害を持って生まれ、その障害を治せる医療機関は島にも近隣にもなく、関東関西の子供専門病院での長期にわたる入院治療必要とされた。両親は治療費と移住費を捻出するため、先祖伝来の家屋土地田畑ほとんどすべて売り払い、僕が2歳の冬、家族揃って島を出て、関西のある県に移住した。僕はその県の県庁所在地ある子供専門病院入院することになった。


僕が入院した日、窓の外の山々が人生で初めて見る雪で真っ白になっていたことを今でも鮮明に覚えている。両親は家に帰りたいと泣く僕を残して帰っていった。僕はそれから4歳になるまで約2年間入院し、5回の手術を受けた。僕の脚は完治はしなかったけれど、障害者と判定されないくらいまでには改善した。島を出た時は、僕はまともに立つことすらできなかった。退院した時は自分の足で歩いて病院を出た。担当先生看護師さんたちが涙を流して見送ってくれたことを覚えている。


入院により僕の障害改善したが、同時に子どもの成長に必要とされる多くの大切なものを得られなかった。両親から愛情家族他人との人間関係を築くための社会性を身につける機会、病院食ばかりで食べ物好き嫌いを克服する機会、成長に必要な体力と運動能力を得る機会などだ。このため、僕の後の人生で苦しむことになる。前回の日記では、特定の幾つかの出来事だけを挙げ、それが対人恐怖症や人間不信に繋がったように書いたが、実際にはそうではない。


退院したばかりの頃の僕は、体力がないため、同世代男の子たちとは遊べず、妹の後ばかりをついて回った。そして彼女彼女友達と一緒に遊んだ。それは主に、体力を必要としないままごと人形遊びだった。ある時、駄菓子屋さんで妹たちが紙製の着せ替え人形を買った。僕も買おうとしたら店の人に「あなた男の子でしょ!」と叱られた。よく女の子みたいだと言われた。そして、それからもずっとそう言われ続けることになる。


5歳の春、僕は幼稚園に入った。入園日の翌日から、午前中は親から離れて園で過ごす日々が始まったが、その初日で躓いた。僕は園に着いて僕を置いて帰る母を見てパニックになり、大号泣した。僕は病院で育った影響か、感情表現が下手で滅多に感情を表に表さないが、入院した日のようにまた家族と引き離されると思い、その時は全力で抵抗した。それは単に僕の勘違いだったけれど。入園日や卒園日のことは一切覚えていないが、この大泣きした時のことだけは記憶に残っている。

その後、僕は順調に幼稚園に通うことになる、はずだった。


近所に山川君という同級生男の子がいた。同じ幼稚園に通い、小中学校も同じだった。幼稚園に入った4月の末、彼は、突然、僕の首を締めた。息ができなくなり、眼の前が真っ暗になり、意識がどんどん遠のいていった。僕が意識を失う寸前に彼は手を放した。その後、僕の登園手帳5月6月カレンダーは、登園をしたこと示す判子が押されず殆どが空欄になっている。僕は首を締められたことにより、様々な感染症にかかり、ずっと寝込むことになった。

その出来事があってからは僕の母は彼を見ると、手を上げて打(ぶ)つ真似をして、「あんたのせいで」と怒った。その度に彼は彼の母の後に逃げ込んだ。母は彼のことをずっと後まで憎んでいたが、僕は彼のことをそんなに憎んではいなかった。小中学校で、彼は僕がいじめられているのを知ると、時には相手鉄拳制裁を加え、僕を二度といじめるなと言ってくれた。その方法善悪は別として、実際にそれは効果があったし、僕はそれに感謝している。

自身は、なぜ僕の首を締めたのか、それがどんな結果をもたらすのか分かっていなかったと思う。僕は、後に、同級生から他の人の見ていない所でよく抓(つね)られたりしたが、彼は同じような軽い気持ちだったのかもしれない。10代後半の彼が自ら語ったところでは、彼は先天的(おそらく遺伝性の)精神疾患を患い、その治療を受けていた。先天的という意味では僕と彼は同じ境遇で、それは僕ら自身の力ではどうしようもないことだった。僕の物理的に変形した脚では、いくら頑張っても障害のない人のように歩いたり走ったりすることはできない。物理法則を、意思の力や努力で変えることは不可能だ。脳も物理法則支配されているのだから精神疾患だって本人の意思の力や努力だけではどうしようもない。


