はてなキーワード: 日系人とは
同じような人物に鳩山由紀夫がいる。
個人としては、善良で親しみやすい人物なのだろう。
ざっと経歴を眺めても、決して「ルーピー」でないことは分かる。
だが、その彼も総理大臣になれば“ああ”である。
俺は逆で、経歴を見るとルーピーだという思いが強くなる。あいつアメリカの有名大学で博士号を取っている。さぞかし貴重な経験をしてきたのだろうと期待する。だが言動を見ていると何を学んできたのか全然わからない。
例を挙げよう。アメリカの大学では議論を多くする。なのにオバマとの会談では一方的に何か5月末に決着をとか言っただけで独白のようだったと報じられてる。これがルーピーと呼ばれるきっかけになった。他にもアメリカ的な考え方とか何も学んでこなかったように見える。なにもアメリカ人の考え方に染まれと言うわけじゃないが、アメリカ人がどういう議論を好むのか、何を大切にするのかを理解して話を進めるべきだと思う。
鳩山由紀夫の留学時代の話はよくテレビで報じられてきたがろくなものがない。日本人の人妻を口説いてきたとか。現地で世話になった人が何人も出てきたが、俺が見た限りだと日本人(日系人を含む)ばかりだった。その一方で皇太子妃雅子様のときはハーバード時代の交友関係は多岐にわたっていた。彼女と比較して鳩山の場合は単に箔をつけに行った金持ちの坊ちゃんという感じしかしない。日本人社会で引きこもる留学生は多いけど、鳩山はまさにこのパターンだったのではないか。これはアメリカでMBAを取ったのに全然ダメなトヨタの社長みたいだ。Trust meとBelieve meって似てないか?
loopyというのは「頭が変」という意味で知能が低いわけじゃない。酔っぱらいみたいなイメージだ。鳩山由紀夫は知能は高いのかも知れないが、やはりルーピーのようである。
他国の食文化に口出すな!『ザ・コーヴ』 の波紋 「アンカー」より
ttp://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid798.html#sequel
「アングロ・サクソン民族は自らを地球の最上位に据える。次に彼等以外の白人がくる。その次には彼等が自分たちと同じ権利を認めたい動物がランクされる。類人猿、犬、鯨類であろう。その下に有色人種を置く。日本人が1ランク上位の鯨類に手をかけることは倫理に反する、ということになる」
〈中略。以下、1978年6月のロンドンにおけるIWC年次会議での出来事〉
会議の最終日の6月30日午後、会場のマウント・ロイヤル・ホテルに反捕鯨団体の活動家約30人が乱入、会議場の中央のスペースに座り込んで集会を開いた。
日本、ロシアなどの捕鯨国に対して弾劾文を読み上げ、それに対してもっとも反捕鯨の行動をとったフランスに表彰状を手渡す。集会が終了して退場する際に、信じられないことが起こった。反捕鯨団体のメンバーたちが、瓶につめて持っていた赤い染料水を日本代表団に向かって振りかけたのである。
「マーダー(クジラ殺し)」「バーバーリアン(野蛮人め)!」「これはオマエたちが殺したクジラの血だ!」
こんな罵声とともに振ってきた赤い水は日本代表団員の頭、肩、膝に、あたかも本物の血痕のように染み付いた。
日本経済新聞社の論説委員長を務めたこともある、当時社会評論家の故大和勇三はオブザーバーとして取材をかねて会場にいたが、帰国後、講演のたびに次のように語っていた。
「彼らはロシア、ノルウェー、アイスランド、スペインなどの白人捕鯨国の席には目もくれず、唯一の有色捕鯨国である日本代表団にだけ向かって赤い水をぶっかけた。人種差別に他ならない。アメリカが第二次大戦中、日系人だけを収容所に入れ、原爆を交戦国の中でイタリア、ドイツではなく日本に落としたのと通ずるところがある」
一例
http://d.hatena.ne.jp/karaimonokirai/20100225/1267111952
客観的に見て、筆者に「あらかじめ偏見や悪意があったわけではない」とは思う。だが、筆者はこれらの光景を「自分の目で見て、素直に判断して、とある一国の文化(あるいは「国民性」とか言い換えても可)が『嫌いになった』」と発言している。
あるいは、多くの人が「何が問題なの?これはこれで正当じゃん」と思うかもしれない。だが、そう言う人は、たとえば捕鯨問題についてどのような感想を持つのだろうか?
