はてなキーワード: 中古とは
38年前の水準とのことだが、38年前ってどんな時代だったんだろう? 生まれてすらいない。
なんかこの話題が出るたびに、景気がどうのとか若者の所得が上がらないとか何とかいう話になるが、なんにもわかっちゃいねぇ。38年前より人口も所得も、なにより免許の所有者が劇的に増えてる(特に女)のにここ10年の景気ぐらいで車の売れ行きが38年も後戻りするわけが無いだろ。車が売れないのは、新たに車を買う層を受け入れず、育てずに目先の利益に走ったトヨタと日産の自業自得なのだ。バブル崩壊以降、最大で市場の7割もシェアを取っていたトヨタと日産がやってきたことは何か?
新たに車を買おうという18~24才ぐらいの若者が憧れる様な車種を次々と廃止したという大罪だ。
車と言うのは、多少田舎だからといっても無ければ無いで生活できる。あれば便利だが、本体価格はもちろんのこと維持費と税金(車検)ということを考えれば非常にデメリットも大きい。それでもやっぱり男ならカッコいい車が欲しいし、女ならかわいい車が欲しい。
若者が、損得勘定抜きに感性で欲しいと思う(そして買える)車。これが今はほとんど無い。
車は一度買ってしまうと一生乗り続けるしかない。移動の時間と場所を自分でコントロールできる便利さを覚えるともう戻れない。ガソリン代も家賃や光熱費と同等の当然あるべき固定費扱いになる。だから、いくら景気が悪くなったとしても安い車に乗り換える人がいても完全に手放す人はほとんどいない。だから、本来は価格帯毎に車種が揃っている必要があるにもかかわらず、現在のトヨタ日産のラインナップを見ると、低価格帯には仕方なく車を乗る人を最低限満足させる最大公約数みたいな車しかない。中途半端な縦割りなカテゴリになっている。どうしても車が必要な人が便利な車。これはこれで大切だが、そうじゃなくてカッコいい、かわいい、とにかく欲しい!という特徴のある若者向けの車が無い。
車のグレードというのは、自分の地位と共に成長していく。しかし、既存顧客の囲い込みのためモデルチェンジの度に価格帯を上げて行ってしまった為、低価格帯には1代限りで生産中止の低人気車と、足としか見てない人向けの実用的な安っぽい車しか残らない。
もともと車を持っていない人が、そんな残りカスみたいなもんに100万も200万も出すわけ無いだろ。
俺(アタシ)はカッコいい(かわいい)車が欲しいんだよ!
何人乗れるかとか何が積めるとか、運送屋やってんじゃねーんだよボケが!
結局、どうしても必要な人(上っ面だけちがうミニバン)となんとなく惰性な人(やたら種類の多いクラウンとか)と成金な人(レクサス)におもねった結果がこの惨憺たるラインナップ。
ユーザー増やしたかったらな、100万台で買えるカッコいい車出せや。
と、つくづく思う今日この頃。
追伸:
自分は車を手放した。だって欲しい車が無いんだもん。しかし徒歩5分にレンタカー屋があるので、何にも困らない。
車好きの仲間も、みんなやっすい車に乗り換えるか、程度の良い同じ車種の中古に乗り換えてるが・・・もう数が無い。
LeafのPCゲームソフト『君が呼ぶ,メギドの丘で』を中古で買って遊んでみた。RPGをやるのは久しぶりだ。戦闘バランスが厳しめで難しいがなかなか楽しい。ただ世界観に癖があり,混乱させられる。頭を整理するためにテキストに書き起こしてみる。
物語を抽象化すると,「人を恣に扱う無慈悲な神に対する反抗」となる。作中には聖書からの引用や十字架など,キリスト教的ガジェットがあふれている。また一部の登場人物の名もユダヤ/キリスト教的背景を暗示している(例:マリア,ヤハ (Yahweh⇒Yaha),ナタス(Satan⇒Natas),エレミアなど)。そのため,ともすればこの反抗対象となる「神」はユダヤ/キリスト教におけるそれのように思われる。
