はてなキーワード: 自由恋愛とは
話それるんだけどさぁ。昨日あたりからずーっと思ってたんだけど、そういう趣旨のことを彼女の親御さんにあいさついくときとかに正直に言えばいいじゃない。あなたの娘さんの穴と自分の邪魔にならない意思がないところを好きになりましたって。結婚式とかでもそういえばいいと思う。まぁ貞操観念があり三歩下がって夫に…といういいかたを今まではされていたわけだが、でも後ろめたさがないのであればはっきりそう言えばいいよね。処女で思う通りにできるところが大好きだって彼女に言えばいいよね。それで彼女が喜ぶならそこに第三者が口をはさむ余地はないんだし。
女なら言うでしょ。経済力があって頼れるところが、とか。はっきりと。年収いくらだからとか。女同士で嫌われるけど堂々と言う人は言う。それならばそれでいいんじゃないのか。
そういう価値観だってあるよ、と胸を張って言うなら他人を攻撃する必要もないし、何か言われたところで反論しなけりゃいいじゃないの。価値観なんてみんな違うんだから、匿名ではなく顕名であるいは本名で、彼女に彼女の友達に彼女の親に自分の友達や同僚や上司に、彼女の長所だって誇らしげに言えばいいんじゃないの。好きなタイプはって聞かれて堂々と答えればいいんじゃないの。年上の上司や彼女の祖父母あたりなら理解はしてくれるかもね。ちょっと前までそういう時代だったし。
ちょっと前まで自由恋愛もあたりまえでない時代があったけど、今はそんな古いことを…っていう風潮になってるわけなんだし、そのうち処女厨も認められる時代が来るかもしれないじゃん。同棲をしたことがあるとお嫁にいけない時代があったけど、今は眉をひそめる人はいるけどやる人はやる人でいるわけじゃん。自分がよいと思う価値観なら、ものである彼女はおそらく反対しないだろうしそれでいいって言うだろうから正直に打ち明けて、なにも卑屈にならず攻撃的にもならず、お前らわかってないなーって言っとけばいいんじゃないのかっていつも思うんだよね。
加藤事件の後、「非モテに報復せよ」とか「恋愛のできない男は犯罪者予備軍だから強制隔離しろ」という
主張が声高に叫ばれたことをもう忘れたのか?
正直言って、自分が一人で頑張って築いた財産を、その間他の男と遊び歩いていたような女性に使いたくありません。
器が小さいと言われるでしょうが、これが本音です。
非モテにとって恋愛対象とは見られないが結婚対象としては見てもらえるという状況は極めて屈辱的。
人間性や男性的魅力はまったく評価されず、カネや社会的地位のみを評価されるという意味で。
恋愛と結婚はかなり違うんで、恋愛にこだわりすぎない方がいいよ。
何十年も一緒に暮らすとなると、胸ときめく恋愛感情よりも、「戦友」になれるかどうかってことが重要。何といっても運命共同体として人生の荒波に一緒に立ち向かうわけだから。
女房に惚れたのも、若いころのような熱い恋愛感情よりも「こいつなら一生やっていけそうだ」と思ったところ。30過ぎて仕事も忙しく、大恋愛をやるのが面倒になったってこともある(女房も同じ意見)。でも計算とか打算じゃないよ。そもそも「人生設計、何それ」という人生を送ってるし。恋愛が胸で決めるなら、結婚は腹で決めるって感じ。
何が言いたいかというと、
ってこと。良い人が見つかるといいね。
理系の男ですが、私も含めて学生時代の仲間の多くが30代半ばになっても独身です。
「結婚できなくても、子どもは欲しい」なんてことを良く話していますが、自分の意思と能力だけで出産できないのが男性の弱い所です。
最近感じるのは、女性と縁の無いまま社会に出てしまうと、仕事も堅実で論理的常識的な考え方のできる、いわゆる「良き家庭人」になりそうなタイプの男ほど結婚を敬遠するようになる、ということです。
「彼氏いない歴=年齢」の女性より、「彼女いない歴=年齢」の男性の方が多いと感じませんか?