たとえばとあるアメリカ人が、自分の「印象」に基づいてこんな記事を書いたとする。
自分は日本は好きでも嫌いでも無いし、別に環境保護について強い関心があるわけでもない。だが日本を旅行中、食堂などで捕鯨問題を取り上げたニュースがあると、それを見る人は大抵「シーシェパードは頭がおかしい」とか「所詮金のために環境保護を利用しているだけだ」とかいったコメントばかり言い、「鯨を殺すのはおかしい」という意見については自分の経験した範囲では一度も耳にしなかったことに驚いた。街中でも鯨肉など提供しているところは見ないしほとんどの人は日常的に鯨を食べないのに、鯨を殺すことに対してどうしてこれほど寛容なのか。残念ながら、自分は日本人というのは非常に残酷な民族なのだという感慨をもって日本を後にすることになった。
これは公正(fair)な議論だろうか。
私は、残念ながらこれは差別だと思う。彼は、鯨を「食物」と見ない文化から訪れており、かつまた自分たちの文化が過去にどれほど鯨を殺したかも知らない。彼の問題点は、物事に対する歴史的視点や、自分の背負う文化に対する批判的観点というものが欠如していて、自分の「素朴な感想で世界を見ることに全く無批判」である点だ。
「彼」は一応架空の存在である(よかった)。しかし、彼が今後日本に関する問題について、常にこの「見方」を「事実」として自分の判断根拠に採用することはほぼ疑いない(残念なことに)。彼は、パールハーバーも、太平洋戦争時のアメリカにおける日系人差別も収容所のことも、あるいは貿易摩擦から生まれたジャパンバッシングも知らないかもしれない。だが、何も教えなくても彼は、とある民族をひとくくりにして、unfairな意見に基づいた判断を下すようになった。これは立派に「偏見」であり「差別」ではないか。差別や偏見は、このように日々誕生するのであって、過去の差別について「教えなければ消える」というものではない。
捕鯨に関してだけではなく、とあるものごとについて、それをめぐる政治的状況、文化的文脈(コンテクスト)といったもの、状況性や歴史性や文化性を全く無視して(更に言えば自分自身の背負っている状況性や歴史性や文化性について全く批判的でなく)発言するとき、常にこのような危険は発生する。「率直で素直な感想」と称されるものは、非常に危険なのだ。
「自分がそう思ったことは事実であり何がわるいのか」といったヒラキナオリ、つまり「率直で素直な感想」と本人が認識しているだけに、こういった感想に基づく「意見」が修正されることは少ない。実際、「率直な感想は絶対であり、それを修正することなど出来ない」と多くの人は思っている。だがそれは大きな間違いだ。歴史性や文化的コンテクストを学ぶことで、ものの見え方や風景など簡単に一変するからだ。ある人の背景(たとえば「強がりをせざるを得ない状況や過去」)を知ることで、「ツン」な行動が可愛く(「デレ」に)見えてくる、という現象はとみに知られているが、それも同じである。「学習」は「印象」を大きく変化させる。
そもそも我々は、様々な状況性や文化を背負うからこそ、物事を認識できるのであって、「率直で素直な感想」といったものなど、本当は存在しない。どんなに直感的感情的判断であっても、何かを判断するとき私たちは必ず何らかの「知識」を土台にして判断している。学ばなければ、私たちはほとんど何も感じず、表明することもない。生まれたばかりの赤ん坊は、自分を取り上げる産科医や両親の「美醜」を「判断」したりはしない(子どもがそういうことで悩むのは、おおむね思春期の頃である)。
我々は、互いに離れた土地に住み、そして相手のことをよく知らない。知らないことは恐れを生み、行き違いや偏見を生む。そして差別が始まる。かつては川一つ、山一つ隔てるだけでも、そうであった(「○○村の奴らとはクチをきいちゃなんねえ」的な)。教えるから差別が持続するのではない、教えないから差別は発生するのである。ただし、それは「かつてはこんな差別がありました。差別はいけませんね。以上」といったことを教えるということではない。
従って、たとえば人権について学ぶプログラムは、以下のように進められなくてはならない。
低学年……「作法」として、「陰口を言わない」で「みんな仲良くする」ことを学ぶ
中学年……「作法」として、「素直で柔軟な発想を大切にする」「賞める」ことを学ぶ
高学年……「作法」として、「文化を大切にすること」「おせっかいと勇気は違うこと」を学ぶ
