はてなキーワード: 自己嫌悪とは
つい今しがた帰宅したんだが、最寄り駅で電車降りてエスカレーターくだってるときに携帯で盗撮してるのを見てしまった。
こう、なんかね、前に女性がいてすぐ後ろに男がたってて近っ!とは思ってたんだ。と思った瞬間に携帯取り出してスカートの中に入れてんの。で、俺はそれに気がついてちらっと見たところ、男は俺に気づいたのかきょどりだした。
それで・・・まぁ結果から言うと何もできなかった。
それを見た瞬間はホント純粋に「うわー」って思っただけで、体が勝手に動き出したとか気づいたら大声だしてたとかそういうの全くなし。きょどってる男を尻目にエスカレーターを降りた。もちろん「何かしなきゃ」的なことは思った・・・気がするし、「どうしよう」とも思った。それでも体が動くことはなかったんだよね。なんでだろうか、自分でもわからないし納得はいってない。
とりあえず今はちょっとした罪悪感にとらわれているところ。「ちょ、まてよ!」っていいながら追いかけたりしたらどうなったかなーとか、きょどってる男をガン見したら逃げ出したかな・・・そうしたら追いかけたかもな。とかもう様々なことが巡り巡ってる。
まぁ色々思ってみても何もしなかったという事実は変わらないんだけど。俺ってチキンだなーと単純に思う。チキンというか最低というか・・・。
でも、こういういざってとき体は動かないんだなーっていう風なことも思ったり。たぶん秋葉原事件の時に近くにいたとしてもなにもできなかったんじゃなかろうかと思う。元々俺に正義感がないことも原因かもしれない。というか、当事者になることが怖いんだ。何か目の前で事件が起きていても、それは他人事であって、自分には関係ない(と思いたい)。当事者になることで痛い目を見ることもある。最悪殺されることだってあるし、今回だって何かの間違いだったらどうなるんだろう?って考えもあるし。そういう保守的な考えが根底にあって、目の前の事件から逃げているだけなのかもしれない。
世の中には、こういう現場に出くわしたとき行動を起こせる人がどれほどいるんだろうね。こういう風に逃げてしまう輩はやっぱり少数なのかな。俺みたいなのが言うのもアレだけど、願わくば行動を起こせる奴らが多い世の中であることを願うよ。
まぁとにかく今回の俺の「行動」はとても褒められた行為じゃないわけだけど、次に事件に出くわしたときは「正しい行動」を起こすことをここに誓いたい。そんなことは2度とないかもしれないけどね・・・。
そしてまた自己嫌悪。
どうも、増田です
あれから4日間が経つ
この短い間に頭の中で様々な感情が駆け巡り、日常に戻りながらも
どこか違う世界にいるような日々が過ぎた
彼女、問題の男、その場に居合わせた信頼の置ける友人、仲の良い友人
に相談に乗ってもらった
彼ら・彼女たちは整理し切れていない感情と言葉に耳を傾けながら
真摯に僕の話を聞いてくれたし、考えやアドバイスを僕にくれた
そして何かにすがるように書いた増田、
「誰でもない誰か」がやり場のない叫び・嘆きのような言葉を受け止め
反応してくれたことがとても嬉しかった
僕と彼女のことを話すと、
僕のほうは、事件があった後とても混乱していたけれども
やはり彼女のことが好きだという気持ちは変わらない、ということが分かった
そして彼女を幸せにするために事実を受けとめて、彼女のことを大切にしようと心の中で決めた
と同時に、彼女に対する一抹の不安が残っていることは確かだ
「彼女から誘ったのでは?」「彼女は『そういう』女の子なのか?」と
彼女を疑う気持ちが拭いきれない
彼女に会って別れ一人になる度に、孤独や淋しさに似た感情を抱く
彼女のほうは、薬を飲み、無くなっていた食欲も回復し、
日常生活に戻り、僕の食事の誘いや、彼女の好きな花にも喜んでくれ
完全とは言えないが、想像していたよりも最悪ではない…そういった感じだ
(彼女が元気でいることが、逆に不安にさせることがあるが、それは僕自身の問題であろう)
そして、人に話を聞くうちにとてもショックな事実が分かった
彼女を犯した男が、その日のうちに、別の女-それは彼女の親しい友人の一人でもある-
とセックスしていたということだ
その女の子は、「一夜限りの」関係を好む子だし、男のほうも同様だから
その二人の関係自体は問題がないのだが、
歩く性器のようなその男や、友人がその男のに犯されていたという事実を知りながら
友人のケアよりなにより自分の性欲を満たすことを選んだその女の子の行為は
全く理解できないし、仮に神のような寛容さをもってしても理解したくない
彼女はそのことを知っている
とても傷ついていた様子だった