結局、僕は幼稚園を1ヶ月半以上も休むことになり、十分な体力も付けられずに小学校に上がった。入学式初日に、隣りに座った立花君に抓られた。その後に何度も経験することになる、隠れた場所でのイジメだった。僕は他の誰も見ていない2人だけの場所で、抓られたり蹴られたり嫌味を言われたりよくした。また、3年生の時に、近所の年上の男の子プロレスごっこをしていて、抱きつかれたこともある。抱きつかれたというより抱きしめられたような感じで、その後、凄く気まずくなった。だから、僕はできるだけ他人と二人きりにならないように気をつけた。後から考えると、これは僕が適切な人間関係を築いていく上での弊害になったと思う。

ちなみに、僕を最初に抓った立花君は高校まで同じだったが、後には友だちになった。当時、僕の住んでいたのは某ラノベ舞台と言われる市で、公立高校入試にいわゆる学区割というシステムを導入しており、成績上位者の一部を除いて、住んでいる学区で通う高校指定された。だから小学校から高校まで、多くの同級生たちと同じ学校に通った。小中のしがらみを抱えたまま高校まで進学するのは、ある意味きつかった。


小1の時は、いろんな子にいじめられた。抓ってくる子が多かった。クラス学力1、2位を争っていた男子女子によく悪口を言われた。彼らは進学塾に通っていたけれど、塾にも通わないのに教科書をスラスラ読める僕に嫉妬したのだと思う。僕は、入院中の毎晩の看護師さんたちによる絵本読み聞かせで、3歳になる頃には平仮名を全て覚え、絵本も一人で読めるようになっていた。僕のテキストは「くまのプーさん」だった。だから今でもくまのプーさんを見ると、特別感情を抱く。入院で失ったものも多かったが、得たものも大きかった。

いつからかは覚えていないが、僕がイジメられるのを見かねた新池さんという女子が僕を守ってくれるようになった。彼女は本当に心が真っすぐな子だった。彼女は僕より背が低くかったが、人一倍勝ち気で男子相手喧嘩でも一歩も引かなかった。だから彼女は学年中の男子から、新池ゴリラと呼ばれていた。新池さんは授業が終わり、帰宅する時もずっと僕の側にいてくれた。

新池さんとは中学まで一緒だったが、同じクラスになったのは小1の時だけだった。彼女彼女の妹の面倒をよくみていた。彼女はいつも妹と一緒にいた印象がある。彼女は僕のことも彼女の妹と同じように庇護すべき対象と思ったのかもしれない。彼女は僕にとっては同級生というより、姉のような存在だった。

僕は前の日記で新池さんをゴリラ女子と書いてしまったが、それは仮名かめい)を使わなかったから読み易いようにそうしただけで、僕が実際に彼女ゴリラと呼んだことは一度もない。そんなことしたら罰が当たる。彼女は僕の守護神だった。彼女は本当にかわいい子だった。だけど、僕には彼女を慕う気持ちはあったが、恋愛感情は一切なかった。そこははっきりさせておきたい。


小2になると別の守護神が現れた。担任田口先生だった。田口先生女性で優しかったが、弱い者イジメ絶対に許さなかった。先生最初の授業で、僕には障害があるからクラスみんなで守ってあげて下さいと言ってくれた。僕はクラスで一番最後逆上がりができるようになったが、先生がそれを母に報告すると母は泣いたらしい。先生はその話をクラス全員の前で話し、みんなも一緒に喜んで欲しいと言った。当時は、逆上がりくらいでと僕は恥ずかしかったが、今思うと本当にいい先生だったと心から感謝している。

そんな先生の下でもイジメをする子はいた。僕は病院食を食べて育ったため、好き嫌いが多く、食べられない給食が多かった。ある日、給食チキンクリームスープが出た。僕は鶏肉が食べられなかった。無理して食べ、最後は戻してしまった。それを見たクラス安田君という男子が「汚ねっ!」と言って、嘔吐物に唾を吐いた。別の誰かに呼ばれて駆けつけた担任田口先生がそれを見ていた。先生クラス全員が縮み上がるほどの鬼の形相で、烈火のごとく怒った。安田君はわんわん泣きながら、僕と一緒に嘔吐物の片付けをさせられた。僕はそれ以来、毎朝給食メニューをチェックし、ビニール袋を給食袋に忍ばせ、食べられない給食をこっそり持ち帰るようにした。まだ給食は残さず食べるというのが当たり前の時代で、おそらく田口先生は僕の行動に気付いていたと思うが、何も言われなかった。同級生の中には、精神的な理由から肉類を食べられないことを公言し、それを許容されていた子もいた。本来は、学校に僕が好き嫌いが多い理由をきちんと説明しておけばよかったのかもしれないが、僕は親にそういうことを相談できなかった。僕は、いじめのことも親に相談できなかった。