中学校 ……「知識」として、「色々な価値観、文化が存在すること」を学ぶ。
現状、人権教育にこういう見通しがないことはとても残念である。小学生に(イイトコだけ見せるような)異文化体験を推進したりしている人は、将来その子が「欺された!小学校の教師なんて嘘つきだった!」という感想をもつ可能性について全く想像していないのだろうか。私は、上のような準備が子どもにできないうちから安易に異文化体験を進めることは、百害あって一利無しだと考えている。
最初の文章の筆者に対して、どのようなメッセージがあるわけではないが、もし可能ならば、今回の件を踏まえた上で、単純に隣国を「嫌う」のではなく、「なぜ『今の日本』に住む私は、『今の韓国』の文化にこのような感想を抱くのか?」ということについて、調べたり考えたりしてくれるといいな、とは思う。これを読んだ後、たとえば図書館で戦前の日本の大衆雑誌とか読んでみるだけでも、私が言わんとすることは理解して貰えるだろう。
このご時世に破格の条件の仕事を紹介されて無職の自分が飛びつかないはずが無かった。
『では一度工場見学にいらして下さい。』と言われ気軽に指定された場所に赴くと現場責任者数名が現れ、事実上の面接が行われた。
『現場見学』はその日一度も行われず、持参した履歴書は無造作に机の上に並べられた。
夜勤あり、『社内で定められた認定試験』に合格するまでは試用期間内の為、賃金は異なる旨の説明を受けた。
『では制服をお渡ししますので取りに来て下さい』と言われたので気軽に会社に取りに行くと『本日は入社の為の説明を受けて頂きます』との通達を受けた。
隣に居るのは一人の見知らぬ男性。
面接を一緒に受けていた人は皆辞退していたので派遣会社経由の人間は自分ひとりだ。
またしても無造作に広げられる書類。
年齢、家族構成、前職に至るまでが全て丸見えだった。
『試用期間』ということで自分の基本給は12万円だった。
「あまりに少ないので吃驚されたかもしれませんが募集にあった『19万』というのは皆勤手当て、残業手当、夜勤手当を含む金額です。試用期間中はこの金額ですが認定に受かりさえすれば給与はドンドン上がっていきますから。」
まずは三ヶ月ごとに契約が更新され、一年後には晴れて正社員になれるという話だった。
二ヶ月以内に社内独自の認定資格試験に合格出来なければ契約更新はないという。
ふと隣の男性の書類が目に飛び込んできた。
『15万8千円』
この差は何であろうか。
派遣会社からの紹介派遣とハローワーク経由での求人とでは待遇が違うのだろうか。
戸惑いながらも書類に印鑑を押す。
このご時世、雇ってもらえるだけでも有り難いと思わなければならない。
朝に行ってすぐ帰れるだろう、と思っていたのだが結局丸一日、社内の規則説明と現場の作業説明を受ける事となった。
隣の男性と少し話す。
「試験、難しそうですね。
「ええ、一緒に頑張りましょうね。」
目に見える分かりやすいヒエラルキーで支配された世界がそこにはあった。
生活が掛かっているので、皆真剣そのものだ。
入社して早々、隣の男性は居眠りを繰り返していた。
一週間後の午後、男性は姿を消した。
自分より高い賃金だったろうにな、と思うとなんとも言えない気分になった。
配属された先は今まで学習してきた事がまるで通用しない現場だった。
『座り仕事』、と聞いていたのに実際には立ち仕事である上、取り扱う製品の大きさも三倍以上の大きさだった。
これを朝八時から夜八時まで、夜勤の場合は夜八時から朝八時まで続けるのだという。
慣れない環境に体調を崩す。
しゃがみこんでいると注意を受けた。
「現場ではしゃがまない方がいいよ。他の人間も座れないし、『あいつばっかりしゃがんでズルイ!』とか言われかねないからね。」
どのような体力で皆、この激務をこなすというのだろう。
休憩は15分のものが二回あるが、更衣室、休憩室までの移動時間が片道5分の為、実質は5分しか休めない。
渡された給与明細を見つめる。
「総支給額12万と数十円」
皆勤手当て5千円なども含まれているらしかったが、各種保険の天引き後の金額だ。
交通費一万円も含まれた12万数十円なので、その一万円を差し引けば純粋な手取りは11万になる。
何度もトイレを往復した。
下痢止めの薬を服用しても一向に効かず、更に悪化するだけだった。
病院で処方された薬も効かなかった。
診察代と薬代で5千円以上掛かった。
