はてなキーワード: ものとは
「ありのままの自分を受け入れて欲しい」「受け身でも構って欲しい」なんて言うとたいていは批判に晒される
弱者男性にも良いところはあるはずなんだよ
それが見た目や態度によって「即チェンジ」されるから恋愛まで発展しない
弱者男性が取るべき戦略は多くの男女が行う短期決戦ではなく、長期持久戦
サークルや趣味の集いなど「強制的に関わらないといけない」場に参加して「即チェンジ」を無効化する
それがスタート
あとは徐々に弱者男性の良いところに気づいてもらえることを待つ
ひたすら待つ
もちろん会話はしないといけないぞ?告白とかアプローチはせずに待つという意味だ
相手に彼氏ができようが我慢だ。どうせ元彼は存在する。同じ同じ
あとはこの長期持久戦をできるだけ多い場所で実行する
それを覆すために見た目を整えたり、学歴つけたり、資格取ったりして評価を上げようとする
ある会社のバイトさんから誕生日プレゼントだと言われて、小学生が雑貨屋さんで買ったものの詰め合わせみたいなのをもらった。
キャラ的に受け狙いではないことは明白で、こんなの大人に贈る人いるのか…と衝撃を受けたが気持ちはうれしいのでありがたく頂戴して家(実家)に持ち帰った。
母親にも、会社の友達から誕生日プレゼントをもらったんだよという話をした。
しばらくしてもらったことすら忘れた頃、母親に「あんたがもらった部屋にあったプレゼント、芳香剤があったから車につけたんだけど死ぬほど臭くてよぉ、吐くかと思って引きちぎって道路に捨てたわ。あー臭かった!」と言われた。母親は最近あった面白いかつ自分がかわいそうな目にあった話という感じだった。
私は
・部屋勝手に入るなよ
・なんで私あてのプレゼントの芳香剤を勝手に使おうと思ったんだよ
・私が大切な人からもらって大切に保管してたものかもしれないものを、どうして勝手に使った挙句捨てた話するんだよ
と全てに引いて強い嫌悪感が湧いた。私はとりあえず一番強く感じた3番目のことを母親に伝えた。
母親は自分の非を認めないので、その時も胸糞悪い言い訳をして最後に「オマエが悪いんだろ」と言って締めくくっていた。
今なら分かるが、たぶん母親は私がプレゼントで何をもらったのか知りたくなったのだと思う。
昔から、母親は子どものプライベートを暴くのが好きだなぁと感じていたので、その興味からの行動だったと思う。
そしてプレゼントをもらっている私に嫉妬か、何か気に食わないと無意識に感じたのだと思う。
それで使ってやれ、と持ち出して使い、臭かったことが愉快で気が大きくなり、普段ならしない「ドアからゴミをポイ捨て」行動をしてしまったのだろう。
これを本人に伝えたらきっとショックを受けるに違いない、母親自身の胸がすく思いも味わえるに違いない、と感じて話したんだと思う。
こういう親に育てられた子どもにありがちな話で、私は精神を病んで仕事をやめることになった。
その頃は実家を出て一人暮らししていたが、医者から「実家に帰省してゆっくりしたらどうでしょうか」と提案された。
私は、実家に帰ったら症状が悪化するだろうとすぐに感じた。嘲笑して、ひどい言葉で傷つけてきそうだなと思った。
今思うと、こんなひどい人私の周りに親しかいないわ。
親は自分たちは良い人たちだという認識でいるので、電話で「実家に帰ってきたら」と言っていた。私は「それはやめておくよ」とだけ伝えた。
それから治って新生活を始めたが、今度は実家から遠く離れたところで暮らし始めた。
実家に帰ると金銭面は助かるのだけど、精神的には取り返しが付かないほど病みそうなので、たぶんこの先一生実家に帰らないのかもしれない。
でもそんなことは、親には言ってない。
増田は一人称が俺なだけで女性なのか?そうでなくて男が女子トイレに勝手に入ったのなら、その時点でフラレるかと。
これは本当ならば素直にかっこいい。惚れ直す。
何つーか、素直に「人助け」と呼べるものかま半分しかない辺り、増田の認知が歪んでいるのではないのかと思う。
しかもその理由てして、「初デートにやってくる女性は、お姫様になりに来ているから」である」などと見当違いな事を書いているあたり、今後も同じ失敗を繰り返しそう。、
社会的に弱い立場にあることが多い女性がセクハラ被害等に声を上げても、強い立場にある当事者男性による圧力とか、世間からのバッシングとか、いろんなものによって潰されてしまうことが多い、または潰されることを恐れて声を上げづらい。
