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2008-11-19

[][]スティグリッツ  インフレターゲットは導入すべきでない

スティグリッツ教授経済教室』

インフレターゲットは導入すべきでない

多くの国の中央銀行が導入しているインフレターゲット日本も導入するべきだという声が一部にはある。

中央銀行制度は宗教のようなものだ。ほとんどの国の中央銀行が熱烈に報じているいくつかの信条があり、

彼らはそれを確信を持って唱え、その論理の進め方にはまるで判で押したような画一化が見られる。

しかもこれらの信条には往々にして、それを裏付ける科学的証拠がほとんどないのである。そのため、

彼らのご託宣はえてして間違っており、彼らの政策は予想された結果や望ましい結果をもたらさないことが多い。

一九八〇年代にミルトン・フリードマンの感化を受けて、世界中中央銀行マネタリズム、すなわち中央銀行のなすべきことは マネーサプライ(通貨供給量)をコントロールすることだけだ、という信条採用した。通貨供給量を厳しくコントロールすれば、低く安定したインフレ率に導くことができ、それによって安定した高成長を実現できる、という考えである。

改めて言うが、マネタリズムを裏づける理論存在せず、限られた実証分析結果があるだけだった。

実際、マネタリズムは機能しなかったし、いくつかの点では完全な失敗だった。今日では、

事実上すべての中央銀行がこの信条を捨て去っている。(この破棄された信条の名残りとして、

欧州中央銀行はいまだにマネーサプライを重視している。)


アメリカが、そして世界が、一九八〇年代に経験した経済的苦難の多くは、マネタリズムに対する

盲目的な信仰にその原因があった。中央銀行通貨供給量コントロールに関心を集中したことは

未曾有の高金利を招き、短期で借り入れて長期で貸し付けていた金融機関―――とりわけ

何百万人ものアメリカ人住宅ローンを提供していた貯蓄貸付組合(S&L)―――は、一夜にして

事実上破綻した。レーガン大統領規制緩和―――そのおかげでこれらの金融機関は高リスク

高リターンのローンに乗り出すことができた―――と、いくつかの会計上のトリックによって

崩壊は先送りされたが、それは必ず訪れる報いの日が来た時、納税者が負担するコスト

さらに大きくなるということだった。この救済事件のあと融資基準は当然引き締められたが、

今度はそれが、一九九一-九三年の景気後退の一因となった。

アメリカにはこの嵐を比較的楽に切り抜けるだけの資源があった。(もっとも一九八〇年代

初めの景気後退は、巨額の財政出動にもかかわらず大恐慌以来の厳しいものになったのではあるが。)

だが、マネタリズム発展途上国に及ぼした影響は悲惨だった。金利の上昇は、

ラテンアメリカ諸国が一九七〇年代の石油価格ショックを切り抜けるために借り入れていた債務が、

突如として背負いきれないほどの額に膨らんだということだった。ラテンアメリカ諸国は相次いで

デフォルト(債務不履行)を起こし、この地域は一〇年にわたる停滞―――いわゆる「失われた一〇年」―――に陥ったのである。

中央銀行はいつも単純なルールを求めており、今日の単純なルールは「インフレターゲット

(目標インフレ率)」である。目標インフレ率を設定して、インフレ率がその目標より低ければ金利を下げ、

高ければ金利を上げろ、というわけだ。インフレ率の変化を生んだショックが

どこから来たのかも、失業率や為替レートがどうなるかも気にする必要はない。その論旨はこうだ。

インフレ抑制に専念することが「信頼性」を生み、その信頼性こそが、経済がショックに対して

より効果的に反応することを可能にする。石油価格が上昇するときは、インフレ率は(一九七〇年代のようには)