小2の2学期に徳田君という転校生が来た。ある日、体育の時間が終わった後、彼は僕を抓った。それをクラスの別の子が見ていた。僕はジャングルジムの上に避難させられ、徳田君はみんなに引きづられてギャンギャン泣きながら田口先生のところへ連行された。徳田君は転校してきたばかりで田口先生方針を知らなかった。彼は僕をいじめたことで、クラスの大半を的に回してしまった。

徳田君は相当に困ったようで、苦肉の策だったのか僕に接近してきた。自分の家に遊びに来いとしつこく僕を誘った。僕は彼が怖かったから何かと理由をつけて断った。彼の最後の手は「うちにはお金が倍になるゲームがある」だった。家が貧乏だった僕は、その言葉簡単に転んだ。彼の家は僕の家から100メートルも離れていなかった。当時、僕たち家族は、両親が市役所転入届けを出しに行った際、役所の人が「市内一の貧乏アパートから早めに出た方がいい」と助言したくらいの貧乏長屋に住んでいた。2階建てで庭に木まで植えてある彼の家は、実際はそう大きくはなかったが、僕には豪邸に思えた。彼の家の中に入れてもらうと、転校して初めて来た友達からだと思うが、彼の母と祖父母が僕を歓待してくれた。そして、いろんなゲームを二人でした。当然のことだが、最後までお金が倍になるゲームなど出て来なかった。彼が家の外まで一緒に出て見送りしてくれた時に、僕は思い切ってそのゲームのことを聞いてみた。彼は「そんなのあるわけ無いじゃん」とけろっとした顔でいった。そんなにも平然と嘘を付く人がいるという現実に僕は戸惑った。そんな僕に、彼は全く屈託のない笑顔で、「また、必ず遊びに来てね」と言い、手を振った。その後、彼には多くの友だちができ、彼が僕を家に招待することは二度と無かった。それどころか、僕のことなど一切相手にもしなくなった。僕がその後の人生で、悪徳商法詐欺などの被害にあわないで済んだのは、間違いなくこの時の教訓があったからだと思う。それは人を簡単に信用してはいけないという僕の人間不信を強固にする出来事でもあったと思う。

徳田君の名誉のために補足すると、彼は詐欺師などにはならず真っ当な人生を歩み、今では小さいながら自らの事業を立ち上げ、一人で切り盛りしている。彼とは社会人になってから何度か会っているが、苦労が顔に滲み出ていて、気配りのできる本当にいい大人になっている。


小3から中3の話は別の日記や別の媒体でも書いているので省略する。


僕は脚の障害のため、短距離走は誰よりも遅かったが、心肺能力人一倍優れていたと思う。僕の体は、例えるなら、パンクしたタイヤを装着した高性能エンジン車のようなものだった。脚の悪さを心肺機能で補うことで、持久走はかなり速く走れた。学校マラソン大会中学で200人中5位、高校では700人中10位だった。これは自慢しているのではない。僕は高校では陸上部所属し、中長距離走選手として成果を出したかったが、競技者レベルには全く達していなかったというのが現実だ。そのため、僕は高2になるまで試合には一度も出して貰えなかった。

高2で初めて800メートル走に出場した時のことは鮮明に記憶している。それは県の全高校陸上選手が集う競技会だった。観客席には選手監督コーチマネージャーなど数千人がいた。

スタートピストルの音とともに出場者全員が出走すると、会場全体がざわつき、どっと笑いに包まれた。僕の走り方がとてもヘンテコリンだったからだ。それまでにも走り方を笑われることはよくあったが、数千人いる会場であんなに大勢に笑われるとは思いもしなかった。走り方一つで何千人もの人たちを笑わせられるなんて、僕はお笑い芸人より凄いかもしれない。