>>http://anond.hatelabo.jp/20080701033049
一番混乱していた時に増田の文章を見たときに
自己嫌悪に陥りぐるぐる回っていた感情が
何かはっきりしたものに変化していった気がしたよ
腹をくくりきれていない部分もあるけれど、彼女のことを大切にします
>>http://anond.hatelabo.jp/20080701045044
警察には届けないことにしました
とても特殊な状況だった、ということや、
幸いにもレイプが始まってからすぐに止めることができたこと
少し筋違いかもしれませんが
僕と彼女のなかにしまっておこうと思います
彼女に警察のことを直接聞いてないけれども、できれば僕たちの中で解決したいと思っています
>>http://anond.hatelabo.jp/20080701202206
だいぶ落ち着いてきました。ありがとう。
あなたの気持ちを一番に。
被害にあったとき、誰もがどうしようかと悩みます。どうするのかはあなた自身が決めることで、自分が望むようにすればよいのです。こうすべきとか、こうしなければならないということはありません。何かやるにしても、何もやらないにしても、自分のためにどうしたいかを考えること、それが大切です。
この言葉がとても頼りになりました。
自分自身や彼女の中で受け入れること、やるべきこと、
これからも二人で時間をかけて話し合いたいと思います
被害を疑ったり、あなたを責めたりする相手に出会っても、わかってもらえないと悩むのはやめましょう。あなたの被害を理解しない人たちに対して、あなたは状況を説明する必要はありません。
幸いにも彼女も僕も良き相談相手がいて、しっかり受け入れて貰えているようです
夫・恋人のこと。
男性は被害の性的側面にこだわりがちです。また、強姦神話にとらわれていると、抵抗できたのではとか、望んでいたのではないかなどと思ったりして、あなたへの思いやりよりも、自分の悩みのほうに重きをおいてしまうことがあります。
まさに僕の精神状態を言い当てている文章でした。
混乱していた当初、「自分自身の悩み」が頭の中で膨れ上がって
一番大切なこと、「彼女に対する思いやり」が凌駕されるところでした
状況を事細かに文章にすることは、最初試みていたのですが
限られた情報を元に主観で書いてしまうことへの自重の念があって書き直しました
今は客観的にそのときの状況、関係者が分かってきています
アドバイスをもらうためにももう少し説明したほうが良いところもあると思います
それは心の整理をつけながら。
>>http://anond.hatelabo.jp/20080701205636
>>http://anond.hatelabo.jp/20080701215851
>>http://anond.hatelabo.jp/20080702011043
拙い文章で申し訳ない
僕・彼女から観て男は「顔と名前を知っている」程度です
顔見知りであるもの、そうでないものを含めて、
30人ほどを集めてキャンプのようなことをしていました
事件のとき、僕たちは結構お酒を飲んで
暗がりの中20人ほどで思い思い語り合っている、という状況でした。
これは嘘ではないですが、まだ書けないですがもう少し「特殊」でした
>>http://anond.hatelabo.jp/20080702135123
というのは昨日知りました。
もう一度男と直接話し合って見ます。
当日の朝、男が昨日夜のことをはっきりと覚えている、ということを確認した上で、
「君は彼女のことが好きなんだから、体のことも心のこともどうするか考えるのは君次第だよ」と
筋違いの態度を取っていました
その場で感情を殺し、彼の行為・事実に対する非を認めさせ、
今日ではなく、彼女が落ち着いたらちゃんと謝ってほしい、ということを伝えました
事後に知った事実を含め、彼とはもう一度話す必要がありそうです。
>>http://anond.hatelabo.jp/20080702183155
今でもあの状況でお互いを慰めあったことが正しかったかどうか分からない
でも、それは確かにあった
あとは二人で考えて行こうと思います
彼女のことが好きでいながら、いろいろな理由をつけてはっきりと言葉にすることができずにいたんだ
二人の現実をこれから考えていくよ
二人を重ね合わせることで喪失感を埋め合わせていたことは確かだ
でも、それが僕と彼女にとっての「雪かき的仕事」だったとしたら
読んでみます
もう少し書くかもしれないし、書かないかもしれない
増田が混乱している以上に、彼女はもっと混乱しているんじゃない?
