はてなキーワード: トリアージとは
俺もそれは分かるけど、でも誰かが個人的に自分の命をどう思おうが、それは文句を言うべきところじゃないからなあ。
いや、そういう正当化はまずいだろう、と俺は言ってるわけでして。
市民の多数決で決めていいこと(政治的な段取りが押さえられていればいいこと)と、決めてはいけないことがある。
専門性のある判断は一般市民の民主的な合議で決まるものではない。今回全体主義がどうとかいう話は、そこを論点にはしてないと思うんだよね。
(ただ、もちろん、専門家集団への民衆の信頼があってこそまかされるわけだから、完全無視は困るだろうけど)。
あとの「極限状況」とか「常態化」って論点はよくわからないな。
いやhokusyuがここんとこかなりしつこく言ってんの、まさにこの論点だと思うぜ?
現場のトリアージではなく、福耳先生がトリアージの論理を経営学一般に敷衍すること、をこそ批判してるんだから。
おそらく、いえない。冷たい足切りもするけど時に人情で判断したりもするのが生身の経営者だろう。たとえば赤字でしかなくても一号店を残そうとする経営者は多く、その全員が破産しているわけでもない。それで企業がそれなりに回るのであれば別に間違っているわけでもない。
またスペース取ると思うんで、すぐ流れるようにせめて一まとめで投稿。
http://anond.hatelabo.jp/20080814082906
反論(というかそういう主張が的外れという話)は直前記事の2段落目以降で尽きてるけど、
スルーされたようだし、一応元の「あらかじめ・・・」に反応した物と見てレスするよ。
男が自分の問題として考えた場合
その「自分の」というのも差別思想を内面化してるだけだと思うんだよね。
差別というのは色んな側面があって、男は氏ねという価値観の裏には、兵役のない女性や異民族は二級市民だとか、
男には裏返しで特権が存在したりした。だから自分から命を投げ出すような事が、何か名誉のような感覚があったんだと思う。
でも、今の時代はそういう特権も解体されて来てるから、一般的な価値観なんかじゃ到底なくなってると思うな。
だから、自分よりも見知らぬ第三者の女性や子供、あるいは老人を助けてほしいと願う人はそうはいないはず。
ただ、妻子優先はちょっと特別だよね。愛情とか血筋とかそういうごく個人的な事情が絡んでるから。
んで逆に、妻子を大事に思うからこそ(妻子が一緒に被災しない場合は)、むしろ期待生存率を高く
したいと願う夫もいるんじゃないかと。そういう意味でやっぱりトリアージは基本じゃないかなあ。
そしていずれの場合においても、自分の命を投げ出すという戦略はトリアージという一般的な治療戦略を
妨げる物ではないから(放置していい人間が増えるなら治療班の負担も減るからね)、あってもなくても
この場合実はどうって事ない。トリアージのオプションとして扱う事が可能で、だから特に問題ではないね。
ただし、現代社会を前提にすれば、自殺を推奨するかのような選択肢は最初から排除されてしまうと思う。
まあ元は仮の話なんだけどさ。
自分の命を考えるときに統計的生存率が先に立つ人はあまりいない
たとえば、命より比較的軽く扱われる日々の買い物や金融商品でも、広告や謳い文句と
違った効果・品質・利回りなんかを目にすると人間怒るよね。食品偽装等社会問題にもなってる。
大事に思うからこそ期待リターンに失望落胆するわけで、命がそうでないというのは非常に特殊な価値観だと思う。
病気になれば病院や診療所に通うし、健康が気になれば禁煙するし、車に乗ればシートベルトを装着するし、
あるいは元々徐行したり頑丈な車を選んだりとか、全て自分の命について期待リターンを計算した行動でしょ?