新人教育を担当する先輩が親身になって相談にのってくれるのは唯一の救いだった。
これから先、どうやって生きていったらいいのかわからない。
プロレタリアという概念を歪曲させ、右に行った次は左へ向き、自らを聖女と名乗る人間に憤りを覚える。
只、綺麗な服で着飾ってちやほやされたいだけだろう。
旗を振って先頭を歩きたいだけなんだろう。
右も左もない、守るべき信念も持たない人なんだろう。
自己愛の塊としか思えない。
半島某所の会話
正雲「うむ、ところで例のシミュレーションの結果を聞かせてくれ」
手下A「日本民族撲滅のためには、核兵器を何発用意すればいいか、というシミュレーションですね。」
正雲「アメリカの核保有数、2,000発を打ち込めば撲滅できそうか?」
手下A「とてもとても、2,000発じゃあ足りません。」
正雲「でも日本の自治体数は2,000未満、と言うではないか」
手下A「原爆で1つの街を根絶やしにすることはできません。
第二の中心である新宿はほぼ無傷です。
東京だけでも、区の数、23発は落とさないといけないでしょう。
それに平成大合併とやらで、県より大きい高山市のような自治体もありますし・・・」
正雲「さすがに1万発あればいいのか?」
手下A「どうでしょう・・・
山間の限界集落だと、山間なので、原爆の効果は山の外には広がりませんから、
今度日食があるトカラ列島とか、絶海の孤島ですが、7島が有人島ですから、
トカラ村相手に7発は打たないといけません。」
正雲「もう1万発でも2万発でもいい、俺が死ぬまでに核兵器を量産するのだ!!」
手下A「2万発でも10万発でもいいですが、原爆だけで日本人は絶滅しませんよ」
正雲「何故?」
手下A「例えばたまたま青函トンネル内の列車に居合わせた日本人は、
原爆投下後の蟹田町とか福島町に放り出されるのですが、即死はしません。
まあ放射線の被害は受けるのでしょうが、何%かはしぶとく生き残るでしょう。
なので、トンネルとか地下鉄に居合わせる日本人は、原爆では死にません。
あと、原爆投下時に航空機に乗っている日本人、これも生き残る可能性があります。
まあ、航空機が原爆で破壊された滑走路にうまく着陸できればの話ですが。
それに・・・」
正雲「それに?」
手下A「海外旅行中の日本人とか、海外在留の日本人、彼らは当然生き残ります。
正雲「当たり前だ、日本民族のDNAを引き継ぐ者は全員根絶やしだ」
手下A「困りましたね・・・ハワイとかロスとかブラジルとか、国籍は現地でも
遺伝学的には大和民族、という日系人をどうやって絶滅するんだか・・・
あと一つ聞いていいですか?」
正雲「何だ?」
オチがよろしいようで。
http://anond.hatelabo.jp/20090415005901
俺が見た限り、差別感情はなかったな。南米でもブラジル以外の国ではアジア系への蔑視があると在住の人から聞いたが、ブラジルでは不思議なぐらい差別を感じなかった。逆に日系人って頭良くって礼儀正しいってイメージを持たれているので、イメージを崩さないよう俺も行動には気をつけてた。印象的だったのは日系人達とホテルに宿泊したとき。朝起きて毛布やシーツを畳まない子供に向かって親が「お前は日本人だ。日本人ならちゃんと畳みなさい」と言っていたので、俺も「やべぇ」と急いで畳んだよ。
しかし、出稼ぎブラジル人がゴミ出しや深夜の大騒ぎで日本人に迷惑をかけているのも事実。ブラジル人はもともとそういったことに無頓着で、ブラジル的価値観を持った日系人もいるからね。ほとんどの日系人は真面目に生活しているけど、一人が迷惑をかけると日系人全体が悪く見られてしまうのは悲しいことだと思う。
へぇ。
ハワイの日系移民も100年以上経ってて4世、5世がいる時代になっているけれど、日系人で固まっているという感じはあまりしない。日本人会もあるし、祭りもやってるけど、伝統の保存にこだわってるようにはあまり見えない。もしかすると中の人はそういう意識があるのかもしれないけれど。3世より下の人はたいていファーストネームは英語名で、ミドルネームに日本名がついているかな。非日系人との結婚もそんなに少なくないと思う。私が付き合いのあるのはだいたい3世以降だから、1世2世の人たちの気持ちというのはほんとうのところはわからないのだけれど。
何が違うんだろう。