しっかりしようぜ、で、大切にしてやろう。
自己嫌悪なんてしている場合か?四の五の言わずに増田が幸せにするんだろ?したいんじゃねーの?
違う?違わない?もし違わないならそうしろ。腹くくっちまおうぜ。
とりあえずおやすみ!
場面に、幸か不幸か居合わせていた。
拙い文章でその日のことを書いていたが、気持ちの整理ができていないのか
最後まで書き上げることができなかった
掻い摘んで状況を話すと
その出来事の後、彼女は僕のことをずっと好きだったと言った
僕も好きだったことを伝えると
彼女はコンドームを取り出し「慰めてほしい」と言ってセックスをした
次の日に僕は念のためを考えて
後日二人で会って話し
彼女に「ちゃんと付き合ってほしい」と伝えた。
彼女は頷いた。
恐らく、今僕と彼女は付き合っている
だか、この腑に落ちない気持ちは??
彼女のことを好きだという気持ちはあるが
それが本当の気持ちなのか、また分からなくなってきた
恐らく
頭が混乱したままセックスをしてしまったこと
彼女を信用し切れていないこと
彼女やレイプした男の前で平静を装って振る舞ったことに対する自己嫌悪
男に対する怒り
複雑な状況と心境が絡み合って、頭を悩ませている
とにかく、事実は消せないことは認めて
あとは僕がこのことを飲み込めるかどうか、
そして彼女の気持ちを
少し時間をかけて確かめてみることにする
夜遅くに自慰のような文章を書いて申し訳ない
こんな弱い男だとは、自分でも思っていなかった
おやすみなさい
「頭の悪い女が嫌い」という発言にどう対処すればいいのか。いつも友人相手なら「そう」とか「そうだよねぇ」とかちょっと笑いながら言っていた。すると心の中では「自分の事頭いいって思えるんだ」だとか考えてしまう。で、その後に自己嫌悪にちょいとだけ陥る。自分だってそういう発言した人の事を馬鹿にしてんじゃねぇか。みたいな。僕が誰かを馬鹿にしたくないという事なのかもしれない。それはそれでキモイ。ただ世の中の人の頭ってのはあんまり違いはないよ、みたいな事ではない。つまり、対処の仕方を考える事でその人を一段下に置くという事にはしたくない。そこで、詰まる。あぁ、とか思う。
「器の小さい男が嫌い」そういう発言をした人の対処はどうすればいいのか。『器が小さい』これはもちろん罵倒に使える。万能でもあるといえる。「ケツの穴が小さい」は強調したいときに使える。言われた人にとっては言い返す言葉は限られてくるんじゃないのか。「さぞかしアンタはケツのでかい女なんでしょうな」みたいな。いや、まぁそれは嘘だけど。それに下手すれば褒め言葉だけど。話が逸れた。『器が小さい』を定義しろという事じゃない。「器の小さい男」という言葉の存在を否定したいわけじゃない。「頭の悪い女」と一緒でそれは当然ありだと思う。ただ、対処が面倒くさい。「器の小さい男が嫌い」→「こいつは頭の悪い女」のコンボが発生したりするから。そうなってくると、もう僕にはお手上げです。
俺もウィスキーパカパカ開けてひどく嘔吐したような記憶がある。
酒に酔っても人に絡まないたちなんでそこだけは安心だが、それにしてもひどく迷惑かけてたよなー、と今更ながらに自己嫌悪。
それ以来ちょっと強めに自制するようになったため、酒に関しての失敗はこれっきりだったな…。
今思い出しても、気持ち悪さと申し訳なさが蘇ってくるorz
なんか思い出したからつい吐き出しちまった。
元増田です。
http://anond.hatelabo.jp/20080618131127
罪悪感という意味では、「風俗に通っている」という世間体が気になる、って感じでしょうか。
あまりよくないなぁと思いつつ止められない感じ。きっとタバコみたいなもんだと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20080618132327