僕の高校陸上部員の僕に対する声援は会場全体を包む笑い声にかき消されてしまった。どんなに笑われても、監督が苦労して僕を試合に出させてくれた以上、途中で棄権することは絶対にできないので、僕は死にものぐるいで走った。僕が最後尾で第4コーナーを回り、正面スタンド前に来た時に、その奇跡のような出来事は起きた。もの凄い声援が湧き起こった。走りながら、僕がスタンドの方へ目をやると、よく合同練習していた隣の高校陸上部キャプテンが身を乗り出し、両手を口に当て「〇〇、ファイトー!」と僕の名を絶叫し、それに続いて他の部員たち全員が大声で声援してくれた。走りながら僕は体中に鳥肌が立った。その声援は僕の高校部員たちの声援を遥かに上回っていた。そして、その声援は会場全体に響きわたった。一瞬にして会場が静まっり返った。水を打ったようというのはああいう状況を言うのだと思う。たった30人ほどの人たちの声援が、何千人もの人たちの笑い声とざわめきを一瞬にして吹き飛ばししまった。気まずい空気が会場全体を覆った。急に静かになった競技場の残り400メートルを僕は力の限り走った。

結局、成績は最下位だったけれど、あん奇跡のような体験をできただけでも、僕は競技会に出場した甲斐があったと思う。隣の高校陸上部キャプテン水野君、そして、彼に続いてくれた部員たちには、今でも本当に感謝している。当然、僕の高校の部の人たちにも。


大学時代のことは別の媒体でも書いているので省略する。

社会一年目に関することは別の日記に書いたので省略する。


社会人2年目の4月本社異動になった僕は、地元に戻ってきた。地元には戻ったが実家には戻らず、会社の寮に入った。ゴールデンウィーク実家に戻ると、高校時代に同じ陸上部にいた津木と岡崎から飲みに誘われた。焼き肉屋で空腹を満たした後、津木がおもしろ場所に連れて行ってやると言った。

それは岡崎の家の近くの小さなスナックだった。津木がドアを開けると、2人の女性が明るく迎えてくれた。僕は本当に驚いた。そこにいたのは小1の頃、僕のことをずっと守ってくれた新池さんだった。彼女は小1の頃と全く変わらない笑顔で、僕たちを迎えてくれた。僕がいることに気づき彼女も驚いていた。新池さんは全然変わっていなかった。彼女の隣にいたのは彼女の母だった。彼女の妹も一緒に働いている三人の店だということだった。もう彼女と何を話たのかは忘れてしまったけれど、津木ばかりが話していて、僕はあまり彼女と話せなかったように思う。僕は、小1の時の感謝彼女に伝えたかったが、うまくタイミングが掴めず、結局は伝えられなかった。地元からいつでもまた会えるという思いもあった。

しかし翌年、僕は今の妻となる人出会い、翌々年に結婚し、地方へ転勤となってしまった。4年後、僕が転職して地元に戻って来た時には、もうその店は無くなり、彼女行方もわからなくなってしまっていた。彼女は小1の同じクラス同級生で僕がフルネーム漢字でも書ける唯一の人だが、SNS友達繋がりでも彼女名前は見当たらない。その後、僕はまた別の会社転職し、関東へ住居を移した。あの社会人2年目以降、僕は彼女とは一度も会えていない。感謝気持ちは伝えられる時にきちんと伝えるべきだったと、本当に後悔している。



補足

  • 僕は書くことを、つい1ヶ月くらい前から始めた。書くことはリハビリという人がいるが、それを実感している。
  • 書くことで不幸自慢したいのでない。そういうことは思い出すだけでも辛くなるし、腹も立つし、ネガティブ気持ちになる。
  • そうではなく、僕の周りにたくさんの敵意や悪意があったけれど、それを上回る善意好意に僕は救われてきたということを伝えたい。
  • 書くことで、僕は自身ネガティブで屈折した思考を整理し、僕を助けてくれたり応援してくれた人たちを思い出し、それと同時にそういう人たちへの感謝気持ち再確認できた。妻への感謝気持ちもそうだ。
  • 文章を公開するのは、そういう人たちが大勢いたことを、多くの人に知って貰いたいからだ。