なので一緒に声を上げましょう、連帯して支え合いましょうという運動だったと俺は思っている。
だから声を上げた女性に対しては、真偽の究明よりも先に、まず連帯と支援を表明して支え合いましょうとなる。
決して褒められたものではないが、じっくり見定めてたら女性が潰されてしまいかねないという現実を前にした面もあり、一概にダメとは言いにくい。
実際に声を上げたものの支援が足りなかった女性がどうなるかといえば、園子温の一件でグロテスクなほどわかりやすく示されている。
もし訴えが虚偽だった場合、被害者男性に対しても被害者女性に対するものと同じくらいの熱量や物量をもって、名誉や損害の回復に尽力するという姿勢。
連帯を示した当事者として、批判をおこなった当事者として、賛同し声を上げた当事者として、それらに責任を持つという当たり前の覚悟。
DOAとかで男女が殴りあったり投げや関節技やってるのを見ると物凄く激しいセックスしてるようで子供の頃から興奮していた
ほんまそれ
人間として育てられてない
サルと仲良くなりたい女なんかほぼいない
俺別に伊坂幸太郎も東野圭吾も好きでも嫌いでもないんだけど、普通に読みやすいしいい作品書く作家だっていう認識なんだが、
「伊坂幸太郎はラノベ!」みたいなネットの書き込みみてると、そいつの小説読みに対する高尚か低俗かみたいな選民思想みたいなもの感じてしまってすげえ苦手
thirty206 ゆるっと使えて便利やからね、仕方ないね。/女性器が緩い、という用法では少なくとも1953年までは遡れる。https://x.gd/5Y24u
mobile_neko 淫夢ネタにはほとんど触れずにインターネットしてきたのでよくわからんが、元々「ガバガバ」という言葉の用法にあったからビデオ内で使われて視聴者も理解できたのでは?
mutinomuti 40年前にお下がり着てる子どもにガバガバだね、詰めようかっていってたよ@関西
WinterMute "淫夢由来の言葉" 違います。お前の認識ガバガバだな
ignio 青空文庫はこういうときに便利。大倉燁子の「恐怖の幻兵団員」(昭和25年)に「孔のまわりの羽目板はがばがばにゆるんでいる」という文がある。
red_kawa5373 id:ignio 国立国会図書館サイトも良い。昭和28(1953)年の最高裁判例に「ガバガバのゴム長靴を履いて」な記述があるので、ガバガバの「しまりがない」の意味は淫夢由来ってのは違うと思う。 https://dl.ndl.go.jp/pid/1349044/1/52
officesitter 昭和の筒井康隆の短篇で、女性に対する罵倒語として使われていたのを見て覚えた。自分の口から発したことはない言葉。なんとなく関西弁っぽい気がする。
ni_ls ウン十年前の高校(男子校)生時代、ガバガバアナルの略で「ガバナル」って呼ばれてた先輩がいたよ
redundancy 老が使ってる時点で元ネタそこじゃないって気づくだろうから書き手の判断力がガバガバっていうネタでは
otihateten3510 普通に使う言葉を淫夢用語だと思う方が何倍も恥ずかしいけどなあ
star_123 最初しか呼んでないけど前世紀からそういう意味で使われてたような…
marilyn-yasu 淫夢以前から穴の精度が悪くてガバガバ、計画が穴だらけでガバガバなんて使ってたから何言ってんだコイツとしか思えない。
ht_s 老人が(も)淫夢由来でガバガバって言葉を使っているあるいは淫夢以前は使っていなかったと思えるの、ちょっとかわいいな。バカほどかわいいってこれか。
マックのJK曰く、労働者の権利を守るためには、まず団結せねばならぬ。曰く、「団結すれば力となり、分かれれば力を失う」。まさに、ユナイトという言葉にその意を見出す。
シェイク飲むJK、うなずきて曰く、そは真なり。曰く、「人権とは与えられるものにあらず、戦い取りしものなり」と。かつ、ルーサー・キングもまた「自由は押し付けられるものにあらず、求めて得るものなり」と説きたり。
マックのJK、さらに言い添えて曰く、適切なる賃金と労働環境を得るには、声を上げねばならぬ。曰く、「沈黙は常に暴力の味方なり」。声を上げることこそ、権利を守る道なり。