さすがに借金してまで通う感じじゃないです。
仕事のストレスを風俗で解消してるって感じかな。このストレス元がある限り、まぁ借金することはないと思いますw
http://anond.hatelabo.jp/20080618132109
行為そのものよりも、見知らぬ娘と限られた時間内でいかに楽しく過ごすかという訓練というか、特殊な状況を楽しむというか。
そうなのです。行為だけなら一人で解消できますからね。
この"疑似"ってのが曲者で、現実の恋愛と違ってかなり心地よすぎる。
この辺も自己嫌悪の原因だったりします。
出会い系も手を出したことがありますが、こっちは本当に行為だけって感じでした。
俺の求めるものじゃなかったので、今は風俗に行き着いたって感じです。
俺は、なんだか憎くなった。この見ず知らずの人を。
人の幸せを素直に喜べない。
そんな自分にまたもや自信をなくす。
本で読んだか聞いたか、情緒的に成熟すると人の幸せを喜べるらしい。
そうかい、俺は駄目だってか、そんなに俺をバカにしたいのか畜生、畜生が。
このように意地を張るのもまたできた人間でないことらしい。
妬みなんて意味わからんと子供の頃思っていたが、いつのまにやら妬みまくりの人間だよ。
幸せな人。そんなに幸せならなぜ俺に幸せを分けてくれない。ずるいよ。自分だけ幸せになってさあ。
あなたはきっと苦労と努力を重ねて今に至っている。でもそれは俺も同じことよ。
自由になりたい。
解放されたい。
昨日、タオルの使い方でかあちゃんとケンカになったので、使い方についてまとめてみた。(←↑序文は必要。箇条書きしたときの偉そうな書き方をやわらげる。)
まず、大前提として
1.タオルは無印やフランフランで買ってはいけない。 (←なんで?と思わせる)
柄付きの安物を揃えるべし。その理由は後で。 (←伏線。下まで読ませる)
○○酒店と書かれたハンドタオルこそ、先人の知恵の結晶なのだ。 (←「これ、深い話かも、、」と思わせる)
次に風呂に入ろう。
2.換え下着の上にタオルを置く。
忘れがちだがこれは鉄則。風呂上りにタオルを取るとき下着の下にタオルを置いてしまい、下着を濡らしてしまう事件が近年多発しているのだ。
(↑日本人は「鉄則」に弱い。最近の事件に言及して他人事ではないと危機感を煽る)
さて、風呂からあがったら
3.すぐにタオルを広げてはいけない。
何も考えずにタオルを広げるのは愚の骨頂、ここは一旦手を止めて考えよう。
タオルとは縦1m×横0.5mほどの長方形の布である。
そして吸水性を増すために分厚くなっており、表と裏と両面が使える。 (←事実の確認)
ここで考えるべきなのは、濡れた体に対するタオルのゾーンディフェンスである。(←日本人はカタカナ語に(ry)
「濡れた体」という「面」で押してくる敵に対し、隙のあるスペースを作ってしまっては失点=拭き残しにつながりかねない。
この戦いの敗残者にはべっとりと張り付く下着が待つのみである。ただしウェット&メッシー好きにとってこの瞬間は歓喜であるが。 (性的マイノリティへの配慮)
ではなにをなすべきか。
初心者は表と裏をそれぞれ2分割したfour Zoning体制が良いだろう。慣れてくれば6分割zoningが使いやすい。(←日本人は横文字に(ry)
ここで1.に戻ると、無印などではカラフルな無地のタオルが揃っている。毎年大勢の上京者がオサレなアーバンライフを夢見て買い揃えてしまい、表裏がわからずに自爆事故を起こしてしまう事件が頻発している。一人暮らしの上京者にとって後述するポイント9.のような事故と自己嫌悪が都会の孤独感を増幅させていると警鐘を鳴らす有識者も多い。(←有識者の言葉の重みを利用、ただし「識が有れば有識者」なので自分が思ってればいい)