学生時代??20代前半くらいの恋愛を見ると、イケメンや金持ち、ノリの良い奴など、ごく一部の「モテる男性」が、次々と女の子と付き合っています。
しかし、私たち「モテない男性」グループは女性から相手にしてもらえず、恋愛の機会が無く、孤独に耐えながら勉強や仕事の下積みに頑張ってきました。
女性が結婚や出産を意識する年代になった時、モテる男性は一人の女性としか結婚できません。
また、責任の発生する結婚よりも、自由恋愛を続けることを選ぶ男性もいるでしょうね。
モテる男性と結婚できなかった女性はどうするか? 自由恋愛を楽しんできた女性は、
あるいは、将来を意識してモテない男性にアプローチをかけてくださる女性もいますが、こっちも能天気じゃありません。
地位ができて小金が貯まると、男も警戒心が強くなります。近寄ってきた女性に対しても「どうせ金目当ての妥協だろ?」なんて考えてしまいます。
男は一人でいる間にいろんな趣味も持ちますから、それを邪魔されたくもないですしね。
正直言って、自分が一人で頑張って築いた財産を、その間他の男と遊び歩いていたような女性に使いたくありません。
器が小さいと言われるでしょうが、これが本音です。
結婚式の起源は古代なんたら時代の家と家の契約の儀式であって、自由恋愛の今、それこそ片言の牧師の前で「はい誓います」なんてバカげていますよね。
理論的に考えれば、バカな話です。
しかし「日本人はやっぱり米」のように、慣習化された文化は頭で切り離せない、染み付いたものなのです。
バカげているからやらないだの斜に構えても、やらないと何かとしっくりこないことなのです。
だからそんなネガティブぼやくぐらいなら、楽しんじゃったほうが楽ですし、今後ある「好き嫌いではすまされない」結婚生活の練習だと思えばどうでしょうか。
人生のパートナーといかに同じ道を楽しみながら進むか。これが結婚の醍醐味だと自分は思います。
それができないなら、今のうちに別れたほうがお互い幸せだと思いますよ。
じゃあ元増田はなおさら、今の段階で開き直った方がいいと思うな。
おばさんになると簡単に開き直れるのは、「女」という立場からオルタナティブになれるから。
結婚ウン十年となる典型的な主婦おばさんが、頑張ってセックスアピールをしなくても、今の日本じゃ十分に生きられるでしょ。
無論「女」を全面に出した生き方をするのも自由だと思うが。杉本彩みたいに。
でも元増田はまだ若いはず。
でなければ、あたかも達観したみたいなこと(実際は全然達観しきれてない)をわざわざ増田に書き込むはずがない。
だからこそ、「女」として自由恋愛を行える立場の中で、敢えて開き直るという行為が重要なのだと思う。
おばさんになってからじゃ遅いんです。
18歳未満の子ども、特に第二次性徴を迎える以前の少女を愛してやまない皆様、いかがお過ごしでしょうか。
この度は大変おめでとうございます。
次の臨時国会で可決とも言われている児童ポルノ法の次回改正で、「製造罪」「陳列目的所持罪」が、事実上廃止される模様です。
詳しくはこちらをご覧ください。野田聖子先生のメールマガジンです。
映画(引用者駐:「闇の子供たち」)の中では、奇しくも日本人男性が幼女との性行為をビデオ撮影し、ネット配信する場面が出てきます。法改正後はそのビデオが配信されなくとも、所持していることをもって、その男は犯罪者として処罰されることになります。
野田先生いわく、法改正後は性行為を撮影したことではなく、映像を所持しているという状態をして処罰をされるそうです。
今までであれば懲役三年以下もしくは三百万円以下の罰金であったところが、同一年・百万円を上限するところまで緩和されるということです。
負荷は今までの三分の一、ヤリ放題撮り放題ですね。おめでとうございます。
