http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1
今回の『日本語は滅びるか』騒動、傍目から興味深く読ませてもらった。
Web上の書評しか読んでないが、どうやら「普遍語」としての英語が日本語の地位を奪っていくことに危機感を持つ、という内容らしい。
私はその話を読んである集団の日本語を思い出した。
有名なもので言えば、ブラジル移民や、アメリカの日系人などがそれに当たる。
彼らはいわば小さな”日本社会”を海外に持ち出すことになったが、その人口故に圧倒的マイノリティの立場に立たされることになった。
一般的に、彼らは三代で日本語を”捨てる”と言われている。
移民1世は当然日本語ぺらぺらである。社会で必要な最低限の外国語(アメリカなら英語、ブラジルならポルトガル語)を身につける。
移民2世は親から”家庭内だけの”日本語を習得し、学校や社会ではその国の多数派の言語(アメリカなら英語、ブラジルならポルトガル語)を身につける。
このようにして移民は「現地語」レベルの日本語でさえ捨ててしまう。
この移民3世に、1世であるおじいちゃんやおばあちゃんが日本語を教えることがあるという。
なぜかというと、日本語を話せるようにすることが「日本人のアイデンティティを保つこと」であると考えるからだという。
3世になると、自分が「日本人である」という意識すら希薄になってくる。「社会的に意味のない日本語を学ぶ必要なんかないだろ」という態度さえ見せるそうだ。
そのような孫を見るおじいちゃん、おばあちゃんの気持ちはつらいものがあるのだろう。
水村さんはこのおじいちゃんおばあちゃんにとても近いような気がするなぁ、と個人的に思った。