しかしそう素直に受け取るわけにはいかない。物語の終盤には,「神」が少なくとも2回代替わりしていること,そして先代・先々代の神は現在の神に使役されるだけの存在になっていることが示される。先々代は竜。「私の頃には神はたくさんいた」という竜のせりふから,これは原始多神教における神であることが推察される。そして,竜を征服した先代の神がヤハウェである。……ということはつまり,現在君臨している「神」はキリスト教のそれではない。
ニーチェ的に考えれば,古き神々を殺したのはキリスト教の神であり,そしてキリスト教の神は超人によって殺される。超人とは外在的な道徳に縛られず己の欲するところをなすものをいう。この図式をそのままあてはめれば,メギド世界において人々を苦しめているのは超人ということになってしまう。この視点を念頭に,「事実」を整理してみよう。
神々はメギド世界の創造以前から存在したとされる。現在の神は,先代を征服したのち,メギド世界を創造した。これには目的があり,人間の繁殖率を調査するためであった。神は自らの代理人を作成して世界を改変する権限を与え,創造の補助にあたらせた。役目を終えた後,代理人は権限剥奪ののち解体されて人間を生み出すもととなった。実験目的であることから,人間が一定の人口に到達したら自動的に世界を自壊させる仕組み(世界時計)が設けられ,また人間の生息域は砂嵐によって画定された。なお,代理人から生まれた人間の一部は,世界の改変権を剥奪されずに保持していた。彼ら(=救世主)ならば世界時計を停止できる可能性をもつ。幾度となく救世主を中心に遠征班が組まれ,世界時計に挑んだがいずれも敗退した。
こうした「事実」からもユダヤ/キリスト教的な神の姿はうかがえない。信仰ではなくデータをとるために人間を創造した。作中では繰り返し,神の不在が強調される。姿を見せず,導きも罰も与えず,人間を滅ぼすことすら世界時計に委ね,世界に対しては完全に無関心である。私が連想したのは,ライフゲームを実行する科学者だった。オブジェクトをメモリ上に展開すること,終了条件を定めること,実験が終わったらメモリを開放することに,科学者が罪悪感をいだくはずがない。個々のドットの動きに対して導きや罰を与えるなど思いもよらないことだろう。
主人公たちが立ち向かっているのは,案外,知を手に入れて超人となり,神に死を言い渡した「わたしたち」なのかも,と考えると少し楽しい。私がもてあそぶプログラムが,私に対して怒りや信仰をもっていたら素敵だ。
http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20090323
これってすごい「真実」だと思った。
いや、別に若者を煽ってるわけじゃなくて「金払いが悪い若者」が多くなった以上、物を売る会社としてはそういう方針を取るしかないよね。
そしてこの現象って「ゲーム」と「ゲーマー(ヘビーユーザー)」の関係にすごく似ている気がする。
ほら、よくゲーマーが「今のゲームは終わった」「ゲーマーの方向を向いてない」「ライトユーザー向けばっかり」「昔のゲームはよかった」とか言ってるでしょ。
でもこの原因は何かと言うと「金払いが悪くなったゲーマー」が多くなった結果なんだよね。
だって、ゲーマーって文句ばっかりで一向に商品買わないんだもの。
こういう事言うとゲーマーは口をそろえて「良いゲーム作らないからじゃない」とか言う。
それに対してのゲーム会社の答えはこうだ → 「じゃあ良いゲームを作ってる同人ゲームで我慢すれば?私たちはライトユーザー相手するから」
あんだけゲーマーに叩かれているのに、売り上げは実に順調。
ゲーマーが喜ぶゲームを出しているPS3やX-BOXなんて比較にならないほどだ。
何が言いたいかと言うと「ユーザーは商品を選ぶ権利がある、しかしそれは同時に市場をコントロールしている」
ユーザーが商品を選択した結果、選択されなかった商品は自然淘汰される。
需要と供給…こんな至極当たり前な事なのに、この現象に対して文句をたれる奴はなんなの?って思った。
お金払わないで、その市場を消そうとしてるのあなたたちじゃない?
