はてなキーワード: 氷河期とは
チラ裏。
「氷河期だから仕方ないよ」
そう言われて、妥協した。
働きたくても働けない人たちもいる。自分は幸せな方だ、と自分に言い聞かせた。
学生時代。
毎日たくさんの課題をこなして、
「ユーザーの為になるものを作れ」「それが次世代の需要を作る」「自分の理想に妥協するな!」
でも売れるから作る。「それが経済ってもんだ」 わあ、すごいですね。
親から「元気してるか」と電話をもらう度に、
脊髄反射で「元気してるよ。仕事もうまくいってるよ」と口が勝手に応えてた。
人生こんなもんだ。
ちょっと落ち込んでもサトウのご飯を電子レンジでチンすれば、またホッカホカになるさ。
今までそうやってきたし、これからだってきっとそう。
そう思っていたら、何かアメリカの方でドタバタがあって、すごい不況になった。
右を見ても左を見ても「クビになった」「もうすぐ契約期間が」という話ばかり転がっている。
誰もアメリカのナントカって組織に借金なんてしてなかったと思うんだけど、なんで? どうして?
誰も聞いても「あいつが悪い」「こいつが諸悪の根源」みたいな話ばかり。
そうじゃなくて、なんで、彼らの仕事が奪われてしまったのかが、知りたいんだ。
彼らが、自分達が何をした。
金に困っても犯罪に手を染めず、我慢して今まで生きてきたんじゃないか。
そりゃ居酒屋で愚痴を吐く事もあるよ。陰口だって叩いたかもしれない。
でも、仕事を奪われるほど、ひどい何かをしたのか。なんでなんだ。
そう考えてきたけど、今の自分じゃ答えが出せそうにはないし。
誰かに聞いてもまた「どこそこのあいつが悪い」って話を始めるだけだろう。
いいよ、もう。申し訳ないけど、そういうのは聞き飽きたんだ。
どうせ、最初から諦めてた人生なんだ。
勉強した先に答えがなかったとしても、特に問題はないよ。そうだろう。
ひとつ問題があるとすれば、親に孫の顔を見せてやれないって事かな。
ごめんな、かあさん。
つまりあなたは
「みんながやってるのに揃えられないなんて恥ずかしい」
以外の価値は提示できないってことだろう?
「みんながやっている」も氷河期が30代後半になったとき
どれぐらいの説得力を維持してるか ねえ
明確に「やりたいこと・学びたいことがある」のなら抵抗してそっちを選んだ方が後悔がないが、そうじゃなくて「やりたいことは特に思いつかない」っていうのなら手に職持つ方を優先させた方がよい。親に反感を持つのなら親の勧める以外の職を手につければいいだけのこと。というか、やりたいこともなしで大学に行っても無駄に4年間過ごして無職になるだけ。
俺は先の氷河期時代に大学に行ったが、結局どうなりたいってビジョンがなかったのと、文系の本当に仕事に役立たない学部に居たことから、新卒採用が取れずに随分長いこと職がなかった。ていうか周りもそんなのばっかりだった。幸い俺はあるきっかけで職にありつけたのだが、それでも数年無駄にしたせいでまわりより明らかに社会慣れしていない≒仕事スキルに劣る。仕事の技術は努力で追いつけるが、社会経験時間数だけは後から取り戻そうとしても難しいもんがある。
~動物臭ことってどんなこと? 他人を気にしないこと~
動物はそこらに糞尿を垂れる。なぜならば,「他人」という概念がないからだ。
当たり前のことを書くけど,「人間は何故服を着るの?」ということは大切に問題だ。
全裸であれば,他人に不快感を与える可能性があるからだ。肉体は,よほど清潔にしていなければ匂いもするし,不潔感もある。
現代のように毎日シャワーにあびれる環境ではなく,昔のようにこまめにフロに入れない時代であれば,皮膚病もあるし,とにかく清潔ではなく,相手に不快感を与える。それが「清潔にされた特別な美女」でない限り。
このため,人は衣類を着用する。
衣類を必要とする理由は,自分のためではなく他人のためだ。
あなただって,もしも無人島に一人しかいなくて,助けに来る気配もないとする。まわりには動物しかいない。気候が温暖であり,岩場やとげのある植物もないようなところだったら,それでも衣類を着るだろうか?
いま貴方はどんな部屋にすんでいる?