統計なんて事じゃなくて慣習や常識による予測でもいいし、直感的な物でも構わない。その原則には変わりないと思うな。
http://anond.hatelabo.jp/20080814131503
上でも書いたけど、自分から本当に命を投げ出して、かつそれが本当に認められる
のであれば、医師の負担をむしろ軽くする事につながるように思う。
かつ、それはトリアージを妨げずむしろ共存出来る。ただし社会的には難しいはず。
http://anond.hatelabo.jp/20080814134041
http://anond.hatelabo.jp/20080814135240
まあ仮の話だからさ。
そういう正当化も可能で、だからトリアージと他の何かとの組み合わせが、
全体主義へといきなりショートカットする事はありえないって流れの理屈だね。
でもたとえば、日本国憲法持ち出して法の下の平等や生存権や幸福追求権なんかを根拠に、
現にトリアージに社会契約が存在すると擬制する事も可能なんじゃないかな、とちょっと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20080814153110
健康保険払いたくないという人はいて当然だと思うな。特に普段から健康に気をつけている人ほど。
緊急時の治療戦略を選ぶのとは違ってどうしてもコストが掛かる。そして健康な人ほど損する仕組みだから。
あとの「極限状況」とか「常態化」って論点はよくわからないな。
たとえば(汚いけど)映画が始まる3分前急に便意に襲われて、残り2時間我慢するか、今すぐさっさとトイレに駆け込むか、
そういう「緊急」の選択肢を迫られるのも「極限状況」だと思うし、多分今も日々日本のどこかで極限的な選択に
追い込まれる人は沢山いるはず。「極限状況」って言い方は物凄く恣意性が高いと思うし、抽象的に掘り下げれば
実は普通の日常と地続きである事がわかって、だからトリアージ的な状況は既にして「常態化」していると言えるはず。
そこは何の争点にもならないと思う、恣意性が高いという点でね。
そもそも右翼なんか出てきてないのにね。いちいち引き合いに出すなといいたい。論争の中心にいる奴は右翼も左翼も嫌いといってる自称引きこもりニートなんだから。
こいつが政治家がナチスを、経営学者がポルポトを不用意に例に出す事を批判するのは場違いと思わず、わからんとも言わずに、はてな左翼がトリアージを不用意に例に出すのを批判するとウッカリとはみなさず、軽蔑するというあからさまな偏向振りにはてな左翼がぶち切れてるだけというきわめて私的ないざこざ。
サヨク 「理解できないようですね。ならば一から説明しましょう。
この作品の主人公は明らかに争いを好む性質で――中略――このように紛争を暴力で解決することを助長する危険性を内在しており……」
ウヨク 「どこからそんな発想が出てくるのか分からん」
サヨク 「こんなに丁寧に説明してるのに、まだ分からないのですか?
私の主張が理解できないのに飛躍していると言うなんて、なんとアタマガワルイのでしょう」
http://anond.hatelabo.jp/20080814153428
手元にDBないから確認できないけど、ブルマがツッコミいれたんだっけ?
増田がそうだってわけじゃないが、そこを見て「ほら作者もこう言ってる!」と思う人と、
俺もそう思う<そもそも選択権ない<けど、元増田は
http://anond.hatelabo.jp/20080813012732
「災害時に被災・負傷し、物的人的制約のある災害医療の拠点に搬送された場合にどのような治療戦略を望むか」
という契約をあらかじめ(被災時に意識を失えば意思の確認が出来ず不公平なので)交わすとすれば、
自由かつ平等な個人は、自分自身の為にトリアージを選択する権利を行使するだろうという事。
期待生存率が最も高くなるからね。
と書いてるからねえ。これは医療の現場における妥当性の問題であって、そもそもそういう民主的な支持によって正当化される/するべき方策ではないし、民主的な支持が得られるとも限らないでしょと。
