はてなキーワード: PGRとは
えー、昔はメンバー中一番メイク濃くて一番それっぽい服着てたじゃん。
どう見てもV系です本当にありがとうございました。
そもそも「V系」ってなによ?どっからどこまでよ?という定義が曖昧なことは確かですが、V系という言い方・くくり方が侮蔑だとは思わない。
他の系統の音楽が好きな人が「V系(笑)所詮見た目だけwwwww」って言うのは、そたちの中で『V系』が侮蔑のニュアンスを含んでいるのも、それゆえに彼らがそう言うのもわかるんだけど(実際に「見た目だけ」かどうかは別)、普段V系といわれる音楽を好む人が「V系なんかpgr」っていうのは何故だろう。
トラバの送り方がわかんないからもういいや。
と書いたけどやっぱりよくない。
被害妄想が混ざり過ぎないよう、書き直します。
男性の性欲は攻撃性を伴っているものですから自分がその「獲物」にされることに恐怖するのは仕方ないことだと思います。*1
それはいいんです。仕方ないですよ。個人の好き嫌いは変えられませんので。
タイトルには「性嫌悪の人」とありますが、エントリ内容はこれ「こういうキモうざいカマトトオンナっているよねぇpgr」ですよね?
何故、それだけのお話をわざわざ一般化して「性嫌悪の人」と題する事ができるのか。と思いました。
この書き手が「性嫌悪の人」と書くとき、
そういう人達の事は、きっと頭をよぎりもしなかったんでしょう。
(よぎった上で書いているなら……あんまり理解したくないけれど)
それにしても「性嫌悪の人」という言葉を用いる時に、もし頭に「とかいってるオンナ」的な存在しか、浮かんでいなかったとしたら、それって偏見というものではありませんかね 失礼しました。被害妄想が漏れました。
もちろん私が言いたいのは「苦しんでる人達の事を考えないなんて…無神経><」とかではありません。
良く知りもしない他人の事を人は心配できないものですから、それはどうでもいい。
単純に「性嫌悪の人」ってタイトルを、「こんなオンナやだよねー」とか、せめて「性嫌悪を持つ人の一部について」とかに改めた方が、内容が誤解されにくいんじゃないですか。です。
わざわざ突っ込まれやすい一般化したタイトルでズバリ斬るよりも、「こういうのあるよねー」っていう限定した語りをする方が、説得力は増しますよ。
どっちにしても、こういうエントリを見た読者の多くが思い浮かべるのは、お手軽にpgrできる「オンナ」的ななにか、であって、どこかで苦しんでいたりこのエントリを目にしたりする現実の性嫌悪者じゃないと思いますから、相応しいタイトルとは思えないです。
それと。
私自身はもうそういう事は全部諦めようと思っているけども、「性嫌悪を抱えながらも、誰かを愛したり、分かり合ったり、信じ合ったりしたいと願っている人」がいるならば、決してバカにはできない、と思っています。
元々「自虐風自慢乙」されたり叩かれるのを覚悟して書いた愚痴なので、真摯なアドバイスをくれた方達にはとても感謝しています。
元エントリで私が何をもって「非モテっぽい」と表現したかの説明が不足していたせいで一部に議論が起こっているようですので補足を付け足しておきます。
・・・と、トラバやブクマコメを読んでいたんですがいくつかものすごいデジャビュ。「あーこれこれ。件のオフもこんな空気だったなぁ」としみじみ思っています。
以下で説明しますけど、何て言うのか全てにおいてオールオアナッシングな男性が多かったんですよ。
「隅で大人しくしてたら積極的に動けと責められ、積極的に動いたらKYと言われる。じゃあどうしろと言うんだ」的な反応通り
オフ会として困るレベルに消極的かオフ会として困るレベルに積極的かの二つに一つで中間は無し。
いつかはてなのどこかで見た「非モテの中の女フォルダは肉親か恋人か他人の3つだけ」という言葉に本当にフルマッチしている感じでした。