5.最初に髪を拭く
髪はタオルの裏の第一ゾーンで拭く。だが、あくまで撫でる程度、水滴が滴らないくらいで良い。なぜ髪からなのかは次に説明する。(←伏線その2)
6.表の第一ゾーンで顔を拭く。
顔はゴシゴシとこすってはいけない。顔に軽く押し付けるようにして拭く。
人間は顔を拭くとき実はかなり強い力をかけてしまっている。意識してみるとちょっとしたダンペルを持ち上げるほどの力をかけているはずだ。これではいくら柔らかいタオルでも医学的に考えると肌への摩擦刺激はかなりのものだ。摩擦刺激が大きいとき、肌は防御のために角化し始め、肌を傷め老化させる結果となる。ここは注意が必要だ。(←「医学的」とか使うと説得力アップ)
また、髪を拭いたゾーンの裏で拭くのが好ましい。ここでポイント5が役に立つ。
人間は顔に落ちた水滴に弱い。これは本能的に不快なもので、古来から拷問にも使われているほどだ。(←とりあえず歴史を語っとけ)
髪から滴る水滴は何度もゴシゴシ拭いてしまう原因となるので先に髪を拭いておくこと、そして髪から取った水分でタオルが柔らかくなっているために肌にも優しいという一石二鳥なのだ。
7.次に背中を拭く
安易な考えの人はそのまま右手に持ったタオルで左の手を拭き始めるだろう。
こういう左手イデオロギーな考えしかできない左翼は死ねばいいのに、と思う。(←とりあえず悪者をつくっとけ)
また、一説によると特定アジアの人の5割はこのような拭き方をするらしい。野蛮すぐる。(←たぶん、誰かが食いつくので適当に装入しとけ)
背中はタオルがくしゃくしゃになる前に表の第二ゾーンで背中をサラッと拭く。これは、背中という場所がなかなか拭きなおせない場所だからである。
8.腕と腹部を拭く
次に背中と同じ面を使って腕と腹部を拭いていく。この部分は意外に面積が小さい上に拭き直しも容易だ。
ただし、髪を拭いた面と同じ所で拭くと、抜け毛が張り付く危険が高い。そして我々は最大の難所へと向かう。
9.股間を拭く
ここが一番のポイントだ。まず注意すべき点として、タオルは裏の第二ゾーンを用いる。
これを間違えてはいけない。ゾーンを間違えて髪の抜け毛が下の毛に絡まったり翌日二度使いしたときに間違えてこの面を顔に押し当ててしまったという事故は日本全国で多発している。都市計画の様に着実に冷静にゾーニングすることが大切だ。
ここは水気の切れ難い場所なので強めにゴシゴシ拭いて構わない。ただし、事前にきちんと下処理をしておかないといけない。詳細は省略。(←妄想を喚起、説明しすぎるのも良くない)
10.最後に足を拭く
この時点でもうタオル使いには慣れていると思うので太腿は普通に拭けばよい。少し問題なのは膝から下だ。特に男性はすね毛の問題がある。
実はすね毛の抜け毛は意外に多い。人の家でシャワーを借りてバスタブで体を拭くと短い毛がパラパラ落ちるので気持ち悪がられないように注意が必要だ。
また、シャワーで洗い忘れやすい足の裏も要注意ポイントだ。タオルのどこを使うか、この問題は世界に誇るタオルの町、愛媛県今治市の長老たちの間でも議論が別れるが、医学的な見地から私は髪を拭いた面を使うことを勧めたい。それは股間と足指に多発する感染症が共通しているからだ。(←意見が別れてると書くと、この記事を起点にして話が回るようになる)
黒のストッキングとかなら目立たないのは分かってる。
でも、ストッキングの中で渦巻いている毛を見ると、自己嫌悪に陥るんだよね。
定期的に剃ればいいって話なんだけど。
同意を得られるとは思ってなかったのでなんか嬉しかったです(笑
お互いつらいですね・・・
まぶたは疲れると痙攣しやすいようなので、連休があれば
ゆっくり疲れを取ってください。
また、今日もいらいらしてしまいました。
自己嫌悪・・・・
あの子が死んで二年目の春を迎える。