あたりかなあ。第二次世界大戦で直接の交戦国になったことは大きいと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
俺は、昔ブラジルの日系人コミュニティーで生活してたんだけど、在日と同じだな。
日系人は移民から100年以上たったけど、今も全国各地に日系人会を作って日本の伝統文化を受け継いでいる。子どもが生まれると日本の名前を付けるが、名前の知識が古いもんだから懐かしい名前が多いのも在日と似ているかも。
移民当時の日本の伝統が今も残っているので、俺なんかよりもよっぽど日本人らしかった。目上の人が通ると若い衆は頭をさげるし、俺が何か重い物運んでると「運びますよ!」と助けてくれる。隣近所の助け合い精神も旺盛で、夏になると食べきれないぐらいのマンゴーとかいただいた。
いい面もあれば悪い面もあって、終戦後、日本の敗戦を信じない人たち(=勝ち組)と日本の敗戦を受け入れた人たち(=負け組)に別れて血で血を洗う抗争が行われたこともあり、ブラジルでも大きな問題になった。
おもしろいのは日系人たちは日系人以外の地元民のことを、今でも「ブラジル人」って言ってるんだよね。で、頑固な親御さんは娘が「ブラジル人」と結婚しようとすると反対することもある。さすがにこのご時世だから声高に叫ぶことはないけど、やっぱり「日本人(=日系人)」と結婚してほしいと願っている人も少なくない。
一方で、多くの若い日系人が「今時日本語?ここはブラジルだよ、プッ」と思っているのも事実。そういった人たちは意識して日系人社会から離れ、決して日本語を話すことはない。でも彼らの根底には自分は日系人であるという意識が横たわっているあたり、増田に似ているなと感じた。
通名があるのも同じだな。幸いブラジルにはミドルネームがあるから日本名とブラジル名を持っていることが多い。人によって日本名を名乗ってたり、ブラジル名を名乗ってたりいろいろ。
概して日系人は教育熱心。移民時代からそうで「欧州移民は最初に教会を作る。日系移民は最初に学校を作る」って言われていたぐらい。大学進学率も高く、ブラジル版東大のサンパウロ大学には人種比率以上の日系人がいて、「サンパウロ大学に入りたいなら勉強するよりも日系人を殺したほうがいい」ってブラックジョークもあった。
それからみんなブラジル国籍は持っている。属地主義だからブラジルで生まれれば自動的にブラジル国籍取得。2重国籍として日本国籍を維持するには日本国籍を持つ親が、領事館まで出向いて手続きをしないといけない。遠路はるばる領事館に来ても、あの書類がない、この書類がない、と突き返されることもしばしば。領事館もあちこちにはないので、東京大阪ぐらいの距離だったら近い方だった。
差別意識について質問があったので書いてみた
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1
今回の『日本語は滅びるか』騒動、傍目から興味深く読ませてもらった。
Web上の書評しか読んでないが、どうやら「普遍語」としての英語が日本語の地位を奪っていくことに危機感を持つ、という内容らしい。
私はその話を読んである集団の日本語を思い出した。
有名なもので言えば、ブラジル移民や、アメリカの日系人などがそれに当たる。
彼らはいわば小さな”日本社会”を海外に持ち出すことになったが、その人口故に圧倒的マイノリティの立場に立たされることになった。
一般的に、彼らは三代で日本語を”捨てる”と言われている。
移民1世は当然日本語ぺらぺらである。社会で必要な最低限の外国語(アメリカなら英語、ブラジルならポルトガル語)を身につける。
移民2世は親から”家庭内だけの”日本語を習得し、学校や社会ではその国の多数派の言語(アメリカなら英語、ブラジルならポルトガル語)を身につける。
このようにして移民は「現地語」レベルの日本語でさえ捨ててしまう。
この移民3世に、1世であるおじいちゃんやおばあちゃんが日本語を教えることがあるという。
なぜかというと、日本語を話せるようにすることが「日本人のアイデンティティを保つこと」であると考えるからだという。
3世になると、自分が「日本人である」という意識すら希薄になってくる。「社会的に意味のない日本語を学ぶ必要なんかないだろ」という態度さえ見せるそうだ。
そのような孫を見るおじいちゃん、おばあちゃんの気持ちはつらいものがあるのだろう。
水村さんはこのおじいちゃんおばあちゃんにとても近いような気がするなぁ、と個人的に思った。