そもそも件のオフ会は「いやーんモテモテでチヤホヤされまくって困っちゃう(はぁと)」というものでは決してなく、ケースで言えばむしろ逆が主です。
例えば性別制限無し、趣味を同じくする者ならば誰でもOKという触れ込みでオタ系オフに初めて行ったらば、ほとんどの参加オタク男子は挨拶も無くガン無視で、共通するであろうオタ話題を振っても微妙に距離を取られるか極端に距離を詰められるか、普通に話しかけてくれるのは数少ない女性参加者の他にもう一人二人の男性参加者で「ああ、良かった。やっと普通に趣味友になれそうな人が見つかった」と思ってたらそこからは元エントリの通りだよ!というのが顛末ですよ。
両方とも困るには困るけど向こうが遠ざかる分には単純にこちらが近づかなければ済むのでそれで済ませてきました。でも必要以上に近づいてくる人には…(ちなみにその女性参加者はとっくの昔にmixi退会済み)
他の趣味コミュから知り合った人も、何て言うかお気持ちはありがたいのですけれどもいきなりそれっすか?なメッセージや電話(これは連絡用に通知したもので、流石に不用意にも程があったと反省しています)が来たりしました。いきなりも何も最初からその気は当然ありませんが。申し訳無いんですけれど。
他に彼らの印象を挙げるなら「パンピーの若者達よりも何故か恋愛至上主義寄りの考え方(普通逆じゃないの?)」「世間一般のギャルに対して苦手意識が強い」「人より特に傷つきやすそう(ネタ風にして表に出す自虐が実はかなりマジ、日記が重過ぎる)」などで、それらを総合して世間で言う非モテかなと思った次第です。
それで私自身に特別な魅力があった訳ではなく、察するに単純に世間一般のギャルじゃなくハードルが低そうだからというただ一点のみでそうなったのだと重々承知していますので自惚れるつもりも嬉しく思う気持ちも無いんです。
第一指輪を今までしてなかったのは対策とか以前にオサレやメイクや女性の品格的なものに全然無頓着だったからですし。
むしろ「女として終わってんなpgr」上等じゃあという心構えでマニアックなオフやおっさん臭い趣味のオフに足を運んでいる位で。
恋愛を求めるなら最初からばりばりオサレしてお見合いパーティーか出会い系サイトかパンピーの友人にセッティングしてもらった合コンに行きますよ。
あくまで趣味主体の人間関係が楽しめるからこそのマニアオフだと思ったのですが、こうなったらそれ以外のどこで性別や容姿関係無くマニアックな趣味で通じ合える心の友を探せば良いのかと思いますが、やはりオフは女子の集まり限定の方向で行くのが確実なのかなぁ。
実はかく言う私も女子との付き合いはあまり得意では無いのですが。
それと「イケメンなら・・・」の件ですが、オタク男子の中でギャルが必ずしもモテる訳ではないというのと同じでイケメンもオタク女子の中で必ずしもモテないですよ。
女の中でもオタクになるのは普通よりも相当恋愛への意欲が低いか、男性全般を怖がる傾向が高いような気がします。
対オタク女に限定した場合、イケメンは過剰に警戒されるか全く関心を持たれないかになる可能性が高くむしろ不利な気がします。
私の経験上ですと、オタク女達の間で面白いほどモテるのはイケメンではなく中性的でハスキーボイスの良く似合うカッコいい系のお姉さんです。
全く男っ気の無いオタク女友達達がその系のお姉さんに限りなく恋愛感情に近い友情を抱くとか、修羅場になるとか今まで何度そんな光景を目にしてきた事かわかりません。
だが待ってくれ。
ならば、なぜ「諦める」選択をした者を叩くのか。
服を買うことが出来る者からの上から目線には反吐が出る。
そりゃオイラは自作PC組めますよ。DELLとか酷いのになるとNECとかのデスクトップをつかってて、デフォルトの常駐ソフトがいっぱいで「このPC重くてさぁ」って言ってる素人を見ると「pgr」とは思うけど、上から目線で「ショップの店員さんとの会話を楽しめば・・・」なんて言わない。