それって要するに「男は氏ね」と言っているも同然の差別思想だと思うし、
今どれだけ一般性を持っているかはちょい疑わしいかな。それに20世紀前半のような時代でも、
骨折した子供と火傷塗れの男性がいたとし、普通なら男性の方を助けろと考えると思うはずだしね。
仮にそうでないとしたら、功利主義の暴走ならぬ倫理主義の暴走と言い切っていいんじゃないかと。
でまあ、言いたいのはそういう事じゃなくて、元記事の考えは全体主義ならぬリベラリズムの超基本、
無知のヴェールのアイデアを素人なりに拝借したものだということ。老若男女その他、他人はもちろん
自分の属性すら全くわからない状況で、どういった選択肢を選ぶかという話で、だからあなたの言う
ところの「一般的な」差別的価値観というのはノイズが多すぎて排除される。
そこでは格差原理っていう「格差は最も弱い人の効用を最大限に保つ目的でのみ容認される」という
ルールが導出されるんだけど、問題はトリアージにおいてその「最も弱い人」が誰なのか、だよね。
不謹慎な話になると思うんで気になれば以降の文章はシャットアウトした方が、精神衛生上良いかもしれない。
もし治療資源を注ぎ込んでも助からない黒いタグ、カテゴリー0の患者だとすれば、どのような治療戦略に
おいても死亡という結果に終わり、効用は不変=常に最大だからトリアージを選ぶ事は許容されるだろう。
次に実質的に死んでいる人はカウントせず、助かる可能性はあるが緊急の治療を必要とする赤いタグ、
カテゴリーIの患者とするならば、トリアージによって最も手厚く治療資源を分配される事になるから、
やはり許容範囲となるはず。黄色や緑のタグの患者は検討するまでもないね。
というわけで、「ひとりがひとりのために」の個人主義的、自由主義的、リベラルな条件でも、
そもそも、経営学は「全体」について考える学問じゃないんと思うんだよね。
たとえば、一時流行った「ブルーオーシャン」なんて、要するに「独占寡占は美味しい」という話だし、
経営学的発想とは、いかにして競争を回避し超過利潤を確保するかという課題への取り組みでもあるわけ。
それに対して、時に独占へ介入するなどして経済を競争的に保ち、社会全体の効用の最大化を目指す
というのが一般的な経済学の姿。とりあえずこの両者は別物で、だからこそ別々の学問として定立している事がわかる。
「経営学は社会全体について語る物」という誤解から、トリアージだからホロコーストだみたいな
品のない暴論が飛び出したんだけど(まあ仮に全体について語る物であったとしても噴飯物の妄想だよ)、
要は「トリアージを経営学として社会全体に敷衍し全体主義社会へ」という決めつけは、最初から矛盾を孕んでいたんだね.
誰かさんのセリフを借りれば「ちゃぶ台返し」的に、立論の第一歩から間違っていたわけ。
この騒動の流れ的に言えば、通俗的な女性のイメージや、トリアージという命の係わるデリケートな問題を
公開の記事にした点で(あるいは実名blogで顧客を侮辱するという失策をした点で)、件の先生が各方面へ
お詫びに追い込まれたりして、その点は既に決着がついているから十分だと思うけど、そこへ何を勘違いしたか
「あ??こいつなんか弱ってそう、俺様の知的関心のいい餌食だやっちまえ」的な勢いで、マニア的な屁理屈で
大した検討もなしに相手をナチ呼ばわりした馬鹿者がいたという話だね。
この件に関する俺の解釈。
サヨク 「先日、孫がビデオを見ているととんでもない言葉に耳を疑いました。
『オッス オラ 極右』主人公は異星人との紛争を暴力によって解決しようとするもので……」
サヨク 「いいえ、間違いなく紛争を暴力で解決してるし、金髪碧眼は脱亜入欧的表現です。
違うというなら、その根拠を示してください」
追記部分は致命的な指摘。
この騒動が結局、人文崩れの連中のズリセンに他ならないとバレちゃった。
ズリネタみっけておおっぴらにズリセンこいてる所を「気持ち悪い」と言われて憤慨。
以降、いかに自らのズリネタが素晴らしいかを蕩々と説くが、「マニアックすぎて理解不能」と