シェイク飲むJK、同意して曰く、そは確かに。曰く、「不正を見過ごすことは、不正を助けることなり」。われら、正義を求める者として、不正に立ち向かう覚悟を持つべしと。
かくして、両JKは語り合い、労働者の権利を守るための道を探りしなり。団結と声を上げることこそ、労働者の権利を守るための第一歩なりと心得たり。
魚を与えるのではなく魚の捕り方を教えなければならないとかのコピペが好きそう
𰻞𰻞麺の𰻞って情報に対する画数のパフォーマンスが恐ろしく悪い漢字だな
別に複雑な概念を複雑な字で表さなきゃいけない道理なんかないし、単純な文字のパターンがネタ切れになってきたにしたってもうちょっとシンプルに出来ただろって思う
映画館に割と行ってる方だと思う。
劇場を応援したいとかそういう気持ちは全然ないので、スナックを買ったりはしない。ただただ暗く閉ざされた空間のイスに腰を据えて、デカいスクリーンで映画を観るという体験が好きで行ってる。
でも視覚の中を占める画面の割合としてはスマホで観るのとあんまり変わらん気がする。そもそも集中して観てる最中は視聴環境ってあんまり気にならんと思う。強いて言えば、暗いシーンは映画館だと見やすくてストレスがない。暗い部屋で輝度を上げた液晶を凝視してると目に悪い事してるような罪悪感がある。
どっちかって言えば音の方が大事な気がする。ゴジラの咆哮はやっぱり腹に響く轟音で聴きたい。
全身でズッシリと響く音を受け止める体験はどんなに高性能なヘッドホンでも無理だし、スピーカーでやれば近所トラブルものだろうし。
宣伝が15分以上あるのは冷静に考えると凄いと思う。そういうもんだと思ってるから普段は気にしてないけど。Youtubeじゃ10秒のハズレ広告引いた時ですら舌打ちモノなのに。
Youtubeの広告を最後まで見るのが道理だなんて事言う人はほとんどいないだろうし、テレビのレコーダーにもCMスキップ機能がついてる。
それなのに映画館ときたら、本編開始の時間を読んで遅れて入るのはマナー違反だ。なんて言い出す人も居かねないよなって思う。共同の空間という性質を強く意識する人がいるのも、映画館の欠点の一つだと思う。観客同士の一体感とかも別にないし。まあおれもギャーギャー騒ぐのがいたら勘弁してくれよとは思うけど。
ふっくらした薔薇色の頬、絹のような細くて光る髪、ツヤツヤの唇、洗濯したばかりの服といちごミルクを混ぜたような甘い香り。
こんな美しい生き物が、何でもない私に向かってお母さんお母さんって甘えて抱っこさせてくれるのは幸せなことだなぁと思う。
ふっくらした薔薇色の頬、絹のような細くて光る髪、ツヤツヤの唇、洗濯したばかりの服といちごミルクを混ぜたような甘い香り。
こんな美しい生き物が、何でもない私に向かってお母さんお母さんって甘えて抱っこさせてくれるのは幸せなことだなぁと思う。
だと思うんだよな。
3月の打ち合わせ時点で要望を出していたという明確な証拠を残していないのは問題。
この時点では正式なプロジェクトの打ち合わせではなかったのだろうが、議事録があれば言った言わないは少なくともなかった。議事録がいかに重要かがよく分かる。
(ただその後も議事録の話が一切出てこないが、IT業界以外のプロジェクトって議事録作らない文化なの?マジで?)
拗れてきた後は原作者側の立場に立っているが、それまでは日テレ側へそこまで強く言っていないようにも見えて結局問題の先送りに加担している可能性がある…と見えるのは日テレ視点の報告書なので注意が必要。
終始、自分たちのペースで進める文化で動いてるのはよく伝わってくる。良いドラマを作るためと何度も言ってはいるが作者の意図や作品の本質を見抜けているようには全く見えない。短大に進学するより専門学校の方がリアリティあるよね?高校は友達と制服の可愛い私立に行けなくて公立ってことにしよう!などという議論をしてたらそれは原作者から飽きられるしこいつら何を読んでるんだと思われても仕方ない。
契約書軽視の文化は出版業界の十八番だと思っていたが放送業界も同じだったらしい。後になって契約していないことが弱味になり動けなくなったあたり、法務部とは一体何の仕事をしているのか是非聞いてみたいものだ。
問題の根源をミスコミュニケーションとしているが、それ以前の問題として仕事の進め方とそもそものマインドに大きな問題があることをもっと認識すべきだろう。