そもそも、ショップの店員にくだらない話を振るのはヲタショップでは御法度。
知らないフリは一番良くない。
そのへんの感覚の違いかね。
あ、最近は服を知っている人に連れて行ってもらって買ってもらいます。オイラは棒立ちしてるだけ。
相手はオイラの金で嬉々として服を買って楽しそう。
「私立助成金減らされると困るお、金ないお」
→「は?金ないなら公立はいれよ、ハナっからよ」
→「頭悪いから、公立入れなかったんだお…でも、勉強したいんだお。でも助成金減らされるとキツイんだお」
→「はぁああ?!頭悪いから入れなかっただと?努力しろ!!ボケナス!!」
→「努力したんだお!でも、入れなかったんだお……」
→「pgrwwwww努力しても公立入れないオツムなら勉強しても無駄wwwじゃあ高校はいるなよwww」
→「頭悪いけど、学びたいんだお!!僕は!!」
→「あ?贅沢言うんじゃねえよ、頭悪いんだから」
なんてこと言うけど非モテ問題だと
「彼女が欲しいんだお」
→「は?欲しいなら努力して好きな女振り向かせろよ」
→「努力したお!あれもしたしこれもしたし……でも、でもダメだったんだお!」
→「pgrwwwwwwwwwwそんだけ努力しても彼女作れない人間ならもう努力しても無駄wwwwwそんな人間ならもう彼女なんか望むなよwwww」
→「でも彼女欲しいんだお!!とにかく欲しいんだお!!」
→「は?贅沢言うんじゃねえよ、お前は彼女できない人間なんだからしかたねーだろ。全ての男に彼女ができるわけじゃねーんだから、できない奴はどうしようもねーだろ現実見ろよ」
っていうと何故か反発する件。
ていうかそれ以前に
「彼女欲しいお、でもできないお」
→「欲しいなら努力して好きな女振り向かせろよ」
→「なんで努力しなきゃならないんだお!!!彼女を作るのになんでオシャレしたりコミュになったりしなきゃいけないんだお!!!」
→「だって、つきあいたいんだろ?彼女にはそんな気ないんだから、お前が頑張るしかないだろうが」
→「やだおやだお!努力なんてしたくないお!彼女作る努力なんていやだお!」
→「ああそう。じゃあいいじゃん、そのままできないままでいれば」
→「それもいやだお!彼女は欲しいお!!」
→「あのなぁ。お前何様なんだよ」
→「何様って言われたお!こんなことくらいで何様なんていわれるなんて、非モテは黙って努力してろってことですかお、あーそうですかお、これだからマッチョは。これだからリア充はwwwww」
→(だめだこいつ……早く離れないと……)
なんて事を言ったりするんだよなw
これは上記の学校のことでいえば
「私立助成金減らされると困るお、金ないお」
→「は?金ないなら公立はいれよ、ハナっからよ」
→「頭悪いから、公立入れなかったんだお…でも、勉強したいんだお。でも助成金減らされるとキツイんだお」
→「はぁああ?!頭悪いから入れなかっただと?努力しろ!!ボケナス!!」
→「なんで努力しなきゃいけないんだお?!これだから頭のいいやつは!マッチョは!」
なんだが……
お前らって本当、屈託もなくダブスタやるよな☆
「子供ができない人の事を考えろとかpgr」てな話がでてきたりしているが
こういうとき結構多数派を占めるのが
「いや普通にめでたいことなんだから素直に喜んでおけよ…いちいちケチつけんな」
とかいう感じのコメントなのな。
はてなでも(というとはてなを幾分変な目で見てしまっているかもしれないが)そうなのだから世間はなおさらそういう人の比率が高い気がする。
「素直に喜んで置けよ」的なことはしばしば言われるが
そもそも、「素直」ってそんなにいいことか?
素直に喜べばいいのに、というが、素直に喜ぶことっていいことなのか?