虚しい

私は学者肩書きを持っていた。

研究テーマを誇張して言えば「不老不死である

脳や肝臓など(現時点の理解では)大体不可能や一部の臓器を除いて体内の器官を人工化し悪性新生物リスクを下げ、人類寿命を飛躍的に伸ばすことを目標としていた。

最終的に肝臓含めた全ての臓器や器官を人工的なものに置き換えることができれば寿命は飛躍的に伸びる。

脳すら人工物に置き換え、記憶思考バックアップ成功すれば我々は死の恐怖を克服することができる。

人生時間が長くなれば、それだけ人生体験する幸福の総量は上がる。

人類幸福の総量が増大するのだ。

テーマ自体も心が躍るものであった。

加えて、基礎医学臨床医学分子生物学計算機工学ナノサイエンス

あらゆる分野の研究者による共同研究が前提となっている新しいテーマであり、学問研究の場の閉鎖性や権威とは縁遠いものであった。

とにかく毎日が楽しかった。

しかし、数年前に自分自身が癌を宣告されてしまった。

当初は治療と並行しながら研究を続けていたが、治療負担が大きくなったこから研究を辞めた。

研究に専念できない自分ポストに座り続けることに自分自身で納得できなかった。

緩和ケアと並行しながら治療を続けているが状態は良くない。

虚しい。

不老不死を夢見ていたころが懐かしい。

もっと長生きしたい。

100年、200年。

いや、500年でも1000年でも生きたい。

太陽系、或いは宇宙が終わるまで生きていたい。長生きできれば、それだけたくさんの幸福を味わうことができるのに。

死にたい」「長生きしたくない」

そんなことを言う人達時間が欲しい。

久々にCoCo壱番屋に行ってきた

昼になんだか無性にカレーが食いたくなって。

食いたいなぁ、でもお高いよなぁ・・・3分ほど逡巡したが、今日の俺は食うと決断した。

会社から少し歩いた、交差点にあるCoCo壱番屋

夏野菜たっぷりカレー」とかあったらいいなと思いつつ向かう。たどり着く。

店舗の前の、のぼり旗によると、今はチキンカレーが売りらしい。なんで?夏野菜を推せよ

「空いてる席にどうぞ」と言われたので適当に座る。

最初に目に入ってくるメニューはやはりチキンカレーだ。うるさい。

しかも高い。全部1000円オーバーじゃないか?ふざけるな。

チキンつったらアレだろうが。ポーク代用としてお安く出てくる奴だろうが。

それが1000円超えるとは何事だ。けしからん

常設のメニューを手に取る。情報量が多い。疲れる。

頑張って「夏野菜たっぷりカレー」を探すが見当たらない。チクショウ。

おススメらしき定番トッピングを一通り観るが琴線に触れるものが無い。お前の力はそんなものCoCo壱番屋

仕方がないのでトッピングの一覧をにらみ、理想カレーを一から構築する。あぁ面倒くさい。

と、思ったら、ポークビーフ?ベジカレー?辛さ?ご飯の量?あぁもう面倒くさい。

トッピングにたどり着くまでがもう面倒くさい。お腹が空いているのにこんなストレスかけないで欲しい。

CoCo壱番屋の手前のコンビニで500円でカレー売ってたけど、あれで良かったんじゃないかと思い始める。

頑張ってトッピングを選ぶ。野菜だ。夏野菜を食わせろ。

それっぽいのは、ナス(ハーフ)のみ。ギィィィ!!!トマトとかズッキーニとか無いのか!あと、ハーフって何!

仕方がないので、ベジカレー,2辛,ご飯200g,ナス(ハーフ),ほうれん草(ハーフ)とシーザーサラダを注文する。

ご飯を減らしたが、ソースまで減るとは気づいておらず、後でガッカリする。

待っている間店内を見回す。

名探偵コナン単行本が1巻から置いてある。何回通えば読破できるのだろう。

まずシーザーサラダが届く。空腹のせいか思いのほか美味い。

シーザードレッシング?は偉大だな。シーザーが偉大なのかは知らない。ブルータスに裏切られた人だっけ

カレーが届く。

ナスの貧相さに心底ガッカリする。

腹いせに福神漬けをこれでもかと盛る。あれ、大根になったんだっけ?確かにやけにシンプル漬物だ。

カレーを食う。美味い。正直、何も特別ものは感じない。でもカレーは美味い。そうだった。忘れていた。

ナスを食う。美味い。なんか知らんがうま味がある。味の素か?

福神漬け(のような漬物)とカレーにまみれたご飯を食う。美味い。

でも漬物は流石に入れ過ぎた。しょっぱい。

完食し、お会計を済ます。うーーーん、概ね満足だけど、やっぱ高いな。

何が言いたいかと言うと、たまにCoCo壱に行くのも悪くないという話。

ラブコメものでもないのにヒロインレースを語り始めるオタクがウザい

そんな視点で見てねーんだよこっちは

正妻の余裕か」とかウザい視点持ち込むな

大人しく美少女ものでも見てろよ

こっちくるな

日本は金を得るまでの手続きが長過ぎる

まず会社採用されて業務をこなし、そして会社給与という形でしか金を得ることが許されないかのようにみんな考えてる


金ってのは無くなったら飯も食えず寝る場所もなく尽きたら死ぬうな重大なものなのに、金という結果を得るためには手続きに従って雇用されて給与として受け取る形でしかカネを稼いではならないというバカみたいな社会になってる