特に自身の娘さんに性教育を実践で行っておられる方々には、高市早苗先生の「発育過程を記録するために、子どもをお風呂に入れている様子を写真やホームビデオに収録する場合のように、児童の裸体などを撮影・録画する合理性がある場合は、「児童ポルノ」には当たりません」というお言葉も心強いことでしょう。
かつてNHK「クローズアップ現代」で、FBI捜査官の女性がチャットでシングルマザーをよそおい、自分の娘(2歳)に性虐待を行っているという男にその写真を出させるように仕向けるというシーンがありました。そこでの写真は「その男が実子への性虐待を行っている証拠」ではなく、誰が持っていたとしても等しい意味のある「禁制品」のような扱いをされており、米国では性虐待の実行という行為そのものよりも所持という状態への処罰に力を入れているのだなあという印象を強く持ったものですが、野田先生のこのお言葉はまさしく日本をアメリカのような先進国、大国に近づけようとする強い意志を感じます。
ご存知のとおり野田先生は立法段階、高市先生は今回の改正において中心と呼べる位置にいる方々。このお二方の解釈こそを運用の指針とするべきであり、たとえ現場が結局、被害児童救済は進まないなどと言おうがそんなことは関係ないわけです。
作った人の言うことが正しいに決まってるジャン。
本当におめでとうございます。
なお、本来皆様のものであるはずの「子供への虐待者」等という、人の目を捕らえて離さない称号は、何故かわれわれ二次元コンプレックスのキモヲタが負うことになるようです。
皆様は海外に「自由恋愛ツアー」に頻繁にいけるほど裕福でかつ愛らしいお嬢さんをお持ちの方も多いようですので、そのような社会的地位のある方の足を引っ張ってはならないという社会全体からの通達なのでしょう。
おめでとうございます。おめでとうございます!本当に本当におめでとうございます!!!
>逆に金さえあれば絶対に働かないと思うよ。
プラス家がリアルにそこそこ金持ちだったりして、その辺も勘案して「一生働かなくても食えることが確定した」とします。
じゃあ毎日どうする?とりあえず絶対に働かないという事で仕事を辞めてみる。
そんで毎日遊んでみる。行く先々で「金を使う」。
「金を使う」という事は「サービスを受ける」という事でもある。
お金があればご飯を作ってもらえるし、髪を切ってもらえるし、いい服を譲ってもらえるし、きれいな?おねーさんに個室で自由恋愛もしてもらえる。
とにかく、お金があるおかげで毎日いつでもあなたは「誰かに」「何かしてもらえる」毎日がある。
多分、よっぽど神経が図太くない人間は、そんな生活耐えられなくなって、ちょっとでも仕事しようとしだすと思うよ。
少なくとも俺だったら死ぬほど身を削っては働かないだろうけど、結局やっぱり定職にはつこうと思うんだと思う。
だってそんな毎日「誰かに」「何かしてもらう」けど、「自分は」「誰にも」「何もしない」日々はきっと逆にすぐ飽きて辛くなるべ。
人間は結局どこかで「仕事する=誰かの役に立っている」事も生きる糧になるように作ってあるように感じる。
いや、これはキレイゴトじゃなくて。
一時押し売りの仕事してたけど、何が辛いって売れないとか怒られるとか断られることよりも、
「来る日も来る日も売っても売れなくても、誰も幸せにしていない」事が一番辛くて、ホントにそう思ったよ。
「二人きりの場で、断ったら何をされるか分からないから事に及んでしまった」と言うケースはありがちだけど
それも君にとっては対等なただの自由恋愛なんだろうね。
それについても先回りで俺はガイドラインを示してるはずだ。よくある、山の上へ連れてって、帰りの足を盾にとって、ってやつね。
そういう具体的な種もなしに、意思表示すらしないで、後だしジャンケンでレイプを言い立てるなと言ってる。女の心ひとつで決まっちまうだろうがそれじゃ。
だいたい、断ったら何をするか分からないような相手は、断らなくたって何をするかわかんねーだろうが。そんな奴と二人きりになるなよ。
何故?