※追記
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http://netafull.net/wii/029860.html
すげぇ・・・
http://anirresponsibleopinion.at.webry.info/200903/article_1.html
に移しました
男こそ女に「どうせイケメンばかり選ぶ」だのそれに対してそんなことはないといっても「どうせイケメン…」とか呟いてそのあげく「女って馬鹿」とかストレートに馬鹿にしてくださるけどそれはお忘れですかw処女厨って馬鹿にしてくるっていうけど、その前にそっちが「中古なんて嫌だ。他人がした便器なんてもらいたくない」とかバカにするなんてレベルじゃない事言ってくることはお忘れですかwなんでそういう所は都合よく見ないことにして「男ばかりが被害者論」に走るのだろ。男って、実はもしかして頭あんまりよくないの?自分達では論理的!とか頭いい!とか言ってるけど。それって一部の天才だけで実は他の普通の人って寧ろ悪いんじゃね?ってこういう男見る度に思うんだけど……w
「ちょっと優しい男にすぐ騙される」とかも男は言うし。でも自分はといえばちゃっかり「天然女性に騙されてるのはわざと!」なんてことにする。都合よすぎじゃないの?
結局「自分(の性)が非難されたとき」しか注目していない・覚えていなくて、自分と同じ性の人が異性を攻撃してるのは都合よく目に入っていないんでしょ。(分かっててわざとなんだったらもう何も言うことはないけど。言っても無駄だから)
男ってなんでそう自分たちの加害は見ないフリして、被害に関しては大袈裟なレベルで騒ぐの??
ここで「男ってくくるな!自分は加害なんてしてない」とかいう言葉が思いついたなら、「女はバカにする」なんてくくる事の愚かさを自覚できるよね?
そのうち日本も高学歴-高学歴結婚、低学歴-低学歴結婚、って風になってくんだろな。というか、「下流社会」によるともうそうなりかけてるらしいが。アメリカなんて既にそうだしな。格差社会っていってんだからそりゃそうなるのも道理か。昔の貴族-貴族の結婚が高学歴-高学歴、になるだけの話。
処女で若いけど頭悪い女なんて俺は全然結婚したくないわ。処女厨にはいい物件なんだろうけど。
だって若いとかいっても、そのうち誰でも老いるわけで。「若さ」に重きを置く結婚てその時点で無理があるだろ。いくら若い妻めとったところで結婚生活の中で若い期間なんてどれだけだよ。次々若い妻をめとれる王でもあるまいしw
若い奴を蔑視する気はないが、あんまり若い奴はやはりそれ相応の頭なんだよね。年の差結婚の報道で思うのは、「話合うのか?」ってこと。これは単に当時ヒットした歌謡曲の違いとかそういう事でなく、頭のレベル的な意味で。
学歴厨と言われるかもしれんが、やはり学歴と頭のよさは相関性があるよ。「受験だけで頭のよさははかれない!」とか言うけど、俺から言わせてみれば、そもそも大学受験すら突破できない奴が頭がいいわけないだろと。いや。そりゃ、規格外の天才みたいなのは稀にいるだろう。でも稀は稀。あくまで例外。受験を突破できる頭の持ち主だけど敢えていいところへ行くのを避けた、なんて奴もいるこたいるだろうが、やはりそれも例外でしかないわけ。(といってもそれは学歴高い奴の中に頭悪い奴は居ない、ということにはならない。むしろそれはあり得る)