ますます煙たがられる。そこでまた逆上。挙げ句「お前はあたまがわるい、ググれよカス野郎」と来たもんだ。
で、そうやって自分と異なる価値観なり来歴の他者を想像容認出来ない部分が、T4だのラインハルトだのといった
http://anond.hatelabo.jp/20080811202044
http://anond.hatelabo.jp/20080811220706
みんなやってる事だよね。売れない商品作ってる業者は倒産するか、
結局、標的が人類全体に分散しまくりで何も言ってないのと同じ。
単に気にくわない奴へのイジメの口実がほしかったんだろうと思う。
元エントリでは侮辱的な改変コピペまでして、相手をナチス呼ばわり
していたけど、何とも卑しい性根と言う他ない。
あと、彼は過去の固定客囲い込みが逆に仇となった百貨店を「かわいそう」と
女子学生が言ったのを見て、「これこそが全体主義に対するプリミティブな
異議申し立て」と持ち上げたんだけど、この事から彼がトリアージの用法ではなく、
経営学全般を全体主義のお仲間、ナチス呼ばわりしている事は明らか。
でも経営学外の概念である「かわいそう」の論理を、たとえば小売り業者の
興廃に適用すれば、護送船団という形で相対的強者が顧客一般の犠牲の上に
(能力に比して)法外な利益を得るし、トリアージの現場に適用すれば、
やはり少数の相対的に健康体の人間=強者だけが(健康診断サービスと、
もしあれば軽い怪我の治療付きで)おおよそ生き残る。
付け加えて言うと、「かわいそう」の論理は利益追求が本業でいくらでも
換えの利く企業等の組織ではなく、本来個人に対して適用すべき話なんだよね。
経済上の競争では敗者は消え去るわけではなく、労働力という資源として
きちんと再利用できるように、その生活をある程度保障する必要がある。
しかし(完全な)人権享有主体でもなく、もちろん資源そのものでもなく、
効率本位の存在ながらその意義を否定された衰退産業・企業は、資源の浪費を生むという
観点から長期的には退場して、その所有・利用する資源を市場に開放する方が好ましい。
大雑把に言えば個人さえ救済出来れば何の問題もない。
最初から最期まで支離滅裂で、何の役にも立たない屁理屈をゴネているだけなのに、
何か大所高所から他人様を説教出来ると思ってしまえるのが、この種のインテリ
うん区別されるだろうね。
でも、医療とか経営は、どちらも万物理論があるわけじゃないから、
いろんな場合を考えてみるのは、価値のあることだと思うよ。
それに、
(補足)
つまりここで俺が言ってるのは、「リソースの最適配分」の例としては不適だということであって、「最適解を検討する十分な時間がないときに近似的にでも迅速に行う配分」の例としては論理的には適しているかもしれない。
ただ、一般に百貨店の進退を論じるときに、通常程度に調べて検討する暇すらないという状況を暗黙に想定しろというのは無理があるね。
fuku33の元エントリー読んでみたけど、
べつに彼は「百貨店の進退」を学ぶための例え話として、トリアージを取り上げたんじゃなくて、
経営(マネージメント)的判断、ロジックを学ぶ例として、トリアージを話題にしたんでしょ。
だから「百貨店の進退」とは状況違うけど、「トリアージ」というやりかたにも同じような、「かわいそう」っていう情緒的な反応だけで、
「かわいそう」をどうすれば、なんとかできるか、できるだけ「かわしそう」じゃないようにするには、何か他にやりかたがないか、
という、「かわいそう」の先に考えを及ぼさなかった学生に不満足だったんでしょ?
ちがうのかな?
他人に要求しておいて自分は平気でそのルールを破るなんて中々面白い人だね。
http://anond.hatelabo.jp/20080811045938
無い知恵絞るのをやめて、他人様のblog↓(それとも本人?)のアイデア拝借したんだろうけど全く駄目。
http://b.hatena.ne.jp/entry/8708498
色んな例で述べたように時間も有限な資源の一つなんだよ。1日48時間ほしいなんてセリフよくあるよね?