元記事読み直せ。お前がやってるのはそういうことでしかないww
逆説的だけど、非モテ女の方が非モテ男よりも噴き上がらないのは、それだけ酷い思いをしているからこそなんじゃないかなと個人的には思う。「顔で選ぶ」ってのも、それが小さい頃から当たり前すぎて、その上反対をすれば「ブス乙wwww」てな風に片付けられる。そんな状態で育って、もはやいちいち反論する気にもなれないんじゃないかな。
慣れているというより、あれだ、なんていうのか忘れたけど、犬に電流を流し続けると、最初は痛がるけどその内抵抗せずにじっと痛みが引くのを待つようになるっていうやつ。あれみたいな感じで。非モテ男は、その犬に電流を流した奴でいえば、流し始めの状態なんじゃないかな。だからまだ元気があるんよ。反対できるほどの。
逆説的だけど、希望を持ってるんよ、非モテ男は。反対すればなんとかなるんじゃないかって。顔で選ぶなっていい続けていればいつか本当に女が顔で選ばず自分を選んでくれるんじゃないかっていう希望が持ててる。だからこそギャーギャー言える。でも非モテ女はもうそんな希望も持てないんじゃないかな。希望が持てないと人間何も出来なくなるからね。いくら反対したところで男は絶対顔で女を選ぶし、反対したって「ブスがうるさいwwww」って言われる、その状態を変えることなんて出来ないと思ってるんじゃないかな。有る意味、自由恋愛になって男も選ばれる立場になってきたその初期段階だからこそ出てきた現象なんじゃないかなーって。だからそのうち、非モテ男も非モテ女のようになって、非モテは男女揃ってただ黙るだけになるんじゃないかなーと自分は見てる。あるいは非モテ男女全員が結託して頑張れば何とかなるのかもしれないけど。
突っ込めばいいが、こと非モテ問題に関してだけ言えば、根本的な解決というのはコレだと思う。
現実的に不可能な点は、理想から妥協していけばいい。
理想からって言うけどそれは「非モテ男たちだけの理想」じゃん。
セックスパートナーを持てる権利ってどういうのを指しているのかいまいち分からないが、これが女性の同意不同意に関わらず非モテに一人ずつ女をあてていくっつーようなことならそれは女性側の理想どころか権利・人格を甚だしく踏みにじっていて話にならない。非モテにとってだけの理想であって他者の人権は何も考えられていない。それじゃ話にならない。根本的に、憲法レベルから、「平等な人権など剥奪し、非モテだけが優遇されるという世の中にしたいのだ」という主張がしたいのか?っつー話になる。勿論そんなの誰も話す気になれないだろう。
今の世の中は平等な人権が基本となっている。
モテもそうだし非モテもそう。その上での自由恋愛なわけで、別に非モテだって勿論それに参加できる。
それに参加しない人・あるいは参加して、異性に誘いをかけても断られてしまう、という人はそれで仕方が無い。自己責任とかじゃなく、ただ単に、仕方が無い(あるいはそれを自己責任というならそうなのだろう)。別に誰も、非モテに責任など追及していない。皆が平等に人権を認められ人格を認められている社会では、非モテにもアプローチする権利がある一方、相手にも断る権利というものがある。それだけの話。
各々は平等な人権が与えられているがまた個人はそれぞれに人格も気質も何もかも違う。同じように努力しても一人はサッカー選手になれ、一人は才能が足りない為サッカー選手になれないかもしれない。それでもだからといって「サッカー選手になれないものにも、サッカー選手になる権利を」等と言い出す奴がいるか?サッカー選手にものすごくなりたくてなりたくてしかたなくてもなれないのなら仕方が無い。それを自己責任と呼ぶのかどうかは言葉の定義にもよるし定かじゃないが、仮に呼ぶなら、そういうことになる。