頻繁に友達や恋人が訪れる部屋ならば,掃除が行き届いてるいることだろう。部屋が不潔であることは,来客に対して失礼であるからだ。
しかし,誰もこなければ部屋は汚くなる。
他人という存在を知覚し,理解するからこそ,つまり「社会」という概念があるからこそ,言葉遣いも正確になって誤解のない表現をつかい,几帳面になり,物事にたいして正確になる。
他人を意識するからこそ,他人に共感するからこそ,他人の権利や心情を理解し,他人の権利を侵害しない。つまり,違法な行為をしない。
動物には「他の者」という概念がない。世界には自分一体だけだ。だから,誰にも関心を示さないし誰からも関心をもたれないと思っている。
従って,他人の権利という意識もないから,女が欲しいとおもったら犯すし,空腹になれば盗むし,感情的になれば殴るし,違法な行為をする。
能動的にしなくても,自分の義務を全うしない。法律に何がかいてあっても,「ただの紙」と思う。
人間であれば,常に他人の目を意識する。だから,感情的になるような不愉快なことがあっても,社会秩序と自分の権利義務の範囲で行動する。
動物と人間の違いは,「他人の目がある」という意識があるかないか,ということにある。
だから,私たちは,不潔な格好をしていたり,いつも「へらへら」とわらっている気色の悪い表情の者や,円滑に会話することすらできないほどの無知,その他の「反社会的行為」が起きる。
結論をいうと,人間は犯罪をしないし,動物は「躾」や「鎖」がない限り,必ず犯罪(違法行為)をする。
動物には意思がない。だから,いきなり性行為を強要したとしても,「嫌だ」という意思がないのだから強姦にならない。
従って,動物同士には,窃盗も強姦もない。「とられたら嫌だ」とか「おかされたら嫌だ」という意思がないからだ。
しかし,これを人間相手にしたとき深刻な被害が生じる。
他人の心(犯されたくない,殺されたくない,傷つけられたくない,盗まれたくない等)は,そもそもそこに心があるからこそ,「読みと力」が発達する。
相手の意思を確認する能力,それが共感能力であり,これは人間の前頭葉にあるミラーニューロンによって機能する。
言葉とは,相手の表情や筋肉の動きからではなく,より的確に「相手の心」を把握する手段だ。だから,人間だけが言語を発達させた。
「他人と連携するため」に。
だから,法律も守らないし,法律という意識がそもそも存在しない。他人の所有権という概念を理解できない。そして,たいてい,言葉がろくに話せない。
単語を発することが出来るが,オウムのように何かを模倣して繰り返すか,コピーのみできる。どれも「不適切」な用法で。
だから,人間社会は言葉を話せない者,聞けない者を人間として認めない。
(ただし,その人が幼児または動物にかこまれて半生を生きたため言語能力が発達していない場合除く)
動物世界では,反対に言語を自由にあやつる者を「動物として認めない」。
さて,以上までは社会科学の立場から論じた。
自然科学の立場から,「動物」を論じることが今,世界中で起きている。
事の発端は,「恐怖の大魔王」が世界を滅ぼすという予言のあった1999年,人類の起源そのものをかえてしまう発見がポルトガルであったことだ。
人間(サピエンス)と,旧人(ネアンデルタール)の混血化石が発見されたことだ。
2002年,米ワシントン大のアラン・テンプルトン博士が,人類の常染色体の10座標から,原人,旧人の血統を発見した。
2008年,この研究発表に対して様々な反論がくわえられたが,ついに断念,人類の「混血」が確定した事実となった。
混血の頻度は,西欧がもっとも低く,ついで東欧,中央アジア,東アジア,の順となっている。
ネアンデルタールは,人間に似た形をしているが人間ではない。共食いが大好きだし,空腹になればまず子どもや妊婦を殺して食べる。
感情的になればすぐ相手を殺すし,つまるところ他の動物となんら違いはない。
ボスの座をめぐって,殺し合いをするチンパンジーの習性と全く違わないし,子どもの脳(栄養価の高い)を食べて空腹を満たすチンパンジーの母親となんらかわることはない習性を持つ。
言語ははなせないが,石器などから人間の真似をすることはできる。勿論,劣化コピーとなる。
旧人はお互いに交流しないと連携しない。だから,交易はない。たいてい,近親相姦によって子孫を増やす。
遺伝的に等しいので,近親相姦をしても問題がないのだ。
進化の速度がはやい人類は,劣性遺伝があるので,近親相関は奇形児の生む確率が高い。しかし,旧人は進化の速度が遅くて均一しているので問題ない。
勿論,「旧人との混血なんて無いはずだ」と感情的にただ叫ぶ者もまだ世界には多い。