上昇しない。中央銀行が素早く行動してそれを抑え込むことを

市場参加者が知っているからだ。インフレ率が将来上昇しないことがわかっているということは、

物価今日、安定を保つということだ。

世界の大部分でインフレ率がこれほど低く抑えられてきたことには、もちろん別の理由がある。

グローバリゼーション全般、そしてとりわけ中国である。海外からの低価格の財が

供給されることで、国内の物価抑制されてきたわけだ。貿易財は多くの非貿易材の優れた

代替財となる。グローバリゼーション製造業分野(および他の貿易財分野)の賃金に下降圧力をかけ、

それが経済全体の賃金に下降圧力をかけてきた。市場に十分な競争がある限り、これは

とりもなおさず物価はどの国でも安定を保つということだ。

インフレターゲット論は、少なくとも短期的にはマネタリズムより害の少ない宗教である。

それは一九八〇年代初めのアメリカの異常な高金利のような極端な振る舞いには、概して繋がらない。

しかし、長期的には、ヨーロッパが実証してきたように、景気の悪化を招くことがある。

レベル失業にもっと関心が払われていたら、ヨーロッパ金利はもっと低く

抑えられていたはずだ。

金利投資抑制してきただけでなく、為替レートの上昇ももたらし、

それがヨーロッパの景気を低迷させてきたのである。


日本の場合には、インフレターゲット論はデフレ対策として唱えられてきた。

デフレが問題なのは、一つには名目金利ゼロであっても(デフレ考慮すると)実質金利プラスになる

からだ。デフレが続く限り政府金利を低く抑え続けるとわかっていれば、市場参加者は、

長期実質金利がやがて低下することを確信して、消費や投資にもっとカネを使う気になるだろうと、

インフレターゲット論者は主張する。日本の場合のインフレターゲット論の問題点は、それが

短期的に間違った変数に着目することにあり、インフレターゲット政策への

コミットメントが信用できるものだとすれば、そのために金融当局は間違った戦略を長期にわたって

推進することになる。

金融政策は実質金利(インフレターゲット論者はこれに着目する)よりも、むしろ

信用のアベイラビリティ(可用性)を通じて景気に影響を及ぼすのである。金融当局が景気をどの程度刺激しているかは、今現在の実質金利(あるいは長期実質金利)よりも信用供給の拡大に注目

した方が正しく測定できる。金融当局が信用のアベイラビリティに影響を及ぼす方法は

いくつもあり、これらの方法が金融政策の中心に据えられるべきである。


さらに、金融当局が長期実質金利に影響を及ぼすことを望んだとしても、それを達成するには

インフレターゲットの導入よりも効果的な方法がある(インフレターゲットの効果は、

せいぜいよくて不確実といったところだ)。一例を挙げると、短期国債と長期国債の相対的な

供給量を変えることによって、これらの資産の相対的な価格に影響を及ぼし、それによって

長期実質金利に影響を及ぼすことができる。

2008-11-01

日本は侵略国家であったのか」を読む つづき

前回↓が途中で切れたため、その段落から改めてつづきを貼ります。

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 さて日本中国大陸朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカ1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリーホワイトであった。ハリーホワイト日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルト共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリーホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガース派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカ日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

 「ホームページに載っている」と、また典拠をあいまいになさっていますね。アクセス日時を明記して、該当のURLを示すことも論文ルールとして確立しています。典拠となる論文の題名も該当ページも省略されていますが明記するのが普通です。先行研究の要約と著者の意見の区別がつかないのも問題です。先行研究の要約にオリジナリティはありません。先行研究について論じたいのであれば別でしょうが、先行研究を手がかりに、何かを主張したいのであれば、引用でも注でも根拠となる史料(この場合は「機密資料」)の該当部分を明記するのが論文ルールです。ちなみに孫引きは基本的にしてはいけません。原典にあたらずに引用元の編集が正確であるとは言えないからです。つまり、読む側からすると、根拠が示されていないがために、その主張を認めることはできません(学問ルールにおいては、主張する側に立証責任があります)。

 ルーズベルト戦争をしないという公約大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本ルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本アメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車洗濯機パソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

 繰り返しますが、根拠のない推測は論文の中では無価値です。さて、戦った結果、無条件降伏して占領(=支配)されました。その後、戦争をせずとも、サンフランシスコ講和条約を結んで独立できましたし、奄美諸島小笠原諸島沖縄も返還されました。

 さて大東亜戦争の後、多くのアジアアフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

 しつこく繰り返しますが、風が吹けば桶屋が儲かる式の主張に説得力はありません。「国家間の問題も話し合いによって解決」とのことですが、イラク戦争グルジア戦争は話し合いではありません。「百年、2百年」の根拠も示されていません。「人種平等」を推進した国際連合を結成したのは、勝った「強者」の国々でした。

 一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカ日本首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返

ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は60年以上不法に占拠されたままである。竹島韓国の実行支配が続いている。

 また、「・・・・・・という人」、さらに「・・・・・・と思っているのであろう」ですが、藁人形を叩いても論文に説得力は生まれません。論文で心情の吐露をしても説得力は増しません。私の立場を表明しておきますが、人の生を無益だとする考え方には賛同しないことと、批判的検討を行うことは両立すると考えています。