俺は貧乏そうなやつが目の前で頑張って俺のために良い仕事してくれたら気前よく1000円でも2000円でも気軽にチップ払える社会の方が良い

なぜなら有限の命、時間を使って俺のために頑張ってサービスしてくれる素晴らしいやつが金なくてひもじい思いをするなんて許せないからだ

anond:20240517204844

それそれ

しかも完全なヒゲ脱毛なんてない

一生ものとか、あり得ない

  個人情報保護条例78条1項は、人権公益を貫く規定として発見されたとき驚愕されるが、詐欺罪の章の未遂を罰するという刑法規定はただの簡潔な補題であって驚愕の一要素

  からくるが、定理ではない。

    警視総監小島は、法律規定につき、出来るものと強調するが、そういうものではない。人権公益という両立しないはずのものを両立させる規定として発見され、構成される。

自分に正直な人が羨ましい


ちょっと前のことだけど、夜8時前に近所の道路自転車で走っていた。和歌山県某所で、当方会社帰り社会人であるスーパーに寄って帰ろうと思っていた。

其処は車1.5台分程度の細い道路だった。一応はアスファルト。それで、自分の前には1台の自転車の姿があった。スイスイと走っている。

でも、「なんかおかしいな」と思っていた。距離が近づくとわかった。その自転車乗りは無灯火運転だった。

そしたら、正面の方から3台くらいかな、家族連れの人がチャリを漕いでいた。親御さんと、子どもが2人いた。

それで、そのうちの1人、お父さんかな。いきなりだった。

ちょっと待て、ライトライト!!」

って言うと、自分の前を走っている無灯火の人を止めた。

ライト点けないとだめでしょ」

とお父さん?は言ったのだ。

自分も、狭い道路だったので、なし崩し的に止まることになった。

そしたら、その無灯火の人がさ、

「あ? なんでテメエ、コラ」

と、その無灯火の人は言った。ルックスを見た感じは……夜目だったけど、自分と同じ30くらいだった。

グリーン作業着だった。傍目で見ると柔道着みたいな感じがした。背丈は普通くらいかな。

そこからのやり取りは、当方人生で見たことがない感じだった。

なんや、兄さん。その口の利き方は。常識がないんか」

「それ、お前の常識やんけ」

社会常識やろ!」

「お前が思っとるだけや。はよどけ」

「無灯火! ケガしたらどうするんや」

「ワシの自己責任よ。じゃあ行くわ。スーパーが閉まるけ」

「待て、こら、おい」

「あ!!!!??」

ここで、彼が自転車を降りた。

おっさん自転車まで歩いていくと、それを蹴飛ばしたのだ。

「お前、俺が今、どういう気持ちかわかっとんか!」

「……」

「何をさっきからグチグチ言うとんじゃ。ワシはのう、お前に手を出すんを、精いっぱい我慢しとるんやぞ!!」

警察警察、呼ぶぞ」

「呼べっ!!」

自分は退散しようと思った。

それで、自転車に乗って、彼らを追い越してスーパーマーケットに向かった。

買い物を済ませた後、やじ馬根性で帰り道にあそこに寄ってみると……現場警察が到着していた。

一応は地元である。すぐ近くにあるブロック塀の陰で、聞き耳を立てることにした。

案の定、無灯火の人がお巡りさんから詰問を受けていた……ここで、pixel8の録音をオンにした。最新のアンドロイド自動文字起こしは高性能だった。

以下に記録を書いてみたい。

巡「あなた、こうやってパトカーが来るの何回目?」

無「四回目くらいやな」

巡「自分おかしいことしとると思わへん?」

無「周りから見たらおかしいかもしれん」

巡「あなたは? どう思う自分のこと」

無「別に思わん」

巡「悪いことしてる認識は?」

無「ある。悪いことをしてる。でも、俺は偽善者じゃない。ごまかしてなんかない。悪いことしてるとわかってて、正面からやっとる。罪の意識と向き合って、それを乗り越えとる」