だが,考えてもみてほしい。
人間であるあなたは,「全て人間だ」つまり自分と同じだと思えるだろうか。「全て」に対して。
人間の「裸の理性」(思いつき)によって為されたことは失敗し,長い歴史と時間の積み重ねによって得た英知が,「偏見」にあると論じた。
確かに,一つや二つ異常をみたところで,人は先入観を抱かない。
歴史的に連続した「異常」によって,偏見が形成される。偏見は,すぐにはつくられない。
もちろん,偏見の中にも,時代の変化によって不適切なものが含まれてくる。その場合は,再び時間の経過によってその事象が偏見の中から削除される。
あなたは,今までの人生の中で,明らかに「人間ではない存在」を多く見たり,或いは新聞やニュースの伝聞で聞いているはずだ。
犬は犬に対して異常とはおもわない。しかし,人間が犬の行動をもし「人間がしていたら」と思うと,「異常だ」と思う。吠える,噛む,糞尿をたれる。
しかし,「あれは犬だから」と認識することで自然だと考える。だが,もし犬が形態的に人間とあまりかわらない形をしていて,かつコピーされうような人間の言葉をある程度再生できる能力を有した状態で,「犬の行動」をしたらどうなるか。
「異常」とあなたは感じるだろう。
なぜならば,人間の中には,吠えたり噛んだりする者はいないからだ。
参考までに,一つの「事実」を示そう。
「プレ・ネアンデルタール」というのがいる。これは人間とそっくりだ。何故ならば,人間から分離して別の進化(まはた退化と呼ぶべきか)を遂げてから間がないからだ。
そして,旧人には渡航能力がない。まだ島と大陸が同じだったとき,または氷河期に海面が凍結していたときに徒歩で移動した。
従って,原則,アフリカとユーラシア大陸にしか旧人はいなかった。
イギリスや日本にも徒歩で移動できるが,島であればそこにいるだけの旧人を殺してしまえば,後から「次は来ない」。
以前まではの内容は,いままで散々日記に書いてきた。過去4年間にわたって書いてきた。
ここからが,「旧人と接しつづけた人間は,どうなったか?」という新しい考察だ。
人間は猿から進化したといっても,その「進化した様子の化石」がいまだ発見されず,「失われた輪」であり,想像の産物に過ぎない。
一方で,神などの知的な存在が人間をデザインしたという説も,具体的な根拠がない。進化論もID論も物証がない。
「彼らが,次の旧人ではないか」と。
次の,というのは現時点で彼らの中にホモサピエンスがいることに違いはない。しかし,明らかに彼らは島嶼部の人類と形態的にも試行的にも異なる。
専門的なことをかくが,島嶼部の人類および「アダム」の時代とされる初期のホモサピエンスの頭示数は81以上-86未満であるのに対して,大陸の人類は頭示数が86以上であり,サピエンスと形態的に変化しているのだ。学術的には「過短頭」と呼ばれる。
もはや,目でみて「大陸の人間だ」とわかるようになるまで形態的な差が生じてきている。
ここで私は考えた。
もし,生まれたときから旧人と共に生活し,それが何世代にもわたってしまえばどうなるのか。
恐らく,心を持つこと自体不毛であり,精神的につかれてしまう。他人をおもいやる気持ちをもっていても相手は自分を尊重しない。
愛しても愛されない。守っても守られない。盗まなくても盗まれる。犯さなくても犯される。傷つけられなくても傷つけられる。殺さなくても殺される。
この時,「他人を思いやる気持ち」(共感能力)を持つ人間は,精神的に疲弊して,やがて死んでしまうのではないか。死ななくても,子孫をつくる気力さえなくなってしまうのではないか。
こうして,人類の中にも,旧人と共に暮らしてきた者は,「共感能力をなくす」つまり,退化するということで,旧人に対応したのではないか。
動物に対応する方法は二つあって,動物を殺して統制して飼い慣らすか,或いは自分自身も動物になってしまうことだ。
能力の高い人間は動物を統制して対応し,能力の低い人間は同化したのではないか。その際に,全てを捨ててしまったのではないか。
つまり「人間性」を。
朝鮮人,シナ人への偏見は,「非人間性」を持つ。それは今更説明しなくても報道をみればわかる。
彼には明らかに退化している。人間としての機能が退化している。「他人を思いやる心」が無い。共感能力が無い。法がない。
退化することで,自然淘汰を免れ,旧人と共に暮らす進化ベクトルをおせんだのではないか。
ここで一つの答えがある。
どうして,プレ・ネアンデルタールは人間から分離してしまったのか。後期型ネアンデルタールは明らかに人間と違う形態をしているが,初期型ネアンデルタール,つまりプレネアンデルタールは人間と極めて似通っている。まだ分離して間がないからだ。