やはり結婚するのだったら、同じくらいの年齢で、同じくらいの学歴を選ぶね。妄想とか抜きで、リアルに考えると。これからずっと一緒に暮らしていく相手となるとやはりそうなる。エグい言い方するが、処女で若い女を選ぶメリットって、少しの期間タダで若い女とセックスできるってことだろ?そんな刹那的な快楽のために、それこそもっともっと長いその後を「寄生」されて一生を棒に振るのか?(処女で若い女を娶ろうって時点でたいがい専業を考えてるわけだろ?)って話。俺からすれば。それだったら風俗通ったほうがよほど金もかからんだろ。大体これは個人的な感想だが、処女とセックスって別に気持ちよくない。刹那的な快楽すら微妙。気使うだけ。
処女厨と、結婚に夢見がちな女(所謂スイーツか?)ってよく似てる。お互い忌み嫌ってるだろうがwどっちも、結婚生活の初期しか考えてない。結婚生活のほとんどは二人とも老いているということや、子供に関して言えば可愛い時期なんかすぐ過ぎるという事を全然考えていない。どちらも空想しかしていない。非モテとスイーツも、そういう意味じゃ気質似てんだよな。前者はネットの情報を鵜呑み。後者はテレビの情報を鵜呑み。どちらも顔面至上主義・恋愛至上主義(非モテは実はそうだろ)?非モテが有名なニュースサイトなんかで紹介されたもんにすぐ食いついて「萌え」とかいってんのと、スイーツがテレビ番組で紹介されたもんにすぐ食いついて「カワイー」っていってんの、全く同じ。こっちからすれば。お前らそっくりなんだから仲よくすりゃいいのにw
だから「下流社会」のデータはある意味納得いくものがあった。高学歴でそれなりに経験のある男が考えてるのは寧ろこういうこと。いくら若くて可愛くてもギャルと結婚とか考えられねw大体30こえたらその辺のやつって子供に見える。古い言い方すると「しょんべんくさい」感じ。まあこの感覚は年くってみないと分からんだろうが。処女厨の中には学歴高い奴もいるけど、そういう奴って大概、「顔も運動もできなくて勉強だけはできた」ってことでレベル高い大学にはいってみたら、そこには「顔もいいし運動もできるし勉強もできる」奴がたくさんいて、一層落ちこぼれてしまった・でも曲りなりにも高学歴だから、妙なプライドもある、っていうタイプの奴だろ?だから普段は非モテぶって卑屈でいるが(非コミュゆえ)、こと女関連になると「中古はもらいたくない」とか強気に出る(ここに一応俺は高学歴なんだからというプライドが出ている)。まあある意味一番カワイそうなところだわな。微妙な立場だから。最初から低学歴だったりすればいっそそれ相応の思考や望みになったりするんだろうが、なまじ高学歴だから色々な望みを捨てきれないんだろ。
逆に、男は電化製品を選ぶときはデザインなんて3の次なのに、女は電化製品を選ぶときは「かわいー」とかそんなんだったりするんだよな。
さらに言うと、男は自分の中身を評価してもらいたがっていて、外見なんかくそくらえだと基本的には思ってると思う。
ということは、電化製品は男に取って自分自身の延長線上にあるんじゃないだろうか?
そして女を機能ではなくデザインで選ぶというのは、つまり女というのが完全なる「他者」ということなんじゃないだろうか?
つまり男にとって「機能で選ぶもの=自分の延長」、「デザインで選ぶもの=他者」ということになる。
つまり、自動車を足と割り切って「乗れればいい」と安い中古を買う男は、車を文字通り「自分の足」だと思っていて、
一方、デザインで、趣味で車を選ぶ男は車をある種の「異性」として見て、手をかけている部分があるのではないだろうか?
そんなキバヤシばりの大胆仮説。
横からだけど、ああいう中古品の「汚れ」って、買い取り価格を下げるための店の常套手段じゃないの?