巡「それ、開き直り言うんやで」

無「あ、そう。で、どうするの」

巡「○○さん。いい加減に捕まえるよ」※近所のすごく大きい家の苗字だった。この一世しかない。

無「そういうの、俺の親父と、じいさんが悲しむからやめようやwwwお巡りさんも知ってんやろ」

巡「……あなた、市の職員やろ。うちらとおんなじ。常識守って、しっかりせんと」

無「関係ないやろ。別に職場通報したってええで。ワシは本気よ。じゃあ、行くわ」

※ここで、あのおっさんが何か怒ってたけど、レコーダーでは文字起こしできなかった。距離が遠かったのだろう。

「なんで逮捕せんのですか、それで済ますんですか」だったら聞こえた。

花の金曜日にこんな話をしてすまない。でも、この光景ちょっと自分には来るものがあった。

学校で習った常識に従って生きてきた。ずっと。

中学高校も、学校先生の言うことをちゃんと聞いて、それなりの成績で、世間バカにされない程度の大学を出て、今はしがない化学工場勤めである

そんな中で、彼のようなヤツに出くわしてしまった。

正直、ちょっとだけ羨ましかった。自分は、年上には敬語だし、同僚にも敬語だし、年下にもできれば敬語である

目上の人間には絶対的敬語を使う。それと、法律にはちゃんと従う。自転車に乗ってても、赤信号無視とか絶対しない。停止線では一時停止する。それが社会ルールだと思っている。

あの彼は、ちょっと生きづらいのかもしれない。でもさ、あんなに破天荒でも地方公務員として採用されるんだし、実際に働けてもいるんだろう。

そういうことを考えると、コツコツと工場作業員として頑張っている自分と比べて、あっちの方が人として優れてるのかも、とか思ったりする。

愚痴みたいになってしまった。ちょっと思ってみただけだ。早めに忘れてほしい。

増田はいいよな。匿名から。約一年からほぼ毎週、読んでいる。アタリを引いた時の感激がすごい。

小心者のブログには、とてもこんなことは書けない。

anond:20240517195737

何か価値のあるものを得たら、それを知った誰かから狙われ、落とされてしまうかもしれない。それでいいじゃないか。たとえ騙されていたとしても、騙されている間は人生で一番幸せだったりする。それなら、そんな体験をさせてくれた相手感謝すればいい

頂き女子の思うツボじゃん

anond:20240517195033

カマキリ女と一緒の虫カゴに入れられた子は可哀想に思うし

子を救わせないお上クズっぷりは永遠に記録されるだろう

地獄を見るのはその地獄を作り出した人間だけであって欲しいもの

期待しなさ過ぎるのも危ない

ストーカー事件からの諸々で「自分は色恋営業にはハマらない、何故なら異性が自分を好きになってくれるなんて期待していないからだ」という意見が男女問わず散見されたものの、実は期待しなさ過ぎるというのも危なかったりする

脳のやる気スイッチは「いいことが起きたからやる気が出る」「悪いことが起きたからやる気をなくす」というものだが、この良い悪いとは何で決まるのか?それは自分の予想だ。つまり自分の予想より良いことが起きればやる気スイッチが入り、予想より低ければやる気が失われる。そしてその度合いは、予想と現実ギャップに比例する

すると何が起きるのか。異性にハナから期待していない人間は、異性から対応をかなり低めに見積もるので、そこに普通かそれ以上の対応をしてきた異性が現れると、予想と現実ギャップに脳がハックされてしまうのだ

そしてそれは、お金を出せば会える異性よりも、偶然知り合った(と思い込んでしまう)異性に対して起きてしまう事が多い。何故なら、お金を出して会える異性に対しては「お金を払った分は接待してもらえるはず」ということで多少は期待度が高くなり、ギャップが少なくなる。一方で自然な、お金を介さない、自由意思に近い出会いをした異性には期待度が低めのままなので、そういうタイプに温かくされると、予想と現実ギャップの大きさにコロッといってしまうのだ

そうやって異性をハックしてきたのがりりちゃんであり、あるいは木嶋佳苗である彼女らはそんじょそこら水商売人間よりも鋭い毒牙を隠し持ちながら、表向きは純粋人間を演じ切った。そしてこういうタイプは、期待していない人間特攻を持っている

冒頭に書いたストーカー事件犯人常軌を逸した人間だったのでちょっと例外だが、事件になっていない部分ではもっとまともな人々が密かに搾取されていると増田は推測する。ということで、そんな人々に増田から伝えたいことは一つ。それは、騙されちゃってもいいやと考えることである

何か価値のあるものを得たら、それを知った誰かから狙われ、落とされてしまうかもしれない。それでいいじゃないか。たとえ騙されていたとしても、騙されている間は人生で一番幸せだったりする。それなら、そんな体験をさせてくれた相手感謝すればいい