花粉が飛散していたある日、
「結婚して」と言われてしまった。
(中略)
昨年夏から落ち着いたと思ったけど、
二度目の春がまたやってきた。
僕はもう一度、桜を見上げることが出来るのだろうか。
↑これを書いた後も、なんどか増田に書き込ました。
これまでの経緯はウダウダと長いのですが、
というのがその過程。
しばらく花粉症でダウンしていたので続きの書き込みもしませんでした。
スギの飛散のシーズンがようやく終わり、桜も咲いてきました。
結論から言うと、4月になって街を桜の木々が覆うようになっても、
昨年春や一昨年のような不安な気分はやってきませんでした。
2ヶ月前の眠れない夜、
それを何度か繰り返し、言葉にすることで、
相対化できたのかもしれません。
もちろん、ここで書いた内容、そして僕の心境の変化が、
「事実」なのかと言うと、それは自信がありません。
98%は実際に僕と周囲の人たちとの間で起きたことをそのまま書きました。
でも、いくつかは僕の願望や憶測で書いたところもある。
あえて書かなかった、触れなかったこともある。ウソがないわけではない。
自分の心の中を文字にする。
その過程では、なんらしかの情報の取捨選択は始まってしまう。
僕にとって理想的かつ都合のいい"物語"に変質している可能性もある。
それは"率直に"、"本音を"語られる他の方も同様でしょう。
でも……それでいいんだと思います。
そして文章に出来なかった
を理解する。
そうしたメタ的な作業を繰り返すことで、
ある種、新たな発見がでてくることもあります。
僕の場合、
ということに気付きました。
それは彼女にとって幸せなのかそうじゃないのかまでは分からない。
もう少し生きていたら、僕は共依存関係に確実に巻き込まれていた。本当に潰れていた可能性もある。
でも、もしかしたら彼女や僕が感じた絶望感とは違う未来像も存在し得たのかもしれない。
少し、気分は落ち着きました。
飲んでたらおっさんが来た。
おっさん曰く;
お前ら全然わかってねぇ!(ビールジョッキで机をドン!)
だいたいからして男女どっちにしたって俺達はあらゆるコンテクストからは逃れられねぇんだ。雨の日も雪の日も、いつだってあらゆる形容詞のついた慣性に従って日々をすごしてる。その鎖からは誰だって逃げられやしねぇ。防衛本能なんだよ。人間に備わった、な。そこで、だ。君らが今議論しているヤリマン女というのはやね、まるでその子を自分と切り離して考えてるみたいだが、そのヤリマン女も一皮向いてみれば君らとおなじなんだって。ただ、コンテクストが違うんだ。君達が考えてる昇進や、卒論や、研究テーマや、年俸や、LifeHackや、NetHackや、転職や、そういったものと違う。それがな、彼女らが読み続けてきた少女マンガであり、ファッション雑誌であり、テレビであり、ネットであり、モバゲーであり、イケメン信仰であり、(他なんとか言ってたけど忘れた)…ブツブツ…人それぞれ違っとるんだ。コミュニティの選択の問題なんだ。そのコミュニティの中でよいとされるものを取捨選択しておるだけなんだ彼女らは。
ちょっとこのてんぷらもらっていい?…あっ、スルメ。うまいなこれ。
(ここから普通の会話が十分ほど続いた。俺と連れは目をぱちくり)
…せやねん。あかん、関西弁でてしもたが。ようはな、自己嫌悪と自己より他者を優先する規律の中で、自らを穢すことでしか自分の存在を認識できない子もいるねんということや。あれやで、でもな、それは認識とちゃ、ちゃ、ちがうんだって。自らを穢すことで、自分の中での自分の位置づけと、周囲から見た自分の位置づけを一致させようとする行動なんや。…だ。生物の社会的な行動の一環なんだ。うん。でな、こわいのがな、いつか、その、自分の抑圧は、ダムが壊れる。流れ出す。するとや、どうなる?