 東京裁判はあの戦争責任を全て日本押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロール戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本アメリカ化が加速する。日本経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法アメリカシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係改善の必要があると思っている。

繰り返しますが、論文における藁人形叩きに意味はありません。

 自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

 国を主語にしたのですから、そのように表明している公式見解くらい示してください。個々の語りについても、他者が参照できる形で提示されないものは論拠になりません。最後まで「侵略」の定義がなされないままでしたね。

戦時中アジア諸国と日本との関わりについては以下の諸論文を参照。

吉川利治「タイ国ブーン政権太平洋戦争」『東南アジア研究』19(4)、1982年、363-387ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/56071/1/KJ00000133800.pdf

大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、347-377ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf

中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、149-217ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf

黒田展之・小林裕一郎「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(1)」『法と政治関西学院大学)』49(2/3)、1998年、327-337ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0001061933

同「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(2・完)」『法と政治関西学院大学)』49(4)、1998年、575-614ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0000592111

谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、361-398ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870

 日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在先進国の中でも暴行殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

事実を丹念に」見せるのが実証的研究です。この「論文」はそうではありません。

「嘘やねつ造は全く必要がない」心の底から同意します。

以上、お目汚し失礼しました。もっと勉強しなければ……

(追記)日本新聞記事へのリンクを貼り忘れていたので追加します。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci

http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html

(再追記)論文の題名に誤りがあったので訂正しました。田母神様、申し訳ありませんでした。

2008-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20080804005948

他のヤツも言ってたけど、お前は結局「模倣」と「継承」の区別、ついてないんだな。

それを言ったら全ての文化的行動が全て「模倣」となる。

オリンピック金メダル取った凄いやつも、やってる事といえば模倣だから、全然大した事はしてない事になる。

その他、歴史上の偉人現在政治で頑張ってる人達スティーブジョブスやらスティールレーガンやらも模倣しかしてない。伝説の狙撃兵、シモ・ヘイヘだって模倣だ。

つまり完全なるイチャモンだ。

模倣と継承は明らかに異なるのに、自分の子供っぽい価値観で一緒にしてしまい、結果、文化そのものの否定に走る。はいはい、子供ネット繋ぐんじゃねーぞと。

2008-06-12

秋葉原犯人と「タクシードライバー

秋葉原の事件で、犯人掲示板に友達や彼女がいないことをつらつらと恨みを込めて書いているという報道を目にして、映画タクシードライバー」を思い出した。

あの主人公トラヴィスもまずチンピラがうろつく街中でよっぱらいをのせて夜の街を孤独に走るタクシードライバー仕事をしていた。

そして他人とまともにコミュニケーションを取ることができず、振られると逆恨みをした。

同僚に悩みを相談してもかえってくる答えは全く参考にならない。

さらにギャング売春をさせられている女の子にこんな生活をやめるように説得しても相手にされず。

こうやって主人公はどんどん世の中とのつながりを失っていき、重大な事件を引き起こす。

他人とのコミュニケーションをとれずに、それが重大な劣等感につながることはある。

犯人も「彼女がいない」ことが大きなコンプレックスになっていたみたいだ。

自分を愛してくれる相手がいるということは、自分が承認されることでもあるから、心の余裕は全然違う。

周りとのつながりを失っていくことがどれだけ人間にとって辛いことか。

25歳にもなってまともな仕事に就けずに、彼女もいないために孤独に追い込まれていった犯人の心情に理解をできる部分がある。

但し、今回の事件は絶対に許せない。日本法律極刑を言い渡されて当然である。

この事件で命を落とした人や、愛すべき人を失った周囲の人々、事件に遭遇して心に傷を負った人、数多くの被害者がいる。

多くの人を不幸に追いつめた犯人を個人的な気持ちとして許すことはできない。

孤独への心情への理解はするが、彼の犯行動機を理解する気持ちも同情する余地もない。

ただ、一つ思うのは犯人は「タクシードライバー」という映画をおそらくは知らないだろう。

もしこの映画を見ていたらこんな惨事を引き起こさずに済んだのではないか、と私は考えている。

もし見ていたら犯人の心情と主人公の境遇にシンクロしていたはずであるし、それが孤独を慰めることにつながったかもしれない。

ある種の芸術孤独人間カタルシスをもたらす。

余談だが、1980年にこの映画の熱狂的ファンがレーガン大統領暗殺しようとする事件があった。

その犯人と今回の事件の犯人は性質が違うと、勝手に思っている。

2007-08-08

あえて民主党政権を期待してみる

ただし、米民主党と同程度の政権運営スキルがあれば、の話だ。

'80 年代の共和党レーガンから '90 年代のパパ・ブッシュに移った時期、日本バブル崩壊の衝撃が社会を覆い始めた頃だった。

ただ、それまでの日本経済生産から消費までアメリカのそれを明らかに圧倒していた。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまことしやかに言われたのもちょうどその頃である。