もし時間が無限なら、全ての患者にいくらでも労力を割くことが出来る(まあ時間=寿命までだから患者も苦痛はあるが実質死ないんだけど)。
経営判断も同様。周到なマーケティング・シミュレーションに際限なく時間を掛けられのであれば、事業リスクは大幅に低下する。
しかし現実はそうではないから、相対的に効率的で相対的に迅速で相対的に効果的な判断の方法が要求されてくるわけ。医療でも経営でもね。
つまり、これらは相変わらず資源の有限性に促された、経営学的・経済学的資源の最適配分の実践に過ぎない。
トリアージはそうした資源の有限性への対処という課題を、印象的に切り取ってみせる希有な例。
何より件のエントリーのブコメでも、筆者の含意をちゃんと理解した初学者以前のギャラリーが沢山いたんだしね。
というより、トリアージの現場で本当に足りないのは時間じゃないんだよ。
君を含む多くの人が「救命医療・人命に関わる問題にリソースを」と主張するように、マンパワーの頭数から訓練・研修のチャンス、
機械・設備や資金、従事者のケア等色んな物が足りない。そういう大状況があって初めてトリアージのような限界的な現象が生まれるわけ。
もし災害発生と同時に十分な医師・コメディカルを派遣し、被災者を医療拠点へ高速輸送・収容、物資設備の供給も十分という
状況であれば、全員に平時と同じだけ治療を施せる。しかし当然そうした是正には有限なリソース、パイの再分配という壁がある。
言ってみれば、今も国民自身の選択として日々命の「切り捨て」が進行中なんだよ。
結局、依然としてトリアージ的発想はこの世の現実。ちゃぶ台返しどころか釈迦の手の平なんだね。
抽象的な考えを苦手にしている(具体例の知識にも乏しいが)のはこれまでで十分理解したけど、相変わらず酷いよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080810210828
>だから「有限」と「足りない」は違うw
一度物やサービスや資源の使用に何故価格なり税金なり規制が付き物だったりするのか、
そして時にそれらが高低強弱上下に変動するのか、理由を考えた方がいい。
まあ「あたまがわるい」から難しいかも知れないけど。
>ご都合主義乙。
翻訳すると「反論出来ませんごめんなさい」という事だよね。
前の「お前は原理主義的資本主義者だ!」とかいう意味不明な逃げ口上と同じだ。
逆選択もWikipediaに載っているはずだから、迷惑も顧みず必死に暴れる暇が有れば調べておくべき。
一応経済学や経営学を勉強したいなんて殊勝な事言ってたんだしさ。FRBの声明はどこかの経済記事もされていたはず。
>企業の全てが利益の最大化を単一目的としてはいない、と書いたんだが。
>本店をつぶしたほうが利益が出る場合でも、本店をつぶさないことがある。
>それは君の中の企業像であって、オープンソースのような形である程度共存共栄を図ってる企業もあるよ。そりゃ競争原理は働いてるけども。
>経営陣の倫理観の話では絶対にありえないと思い込みたがる君の世界観が不思議だ。
そこはお仲間とおぼしきサヨクの皆さんが全否定してくださって(企業は利益追求が本業ではないとの
分裂勘違い君劇場さんの言明に対し、山ほどある食品偽装を前に企業のモラルに何を期待しているの?具象的にも
抽象的にも企業は利益追求が本業、みたいな反論)いるから、安心して論破されたと認めていいよ。この助言は二度目。
例外は原則を覆さない、あるいは一見例外的に見えるような現象も実は原則に沿ったものだったりする、だってさ。
たとえばそちらが必死に拘泥して得意になっている「一見」利益にならない本社の維持でさえ、
従業員のモラルやブランド価値、地域地盤といった経営上の判断が必然的に絡んで来る。
限界的な例を考えれば話はもっと簡単。もし利益を追求しない事によって恒常的に売上高比数百%を
上回るコストを強いられる場合、その企業は赤字、ひいては倒産を強いられる「倫理的」選択を自ら進んで行うだろうか?