「汚れていますから、この値段です」って言えば、持ち込む側も納得せざるを得ない場合がほとんどでしょ。まぁ、本当に汚れている場合も多いと思うけど。
ってか、日本は中古品にやたらと神経質だよな。Amazonで1800円でアメリカから中古の洋書を買ったことがあるのだけど、中に鉛筆で線がたくさん引いてあるような本が届いて驚いた。まぁ、勉強用の本だったから、別に問題ないのだけど。日本の中古本で1800円の価格をつけるレベルのものだったら、中に線が引いてあることなんてほとんどないから、「あー、これが文化の違いなのか」と思った。
自分が使ってる車を考えてみた。正直、年間の費用なんて考えた事無かったから、良い機会だ。
・自動車税7,200円
・駐車場代金 家賃込みだけど周辺の相場は高くて月5,000円 いちおう60,000円計上する。
・ガソリン代 60,000円 通勤と半径30km圏内への買い物。旅行などは除く。
・消耗品 20,000円 特にコレといってピンとこないけど元ネタをそのままに。
・車検費用+自賠責+重量税+印紙代 62,165円/2年 →31,100円/1年(安い車検専門店)
・予備費 30,000円 特にコレといってピンとこないけど元ネタをそのままに。
以上、合計383,300円
計算上はこの金額になるけど、
・駐車場は賃貸アパートの家賃込みになっている。-60,000円(そもそも駐車場無しの物件が無い)
・通勤のガソリン代は会社持ちなので、-30,000円(会社はオイル交換の費用を持ってくれている)
・消耗品や予備品はもっと低い。車検の度にタイヤ替えてもこんなにかからん。半分にしておく-25,000円。
実際の金額268,300円。月に23,000円。
実は数年前に結婚して、子供も生まれたので、次はホンダのフリードを買う予定。
・自動車税34,500円
・任意保険55,000円
・ガソリン代40,000円
・雑費100,000円(新車買ったらうれしくていろいろ買いそうなので)
・車検+自賠責+重量税+印紙 98,855円/2年 →50,000円/年(安い車検専門店)
以上、合計529,500円。月に44,000円。雑費を半分減らせば月に40,000円になる。
月の収入が手取り25~35万。残業で変動。ボーナス年間2回で手取りで150万。手取りの年収が500前後くらいか。
今は収入の5%が車両維持費に消えている。車を買い換えたら10%近くなるな・・・
家賃込みでカミさんの素晴らしいやりくりで年間300万で生活できている事を考えると、車両維持費が生活費に占める割合は、今は9%、新車買ったら18%になる。
家賃には及ばないけど、生活費の中で家賃に次いで高額かと思ったが、食費よりは安いか。うちは酒を飲むから食費が高いのだ。
貯蓄/投資、家賃、食費(酒含む)、車両維持費、俺の小遣い、光熱費、通信費という順番に金がかかる。
今は23,000円だからいいけど、新車買ったら40,000円かあ。食費と肩を並べてしまう。と言う事はこれ以上の車は贅沢品だろうな。生命を維持する費用よりも高額な車両維持費はありえん。
後5年すると、家を建てるお金が貯まる(2500万で立派な家が建つ田舎なのだ)だけど新車買うとマイナス200万+年間維持費20万増。1年間の貯蓄+αが飛ぶ。つまり家を建てるお金が貯まるのが1年以上遅くなる。あーでも5年経つと子供は小学校に入る。カミさんにも働いてもらうかなあ・・・そうなったらそうなったで車1台買わなきゃ。っつーか、後5年したら俺、40歳超えてるwww
うーむ。フリード買うだけでも、ちと贅沢っぽいなあ・・・貧乏人はつらいなあ。でも、俺の収入は決して高くは無いが、そんなに酷くは無いはずなんだ。自宅を購入しようとお金を貯めているのもあるが、俺がフリード程度で躊躇するんだから、収入が安定しない人は車は高いかもしれない。今、住宅ローン抱えるのは危険だしなあ・・・
いや、それは違うだろ。
本の例で言うならば、好きな作者の本を友人に借りてそれを会社のコピー機で全部コピーする、そんな行為に対して怒っているんだろ。