そう帰結してしまうのも無理からぬこと。それが何故「変」となるのか?そっちの方が分からない。それで野放しにされた、欲望の叶えられない非モテたちが暴れたらどうするよ、という話になっているがそれは別の問題であって、「変」の理由ではないだろう。現実、「しかたのない」のはしかたのないことであって、それで百歩譲って非モテが暴れるかもよ、サッカー選手になれなかったやつが暴れるかもよ、という問題があるとしても、「しかたのないことはしかたのない」こととは別問題であってそれは変わらない。むしろ暴れるかもしれないなら、
現実的に不可能な点は、理想から妥協していけばいい。
ってことで、「じゃあ非モテは普段から抑圧されてて危険らしいから捕獲しよう!」て方向にも流れかねないぞ?人権は確保する、その上で危険な奴がいるなら牢屋へぶちこむってのが世間の「理想」だから。実際犯罪者とかそうやってるわけで。非モテは勿論それだけじゃ犯罪者でもなんでもないから現実的にはそうなりはしないけど、お前のそういう「ほうっておいたら抑圧された非モテたち何するかわかんねーぜ?恋人作れない非モテたちが、暴れないとか思ってんのお前ら?」っていう方向性の脅しじみた主張だと、むしろ世間からすれば「じゃあ非モテに恋人を」じゃなくて「じゃあ危険な非モテは牢屋へ」になるだけだよ?墓穴掘ってるだけだよ?ってことを言いたい。ていうかお前のその主張は多くのまともな非モテに大変失礼だし、お前の言うことをまとめると「モテないから暴れるよ!それが嫌ならセックスパートナーつけてよ!」って単なる脅しなんだよね。しかもすげえ自分勝手な欲望の。そんな自分勝手な個人の欲望に屈するかよボケって話で。そんな事皆分かってるから、そんな方向の議論には行くわけもない。それだけの話。あとこれは議論の余地は既にないんだよね。非モテがモテ無いのはもうしょうがない。しょうがないとしかいいようがない。それが事実だよ。サッカー選手だってなれない奴はなれない。それが事実。非モテじゃない人だってみな、そういうどうしようもない個人の差異による人生の壁にぶつかってるよ。そんなのはもう、しかたがないんだよ。人間にそれぞれ差異があるという時点でどうしても生まれえてしまう苦悩なんだよ。そこに今頃になって絶望するとか言うならしてればいい。ただ、普通の人たちは、とっくにこの手の絶望は経験していて、その上で頑張って生きているという事実を知るべきだよ。こんなことで今更絶望するというなら、むしろ非モテたちというのはどれほどいままで恵まれて育ってきたのかという感じが俺としてはするけどね。
ちまたでよく「恋愛資本主義」とか「恋愛至上主義」とかいう言葉を聞くけど、なんだかいろんな意味がまじってて混乱したので、ちょっと整理してみました。どんなもんでしょうか。
(1) 恋愛至上主義:愛こそもっとも価値あるものであるという考え。愛のない人や、恋人をつくって愛をはぐくめないような人は価値のないダメ人間だという含意をもつ。
(1-a) 性愛における恋愛至上主義:愛のあるセックスこそ唯一のよいセックス、そうでないセックスはダメなセックス。愛のないセックスは不潔。
(1-b) 婚姻関係における恋愛至上主義:愛のある結婚こそ唯一のよい結婚。そうでない結婚はダメな結婚。愛のない結婚ほど不幸なものはない。
(2) 自由恋愛主義:男女のマッチングは自由恋愛という競争を通じてなされるべきであるという考え。家のためなどと称して個人以外の主体がそのマッチングを指導・監督・規制することがあってはならないとする。
(3) 恋愛資本主義社会:恋愛への欲望が経済活動のなかに組み込まれているような社会のこと。女性は恋愛で勝利するためにお洒落などの消費を行う。また、男性が勝利するためには、そうした消費をファイナンスできるだけの経済力が必要。