このため,「進化している」と当初勘違いされた。実際,ネアンデルタールは80万年前に人類から分離して「退化」したのだ。
なぜ退化したのか。
そこには「原人」がいた。原人にふれた人間が,「他人を思う心」をなくすことで適応し,それが旧人へと「退化」したのではないか。
彼らは知能の問題から,人間と動物を見極める能力を有さない。だから信じては裏切られ,ということを繰り返し,そのうち考えることも信じることもやめて,機能そのものを遺伝から削除した。
退化した。
それが生きる術だった。
島嶼部の人間は,旧人を殺せば次はこないため,人間同士で生活し,人間特有の機能をそのまま進化させた。
協力すること,信じること,愛すること,理解すること,尊重すること。
アルフレッド・セイヤー・マハンによれば,シーパワーとランドパワーはあきらかに区分することが出来るとする。
それは地政学上の問題では論じることの出来ない,思想・思考の違いがある。
ホモサピエンス,つまりアダムの子孫が住む地域は,日本,イギリス,台湾,およびこれらのイギリス人の子孫が入植した地域に限られる。
自分が信じても相手は信じてくれない。自分が誠実にしても相手は適当。与えた分だけ相手に着服される。
そんなことを繰り返していては,自分が死ぬ。だから,死ぬ前に彼らを殺すか,或いは自分自身が「彼らと同じになる」しかない。選択肢は二つしかない。
私は,旧人を殺すことが正しいと思う。
それは私の生育環境に人間が多かったことが原因していると思う。
私のこの意思は,ここに矮小ながら発信している。
あにたは私の意思に共感するだろうか?
もし共感したならば,もっと私を知って欲しい。私の考えや発想を暗記するほどに知って欲しい。そして私の目的をより理解してほしい。
それがあなたの利益になるのだから。
一体だれが,愛のない世界,他人の協力のない世界に生きたいのだろうか?
「他人を信じ合い,協力すること」でビルがたつ。製品が出来る。
これを壊すことなく,維持発展させるには,旧人・原人を皆殺しにすることだ。
最近は「DISりたい奴の文章を勝手に増田に転載してブックマーカーに叩かせる」という手法がはやってるらしいので、某所で見かけた電波文を載せてみました。
おいらも昔、派遣やってたからテキトーに書く。それなりに苦労はしたが、いまは上場企業の社員なので、こうなることは懐かしくもある。
たぶん10年前くらいか。大学を卒業したけど、就職はなかった。超氷河期だったと思う。とりあえずで、就職した会社は 技術者派遣業で最初から定年まで働くつもりはなかった。
月給制で18万位だったと思う。寮とかなんやかんや引かれると、10万もなかったかな。
入社して即、客先へ。あんまし興味ない分野のプログラマだった。詳しくは言えないが、ロケット、ミサイル、宇宙ステーションとかそんな関係だったと思う。
プログラムは組んだことがあったので、それ自体は問題ではなかったのだが、余り興味がないことをやるのが苦痛。あと、プログラムを作るのは まぁ、楽しいんだけど、テストとかがめちゃ面倒。動きゃええやん、くらいに。
あ、会社の教育は皆無だったし、有給も少なかったし、ボーナスも少なかった。
派遣先との契約は、時給4000円くらいだったと思う。時給換算で1000円くらいかな。
売上は、4000円/時間だから、32000円/日で、20日/月だとして、64万/月か。給与は、20万だとして、諸経費を引くと、、こんなんか。売上が720万/年で、年収は280万/年くらいだったから、かなり搾取されていたとは思うが、会社は儲かってないね。
手取りが少なかったこともあって、生活は苦しかったな。じゃがりこ1個で3日くらい生きてたときもあったしね。
その頃、思ったのが、30とか40過ぎてこういう派遣仕事をやっているおじさん連中に、明るい未来がぜんぜん見えなかったというのが感じていたことで、こんなんやってたらあかんわ、と、ま、どうやったら現状がよくなるか考えてやってきたつもりだ。
ま、人と同じ事をやらない、というのもあるが、自分で考えて、自分で行動することだ。
その後、その会社は、まだあるのかな。しりません。
有能?それはなんかの冗談?
利益の80%は20%の有能な人が稼ぎ出すって風に使われるんだが
その上位20%以下の60%は居ても居なくてもいい人、下位20%は居たら有害な人とも言われる
ただ、だからって下位20%を全部切ったところで、結局20%の有害な人が出てくるもんなんだけど
で、居ても居なくても良い60%に入る人なら運不運って物もあるが
そうじゃない有能な人は、多少運が悪くても自分で選ばない限り氷河期なんかとは無縁だったよ?