経済が不調なアメリカ政権が衆目を集めるためにやったこと、それは言うまでもなくイラククウェート侵攻への介入だった。その泥沼が息子ブッシュの時代にまで受け継がれているとは何たる皮肉か。

パパ・ブッシュは、しかしながら、人気取りには失敗した。そこで登場したのが民主党の若手クリントンだった。彼の新興・ベンチャー振興策で IT 企業が潤い、20 世紀末に「IT バブル」が起きたのは知ってのとおり。

だが、クリントンはつまらないセックススキャンダルで失脚に至ることとなった。

翻って見た今の日本

小泉構造改革を受け継いだとされる安倍政権鳴かず飛ばずで、先の参院選では「歴史的大敗」を喫してしまった。一方アメリカでは、それまで過熱していた土地バブルサブプライムデフォルト問題によって今まさに崩壊しようとしている。

こういうときの日本に必要なのは、まさにクリントンのような人物だ。

クリントン日本に登場すれば、少なくとも IT 企業は潤う。そして、IT がつかみどころのないモノから、本当に企業の業務プロセスの変革に寄与するモノとなるときが来るかもしれない。

そうなったときは、これまで「デジドカ」と呼ばれていた人がやっと陽の目を見ることになるだろう。また、インドをはじめとする近隣諸国の人材も多く流入してくるに違いない。

そうやって日本経済が潤ってきたところで、利権に不慣れな民主党スキャンダル政権を追われ、再度自民党の支配に戻る、というシナリオで良いのではないか。

歴史は繰り返すと言う。

2007-05-26

そもそもタレント政治歴史を動かしてきた気がするのだが

http://anond.hatelabo.jp/20070526080017

爽香タン(創価学会)が本命彼氏(国)を落とす方法に

ようは国民を取り込んで潤沢な資金システムを構築し力を増してきた

そういう方法ではぬるいんでもうあきらめ普通女の子になったらどう?というお話。

http://anond.hatelabo.jp/20070526080017

創価学会を立て直すには池田大作なんぞではなく純粋に育てたタレントが必要だという話。

創価にも公明にも持ち球(タレント)が不足しているというのには同意。

いまのままだと中国や他の政党にとっての道具でしかないと思う。

とりあつかいが難しいからサーカスタイオンのようなものだろうか。

ある一定の客には必ずうけるという…

http://anond.hatelabo.jp/20070526080017

これにタレント政治こそどうにかするべきだという指摘が入ったのだが、

そもそもヒトラー政治家の手法はいってしまえばタレント政治だった。

実際のヒトラー政治家としての能力はナチスの辿った末路をみれば分かる。

ここでサッカー選手などがやたらもてはやされる第3世界系の国を例に挙げてもインパクトに欠けるので

リンカーンレーガンをあげてみる。

小泉純一郎はの趣向はタレント政治だったといえるが彼のしてきたことを

是ととるか非ととるかでこの議論の方向がまったく変わっていってしまいそうだ。

ナチス映像を使って国民にわかりやすく物事を刷り込んだのと同じく、

タレント政治はわかりやすい。

顔や人柄が気に入るかそうでないかがとりあえず最初のポイント

もっというと彼らがいってることよりもフィーリングでいい悪いを決められる。

それによって横山ノックなどのとんでもない政治家が生まれてしまうのがこの手法の良くないところだ。

話を<タレント純粋培養才能>というところに戻そう。

創価学会に対してこのような見下された見方がなされるのは仕方ないようにも思う。

いわれてみれば40年以上やっていてこの規模というのはただの有名な新興宗教でしかない。

ここまであからさまに公明党とのつながりがニアリーイコールでさけばれているのに、

黒子であるべき人間舞台に立っていたところどんどん色が落ちて

もはや黒子の本来の意味を成していないのにも関わらずまだ黒子ぶっているのは滑稽だ。

もうミエミエの黒子のいるつまらん劇に嫌気がさしている人も多いのではないだろうか。

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