はてなキーワード: ドジョウとは
日本の秘境100選に選ばれた場所で車のない生活をしてた俺がいますが。
生鮮食品は通販しにくいから、よくドジョウとかとって食べてた。
ネットもダイヤルアップで56kだったし、ケータイも通じなかったけど、なけりゃないで暮らせた。
若ければ原付と自転車でなんとかなるけれど、歳をとると絶対無理だと思った。
だって、まともに検査できる病院に行くのに片道20kmくらいあるんだもん。
働く場所や学校は10km以内にあったけど、10km圏内にある病院って小さな診療所みたいなのだけだったし。
通院はキツイ。
通院するってことは体が悲鳴を上げてるってことだし、20kmは無理。
肉がお好きで、卒寿を超えてもステーキとフォアグラを一度に頼んでいたという。脚本家の倉本聰さんが「存在そのものがすでに演技」と惜しむ森繁久弥さん、96歳。後輩のために弔辞を読む役回りを退き、いよいよ聞く番となった▼人も芸も軽妙だった。TBSの生放送ドラマ「七人の孫」で、お手伝いさん役の新人女優をいたく気に入った森繁さん、放送当日、急坂のラーメン屋台という妙な場面を注文する。台本なしの本番。屋台の丸いすに座ったご隠居は、即興で横のお手伝いにすり寄った▼新人がうぶに押しのける。屋台は坂をずり始め、2人は抱き合って倒れ込んだ。このわるさ、配役を任された久世光彦(くぜ・てるひこ)さんが『今さらながら大遺言書』(新潮社)で明かしている。相手は後の樹木希林さんだ▼女性を愛し、映画でも尻や胸によく手が伸びた。パシッとやられて退散する流れがおちゃめで、いやらしさはない。座談の色話には軽(かろ)みが漂い、エロというより、小さな字で助平と書きたいおかしみがあった▼大阪人のサービス精神に、大御所の威厳がいい案配で重なる。銀幕の盛りはチョビひげ、晩年は白いあごひげの相を大衆の記憶に刻んだ。お座敷でのドジョウすくいと文化勲章。どちらもはまる自在の人だった▼勝新太郎さんや芦田伸介さんら、仲間に先立たれる思いを「朝寝坊でロケバスに乗り遅れた私だけがまごまごしている」と記している。「生きているやつはみんな哀れなんだ」と。久世さんも、最愛の妻子も待つ次の現場に向かって、悠然とバスに消えた。
なんだかすごい反応があってビックリ。匿名ダイアリーに書くのは2回目なんだけど、1回目のネタ系テキストは見向きもされなかったのに。よそでもブログを何百と書いてるのに超ひっそりだっつうの。いったいどうなってんだっつうの。でも初めて認められた気がしてうれしいです。読んでくれたヒトどうもありがとう。
でもちょっと待ってほしい。オレは病気になって、たまたま運良く治っただけ。1回マイナスになった点棒を、イーブンに持ち直しただけのことなんだよ。実は何もしてないのと同じだとは言えないかい?これはアレだな、手の付けられない不良が、実は捨て猫にミルクあげてたってアレだな。「あいつ・・・///」みたいな。みんな騙されちゃいけないぜ。闘病っつったって薬入れてウンウン唸ってただけ。オレWiiFitやるんだけど、あれの身体水平支持180秒。まじ死ねる。アレのほうがよっぽど「闘う」って感じがする。
本当にエラいのは、病気になったヤツを気にかけてくれる君らなんだって。そいつが元気になるように、お見舞いに行ったり、良い感じのメールをしたりするヤツのほうがよっぽどエラいんだって。医者は病気を治すのが仕事だし、患者もおんなじ。でも周囲のヤツは違う。そいつを元気にするために、無償で、進んで、望んで治療に協力してるんだよ。これってけっこうスゴいことだと思うんだぜ。オレなんかお見舞いに来て貰うのは大好きだけど、行く側って正直すごく苦手だもんよ。なんか辛くて。なんだか見舞う側と見舞われる側で、その辺の上下関係つうか力関係が実際のところは逆転しているような気がするな。なんでだろ?
でも調子に乗って言わせてもらえば、オレが病気になったってことは、病気になってないヒトよりアドバンテージがあるんかなって、以前書いたエントリーの反応を見て思ったね。中2的言い方をすれば、オレは「持つ者」。だから「持たざる者」である君達に、その経験を伝える使命があるのかなって。ナルシストは転んでもタダじゃ起きないぜ。
オレの好きなドラマ「木更津キャッツアイ」。病気になって、あのドラマはまさにオレのバイブルになったね。余命宣告されても前のめりに生きる主人公にまじシビレタね。酒も煙草も止めません。オレは病院の中で10年生きるより、外で普通に3年生きたい。
オレの嫌いなドラマ「セカチュウ」。ちょうど入院中に上映してたんだけど、同じ病室のヤツと言ってたよ、「あんな悲しそうなの観れっかっつーの」って。だから実は食わず嫌いなんだけどね。ああいう映画があるから癌にはマキシマムな悲壮感がカモし出されちゃうんだよなあ。そりゃオレだって観たら絶対泣くっつうの。
確かに愛する人と別れるのは辛いし悲しいと思うよ。だけどオレは敢えて言いたい。悲しむなんて行動は、相手が死んでからでも遅くないだろって。相手と過ごす時間が限られているのならば、悲しんでるヒマなんてないでしょ。そんなことより他にもっとやることがあるはずなんだと思うんだよ。
時間は待ってくれないんだぜ?
…いいんじゃないかなあと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20090901004356
俺が知っている限りでは最近書籍化が発表された「にんしんゲーム天国」くらいしか思いつかないんだが(「P.S.すりーさん」はちょっと違うかなあ)、もっと出てきてもいいんじゃないか?
もっと世間の晒し者になって、有象無象にしゃぶり尽くされてもいいと思うよ?
これを読んでる出版業界の人、最近出版業界も不況とかいわれてるみたいだし、便乗商法で「にんしんゲーム天国」の二匹目三匹目のドジョウを狙ってみません?
え、俺?あんなのに関わるのなんてまっぴらご免(笑)。
佐藤 にんと(著)
この病はmixiのアーキテクチャーに利用者がだまされることによって生じる。「チカシイけれど日常的にコミュニケーション出来ない相手の消息を常に確認出来る、というところに価値を見いだしてる」といった、mixiのサイト構造(=ナビゲーション設計)との距離の取り方を会得すれば、おのずと改善される症状である。
ある利用者にとって、あるコミュニティはそうかもしれないし、またあるコミュニティはそうではないかもしれない。
mixiは日本国内におけるSNSのデファクトスタンダードになっている。「確かに入ってる人の数が多いんで身近にやってる人もちらほらいる」ということこそがコミュニティ系サービスにとって重要であり、人が集まらない二匹目のドジョウサービスはサーバースペースの肥やしとして朽ち果ててゆくのみ。
はてな匿名ダイアリーがまさにそれであると私は感じています。
すみません、何が言いたいのかよく分かりません。