「全ての人を疑ってはいけない、然し、全ての人を信用してもいけない。」
今ここで人種隔離を!明日も人種隔離を!永遠に人種隔離を!ウォレス
生まれながらの奴隷は他人の所有物となる能力を持ち、したがって現実に他人の所有物であって、知性のある者の言うことを理解する能力はあっても知性そのものは持っていないからです。アリストテレス
だって敵対国で敗戦国だもの。
日系人であるというよりアメリカ人でございますと自分たちを特化しなきゃ生きていけなかったわけだし、アメリカ以外にしても日本側だって海外移民地との繋がりを敗戦で切っちまったんだし。
そーして文化が根付いてないからかどうかは知らんが、日系人どころか単なる滞米の日本人すら日本との繋がり希薄にしようとするし、当然日本人同士の横の繋がりとか死んでも持ちたくない、というスタンスの奴らばっかだよ。永遠の白人ワナビー。
訓練中の米兵
日本兵・ドイツ兵を殺すことをどう考えますか。 日本兵 ドイツ兵
心から殺したい。 44% 6%
やむを得ぬ義務だ。 32% 52%
義務だが嫌な気持ちだ。 18% 34%
敵兵でも殺したくない。 4% 6%
われわれが45歳という成熟した年齢であるのに比べると、
YouTube - Algerian Genocide by France
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世界は『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』でできている (超ビジネス書レビュー):NBonline(日経ビジネス オンライン)
Amazon.co.jp: 侵略の世界史―この500年、白人は世界で何をしてきたか (祥伝社黄金文庫): 本: 清水 馨八郎
Amazon.co.jp: アホでマヌケなアメリカ白人: 本: マイケル ムーア,Michael Moore,松田 和也
とはいえ日系人の強制収容に対する謝罪という例もあり、ご本人や周囲の議員にもそれほどストレスな話には見えませんが。
The New York Times 自称「日系人」Norimitsu Onishi東京支局長が書いた記事一覧
●2003年9月21日 朝日新聞「ひと」欄 日系人で初めてのニューヨーク・タイムズ紙東京支局長 ノリミツ・オオニシさん
名刺は漢字で「大西哲光」。「日本人と同じ顔の利点は本音が聞けること」
http://pds.exblog.jp/pds/1/200511/28/84/d0067884_114786.jpg
●2006年3月23日号 週刊新潮 「NYタイムズ」東京支局長は「反日記事」がお好き
何かと言えば日本の悪口を書き立てるこの“一流新聞に”、やっぱり反日記事が好きな東京支局長がいた。
ぜひ本人に話を聞きたいものだが、時間がないとの返事。批判はしても、聞く耳は持たないと言うことか。
http://vista.jeez.jp/img/vi7318728527.jpg
●2006年5月24日号 SAPIO 西村幸祐 反日スプリンクラーとして世界に歪曲・偏向記事を垂れ流すNYT東京支局長
なお、オオニシ氏は“同居”する朝日新聞で紹介されたこともある“有名特派員”(2003年9月21日付朝刊の「ひと」欄)
http://nishimura-voice.up.seesaa.net/image/SAPIO20nyt1_1.jpg(76P分)
●2006年7月13日 週刊新潮 高山正之「変見自在」 似非日本人
同紙(ニューヨーク・タイムズ)東京特派員N・オオニシのようにマスコミ界にも
http://www.kissui.org/up/imgbox/img20061229102958.gif
●2007年2月1日 週刊新潮 高山正之「変見自在」 大西千三
ノリミツは顔だけでなく名前まで日本人を装った点がマイク(カリフォルニア州議会マイク・ホンダ議員)らよりあくどい。
日本名はやめてと言ってもそれが売りだから無理だろうが、それならせめて
センミツとか実態に近い名に改めてもらえないか。
http://www.geocities.jp/mo10mo/maikeHonda.jpg
朝日新聞東京本社、ニューヨークタイムズ東京支局、東亜日報東京支社は全く同じ場所(この三社がいかに密接に連携しているかが窺える。)