ずいぶん久しぶりに社会学の書棚にいったらブルデューの『結婚戦略:家族と階級の再生産』という本の翻訳が出ていたのでついつい買ってしまいました。
下の引用は旧来の家中心の婚姻システムが崩れ、自由恋愛システムが立ち現れ始め、農民=ダサイ、都会人=イケてる、という対立が明らかになってきた時期のフランスのど田舎の農村について記述です。それが1962年に書かれた論文のものだということを考えると、今になって「恋愛資本主義」だなんだとさわいでいるのがばからしく思えてきました。
「クリスマスのダンスパーテーが、とあるカフェの奥のホールでおこなわれている。(・・・)フロアの周縁につっ立って暗い塊をなしている一段の年長の男たちが押し黙ったまま見物している。(・・・)独り者が皆、そこに揃っているのだ。(・・・)クリスマスや元日のダンスパーティーでは、独り者たちは何もすることがない。(・・・)独り者連中は夜中までそこにいるだろう。パーティーの明かりと賑わいの中、ほとんど無言のまま、近づくことのできない娘たちを見やりながら。そのあと彼らはカフェの奥に行き、向かい合って飲むことだろう」(pp.7-8)
「たとえ少しでもぎこちなかったり、無精ひげが生えていたり、みっともない身なりをしていれば、農民は即座に『ふさぎの虫にとりつかれた、不器用な、気むずかしい、時には、下品な、女にたいしてつっけんどんな』、社交的でなく無愛想なフクロウと見なされてしまうのである」(p.136)
「自らの身体に関する惨めな意識は、(都会人とは異なり)農民を自分の身体から切り裂き、内向的な態度にさせる。こうした態度こそが臆病さとぎこちなさの根源にあり、彼にダンスを禁じ、女性の前で単純で自然な態度をとることを禁じるのである。結局のところ農民は、自らの身体に当惑しているために、我を忘れさせ、自らの身体を衆目にさらすようなあらゆる機会のなかで、気詰まりやぎこちなさを感じてしまうのである」(p.137)
「経済的・社会的条件が結婚への適性に影響を及ぼすのは、主として男性がこうした条件について抱いている意識を媒介にしてなのである。要するに、自覚のある農民とは、軽蔑的な意味での農民として自らをとらえる機会をいくどとなく持たされてしまった農民なのである」(p.138)
今日PHSからこの「何故浮気はダメなのだろうか 」というエントリーを読みました。
http://anond.hatelabo.jp/20071128082705
数ヶ月前に、かなり長い間片思いをしていた相手とようやく付き合うちょっと手前までいったかな。という時期に「まだ一人の女に縛られたくはない。もっともっと遊びたい。結婚を考えるのは自分が十分に遊んだと思ってからで良いと思う」と言われて、彼に対してずっと長い間持ち続けていた「好き」の感情が何か憑き物が落ちるように一気に冷めていったことを思い出しました。
どうして一気に恋愛感情が冷めていったのかは、この人の理論からすると「よく分からない」と言うことになると思います。
でも今何となく思うことを書いてみると、やはり
「あなた」と「私」の関係は、それは何も「彼氏-彼女」の関係である必要はない、そんな風に呼ばなくとも、この世界において、唯一無比のかけがえのないものなのである。いや、むしろ「彼氏-彼女」の関係と世間一般の概念で定義する事のほうが、我々の関係の「かけがえのなさ」に対する冒涜ではないか?
つまり、私が誰と仲良くしようとも、あなたとの関係は唯一のものであり、その価値は少しも貶められないのである。浮気なんて少しも気にする事はないのだ。パートナーの動向に常に目を光らせている監視社会よりも、みんなが自由で仲良くできる世界の方が、余程すばらしいと思わないか?