…それが潮や。
やからな、避妊はしろよ。あかんで。子供できたら。潮時っちゅうもんがあるからな。フフ。学生やろ、君ら。それじゃな。
…そういい残して、嵐のようにおっさんは去っていきました。
残された僕と連れは、笑うこともできず、ただぼけっとしてほとんどなくなったスルメのてんぷらをつつき、東京にはまだ闇が残っていることを知りました。
基本的に人間はろくでもないものだと考え、注意をせねば
とは思うのだが、
自分が「ろくでもない」と思う人間が存在する、というのは全てテレビ・ネット・本・聞いた話などなど、間接的な根拠しかなく、
これまで直接会った人間に対して人間不信に陥るほど酷い人間が幸か不幸かいなかったために(忘れているだけかもしれないが)、
ついうっかり人間を簡単に信頼してしまいそうになり、そんな自分に自己嫌悪することがしばしばある。
ちょっと人当たりがいいだけでいとも簡単に「いい人だ」と思いがちになってしまう。
それはひとえに今までそうしてきて何の被害もなく普通に平和に過ごしてきてこれてしまった事にある。
勿論不幸な体験などこれからも絶対にしたくないが、いや絶対にしたくないからこそ警戒したいのだが、頭では分かっていても平和ボケした肉体がどうも条件反射的に平和的な反応をしてしまうのである。
人を疑う事を覚えなかった肉体を条件反射的に疑うまでに進化させるというのはなかなか難しい。
かといってそのためにわざわざ酷い経験をするのは本末転倒だし、何よりしたくない。
ここは地道に人に対して疑いの目を常にむけ、人を簡単に信用せず、基本的に絶望とともに歩むことが肝要なのだと思う。
頑張りたい。
片思いの人に、また会うのを断られた
今は仕事が忙しいから、という理由だった
一度断られてしまうと、二回目を言い出すのってむずかしい
また断られるんじゃないかと
そこを強く押し通せるほどの立場も度胸もありませぬ
なんせ私は片思い
ましてや仕事なら仕方ない
その人がどんなに忙しいかを私は知っているので、そこはわがままいえるはずもなく
だけど
断られたら死にたくなります
全部否定されたようなきもちになります
大げさかもしんないけど
私はまた会いたくて、ちょっとでも一緒にいたいなって思う
だって好きなんだもの
顔をみたいとか、きちんと話がしたいとか思うのって当たり前じゃん
…と、思ってたんだけど
いや…ちょっとまて
当たり前じゃないのかな…
そんなふうに思うのって、重たいのかなぁ
という考えも出てきた
いちばんいやなのは、私の存在が重たく感じられてしまうということ
むかし、とある楽曲で
「僕の存在が君の重荷になるなら その荷物もぼくがもちます」という歌詞があったのだけど
あれ、どうやって持つんだろう
人のきもちを、他人が持つことってできるのかな
たとえば
ふたりで会うときには、明るく楽しく過ごせるように配慮したりとか
もしその人に悲しい出来事があったら
少しでも元気になってもらえるように励ましたりとか
そういうことなのかな
だけどほんとは、その人ともっと一緒にいたいと思ったり
ときどきは泣き言を言ってみたくなったりするんだけど
なんだろう
自分のことは後回しで、きもちを無理にグッとこらえているようにも思える
自分以外の誰かが重荷に思ってしまうきもちを
肩代わりして持ってあげるって、そういうこと?