「素直に喜べばいいのに」というのは「素直に喜ぶ」ことが善だという前提が(すくなくとも言ってる側には)あるからこそ成り立っている言葉だ(じゃなかったら意味がわからん。「本がほしいなら盗めばいいのに」にはみな、「いやいやいや!何いってんの!」とつっこみたくなるだろう)。
しかしその前提である。
その前提がまずどうなんだと。
素直でありゃいいなんてまあんなわけないわけで。
「おはようございます!先輩、今日もブサイクっすね!」とか素直に言われても困るしだな。
皆が皆素直であったらおそらくこの社会は成り立たない。
素直ってのはまず、そもそも別に「善」ではない。善になるときもあるが、善にならないときもたくさんあって、一概に善とは全く言えないのだ。だから、「素直に○○すればいいのに」という言い方は、その正しさが全く保障されていない。正しさというと、またあいまいな概念で議論を呼び起こしそうなのだが、要は、「素直に○○すればいいのに」っていうのは「てか俺的にはハンバーグを食べればいいと思う」と同じレベルでしかない、個人的な好みをいってるだけのものにすぎないということだ。
そこにまず気がついて欲しい。
「素直に○○すればいいのに」
ときたら、だから、
「なんで?」と俺は聞きたい。
なんで素直にすればいいの?
問題はそこからなのだ。
なぜそれがいけないか。
(個人的にはいけないとか、結婚制度廃止すべしとまでは思っていないが)
要は、結婚を祝福すると、それは同時に、「結婚しない」ことを貶めることになるからである。
子供をおめでとうと称えると、子供がいないことを貶めることになるからである。
はぁ?!と思った人、ちょっとまぁ座ってくれ。
足が速い、というのは、一般的には「いいこと」とされている。
しかし、もともと、足が速いの遅いのということに、「いい」も「悪い」も存在しない。
「足が速い」のが「いい」とされているのは、人間が、そういった価値観を定義したからである。
「足が速い」=「いい」ってことにしようぜ。
そう決めたからである(もちろんその定義はある日突然決まったのではなくゆるやかになんとなく根付いたのであるが)。
そう決めたから、足が速い子は称えられる。100メートル走でも足が速い方が「金メダル」なのである。
すべてそういったものは、自然にあったものでなく、人間が勝手にそういった価値を付随させただけである。
もともとあるものは、ただ、「100メートルのタイムが、10秒02である」という事実だけである。
「いい」とか「悪い」とか言うのはすべて人間が独自に決めたものだ。
あるのは、存在のみである。
そこで、「足が速い」というのを、「いいことだ」と決定するとする。
つまり「足が速い」ことに、価値を授ける。
そうすると、必然的に、その反対である「足が遅い」ことは、「価値がない」ことと「なってしまう」。
積極的に足が遅いことをけなそうとしたわけでなくとも、間接的にそうなってしまう。
価値を付随させる、あるものに価値を見出す、というのはそもそもそういうことなのだ。
あるものを際立たせるとき、それがそれだけで際立つことはない。
それに価値が出るのは、必ず「そうでない他のもの」との比較が根底にある。
「結婚」「子ができた」ことを称える。
そこに価値を見出す。
そうするとそれは必然的に「そうでないもの」には、その観点においては、価値がない、ということになる。
勿論ほとんどの「結婚おめでとう!」と言っている人たちには、結婚していない人を貶めるつもりはないであろう。
しかしそういうつもりがあるかないかのレベルの話でなく、そもそもあるものに価値を見出す、あるものを喜ぶ、あるものを称えるということは、すなわちそうでないものを落とすことに等しいのだ。
落とす、というのは御幣があるかもしれない。どう見ても構わない。要は「差」の問題である。その「差」があるからこそ、価値が出るのだ。
問題は、その「差」に、人間たちが「いい」「わるい」をつけてしまうことだ。
そしておそらく反婚者や、子供ができない人のことも考えろ派は、その「価値観の前提」のところに疑問を投げかけているのである。
そこまで考えたことはないといっても、結婚をおめでとうという、子供が生まれたからおめでとうというこの社会は、明らかに「結婚・出産はすばらしいものである」という価値観がある。