こういうことを言う人と、「唯一無比のかけがえのない関係」を長期間にわたって築くことができるというのは論理矛盾しているようにも感じたからなのかな、と思われるのです。
人の心は、時間が経つと平気で変わってしまいます。
だからこそ、約束や紙切れで絆をつないでおかないといけない。
こういう発言をする相手が、明日も「あなたとの関係は唯一のものであり、その価値は少しも貶められない」と言う発言をする保障は、どこにもありません。
昔から人は信頼できるパートナーと愛し愛されていないと、どうしても心が安定しないものです。
多くの人が書いたように、それはその時代の結婚の形態によって必ずしも一対一の関係ではなかったのかもしれません。
私はやはり信頼できるパートナーと愛し愛される人生を送りたいと思っています。
毎日が嫉妬と猜疑心と絶え間ない諍いと苦しみで塗りつぶされる生活を送るのは、精神が持たないように思います。
朝起きたら何となく幸せな気分で目が覚めて、夜寝るときには天の神様と、隣にいる最愛の人に最大限の感謝をしてから床につきたい。
そんな風に思います。
蛇足:
かつて大杉栄が「自由恋愛主義」を唱えて、別に相手がいても自分が恋愛するのは全くの自由。パートナーが恋愛するのも全くの自由。ということを実践していたのですが、その結果がどうなったのか。。。と考えると、「浮気は自由」というのは難しい点があるなと思います。
市内にあった女子校はどこも、在籍してる男性教諭のほとんどは元教え子と結婚してた。
同級生にも在学中からずっと噂があった先生と大学卒業後に結婚した子がいる。
いつの時点から身体の関係を持ってたかとかはさすがに知らないけど、男性教師が教え子に手を出すってよくある話で、割と当たり前のように受け止められてた。
そういうのってなんか気持ちが悪かったけど、誰も問題視してないし、そういうものなのかなと思ってた。
だから、ここ数年、淫行教師っていうのがニュースで取り上げられるようになってきたのは、ちょっと意外。
個人的には、教師と教え子って関係だと、卒業してからたまたま再会して親しくなるっていうのならありだと思うけど、付き合い始めの時点で対等じゃない関係だと支配・被支配の関係になりやすくて被支配者の方が不利益を蒙ってる場合があるんじゃないかというイメージ。
だからそういう恋愛に違和感はあるんだけど、報道のニュアンスにはうまいことやりやがってこの野郎みたいな嫉妬っぽいものを感じるので、なんかそれも気持ち悪い。対等な自由恋愛ならほっとけばいいじゃん、とも思う。
こういうのって通報したのが誰なのかによっても印象変わってきそうだね。
あながち嘘でもない気がする
めっちゃ簡易に言うと男はマンコついてりゃ誰でもオッケーみたいなとこあるけど女はそうはいかないっしょ。なんつーかやっぱ「選ぶ性」なんだよね。女は。どうしても。それは男はできるだけ種まいてさ、女はできるだけいいオスを一人ないしは数人だけゲッツな「性」だから故に仕方ないことなんじゃないかと。性格とかの問題じゃなくて。お見合いとか、一夫多妻とかあった昔ならともかく今みたいな自由恋愛になると、そうするとどうしても女が選ぶ側になって、男が選ばれる側になっちゃうのは仕方ないんじゃないかね。男は、なんつーか、大抵のメスとは「ヤれる」が基本だけど女は逆で、基本的にオスとは「ヤれない」んだよね。多数の「ヤれない」中から、「ヤれる」オスを選ぶ。(それは、実際に多数の男が求婚してくるとかいうことは関係なく、の話だから、モテようがモテまいが大体同じ事。強いて言うなら寧ろヤリマンタイプの女の方が、コレに当てはまらないのかもしれない)
そうした感覚や性を考えると、「まあこのオスならいいかな」ってな考え方もそりゃ現れるんじゃないかなと。しかしそれは仕方ないんだね、それは女だけの問題じゃなく、男女がそういうものになってるから仕方が無い。恨むなら、神様恨むしかないっちゅーお話だ。