もちろんそういうダメ企業は潰れる方が世の中の為になるし、そうなるのが現実でもあるから、どっちでも構わないんだけどね。
まあ君は自称ネオリベらしいから、倫理を専ら企業任せにして公害なり偽装なりが横行しても何も気にしないんだろう。
>ということにしたいんだろうなあ。なるほどそんなごまかし方があったのか。
何なら迷惑顧みずに説明力の例をブコメから大量引用しようか?そうやって意固地に現実を認めないから、
ここのリソースを食いつぶして迷惑掛ける結果になっているんだけど、少しは反省しようよ。
>(追記)書き忘れてたけど、「自分の知能の希少性を思い知る」という表現は、希少性という単語の使い方をちょっと間違ってると思う。
それはそっちが自分で認めたように経営学や経済学一般を知らないからだよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%8C%E5%B0%91%E6%80%A7
述語というのは文脈により意味を変えるの。なんでそうやって恥を上塗りしたがるのか理解に苦しむ。
でまあ、そちらの必死の抵抗にもかかわわらず、流れは最初から何も変わってないから、まとめ的には↓のままでいいね。
http://anond.hatelabo.jp/20080810205804
・トリアージ的な、資源制約下の選択という問題はこの世界の普遍的な現実です。
・一般的に言えば、トリアージ的な資源の最適配分の積み重ねが「かわいそう」な人を(短期的にも長期的にも)最も少なく出来る。
・資源制約下の最適分配・資源の効率的運用という経済学的・経営学的課題の例としてトリアージは有効。
それにしても、あれだけ経済学や経営学に対する無知や理解力の無さを晒し上げられてフルボッコされたのに、
未だに虚勢だけは一人前というのが凄い。たぶん「自分はいわゆるはてなサヨクの一員だ」的なペラペラの
帰属意識に支えられているんだろうけど、素直に彼らに通報して助けを求めた方が格好付くかも知れないよ。
ただ指摘済みのアイデア剽窃の試みは完全に失敗したようだし、目利きの能力もなさそうなのが何ともね。
まあ壊れたレコード状態で生産性ゼロの君だから、このまま頬被りにするのが一番じゃないかな。
何がホロコーストと並べて論じられているのかにもしつこい誤解(というか曲解)があるようだから、ここで論じるよりはhokusyuさんとこ読めばいいと思う。トリアージで検索したらエントリ出るよ。
時間が普通にあればトリアージという方法は使われない。そういう区別は厳然としてあるだろうね。
トリアージは迅速性を重視した簡易の判定法としてあるわけで、最適解を求めるアルゴリズムとしては不適だ。
あくまで、速度を求められるときのものだから。
トリアージってのは極限も極限、通常の判定では間に合わないくらいの緊急時に使われる特別な手段なので、その「有限」のレベルが違いすぎるわけで。
(補足)
つまりここで俺が言ってるのは、「リソースの最適配分」の例としては不適だということであって、「最適解を検討する十分な時間がないときに近似的にでも迅速に行う配分」の例としては論理的には適しているかもしれない。
ただ、一般に百貨店の進退を論じるときに、通常程度に調べて検討する暇すらないという状況を暗黙に想定しろというのは無理があるね。
同一人物かどうかは分からんが、リソースの最適配分の例としてトリアージを半日かけて押していた人の論拠が根底から崩れて、全部論理的にはゴミになるってことかな。
リソースをできるだけ良い結果を生む配分をしようという、考え方のケーススタディとしては、ぜんぜん妥当だと今も思うよ。
全部が重なる完璧な例え話、じゃなくて、制約のある中でまだしもマシな結果を生もうという考え方の例として、
学ぶのは悪い話じゃないんじゃない?
本当のトリアージはこんな困難で、手法としての限界があって――。
というのとは別に、マネジメントの考え方を学ぶときのある条件下での「一例」としてはだとうなんじゃない?