そりゃそんなことをしてたら「買えよ」と言われるわ
第一少ししか買えないなら自分でよく調べて、入念に選んで買って残りを我慢しろよ。
好きな作者の本を中古で買ったんだけど、そのことに対して怒られた気分。
「新品で買え」って。
ごめんなさい。あなたに対価を払いたいのですが、一冊買うお金で中古が五冊か六冊買えてしまうのです。
もし中古売買が違法になったら新品で買うか買うのを止めますが、現実的に全て欲しいものを新品で買えるほどお金持ちじゃないんです。
△
清朝崩壊のキッカケとなった辛亥革命は1911年。かくて生まれた中華民国は間もなく四分五裂。混沌・混乱の時代を経て、共産党一党独裁(というより毛沢東王朝)の中華人民共和国が建国されたのが1949年。
つまり40年にも満たない時間の中で、中国人は封建帝国、民国、人民共和国の3つの異なる政体に身を委ねざるをえなかった。
この三代を生き抜いた《怪人》の筆頭は政治家ならダントツで毛沢東、知識人なら陳寅恪。この本は、その陳寅恪の栄光と悲劇の生涯を描く評伝だ。とはいうものの陳寅恪といったところで、その名を知る日本人は皆無とはいわないまでも、限りなく少ないことだけは確かだろう。
中国語で怪人とは、たとえば「怪人二十面相」という言葉から連想される“怪しい人”という意味ではなく、己の信念を実現させるためには天下を敵に回しても構わないという鋼鉄の意志・執念の持ち主を指す。
京劇「捉放曹」の舞台で曹操は「寧可我負天下人 天下人不負我(俺は天下に叛いても、天下を背かせはしない)」と大見得を切るが、この台詞が表現する己を恃む志操こそが怪人の真骨頂。
怪人とて政治家なら権力を握れば、コッチのもの。毛沢東のように正々堂々・公明正大・勝手気侭に「寧可我負天下人 天下人不負我」の世界を愉しむことができる。
大躍進も文革も、毛の身勝手な「天下人不負我」の悲惨な結末だろうに・・・。
だが同じ怪人でも、陳は中華文明の精華たる文史(=文学と歴史)を命を賭して守ろうと任じた精神の貴族たる文士、つまり文化・文明を守護する武士だ。そこで政治家と文士の怪人の激突となる。
1953年、共産党政権は中古史研究所所長への就任を陳寅恪に要請した。
建国から4年。毛沢東が進める政策の「倫理的側面」が盲目的に賞賛され、彼の声望は一気に高まっていた。
であればこそ、そのポストは“毛王朝の貴族”への道を確約するもの。
だが陳は!)マルクス・レーニン主義を信奉しない。!)そのことを、最高権力者が公式に認める――を所長就任条件とした。
文史という中華文化の根幹を支える学問領域には権力者であれ容喙を許さず。文士の怪人たる陳は決然として「天下人不負我」といい放ってはみたが、そんな“我侭”を認めるほど政治の怪人は甘くはない・・・冷徹・峻烈・酷薄・残忍・非情。
50年代後半から文化大革命へと続く疾風怒濤の政治の季節の中でも、陳の志操は挫けない。
広東の中山大学に在る彼は、広東を中心に中国南部で強い影響力を発揮していた陶鋳の厚い庇護を受け研究と教育の日々を送る。
陶からすれば、陳は食客ということか。失明、大体骨骨折による両足切断の悲劇にもたじろがない。
全ての中国古典の一字一句まで刻み込んでいるような彼の頭脳が研究を止めることはなかった。ほぼ寝たきりの彼を支えたのは妻、助手、同僚、看護婦――すべて女性である。
怪人は硬骨漢。
だが朴念仁にはあらず。
頼みの綱の陶鋳が文革で失脚し、紅衛兵の攻撃は堰を切ったように激化。スピーカーのボリュームをいっぱいに上げ耳元で悪罵を浴びせ続けると、陳の「全身に震えが来て、ズボンが小便でぬれて」しまう。
窮状を訴えるが、紅衛兵からの反撃を恐れる大学当局は取り合わない。
69年、惨死。79年の生涯だった。清末光緒十六(1890)年、湖南省長沙の産。
陳のような知識人を産み育て生かし尊敬し畏怖しながらも、とどのつまりは笑殺、やがて封殺・謀殺・愁殺・・・中国の社会は、そうやって続いてきたようにも思えるのだ。