でもやっぱりすきだから
すきだというきもちは何らかの形で表現したいと思う
その人の思うことを優先したいというきもちと
その人を想う、自分のきもちとのせめぎあい
どっちもだいじ
すごくだいじ
自分がその人を想うことで、その人の重荷になるかもしれないという不安と
それでもやっぱりすきなきもちを否定できなくて、どうしたらいいのかわからない不安
私、ほんとうにどうしたらいいんだろう
自分のきもちを相手に伝えたとたんに、必ず相手のこころにも変化があると思うんだ
いい方向に転べば、まったく問題ないけれど
そうじゃなかった場合
その人も、どうしたらいいのか分からなくなるでしょう
知らんぷりなんて完全にはできないだろうし
前と同じようには接することができないと思うんだよ
その人はうまい具合にスルーしてるけど、私にしてみたら、それはやっぱりつらい
と同時に、私も大人なら、それを同じように
自分の中で折り合いをつけるべきなんだって思っている
でもね、分かってんだよ
どんなにすきといってもすきになってもらえなくて
それを仕方のないこととガマンしてることが、どんなに無茶な話で意味のないことか
だけどそれを無視して押し通そうとしたって、それも無理な話だってことも
すきって伝えただけで、どうしてこうなっちゃうのかなぁ
それが「重たい荷物」になるのだろうか
なんだかんだ言いながら、相手のことをいちばんに考えているふりをしながら
結局は自分のことしか考えていないような気がしてきた
重たく感じられたらいやだといいつつ、自分のきもちは抑えられない
自分のきもちを相手に押し付けて、なんてわがままなんだろうと自己嫌悪に陥る
そういう自分が心底いやになる
卑屈で、情けなくて、その人のことばを待っている自分が
でもすきなんだ
その人のきもちを私がどうすることもできないように
自分のきもちを抑えることができない
こんな悪循環に、どうしたら折り合いをつけられるのだろう
会いたくて仕方ないきもちと
それでもすきで、会いたいと思うきもち
あぁこれも勝手な言い分だ
全部まとめてその「重たい荷物」を私が持つとするならば
どうやって持てばいいんだろう
私が持って済むのなら、それで思いが通じるなら、いくらでも持つよ
だから誰か教えてほしい
重たい荷物の持ち方を
d:id:nichijo_1の元エントリで問題にされている「射精=イク」なのかどうかは、「イク」の定義が難しいので置く。
オーガズムの有無を論ずる前に、セックスについて語る前に、射精そのものについて、もっと語られなければならない。
射精の快感度を考える際、古き良き歓楽街の、客引きのオバサンの
「お兄さん、ちょっとスッキリしていきなさいよー」という台詞のうちの「スッキリ」という言葉がそれを見事に表していると思う。
まさに男は射精によって「男という性に対する自己嫌悪感」からスッキリと逃れるのである。
女子高生のソックスに、近所の奥さんの胸元に、コンビニの店員のお姉さんのポロシャツの脇からちらちら見える白い布地に、
d:id:soulfireの胸に……そういったものにいちいち一喜一憂する、そんな、男に特有の欲望からいっとき自由になる、
唯一の手段が射精だ。
ライヒの言う「嫌悪感をともなう排泄」というのは、それが一種の排泄行為であるというのはその通りだが、正確でない。
ライヒなんて全然読んでいないのだが、放出に嫌悪感を伴う、という言い方は、嫌悪の対象から自分自身の性、
男性自身を切り離しているところに違和感がある。また、単純な女性嫌悪と受け取られる可能性がある。
そうではなくて、いわば(男という)性に対する嫌悪感そのものを放出する行為が射精なのだ。
「性への自己嫌悪感を精子とともに排泄する行為」が射精である。
しかも、男性の場合はそれがまさに性行為そのものであるところに、男性の性の複雑さがある。
「射精する前の自分」と「射精した後の自分」、どちらが本当の自分なのか、どちらが本当の「男性たる自分」なのか、
それに答えることは難しい。
つまり、射精の快感は、満足感や充実感と似てはいるが、異なるものだ。
満足感や充実感は、その射精に、何らかのヒトやモノといった存在を介して様々な意味付けをすることで、初めて得られる。
決して射精そのものから満足感や充実感が導かれるわけではない。
しかしどんな射精にも「解放感」だけは存在する。そして射精の快感は一瞬だが、解放感だけはその後も持続するのだ。
その「解放感」は「敗北感」や「諦観」に近づく場合はあっても、「解放感」というだけの快感はある。
だからどんなセックスでも女性は「出されるだけの女」とか卑下することはないが、その場合、
男性はあなたから解放されるためだけにセックスをしているという、より残酷な可能性がある。
極論する。男は快感のために射精するのではない。自由を手に入れるために射精するのだ。
何から?男から、女から、そのセクシャリティから。