完璧な例え話でなきゃだめなのかな。
うんまあ、きっとサイレントマジョリティは君の味方だよ。
産む機械発言を擁護するのと同等に福耳先生の発言を擁護するんだろう。よかったね。
トリアージが最適解であるなんて誰も言ってないね。最適解を探そうという試みの一例であるとは言ってたかもしれないけど。それだけ。
おおー、そういう逃げ方をするのかwかっこいい。よかったね。
面白くなくても可能だからな。そして、面白さのために君らを追及してるわけじゃないのでな。面白くないと言えば君の「ああいえば上祐」まがいの言い抜けも全然面白くないがね。
上のみたいのを「ああいえば上祐」というんじゃないかと思うんだが、サイレントマジョリティは違うっていうんだろうな、よかったね。
それをどう感じるかは読者が決めればいいんじゃないかな。
論破できなければ「読者」に頼って逃げる、論理を放棄した態度ですね。ま、サイレントマジョリティは君の味方でないことは確かだね。
同一人物かどうかは分からんが、リソースの最適配分の例としてトリアージを半日かけて押していた人の論拠が根底から崩れて、全部論理的にはゴミになるってことかな。
トリアージが最適解であるなんて誰も言ってないね。最適解を探そうという試みの一例であるとは言ってたかもしれないけど。それだけ。
だいたい、トリアージが最適解であると主張されていたとして、そこは主張の根幹ではないから、どっちにしても君の揚げ足取りは無意味だね。
ほんとに面白くないねえ。
面白くなくても可能だからな。そして、面白さのために君らを追及してるわけじゃないのでな。面白くないと言えば君の「ああいえば上祐」まがいの言い抜けも全然面白くないがね。
そうだな、「産む機械」発言と同程度には叩けないよ。その話もう終わりな。
お前が逃げただけだろ。「産む機械」発言に倫理的に問題があるとの主張は主観的なものでしかない。これはいい加減に認めろよ。逃げるが勝ちメソッドはやめとけ。
いや、高らかに勝利宣言してたのは俺じゃないしー。「産む機械」発言擁護派の勝ちだよ、よかったね。
それをどう感じるかは読者が決めればいいんじゃないかな。
同一人物かどうかは分からんが、リソースの最適配分の例としてトリアージを半日かけて押していた人の論拠が根底から崩れて、全部論理的にはゴミになるってことかな。
もっとも、「この文章」というのが何か、というようなところから揚げ足を取る糸口がないわけではない。たとえば、その辺にある電波文を拾って、「この文章」とはその電波文を指しているのだと強弁すればいくらでも罵倒できるよ。が、面白くはないのでやめておこう。
ほんとに面白くないねえ。
そうだな、「産む機械」発言と同程度には叩けないよ。その話もう終わりな。
お前が逃げただけだろ。「産む機械」発言に倫理的に問題があるとの主張は主観的なものでしかない。これはいい加減に認めろよ。逃げるが勝ちメソッドはやめとけ。
この辺は、緊急性からくる限界なのだが、批判されてるね。
で?トリアージが最適解でないとして、それがこの件と何の関係があるの?
ほら、わけのわからんところから相手にそういうレッテルを貼りに行く。何もないところから勝手に南京事件論争を持ち出すな。
お前こそ、相手に「どっちもどっち」というようなレッテルを貼れば勝ちと思っているんだろう。内実を問わないという点で修正主義者と同レベルの論理能力しかないんだよ。
はっきり言って俺は「どっちもどっち」だとは思っていない。お前らが一方的に主観を押しつけていると思っている。
この文章の揚げ足を取ってみて?
そういうのを揚げ足取りって言うんだよ。今回「文章」と言っているのは何かを主張するようなある程度まとまった量の文のことだ。そういう無意味な例外を拾っても何の意味もない。
もっとも、「この文章」というのが何か、というようなところから揚げ足を取る糸口がないわけではない。たとえば、その辺にある電波文を拾って、「この文章」とはその電波文を指しているのだと強弁すればいくらでも罵倒できるよ。が、面白くはないのでやめておこう。