なので、自分価値に期待し過ぎないことは危険であり、他者から自分への対応に期待し過ぎないことも危険であり、そして何より自分の理性に期待し過ぎるのは危険である。もし何か目的を持った人にアピールをされたら、素直に喜び、そしてどこかで察すればいい。それが積み重なることで、本当の好意と裏のある好意が分かるようになる。人生は楽しんだもの勝ちだ

anond:20240517194732

Vtuberアイドルたちを観てるから分かるが、清楚は女性たちがこぞって取り合うポジションだ。

清楚系で売り出したはずのVtuberも2~3年も最適化を行えば、大抵奇声と奇行で笑いを誘う珍獣ポジションに収まっていくので、少なくともVtuberの考える清楚って、「イケメンでさえあればモテる」って男の幻想に通じるものがあると思ってる。

ドメイン名反社世界

アニメゲーム関連のサイトを作ろうとして、〇〇enta-jp.comってのを取ろうとしたのだが、

お名〇.comで検索して3日後にはもうそドメイン使用済みになってた。

プレミアムプライスで取得できます!100万円!」とか書いてあってワロタ

こういうのって検索履歴からどっかの団体が速攻で取得するかんじなんだろうか。

昭和でいう地上げ屋?みたいなものか。

完全に反社世界なんや・・・

しょうがいから〇〇entame-jp.comにした。

インターネット世界にも昭和が残ってると知ってなんかワロタ

ニケ界隈

中堅動画配信者が引退宣言動画投稿

別の動画投稿者が揚げ足取り動画投稿アンチを大いに湧かせる

引退者が動画の削除を申し入れるもの無視

訴訟沙汰に

 

サービス開始から2年くらいなのに、艦これみたいなことやってんな

あっちはあっちでアンチに対して公式訴訟を起こしてる訳だから悪質性はより高いけど

それにしても蠱毒化のスピードが早すぎる

anond:20240517194429

さっすが加害者側の思考だなあ

そりゃ略奪者側は得るものはあっても失うものはないもんな

anond:20240517184259

そうでもないやで。

で、最近農産物価格物価上昇率を上回るペースで高くなってるものも多いんで、上手く選ぶと結構いけるやで。

やる気があるなら農業大学校とか行けば学費無料助成金もらいながら学ぶとか出来る。

メイクもする男だけど、お肌の手入れ方法を紹介するよ

30歳だけどめちゃ肌綺麗と褒められる男の手入れ方法を紹介するよ。


肌の手入れで大切なのは、何もしないこと。

そして何かしたら、何か起きたら、何か起きるなら対処することだよ。

ある程度知識が出来たら何かをする段階に入るよ。


●何かしたら

メイクをした、排ガスまみれの場所に行った、料理した、ほこりついた

・基本生きてると何かしら汚れるので水で顔を洗うよ

油性の汚れは落ちないので洗顔クレンジングをするよ

洗顔クレンジングをした

顔面の皮脂も消え去り水分が消えるので、そのぶん蒸発しにくい水と油を塗って皮脂の代わりを使うよ

・具体的には化粧水クリームを塗るよ

化粧水はただの水とか言ってる情弱は死んでいいよ。水を塗っても蒸発するだけだよ。

化粧水を買えない貧乏人はグリセリンを買って10%の水をつくるといいよ。俺は風呂上りに体を拭かずにグリセリン割合20%にした化粧水を塗ってるよ。

基本的コンビニとかで買える化粧品は薬効がないので、○○成分配合とか結局はグリセリン代替品か種類の違う油だよ。


●何か起きたら

油性肌、乾燥肌ニキビ肌荒れ

病院に池

・俺はニキビに塩とか塗ってるけど真似しないでね


●何か起きる

日焼け

日焼け止めを塗るよ。日焼け止めは肌にかなり悪いけど、日焼けするよりかはマシだよ。

日焼け止めを落とすには洗顔する必要があるので、結果的化粧水クリーム必要になるよ。


●何かする

→レチノール、トレチノイン、ハイロキノン

効果があると医学的に認められたもの使用するよ

代替個人輸入か、医者から処方されるよ

・レチノールは表皮を代謝させて、肌の細胞を過剰に作らせて皮膚を厚くしシミを薄くしたり皺をできにくくするよ。

これのせいで自作化粧水以外は沁みるようになったよ。肌質改善じゃなくて肌質改変だよ。

承認欲求理解できない

見られたい欲というもの存在するという理解でいいのだろうか

anond:20240517122432

福野礼一郎が「男の子が掃き溜めから再起するのはジェット戦闘機の超低空フライバイを至近距離体験したときのような、圧倒的に大きなものをみたとき」ってゆってたやつだ😮

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