その価値観が、「間違っている」というのではない。
あらかじめその価値観が決定されており、そこに誰も何の疑問も抱かずその価値観コードに従っているということが問題なのだ。「この価値観で当たり前、何がダメなの?」といっていることこそが問題なのである。
「素直に祝っておけばいいのに」というのは、「このすでに存在する価値観コードにお前も問答無用で従え。なぜって?だってそうなってるから」っていうことなのだ。素直に、と無邪気に言う人のある種の怖さというか、なんか全体的に臭う「考えてなさぶり」というのはここに起因する。まー要は、そのまんま、(ほとんどの人がそうであろうが)何も考えてないのである。無邪気に既存の価値観コードに従って、それで満足なのだ(特に不便もないから)。自分が不便じゃないから、その価値観コードで不便な人が反婚だとか子供ができないひとのこともかんがえてくれと言ったところで、「知るか」「素直に従っておけ」なのである。少数派なんて知るか、俺達私達この既存の価値観で別に不便じゃないんだから、異論を唱えるあんた達がどうかしてる、こっちに有無を言わず従え、ってなことを、言っているのだ。しかしおそらく、本人達はそういうことを言っていることにすら気がついていない。「素直な良い人」であるつもりなのだ。
「でも、じゃあ、どうしろっていうんだ?そっちの価値観に変えればいいのか?そしたらそれはそれでまずいんじゃないか?一体どうすればいいんだ?何の価値も感じないまま、ただあるものを事実として受け止めていくだけってそれはあまりにつまらなくないか?そもそも実現が可能とは思えないし」
といいだす人がいるが、「じゃあどうするよ?」ってのはまた別の話だ。ここではそこまでやると時間がないのでやらない(てか俺にもわからんし)。
こういう話をするとろくに読まないまま「じゃあ隣のご夫婦に子供が生まれても何も言うなというのか」とか反論になってない「つもり反論」を言ってくる人がいるのだが…そういう人はこんなエントリを読む前にまず詭弁論理学でも買って読んでいてくれ。
以下はつぶやき
…しかし、あの反婚デモは、言わんとすることは分かるのだが、戦略がまずかったよ。
この世の中に突然あれじゃ、そら伝わらんだろ。
あれじゃ「なんだか変なことを言ってる人たち」として消化されて終わりだ。
まあまあ。
生暖かく見守ってればいいと思うよ。
影でpgrしててもいいし。
本人はシリアスなつもりでいるんだろうけど、
喜劇以外のなにものでもないよね。
これがねえ、逆に聞きたいくらいなんだよ。
「なんで子供がほしいの?」
本当にわからないんだよ。思いつくのは
1.老後が安心
2.旦那をつなぎとめられる
3.DNAを残したい
4.女にしかできないことをやりたい、本能
くらいなんだけど、1は自分が働いてがんばって貯金してるし、今時親の老後を見ない子供は多そうだ。2は「子供がほしくないならいいよ」って彼氏と付き合ってるから今のところ関係ない、3は自分のDNAなんか別に残したくないし、4の本能はどうやら私にはない。
追記:「子供がないなんて半人前」「子供もいない女なんてpgr」と別増田が書いてましたが、今のところそういったプレッシャーを回りから受けていないので、子供がほしい理由にはならないのです。
マイナスなら
1.金かかる
という明らかなものが思いつくし。
不確定要素として
1.生んでみたらかわいい or かわいくない
2.すごく優秀に育ってくれる or DQNで苦労をかけられる
があるけど、これがうまくころんで「かわいい」「優秀」になるならともかく、「かわいくない」「DQN」になるリスクがあるなら生みたくないし。
なんか既に情報が交錯っーかごちゃ混ぜになってきているので自分の備忘録用
ほとんど叩かれていなかったはず。自分が2chで見た動きだけなので、mixiの動向は知らない。
まあ名前はpgrされていたけど、ほとんどが外潤氏と幸せにねっていう感じ。頭の弱い子認定されていた。それに、今回の件は彼女が情報を洩らしていたおかげで糸口が開けた。感謝はしている。
喫煙は煙草の箱(マルボロ)を咥えた写真と「スポンサーになってくださーい」というふざけた文章があった。
飲酒は外潤氏の友人の日記に「外潤が持ってきた酒を飲んだ」という記述のみ。
友人の日記に「原付で2ケツしていたら警察に追われたので逃げた」という記述。