まぁ企業で総務か人事のみで40代を越えた後に企業が廃業なり倒産なりして
コネの一つもない状況ならどうにもならなくなるかもしれんが
>>一人で出来る仕事してるんじゃない限り、社会ってコミュニケーションが最重要だよ?
>>少なくとも嫌われてちゃ話にならん
一人でできる仕事なんてないのは理解している。
あいさつしても返事がない、教えるの面倒くさいから教えないってなんなんだか。
嫌われちゃいかんと身だしなみから言葉遣い、引き継ぎのスケジュール・テンプレまで作った。
飲めないながらも飲みニケーションも普通に行って胃潰瘍ができてアボン。
会社を放り出される。
氷河期に入社して業務以外のことで胃潰瘍になってこの不景気に放り出されて
じっちゃとばっちゃがテレビにつっこんでたよ。
ばーちゃん「若いのに、かわいそうななぁ。」
じーちゃん「もっと気合入れてはたらかなあかん。」
かーちゃん「あんた、こんなんなりなやぁ」
で、俺の方向いて言うわけよ。
「あんた、私らの言うようにしっかり頑張っといてよかったやろー」って。
「あぁ。うん」とか言ってたけど、問題はそこ。
きっと派遣の人なんかの親も同じように考えてたわけよ。
そこをたまたま俺はうまくできただけの話。
ちょっとレールから外れたら真っ逆さまだったと思うわけ。
じーちゃんなんか、「氷河期なんかいい訳にならない」って言うくらいの努力論者(実際すげー努力家)だけど、
今の世の中、本当に努力だけでどうにかなるのか。
俺はたまたまいいレールに乗ってここまで来れたけど、脱線したらどうなるのか。
今の生活って、一度脱線したら、落ちるばかりで立て直せない無間地獄のようなもんだと思うわけですよ。
一般家庭の大人からは落伍者って言われてる人たち全部について言えるんじゃないかなぁ。
あなたの書いたことは理解できる。
私なりの読み取り方ではあるけれど。
人は自動的に生きてしまうように出来ているから、今の日本にいるとよっぽど意識して死なないと死ねないと思う。私も、結局まだ生きているし。
あなたが奨学金を返したこと、小さなことではあると思うけど、個人的には借りたものをきちんと返したんだからいいことです、あなたを誰かが信頼するひとつの出来事になると思います。
仕事に関しては、氷河期時代に何十社と受けて就職というのは当時普通で、結局受からなくてぶらぶらしているという人も何万人何十万人単位でいるのでは?仕事はあなたを助けてくれるものとして成立しているものではないことは、あなたなら理解できるでしょう。殆どの人はそこで苦労して、敗れたり馴れていったり妥協したり小確幸を見つけたり一時的な満足を得たり自分自身を成長し得たと思い込んだりしていけるわけです。今の時代、仕事と自分の適当な距離を見つけることは多くの日本人の課題なんです。
私は今30前後ですが、自分のことを大うつ病であると10年前から認識しています。薬が好きではないのと自分の方法論から、医師にかかったこともありません。おおきな流れで浮き沈みもあるけれど、時間や状況、機会があなたをゆっくり癒してくれることがありえると私は思います。ですが基本的な考え方として、人は自分で死んでもかまわないと私は常に思っています。個人的な倫理観からすれば、その際なるべく周囲に迷惑がかからないほうがよいです。またあなたの精神的またはその他の苦痛が許容するなら、できたら親御さんが生きている間は、あなたは生きていた方がよいとは思います。
それと、あなたは家庭を作る能力がないと書いていますがそれはあなたが心底確信していることではありませんね、第一家庭はいわゆる能力でつくるものではないしあなただけのちからで作るものでもありません。私もまだ独身ですが望むならお互い、いい相手がみつかるといいですね。
えー、勝手に脳内補完されても困るんですが、「今は過去の氷河期なんか目じゃないやばさ」とか勝手に言ってるから「そうじゃないよ」と言ったまでのことですが? 今がやばくないとは一言も言っていませんし、状況認識を省みるべきはそちらではないかと思われます。
いやあの……勝手に比べ物にならないとか言ってるけど、まだ失業率も有効求人率の低さも以前の氷河期のほうが高いからね……? とりあえずあぶれてる人はさっさと動き出すしかないよ。もしかしたら国が何か救済策を考えてくれるかもしれないけど、動き出しておいて損はない。
さっそく貼ってくれてありがとう↓