あと、差別用語位か。
キスプリに関しては特に批判は無し。んなもん載せんなよとは言われていたと思う。
興行主であるマーベラスに対してここ最近不満が溜まっていた。
(四代目にファンが慣れてきた頃に五代目発表、かなりの長期日程、海外公演、不可解なダブルキャスト制)
そこにきて、あの跡部の発表である。最初は前任者と比べると顔がアレで叩かれるものの、援護する人もいた。が、上記の様な素行が明らかになるにつれ、批判が増えていく。
かねてからマーベラスの対応の悪さに腹が立っていたのがここにきて爆発した形で降板運動に繋がったのだと思う。跡部役と忍足役のみダブルキャストでは無かったので、公演を見に行くなら、必ず外潤氏を見なければならないというのも重要なポイントかもしれない。
あと、これからの公演のキャスティングもこれ位のレベルの人間(素行の悪さと脇の甘さ)を連れてこられたら困るという思いや、今までキャストの人がちゃんと隠してきた側面をこいつが問題を起こす事で明らかになってしまうのではという恐れもあった。
ファンとしては、元々素行が悪かったりしても、隠していさえすれば別にいいのだと思う。とりあえず、芸能人なのだから夢を見させる努力は怠るな、という事が重要なのかな。
ほとんどの人はこんな事は二度としたくないと思っている、はず。自分は二度とこんな事はしたくない。いくら自業自得とはいえ、一人の人生を潰してしまったようなものだから。
多分、同じくらいの素行の悪くて脇の甘い人間が来ない限りこんな運動は起こらないだろう。顔が気に食わないだけでは、こんなに大きな問題にはならなかった(頑張ればファンは少しくらいついたはず)。それに、こんなに問題になったのだから、次からは叩いても埃の出ない人間を選ぶだろうと思いたい。
とりあえず、気になった点だけ。多分間違ってる部分があるので書き足すかも。
別にこれらは特殊な例ではなく、どこでも頻繁に起こっている事だと思う。
そうする気にはなれない
・一例目
元彼高校生男子はやりたい猿、よくあるタイプだし、擁護もできないが
そんなにキモイと思った相手と何で付き合いを継続したの?って感想だ
双方経験が無くて慌てすぎ。典型的な童貞処女カップルは続かないパターンに見える
・二例目
後から振り返って、元彼が全部悪いことにしているように見える
そんなに大騒ぎするほどの問題とは思えない
この二例は立たなくてpgrされた男のしょんぼり具合と似たようなもんじゃないの?
最初の一回にかかわっては男女にかかわらずうまくいかず微妙な想い出になるもんだろうし
傷つかずに恋愛したいというのも虫のいい話だ
これって…トートロジーじゃね?
そもそもからして、
「この人にとって、理解できない人たち」=「女性」
「この人にとって、理解できる人たち」=「男性」
という「定義」にしてあるから、そこから生まれる結論が「えーい理解できん!」なのは、当たり前と言うよりも、完全なるトートロジーであり何をしたいのかさっぱり意味不明だ。本当は意味不明ってわけでもないが……おそらく、意図的にマイ定義「女性a」「男性a」(便宜的にaをつける)と、一般的に言われる定義の「女性」「男性」を意図的に混合して、さも単なるトートロジーを「自分の論が正しい」というように見せかけようとしているのだ。そしてこういうやり方をやる人は結構いるのでさして意味不明ではない。俺嘘ついた。
要するにファッション命でもない女性とかファッション命である男性、などは、そもそも彼の「男性」「女性」という区分け外の生物であるということだ。あるいは彼の論にあたって、都合のいい結論になってくれるような都合のいい女性・男性サンプルだけを拾い集めて女性、男性の全てということにしているといってもいいが。
こういう人は、「自分の言い分(今回でいえば女ってマジわかんなくね?ファッション命とかマジわかんなくね?)を認めて欲しいけど、主観満載だから突っ込まれちゃう…」ってことが分かっているからこそこうして変にいじくりまわしてなんかいっちょまえの論っぽく体裁整えてるわけで、結局は、自分の言い分に自信がないけど認めて欲しいという気持ちの裏返しなわけだ。この論が通用しないというのはだから本人が一番良く分かっていて、俺が今更「トートロジーじゃんwwwwpgrwwwwww」とかする必要もないけど俺は意地悪だからするのだった。